Allegro Macabre ――死のアレグロ(アレグロ・マカブル) (7)
その後の顛末は、私がその場に居合わせた訳ではないので、手短に済ませておこう。
私が遺体を固定した(と思われた)煙突の結び目は、若干緩かったらしく、そこに不幸にも突然突風が吹き、私の死角である側に転がり落ちてしまったらしい。
その際、神と云うより悪魔のイタズラで、胴体の方で二重に縛っていた方だけが解け、頭部と煙突を繋いでいた縄の方は無事で、即興の首吊り死体となって客室棟の窓に沿って落下した。
更に、何の因果か、偶々三階の客室には、ストールを忘れただとかで、キャリーを付き添いに部屋に戻っていたミス・ペニーがいて、窓際のスーツケースをゴソゴソやっていた彼女は、宙ぶらりんのご遺体と至近距離でアイコンタクト。
ギャーっと悲鳴を上げ、お婆さんは昏倒、キャリーは慌ててロビーに戻る。
その時、偶然ハヅキは丁度鳴っていた電話に出たところで、
「こちら、〈安置所・ニムロド〉。ああ、十和さんか――あ、ちょっと待って。キャリー、どした?」
「ミス・ペニーが気絶されました。空から、あのご遺体が、首吊りとなって降ってきて――」
そんな中、絶妙のタイミングで一仕事を終え、今直ぐにでもバカンスにでも出かけたいウキウキとした心境の私が、「ただいま!」と快活に入って来てしまい――
軽く私を睨み、暫く思案する様子のハヅキだったが、次に言葉を発した時は嘗てないテキパキとした口調で、受話器に向かってこう云った。
「ちょうどいいや。医者を知らないか? 婆さんが一人卒倒、ついでに客死の診断書を秘密裏に書いてくれる、都合のいいの」
* * *
エクストン医師は、第三区の開業医で、ぺったりと撫で付けた湿り気を帯びた髪と、昆虫の複眼のような丸眼鏡が、どこかヤゴを思い起こさせる長身の人物だった。
本来、当区の司法解剖医は当然二区の医者なのだが、〈葡萄燈〉の十和子さんが、そう云った事態なら、適当に通りかかったとか理由をでっち上げても、エクストン医師に頼んだほうが良いと助言した所為で、〈ホテル・ニムロド〉にやってきた。
まず、引っ繰り返ったままのミス・ペニーを診断し、気付け薬を飲ませると(幸い、余りにもショックが大きかった所為か、お婆さんは何も覚えていなかった)、二階の、余りにも通気性が悪く、また薄暗い、余程部屋が満杯でない限りは客を通すことのない客室で、出張司法解剖は執り行われ、病的な解剖欲と天才的な外科医術を併せ持つエクストン医師は、その欲求を満たされたかのように幸せそうな顔で、ハヅキ、私、キャリー、ミース、予定より大幅に早く戻ってきたジュリオ、それとなぜかトロイを事務室に集めて云った。
「ええとね、司法解剖の結果を報告するよ。客死だから、ホテルの方々にもそれを聞く権利があると思うしね。故人はジェイムズ・ホワイトさん。オーストラリア人。身長百七十五センチ、体重六十二キロ。一九八〇年代のシドニーからいらしたみたいだね。ええとね、詳しい検死の結果だけど――首に絞められた跡、頸椎打撲、頭部にも打撲が数箇所、鞭打ち、全身は擦り傷だらけ、左足小指の骨折――」
その言葉を聞くにつれ、小さくなる私たち。
ジュリオ叔父は呆れ返った目で見てるし、トロイは小声で「エッ?」とか云ってるし、マジでこの場から逃げ去りたい。
「まあ、よくもまあ、こんなにあちこちに傷を付けられたものだと感心してるんだけど、死因は心筋梗塞――自然死だね。先程云ったのは全部死後、それも八時間は経ってから付けられたもので、死との関連性は一切ない。胃の内容物も調べたけれど、不審な点はないね。きちんと、夜のうちに亡くなっているよ」
ぱーっと顔色が明るくなり、今にもハイタッチをしそうなハヅキだったが、ジュリオ叔父の窘めるような空咳を聞いてしおらしくなった。
「まあ不幸中の幸いというやつだ」
と、ジュリオ叔父。
「エクストン先生の口利きで、もう既に一区の入国管理局がホワイト氏のご遺族に連絡を取って、遺体はこちらで客死処分にしてもらって構わないということだし、その意味では、不必要に事態を隠蔽しようとして舞台袖で大騒ぎを演じていたお前たちの苦労も、まったくの無駄骨ではなかったようだ。お陰でホテルとしては、一切の不名誉を被ることなく、道義的にどうかとは思うが、無事パッツィーニ子爵を三一号室にお通しすることもできた。お前たちのしたことは、決して褒められたことじゃないが――今回は不問にしておいてやる」
ハヅキは満面の、心からの笑みを浮かべて、ジュリオに抱きついた。
「やったあ! これだから叔父様のこと、好きよ」
「こ、これだからとはなんだ、これだからとは」
そう口では能書き垂れている叔父様だが、相変わらずその腑抜けてデレデレの様子では、叔父の威厳もへったくれも無い。
「まあ、若い人が多いってのは活気があっていいねえ」
エクストン医師は笑って云った。
「うちにも若い娘が一人いてね。ぼくと親父は両方鰥夫で、しっかりものの娘にいっつも尻を叩かれてるんだけどね。ほら、ぼくって死体大好きじゃない。だけど、うちの娘にやあやあせっつかれてると、鬱陶苦しいなあと思う反面、生きる力に満ち溢れている若者と接するのも、いいものだなあって思うよ。十和ちゃんも云ってたねえ、若いのが一人いたら賑やかで、二人いたら二倍どころじゃなく二乗賑やかだって。その点、ここなんて三乗は賑やかだね。ここは時が止まっているベイベルだけど、やっぱり個人個人は背骨も曲がれば、どんどん命が短くなっていくばかりだからねえ。時に、こうして若い人たちと接して、その活力を分けて貰うってのは、カムフラージュされた時の流れを再確認すると共に、自らの過去を尊び、未来を考え、その狭間にある今この時この瞬間の有難味を実感する、いい切っ掛けになるからねえ」
やたらとカッコイイ台詞を滔々と語る朴訥な医師に、一同が面食らっていると、エクストン医師はその昆虫染みた顔に愛嬌のあるはにかみ笑いを浮かべて云った。
「いや、十和ちゃんの受け売りだよ。あの女は、いい事を沢山云うからねえ。ぼくじゃ、そんな台詞逆立ちしたってひねり出せないよ」
一同は朗らかに笑い、ただ一人、トロイだけが「エッ?」とキョトンとした表情を浮かべるので、それがまた面白みを増し、笑顔の連鎖を生むのだった。