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ホテル・ニムロド  作者: 岩橋のり輔
I. Allegro Macabre  ――死のアレグロ(アレグロ・マカブル)
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Allegro Macabre  ――死のアレグロ(アレグロ・マカブル) (5)




「前方七十度の角度より、敵兵発見。あのドイツの軍人お爺さん。ラジャー?」


というと、ダンホルスト少佐か。


またさっきとは別の意味で厄介なのが――と思っていると、ハヅキが小声で云った。


「もたもたしていてもボロが余計出るだけだ。ここはこのまま進み続けるぞ」


「え、大丈夫ですかね」


「心配ない。ボケ老人が何を見ても法的な信憑性はない」


本日、もう数えきれないほど聞いているが、また暴言入りました。


もうなるようになれ、とその指示に従い、ヨイショヨイショと歩き続ける私たち。


案の定、少佐はまたしても勿体ぶった調子で、耳の遠い老人特有の百メートル先にもしっかり届く大音量で話しかけてきた。


「ああ、フロイライン・イェーガー!」


「これはこれは少佐。こんにちは」


私達は一同、にっこりと精一杯の作り笑いを浮かべて、少佐の夕陽をアルコール漬けにしたような赤ら顔を眺めていた。


「ああ、死人かね?」


え?


今なんて?


慌てて当のご遺体の方に目をやると、なんと、さっきより慌ただしく運んでいた所為か、シーツがずれて、御尊顔がお目見えしてしまっているではないか!


予期せぬ事態に、固唾を呑む三人。流石に、これは言い逃れできない――


ところが、少佐は小さなビーズのような眼を飛び出さんばかりの勢いで見開いて、


「銃殺だな、え?」


「え?」


「ソヴィエト兵か?」


「はい?」


「儂も若い頃、四、五人ほどやっつけたから判る。見よ、この忌々しい面――ソヴィエト兵だな?」


いや、アンタ、ここ曲がりなりにも一応ホテルだよ? 戦場の臨時野戦病院じゃないんだよ? そもそも、アンタ炊事班だったんだろう、どうやって兵隊殺すんだよ。毒入りサンドイッチでも食わすのか?


普段は事実と虚構の入り混じった支離滅裂な論法で、私らをほとほとうんざりさせている少佐だが、この時ばかりはその耄碌さ加減に感謝の意を表さずにはいられなかった。


ハヅキの顔にもぱーっと光明が射し、


「その通り、御明察ですよ、流石は少佐。我らが勇敢にして賢明なるドイツの兵隊が、潜伏していたロシアのスパイを一人、焙り出して返り討ちにしたところです。ですが少佐、このことはくれぐれもご内密に。他のお客様がパニックになったら事ですので――」


「上からのお達しかね?」


「え?」


「それは国家のご意向というわけかね?」


「このホテルの経営者はわたしだ、それより上に誰がいるっていうのさ、チンギス・ハンか? ――いえ、なんでも? その通り、これは我らがドイツ帝国の総意でして、出来れば少佐には、この出来事を御自身の胸の内に秘めておいて頂けると――」


ボンクラ少佐には、その釈明は効果覿面だったらしく、鷹揚に手を挙げて、笑って云った。


「ワハハ、それは問題ない。儂はちゃんと軍規や機密事項はしっかりと守る男だ――ところで、朝飯はまだかな?」


アンタ、八時前にしっかり食ったばっかだろう――そう小声で毒づいたハヅキだったが、


「いえ、生憎朝食のお時間は終わりましたけれど、もうすぐお昼でございますからね。どうでしょう、それまで下のバーで、ビールでも嗜まれては? キャリーかトロイにでもお達しくださいまし」


ビールのみならず、アルコールと名の付くものに目が無く、エタノールとメチルアルコールの区別の付かない重篤な末期症状の少佐は、ビールという魔法の呪文に吸い寄せられるかのように、大人しく階下へ去って行った。


少佐の調子っぱずれの軍歌の鼻唄が充分遠ざかるのを確かめると、私らはわちゃわちゃっと崩れかけたリネンを乱雑に積み直して、そそくさと進軍を三度開始した。




第二の関門、これにて突破。




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