復讐の現場
冷たいものが頭頂部から伝うのを感じ、サキは暗闇から引き上げられた。
開かれた目に、滴り落ちる雫が入り込んできた。
声を上げようとしたが口枷が邪魔をした。言葉にならないうめき声が喉の奥からもれるばかりだった。
身体は椅子に縛り付けられ身動きが取れなかった。
わけが分からず、もがき、縛られた己の身体を見て自問した。
こ、これは…?
タクシーを降りたところまでは覚えていた。そこから先の記憶がなかった。
スニーカーを履いた両足が視界に入った。
なぞるように視線を上に這わせていった。
九一がやかんを手にして彼を見下ろしていた。
表情はなかったが、瞳の奥に憎悪が渦を巻いていた。
九一はヤカンを放り投げた。
フロアを打ち、大げさな音が響き渡った。
何、これ! いったい何なのよ!
サキはそう言ったつもりだが、やはり言葉にはならなかった。
口枷を咬まされた唇の端から涎が垂れ下がった。
「シッ」
九一は唇の前で人差し指を立てた。
サキに顔を近づけて、SMプレイの時に見せるサディスティックな笑みを浮かべた。
「縛られるのは嫌いじゃないだろ?」
これは一体何なのよ⁈
サキが再び声を発すると、九一がその頬を張った。
鋭い音がフロアに響いた。
唇を口枷と歯の間に挟め、血の味が舌に滲んだ。
「分かってる。これから説明してやるよ」
九一はうつむきながらサキの周りを歩き始めた。右の拳で顎を軽く叩いていた。考えるときにやる彼のクセだった。どこから始めるべきか思案していた。
九一は歩きながら話し始めた。
「先日、MBウイルスの検査を受けた」
九一は言葉を区切った。サキの反応を伺うためだった。
その言葉だけで十分だった。
サキは理解した。
なぜ自分がこのような目にあっているのか。
バレたのだ。
自分がMBに感染していることが。
そして、九一を感染させたことが。
九一は続けた。
保健所の前を通りかかったら行列ができていたこと。
MBの抗体検査を待つ列だったこと。
MBは現在、爆発的に流行しており性行為が主な感性ルートであること。
自覚症状はまったくなかったが、気になったから試しに受けてみたこと。
「結果は・・・陽性だった」
サキの予想通りの展開だった。
何も言うことはできなかった。
「これから質問をする。首を振って答えろ。Yesなら縦に、Noなら横に。いいな」
サキは頷いた。
九一は深く息を吸い、吐いた。そして、聞いた。
「…お前は、MBか」
サキはうつむいた。
それはイエスを意味したが九一が欲しいのは明確な意思表示だった。
「聞こえたか?」
「・・・」
「答えは分かってるんだ。ただはっきりさせておきたい」
返事はなかった。
九一はサキの髪を掴み、顔を上げさせ、再び頬を張った。
「聞いてんのか?」
サキは睨みつけるように九一を見上げた。
「もう一度聞く。お前はMBか?」
挑戦的な視線はそのままに、返事はなかった。
九一は頬を張った。
「お前はMBか?」
答えはなく、九一が頬を張ると鼻血が滴り落ちた。
「お前はMBか?」
サキはやはり答えなかった。
九一は靴底でサキの上体を蹴り倒した。
サキは椅子ごと後ろに転倒した。
九一に根比をするつもりはなかった。
九一はサキの上体をまたいで見下ろした。
手にはいつの間にかサバイバルナイフが握られていた。
ナイフの柄を指先でつまむようにしてぶら下げた。
刃先はサキの顔に向けられていた。
サキは首を左右に動かし、今にも落ちそうなナイフを避けようとした。
残忍な笑みが九一の顔に広がった。
MBウィルスの検査結果が出て以来、サキには死ぬ覚悟ができていた。
しかし、サバイバルナイフに刺されて死ぬのは望むところではなかった。
「ショーはこれからだ」
そう言って九一はナイフをズボンのポケットにしまった。
背もたれを持ってサキの椅子を起こした。
「これから裁判をする。俺が裁判官。お前は被告人。裁判官が判決を読み上げるところから始める」
九一は振り返ると誰もいない傍聴席たるフロアを見渡し、再び被告人に向き直った。大袈裟に咳ばらいをし、サキの周囲をゆっくりと歩きながら判決文を読み上げた。
「被告人は自らがMBウイルスに感染していることを知りつつ、その事実を隠蔽し被害者と性的な関係を持った。己の欲望を最優先にする被告人の身勝手な行為は非人道的であり、到底承服することはできない。よって被告人は…」
九一は立ち止まりサキと向かい合った。
ナイフを取り出し、高々と掲げた。
鋭利な刃がスポットライトを受けて残酷な光を放った。
「死刑!」
(つづく)
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