復讐の現場
冷たいものが頭頂部から伝うのを感じ、サキは暗闇から引き上げられた。
開かれた目に、滴り落ちる雫が入り込み、瞳を刺激した。
声を上げようとしたが口枷が邪魔をした。言葉にならないうめき声が喉の奥からもれるばかりだった。
身体は椅子に縛り付けられ身動きが取れなかった。
目の前に九一が立っていた。
やかんを右手に持ち、彼を見下ろしている。
表情はなかったが、瞳の奥に憎悪が渦を巻いていた。
サキは記憶を辿った。いつの間に自分がこのような状況に置かれたのか。
普段通りタクシーで出勤し、店の裏口で降りた。鍵を開けて中に入ろうとした時、電流を背中に感じた。覚えているのはそこまでだった。
そして今、意識を取り戻すと、椅子に縛り付けられ口枷をはめられ、身動きの取れない己を見出した。
目の前にいるのは恋人の九一でこの状況から察するにサキを拘束したのは彼だった。
九一の背後に広がるのは店のフロアだ。
そう、ここはサキの経営するゲイバー「つぶらな瞳」。
つまり彼は自分の店で拘束されているのだ。
開店前の静けさに包まれた無人のフロア。
夜になれば客で賑わう。
今、サキがいるのはフロアを見渡せるお立ち台だ。スポットライトが頭上から一直線にサキを照らしている。
九一が手にしていたヤカンを放り投げた。
フロアを打ち、大げさな音が響き渡った。
何、これ! いったい何なのよ!
喉の奥から声を絞り出すが、言葉にはならない。
口枷を咬まされた唇の端から涎が垂れるばかりだ。
「シッ」
九一は唇の前で人差し指を立てた。
サキに顔を近づけて、普段彼らがするSMプレイの時と同様のサディスティックな笑みを浮かべた。
「縛られるのは嫌いじゃないだろ?」
これは一体何なのよ⁈
サキが再び言葉にならない声を発すると、九一がその頬を張った。
鋭い音がフロアに響いた。
唇を口枷と歯の間に挟め、血の味が舌に滲んだ。
「分かってる。これから説明してやるよ」
九一はうつむきながらサキの周りをゆっくりと歩き始めた。右の拳で顎を軽く叩いた。考えるときにやる彼のクセだった。どこから始めるべきか思案していた。
九一は歩きながら話し始めた。
「先日、MBウイルスの検査を受けた」
そこで足を止めると同時に言葉を区切った。サキの反応を伺うためだった。
これだけで十分だった。
サキは理解した。
なぜ自分がこのような目にあっているのかを。
バレたのだ。
自分がMBに感染していることが。
そして、九一に感染させたことが。
九一は続けた。
保健所の前を通りかかったとき行列ができていたこと。
MBの抗体検査を待つ列だったこと。
自覚症状はまったくなかったが、気になったから試しに受けてみたこと・・・。
MBは現在、先進国で爆発的に流行していた。感染すると精神に破綻を来たし、やがては死に至る。主な感性ルートは性行為。特に日本では男性間の性行為が感染者の8割を占めていた。
「結果は・・・陽性だった」
サキは黙っていた。
何も言うことができなかった。
それは物理的な状況に関わらずであった。
たとえ口枷に会話の自由を奪われていなかったとしても、言葉を失っていることに変わりはなかった。
「これから質問をする。首を振って答えろ。Yesなら縦に、Noなら横に。いいな」
サキは頷いた。
九一は深く息を吸い、吐いた。そして、聞いた。
「…お前は、MBか」
サキはうつむいた。
それはイエスを意味したが九一が欲しいのは明確な意思表示だった。
「聞こえたか?」
「・・・」
「答えは分かってるんだ。ただはっきりさせておきたい」
返事はなかった。
九一はサキの髪を掴み、再び頬を張った。
「聞いてんのか?」
サキは睨みつけるように九一を見上げた。
「もう一度聞く。お前はMBか?」
挑戦的な視線はそのままに、返事はなかった。
九一は頬を張った。
「お前はMBか?」
答えはなく、九一が再び頬を張ると鼻血が滴り落ちた。
「お前はMBか?」
サキはやはり答えなかった。
九一は足を前に突き出し、サキの上体を蹴り倒した。
サキは椅子ごと後ろに転倒した。
九一に根比をするつもりはなかった。
九一はサキの上体をまたいで見下ろした。
手にはいつの間にかサバイバルナイフが握られていた。
ナイフの柄を指先でつまむようにしてぶら下げた。
刃先はサキの顔に向けられていた。
サキは首を左右に動かし、今にも落ちてきそうなナイフを避けようとした。
MBウィルスの検査結果が出て以来、サキには死ぬ覚悟ができていた。
しかし、サバイバルナイフに刺されて死ぬのは望むところではなかった。
「ショーはこれからだ」
残忍な笑みが九一の顔に広がった。
ナイフをズボンのポケットにしまい、背もたれを持ってサキの椅子を起こした。
九一は再びサキの正面に立つと威厳を込めて言った。
「これから裁判をする。俺が裁判官。お前は被告人。裁判官が判決を読み上げるところから始める」
九一は振り返ると誰もいない傍聴席たるフロアを見渡し、再び被告人に向き直った。大袈裟に咳ばらいをし、サキの周囲をゆっくりと歩きながら判決文を読み上げた。
「被告人は自らがMBウイルスに感染していることを知りつつ、その事実を隠蔽し被害者と性的な関係を持った。己の欲望を最優先にする被告人の身勝手な行為は非人道的であり、到底承服することはできない。よって被告人は…」
九一は立ち止まりサキと向かい合った。
ナイフを取り出し、高々と掲げた。
鋭利な刃がスポットライトを受けて残酷な光を放った。
「死刑!」
(つづく)
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