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Barber’s Trap〜理容室の罠〜

その理容室は「黄昏のレンガ路」と呼ばれる繁華街にあった。

殺人事件のあったゲイバー「つぶらな瞳」と通りを同じくする。

レンガ作りの雑居ビル、地下へ通じる階段の入り口にサインポールが立っている。

理容室の前によく置かれているあの赤と青のクルクルだ。

それが目印。

看板はない。

敷島は地下へ降りていく。


階段を降り切ると黒い木製のドアが立ちはだかる。

ドアには「barber’s trap」と刻まれた真鍮のプレートが掲げられている。

今回でここに来るのは何回目だろう。

常連と呼んでも差し支えない回数は通っただろう。

敷島はドアを引いた。


店内はニューヨークの古びたバーのような雰囲気だった。

壁は煉瓦造り、磨き上げられた木の床はダウンライトに照らされ黒く光っていた。

もっともニューヨークというのは敷島の勝手なイメージだ。

彼はニューヨークに行ったことなどなかった。


「荷物をお預かりしましょう」


敷島は手に敷いていたブリーフケースを店主に渡しながら、


「これさ、すぐに手の届くところにおいてくれないかな」


店主は一瞬だけ何かを考えるような表情を見せ、鏡のわきに立てかけた。


敷島はひとつしかない理容椅子に腰を下ろした。

店主一人、他にスタッフはいなかった。

完全予約制。

二人同時にはやらない。

敷島はこの店で他の客を見たことがなかった。


腰を下ろすと、今日はどのようにカットしましょう?とは聞かれない。

まず手始めにウィスキーが提供される。

さらに店主が葉巻を差し出し、くわえるとオイルライターで火をつけてくれる。

無言だが、歓迎されているのが分かる。


店主は常にシワひとつない襟付きの白シャツにネクタイ、あるいは蝶ネクタイを締め3つボタンの黒いベストを着ている。

肝心の髪型は、両サイドを地肌が見える程に短く刈り上げ、トップはポマードでバックに流し、固めている。

鼻の下と顎には整えられた髭を蓄えている。

店主のいで立ち、店構え、インテリア、サービス、道具、店に関わるありとあらゆる物事に店主のこだわりが行き届いている。

その世界観は確固たるもので、スキがない。


敷島がウィスキーを飲み干すと、店主はグラスを受け取った。

いよいよカットクロスを付けようとした時、敷島の携帯電話が鳴った。

画面を見ると潜入からだった。


「悪いな」


店主はカットクロスをよけた。

電話の時、敷島が外に出るのは心得ていた。

そして敷島の電話はよく鳴った。


階段を登りながら電話に出ると、いきなり怒鳴り声が上がった。


「何やってんだよ!」


理由は分かっていた。

グレープ脱走事件はすでに全国ネットでニュースになっていた。

会見で深々と頭を下げる上層部の映像が繰り返し報道されていた。


潜入がグレープ脱走をニュースで知る前に自分の口から伝えたかった。敷島は繰り返し彼に電話をかけたが、応答はなかった。結局、潜入はニュースで知ることとなり、怒りの電話となった。


潜入が怒るのは当然だ。

暗殺集団「殺家ー(サッカー)」に潜り込み、命がけで情報を送っているのだ。今回のグレープ逮捕だって潜入からの情報があったからこそだった。捕まえて牢屋にぶち込んだにもかかわらず逃げられてしまった…

あまりの不甲斐無さに言葉もなかった。


「状況を説明しろ」


敷島はグレープが逃亡した経緯を説明した。


「グレープを逃したバカを俺んとこに連れてこい。半殺しにしてやる」


敷島は黙り込むより他なかった。

グレープを逃したバカには自分も含まれているのだ。


敷島が無言でいると潜入が言葉を次いだ。


「グレープを泳がせろ」


「は?」


「グレープを消すように指示が出てる」


「ほっとけば殺されるってことか?」


「相手は誰だ? グレープだ。そう簡単にはいくまい。それにグレープ自身、組織に命を狙われる立場になったことを重々承知してるはずだ。だからと言って、あいつが黙って殺られるのを待っているはずがない」


「つまり…」


「そうだ、グレープは一人でも組織を潰しにかかるはずだ」


高みの見物か・・・

敷島は、それついてしばらく考えた。

警察としてグレープのような危険な殺し屋を野放しにするわけにはいけない。

しかし、彼を放っておけば警察の代わりに「殺家ー」を潰してくれる。


「なるほど…」


敷島は思わずつぶやいた。


(つづく)

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