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MBウイルス  作者: Takezo
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犯人は捕まった?

九一は激しい空腹に耐えきれず中華料理屋なのにチャジャンミョン(韓国のジャージャー麺)で有名な「昇竜」に立ち寄った。

もっともチャジャンミョンは韓国に移住した中国人が提供したのが始まりで、源流は中華のジャージャー麺にあると言われるから「昇竜」で提供されるのは理由がないわけではなかった。


九一はこの街を離れるつもりだった。

警察の追手が迫る前にどこか遠くへ逃亡し、二度と帰らぬつもりだった。

本当は一刻も早く街を出るべきだが、空腹をこらえきれず好物であるこの店のチャジャンミョンを最後に食べておこうと思った。


朝から何も口にしてなかった。

サキを殺すまでは食欲を全く感じなかった。

目的を果たし、直後にMB検査が誤判定だったと知り、混乱した思考の果てにこれからも人生は続くのだという事実に直面したとき猛烈な空腹に襲われた。


九一はカウンター席に腰を下ろした。

目深にかぶったキャップを脱ぐことはしなかった。顔を見られたくなかったからだ。

しかし、注文を取りに来た小太りの中国人女性は、常連の九一に気づいていた。

注文を聞くことなく、いつものね、と言い、厨房に向かって不必要な大声を上げた。


「チャジャンミョンいっちょう!」


店内はほぼ満席だった。

背中越しのテーブル席には九一の知っている男が座っていた。

帽子を脱がなかったもうひとつの理由は彼に見つかりたくなかったからだ。

坊主頭で背の低い五十歳ぐらいの男だった。

向かい側には浅黒い肌の男が座っていた。

坊主頭は実業家だと自分で話していたが、ヤクザのボスであることは誰でも知っていた。


彼はゲイバー「つぶらな瞳」の常連だった。九一が働いていたときしつこく言い寄ってきた。

九一は給仕係でコンパニオンではないと言っても彼は耳を貸さなかった。

ある日、あまりにしつこいので同僚のコンパニオンが、九一は店のオーナー、サキの恋人だと告げると(そして、それは事実だった)グラスを床に叩きつけ、テーブルをひっくり返し、ぶっ殺してやる!と捨てゼリフを吐いて去っていった。

以来、店には二度と姿を見せなかった。


ボスと外国人の話し声が、調理やテレビの音の合間にぽつぽつと聞こえた。

あの野郎しくじりやがって、とか餃子うまいっスね、とかボスはインテリだとかそんな話だ。


「次のニュースです」


テレビの音声が九一の耳に飛び込んできた。

テレビはカウンター席の奥の壁に板を取り付け、その上に置いてあった。首が痛くなるほど高い位置だった。

九一は雑音を掻き分けアナウンサーの声に耳をそばたてた。


「今日昼頃、市内にある繁華街の飲食店で男性の遺体が発見されました」


九一の事件だった。


「警察の調べによりますと、遺体はこの店のオーナー岩崎秀夫さん30歳で、全身に刃物のようなもので刺された傷があるとのことです。警察は現場付近を歩いていた男が拳銃や刃物を所持していたことから銃刀法違反の容疑で逮捕し、事件との関わりがないか慎重に調べを進めているとのことです」


男を逮捕した?


九一は聞き間違えたかと思った。あるいは別件の報道だったか。


いや、画面にはゲイバー「つぶらな瞳」の外観が映し出されていた。

パトカーや報道陣や野次馬で騒然とし、いつもと様子は違っていたが見慣れた風景だった。


『男が逮捕された?』


事実だとしたら、その男は何者なのか。

なぜ銃や刃物をもって「つぶらな瞳」の近辺をうろついていたのか。

誰かを殺すつもりだったのか。

あるいはすでに殺した後だったのか。


ひとつ確かなことは、その男は「つぶらな瞳」殺人事件の犯人ではないということだ。

なぜなら犯人はここにいるからだ。


事件を伝えるニュースが終わると、グレープめ…と坊主頭が憎々しげにつぶやく声が九一の耳に届いた。

しかし、九一はなぜ坊主頭がグレープ=葡萄に悪態をついてるのか検討もつかなかった。不味い葡萄でも食ったのだろうか?


「チャジャンミョンお待ち!」


黒いヌードルが九一の前に置かれた。


もし報道が事実なら…九一はチャジャンミョンをすすりながら思った。


『運が向いてきた』


復讐を果たし、死は遠ざかり、警察に追われる可能性もなくなった。


誤認逮捕された男に同情はなかった。

銃や刃物を携帯しているなんてどうせロクな奴じゃない、逮捕されてよかったぐらいだ。


『それにしても間違いが多すぎる』

間違いの検査結果、間違いの殺人、間違いの逮捕。


『間違いの悲劇だな』


目深にかぶった帽子の下で自虐的な笑みがこぼれた。


最後の一口をすすり終えた。

ペーパーナプキンで口のまわりを拭いた。

腹が満たされると力が内側から湧き上がってきた。

今、彼は生命を取り戻した。

生まれ変わった気分だった。 


(つづく)

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