mail me so long
計画は完璧だろうか……
私は、台所で夕食の片付けをする妻の背中をながめながら、何度も頭の中でくり返していた。
妻を殺す。
何の刺激もない20年におよぶ結婚生活。お互いに掛けた多額の生命保険。
それにもまして、まだ直接逢ったことはなかったが、写真も交換し、何度も携帯越しに愛の言葉を交わし合うサイトで出会った年下の女。
NAMIKOとの新しい生活を思う時、私は妻に対する殺意が膨れあがるのをどうすることも出来なかった。
背徳は蜜の味。退屈しのぎに入った出会い系サイトで、見知らぬ女の言葉に誘い惑わされ溺れていく中年男。
私は断じて同類ではない。絶対成功してみせる。そしてあの女と……。
「お茶でもお入れしましょうか?」
妻の声に我にかえった私は、内心の動揺を気付かれぬよう顔を伏せ、見てもいない雑誌に視線を落とした……。
夕食のあと書斎にこもると、私は明日の計画についてNAMIKOに確認のメールを送った。待っていたのか折り返しメールが届いた。
「あなたは何も心配しなくていいの。打ち合わせた時間に家を出て、決めた通りのルートで私のところまで来てくれたら。それで万事うまくいくわ」
私はしばらくその文面をながめた後、深く息を吸い込んで携帯を閉じ、書斎から妻のいるリビングに向かった。
妻は繕い物をしていた。
おい、と声をかけると手を止めて私の方に振り返った。
「明日、出かけるが、得意先から家に電話があるはずだから聞いといてくれ。大事な用件だから、留守はするなよ」
妻ははいと答えると、また手元の上着に目を落とした。
つまらない女だ。
私は妻のうなじを見つめながらそう思った。
口数は少なく従順で、おびえたウサギの目をした女。何の痛みも感じなくなっていた……。
翌朝、車に適当な荷物を積み込むとエンジンをかけ、家に引き返し、見送りに出てきた妻に、くれぐれも留守にするなよと念を押した。
妻は休日に出かける私に不満でもあるのか、しばらくは何か言いたそうにグスグズしていたが、結局、はいと答えただけで、奥に引っ込んでしまった。
私は車を車庫から出すと、予定通り国道××線に向かわせた。
計画では、このまましばらく国道を南下したあと、脇道にそれ、林道を使って急な山を一つ越えた、反対側の街でNAMIKOと落ち合う手筈になっていた。
反対側の街で、何でもいい、人の記憶に残るようなアリバイを作っておけば完璧だ。
その同じ時刻、我が家には、NAMIKOが見つけてきた男達が、強盗にみせかけて押し入り妻を殺す、そういう段取りになっていた。
保険金は、他人に不信感を抱かせるような金額ではないし、10年以上も掛けている。疑われる余地はどこにもなかった……。
車は国道をそれた。
林道とはいえ全線がアスファルトで舗装された二車線で、転落防止のガードレールが白い蛇のように、緑の山肌にうねうねと這っている。
私はこの半年の激変ぶりが信じられなかった。
退屈な生活に、刺激を求めて登録した出会い系サイト。
三か月前に届いた一通のメールがすべてを変えてしまった。華やかで楽しい会話。一人暮らしの女がもらす扇情的な書き込み。そしてグラビアから抜け出たような、華奢で髪の長い、美し過ぎる女の写真……。
夢中になった。
メールをする誘惑に逆らう気持ちも起こらなかった。
日に何度も携帯を覗き、何十通ものメールを送った。
あの日、妻を殺してでもNAMIKOと一緒になりたい、と言った時、その申し出に驚いたのか、しばらく返信が途絶えたものの、待ちに待ったメールが届いた時には、人が変わったように積極的な態度で、NAMIKOがこの計画を持ち出してきたのだった……。
携帯が鳴った。
着信の表示は自宅からだった。
車は頂上を越え、下りにさしかかると、裾野にひろがる街の景色が、一気に目に飛び込んできた。あと少しでNAMIKOに会える。そう思うと妻の声を聞くのが煩わしかった。
携帯を開くと無言で耳に当てる。
「あぁ、貴方? わたしの携帯グローブボックスの中にあるかしら?」
私は携帯をもつ手で助手席のグローブボックスを開けた。
中に、ケースにいれた白い携帯があった。
「あぁ、あるぞ。それがどうした?」
私は不機嫌な声で答えた。
「いいの、あれば。貴方ごめんなさい。本当に。ほんの悪戯だったの。退屈で、ただの気晴らしだったの。あの日、貴方がわたしを殺したいなんて言わなかったら……。ごめんなさい。本当にごめんなさい……」
通話は切れた。
私は訳がわからず、折り返しNAMIKOに電話をかけた。呼び出し音が一回コールされた途端、グローブボックスの中から、軽やかな着信音が鳴り響いた。
バカな!
私は助手席に手を伸ばし携帯をつかもうとした、その瞬間、足元にガクンと衝撃が走り、ブレーキが一切効かなくなった。
車は急な坂道を猛スピードで下っていく。対向車を慌てさせ、後輪を滑らせながらカーブを曲がっていく。
そうか、妻が。
すべて、あのおびえたウサギの目をした、あの女が……
混乱した頭が一瞬、シフトダウンを遅らせた。
けたたましいエンジンの咆哮とともに、私の車は、険しい断崖絶壁とを区切る、白いガードレールに向かって一直線に突っ込んでいった……。