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黄昏を恋う (短編集)  作者: 新熾イブ
7/15

想い出ドロップ




「“スズ~!誕生日おめでとう~!”」


 午前0時を迎えたちょうどその時に電話をくれた友達の声が受話器から響く。


「ありがと、」


 そんな友達からのお祝いに、電話越しに笑ってお礼を言う。数年ほど前まではさほど自分の誕生日に思い入れなんてなかったけれど、17歳になったあの日が忘れられない日になったから。


 もう、誕生日なんて、とは言わない。


 誕生日を迎える度に思い出す、淡くて静かな恋の想い出。


 他愛ない話を独り言のように話し続ける友達の声に適当に相槌を打ちつつそっと睫毛を伏せれば、あの色濃い想い出の日が脳裏に鮮やかに浮かび上がった。




 ――――――




 5月2日金曜日、午前9時。


 八十八夜だとか交通広告の日だとか言われている今日は、私にとってもそこそこ大切な記念日である。


「はい、授業始めるよー」


 ――まあ一個人にとってどれだけ特別な日だろうと、授業が休みになることは当たり前にないわけで。


 今日もいつも通り軽やかに、授業開始の鐘が鳴った。教師が黒板にすらすらと化学式を書き出していくのをぼんやり見つめ、化学の教科書やら問題集やらで隠しながらそっとキャンパスノートを広げる。


 高校生になった時からずっと使っている、私だけの秘密のノート。


 ぺら、と小さく紙の音を響かせながらそれを開けば、所狭しと並ぶ私のキャラクターたち。


 空いているページを探して、新しい絵を足してゆく。


 ―――絵を描くのは、好きだ。


 描き始めると没頭してしまって、授業が終わったことすら気が付かないのが玉に(きず)なのだけど。



 今回も例外ではなく、私が絵を描いている間に化学の授業は終わっていた。化学の先生の代わりに教壇に立っていたのは、数学の新任教師。


 急いで化学の教科書と問題集、そして私の落書きノートを机に押し込んで数学の教科書とノートを引っ張り出す。


 指定のページを広げて、心地よく響く先生の声に耳を傾けた。




「相変わらず、数学だけは真面目に受けるんだな」


 放課後になって空き教室でひとり落書きノートを見ていた私に、呆れた声が降ってきた。


 その声が最も信頼している人のものだったから、特に焦ることもなくのんびりとノートを閉じて扉の方へと目を向ける。


 夕陽の幻想的な赤に照らされた幼馴染みは案の定、振り返った私を苦笑混じりに見つめていた。


「スズは誕生日も通常営業か」


「誕生日だからどうのって歳でもないしね」


「ドライだな」


 クスクスと笑う幼馴染み――ナオはゆったりと目を細める。


「誕生日おめでとう、スズ」


「ありがと」


「まあ、スズは俺に祝ってもらうよりアイツに祝ってもらった方が嬉しいんだろうけどさ」


 そう言って少しだけ、本当に少しだけ寂しげな表情を浮かべたナオに気付かなかった私は、肯定の意を含めて肩を竦めてみせる。


「それは否定しないけど。でもそれは叶わないって分かってるから」


「ったく、あんな年寄りのどこが良いんだか」


「年寄りって。先生はまだ20代だよ」



 ――先生に、彼女がいるのは知っている。


 砂糖菓子のようにふんわりと笑う、優しそうな人。


 まだ高校生で子どもな私じゃ勝てないことなど分かっているし、そもそも彼女から先生を奪うつもりなんてない。


 この想いは、一方通行で十分だ。



「……つらくねえの?」


「辛くないよ?」


 強がりなんかじゃない。本心だ。


 目が合ったら嬉しくなったり、名前を呼ばれただけで心が高鳴ったり。そんな些細な幸せを、私が勝手に貰うだけ。それだけで私は満たされているから。


 この恋は、憧れのままで良い。


「それなら、良いけど」


 切なげで儚げな声音。伏せがちな睫毛は彼の瞳に憂いの色を落としていた。


 きっと彼は、自分のことのように私を案じてくれている。本当に優しい、人だから。


「この話はこの辺にしとこ! ねえナオ、せっかくの私の誕生日なんだし、今日何か奢ってよ」


「ちょっと待てお前、さっき誕生日なんてって言ってなかったか」


「えー、そんなこと言ったっけー?」


 そんな幼馴染みを心配させないよう、わざと明るい声を出してきゃらきゃらと笑ってみせる。




「――なに、近藤今日誕生日?」


 突然降ってきたバリトンに、心臓が跳ねた。


 ドキドキしながら声のした方へと振り向けば、そこにはくたりと首を傾げた高村先生。


 そんな彼に控えめにコクンと頷いてみせた。すると彼はそうかと呟き、ポケットに手を入れごそごそと何かを探す素振りをする。


「?」


 頭に疑問符を浮かべてナオと顔を見合わせていると。


「あー、こんなんしかないけど、これ。誕生日おめでとう」


「え?」


 コロン、と手のひらに転がされた飴玉。


 ふんわり笑う高村先生。


「俺の授業は頑張って聞いてくれてるみたいだから、ご褒美も兼ねて、な」


「……ありがと、ございます」


 手のひらに置かれた飴は決して珍しいものでも高いものでもなく、その辺りのコンビニに売っているようなものだったけれど。


 それでも私には、涙が出そうなほど嬉しかった。


「じゃあ俺、会議があるから」


「あ、はい。あの、飴! ありがとうございましたっ、」


 必死に言葉を紡いだ私に、気を付けて帰れよ、と言葉を残して、高村先生は職員室へと歩いていった。



 ――きっと先生は気付いてる。私の気持ちに。


 数学の授業だけを真面目に受ける、その意味に。


 そして私が、その想いを口にするつもりもないことを。


 それを分かったうえで、いや、分かっているからこそ私に変わらず接してくれて、誕生日のプレゼントまでくれて。


「っ、」


 嬉しすぎて視界が霞んだ。嬉し泣きってほんとにあるんだ。


 泣いちゃダメ、と自身に言い聞かせて涙を堪える。そんな私の様子を見て、優しすぎる幼馴染みは柔らかく笑った。


「特別に胸貸してやるよ?」


「……っ、」


 冗談めかして、けれどとても優しい声を紡いで両手を広げたナオの胸に飛び込んで、声も出さずに静かに泣いた。


 少しの間、私の嗚咽と彼が背中を(さす)ってくれる音だけが廊下に響く。



「良かったな、スズ。最高の想い出できたじゃん」


「……うん」


 私が落ち着くのを待ってから放たれたその言葉に、濡れた睫毛を瞬かせて素直に笑ってみせる。



 先生に貰った梅のキャンディーは甘くて、そして少し酸っぱかった。




 ――――――




 ――『“ところでさ、”』



 ねえ、高村先生。



 ――『ん?』



 私、貴方に恋が出来てよかったと心から思うよ。



 ――『今日、籍入れに行くんでしょ?”』



 決して叶うことなどないと分かっていた恋だったけれど、とても素敵な恋だった。



 ――『うん』



 17回目の誕生日に貰ったあの飴の味を、私は今でもはっきりと覚えてるよ。



 ――『“良いね、誕生日が結婚記念日になるなんて”」』



 私に、たくさんの想い出をありがとう。



 ――『夢、だったから。誕生日に籍を入れるの』



 私もやっと、生涯ずっと寄り添っていたいと思える人に気付いたの。



 ――『“でも凄いよね、高校生の頃から一途にスズのことだけ見ててくれてたなんて”』



 私が先生のことを好きだと言っても、ずっと傍に居てくれた大切な人。



 ――『……うん』



 先生のことは忘れないし、あの時の想いも忘れない。でも私は、ここにある“今”を抱き締めて、自分らしく生きていたいと思うよ。




 ――『“ナオ君と、お幸せにね”』



 数年前に先生に抱いた想いは、今は想い出になって私を支えてくれているから。




 歩いていくよ、愛した人と。

 (だから貴方も、幸せでいて。)




  【Fin】




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