石垣島ノクターン
店の奥で奏でられる三線のメロディはたゆたうように通りへと流れ出て、夏の熱気に溶けていった。
敷島と広道は屋外のテーブルに座を占めた。
石垣島の風を浴びながらオリオンビールを飲みたいと広道が言ったからだった。
夏の盛りが過ぎ、少しずつ気温が下がりつつある本土と比べると、島の暑さは格別だった。
飲み下したビールは全身の毛穴から汗となって噴き出した。
石垣島の日暮は遅い。
午後7時を過ぎていたが、景色は輪郭を失ってはいなかった。
「あまり飲みすぎるなよ」
敷島の言葉にあえて反抗するように広道はジョッキのビールを飲み干した。
「俺は酔拳の使い手だ」
「酔って現場に行ったら沖縄県警の連中にドヤされるぞ」
「何を真面目ぶってんだよ、らしくねえな」
「明日、木口を逃したら俺の定年が延びる。それだけは勘弁だ」
「本気で辞めるんだな」
「もちろんだ」
敷島は煙草に火をつけた。
深く煙を吸い、吐いた。
敷島はアルコールを注文しなかった。
明日、木口を逮捕したらそのときは改めて乾杯しよう、彼は言った。
木口逮捕にかける並々ならぬ想いがあった。
運命に翻弄された若者の魂の救済、そして警察官としての最後の逮捕劇。
敷島が緊張感を持って明日に望むことは広道にも理解できた。
しかし、たった一人の未成年者を8名の警官で逮捕するのだ。
二日酔いでもできる仕事だ。
暗殺組織で長年の潜入捜査に携り、緊張状態にあった広道は、任務を終えた今、何をやっても退屈に思えた。
異常な状況が正常と化していた彼にとって、正常な状況は異常だった。
日常はスリルに満ちていなければならなかった。
「俺は何だったんだ?」
広道がつぶやいた。
そして、射貫くような眼差しを敷島に向けた。
「どう言う意味だ」
「俺を殺家ーに送り込んだのは組織の壊滅だけが目的じゃない。そうだろ?」
敷島は答えなかった。
「個人的な理由があったんだろ?」
敷島はどう答えて良いかわからず沈黙せざるを得なかった。
「弟を逮捕して、罪を償わせる。だからこそ、あれだけ殺家ーに執着した」
「・・・」
「お前の弟は死んだ。殺家ーは壊滅した」
「何が言いたい」
「悪が滅びたわけじゃない。だけどあんたは終わったと思ってる。望んだ結果ではないにせよ自分の問題が解決したからだ。あんたは個人的な問題に警察組織を利用した。俺のこともな」
「警察は殺家ーの壊滅に威信をかけて取り組んできた。俺はたまたま警察の人間で弟はたまたま殺家ーのボスだった。それだけだ。お前を送り込んだのは、この任務に一番相応しいと思ったからだ」
「あんたは昔からそうだ。事件解決のためなら手段を選ばない。他人の気持ちを踏みにじり、その人生を犠牲にすることも厭わない」
「酔ってんのか?」
「酔ってねえよ!」
広道が声を上げ、テーブルに拳を叩きつけた。
驚いた客たちは瞬時に沈黙した。
敷島を睨む広道の目は、明らかに酔っていた。
場の空気とは対照的な三線のメロディが、どこ吹く風、沈黙の中を漂っていた。
二人は互いの目を見ていた。
瞳の奥に潜む本心を見極めようとした。
周囲の客は束の間二人を注視していた。
次の展開を期待している眼差しだった。
しかし、二人の沈黙は続いた。
注目されている限り進展がないと判断したのか、客たちは再び自分の会話に戻った。
「あんた分かってんだろ?」
注目が解かれた後で、広道が口を開いた。
「なんで俺が潜入を引き受けたか」
敷島は答えなかった。
答えがわからなかったからではない。
答えがわかっていたからだ。
「初めてボスを見たとき、すぐに分かったよ。あんたの弟だってね。だから、潜入を続けられた…」
広道はテーブルに置かれた敷島の手から煙草を抜き取った。
自分の口に加えて煙を深く吸い、敷島の顔に吹きかけた。
敷島は動かなかった。
煙草を抜かれて手持ち無沙汰になった敷島の手に広道は自分の手を重ねた。
二人はそのまま見つめ合った。
互いの心の動きを探り合うように。
敷島は空いていた左手で広道の手をそっと外した。
「お前には感謝している。だからこそ俺の地位をお前に譲る。俺にしてやれるのはそれだけだ」
「俺が欲しいのはあんたの地位じゃない、わかるだろ?」
「悪いな。弟と違って俺にはそっちの趣味はないんだ」
広道は敷島を見つめたままだった。
広道の目に動揺はなかった。
あらかじめ答えはわかっていたとでも言うように。
「ひとつだけ…正直に答えてほしい」
敷島は頷いた。
「あんたは俺の気持ちを知りながら潜入させたのか?」
「違う」
敷島はきっぱりと答えた。
広道は真偽を推し量ろうと敷島の瞳の奥を探った。
しかし、そこには何らの動揺もみられなかった。
「わかった」
広道は立ち上がった。
「行こうぜ。明日は早い」
振り返るとさっさと歩き出した。
敷島は遠ざかる彼の背中をしばらくの間見つめていた。
(つづく)




