リミット・エンド
「佳世の愛ってさあ、重いんだよね」
初恋の人はそう言った。
私の愛し方を否定して、俺には無理だと嗤って、彼は私を捨てた。
――――――
私はたぶん、他の人の数倍は寂しがり屋なんだと思う。
誰でも良いから私を心底愛してほしいし、その誰かの愛が私だけに向いていないと満たされない。私と同じ温度で、重さで、愛を返して貰えなければ息苦しくて堪らなくなる。
かといって、四六時中誰かと一緒にいなきゃ死んじゃう、みたいなタイプではない。誰かに愛されている実感と自信があれば、私はある程度ならひとりでも平気だ。
現にお昼休みの今、私はひとりでお弁当を広げている。
一緒にお昼を食べてくれるようなオトモダチはいない。女子からの評判よくないんだよね、私。男の前では猫被ってるし、彼氏が途絶えたことがないから。
昔の彼氏には柄の悪い男も何人かいたから、クラスの男子も進んで私に関わろうとはしない。……ただひとりを除いては、だけど。
――プチトマトにフォークを突き刺した時、彼はやってきた。
「うわ、美味しそう。佳世ちゃんの手作り?」
「そうだけど」
ゆるっとパーマのかかった黒髪と泣きぼくろがトレードマークの同級生――白木薫のキラキラした瞳に、思わず苦笑した。
この白木薫だけはどうしてか、私にやたらと声をかけてくる。甘い顔立ちと品の良さで女の子に人気があるのに、わざわざ私に近付いてくる変わり者。こんなにもピンクのカーディガンが似合う男を私は他に知らない。
彼が覗き込んでいる今日のおかずは玉子焼きに、アスパラベーコンに、ハンバーグ。あとおにぎりがふたつ。定番中の定番で簡単なものばかりだし、そんなに大したものじゃない。それなのに尊敬の眼差しを向けられてしまうと非常に恥ずかしい。むしろこんなものでごめんなさいと謝りたい気分だ。
「ちなみに、おにぎりの中身は?」
「こっちが焼鮭で、こっちのが南蛮味噌」
「へえ、南蛮味噌か。珍しいね、食べてみたい」
「……別にいいけど。口に合わなかったら残してね」
「やった」
嬉々としておにぎりを手に取る薫を、頬杖をつきながら見つめる。
もぐもぐと口を動かしておにぎりを咀嚼して飲み込んだところで、彼の目が丸くなった。私に向かって親指をたて、何故か彼は見事などや顔を披露した。
「ん、うま。佳世ちゃんいいお嫁さんになれそう。薫くんが保証しちゃうよ」
……いや、薫に保証されても。
いやまあ確かに、今の彼氏である先輩も、褒めてくれたけど。あの人は私のやる事なす事すべてを認めて褒めてくれるから当てにならない。痘痕もえくぼを体現した人だとしょっちゅう思う。
「佳世ちゃんに愛される男は幸せだね」
「……そうかな」
続けて紡がれた、柔く私の心を抉るその言葉に、曖昧に笑った。
――違うよ。幸せなんかじゃない。
薫は知らないでしょう。
私ね、愛した男を殺したくなるのよ。
それに、殺されるほど愛されたいって思うの。
だからね、薫。
私に愛されたら、待っているのはオワリだけ。幸せになんかなれないわ。
「先輩が羨ましいよ」
そう言って笑う薫は、本当に何も分かってない。分かってほしいとは思わないけど、私に理想を押し付けるのはお門違いだ。
だって私、先輩のことは愛してない。ただ先輩が好きだと言ってくれたから、寂しさを埋めてもらおうと利用しただけ。
狡いことは承知している。だけど愛したら、私は先輩を殺したくなってしまうから。
のんびりとした先輩が好きなのは、女の子らしくてちょっと寂しがり屋で、笑顔で先輩に駆け寄る猫を被った私。きっと私の愛し方を受け止めてはくれない。
初恋の人に“異常だ”と言われてから、誰かを愛すことは諦めた。
「ふふ、違うよ。私、先輩のこと好きじゃないもん」
あまりにも切なさを滲ませた瞳で薫が笑うから、つい口が滑ってしまった。ああもう、誰にも言うつもりはなかったのに、言ってしまった以上ここで止めるわけにもいかないなあ。
食事は中断だ。椅子に背中を預けて、訝しげな顔で私を見下ろす薫を見上げて薄く笑ってみせた。
「は……?」
「好きでいてくれるのなら誰でも良いの」
誰にも愛されずにひとりになるのが嫌で、寂しくて寂しくて、綺麗な愛し方を知らないくせに、誰かに愛されていないと消えてしまいそうで。
こんな息苦しい世界からいなくなりたいとは思うけど、ひとり静かに消えるのは嫌。愛して愛されて殺して殺されたい、それが私の理想なの。
だけど愛した人と愛し合って死ぬことは叶わないと知ったから、せめて誰かに愛されていたかった。必要とされていたかった。
だから私が何も言わなくても、優しく愛を囁いてくれる先輩は都合が良かった。
先輩が好きになってくれた私は本当の心を隠した偽物の私だったけど、それでも愛されている自覚があったから私はこんな世界でも息ができていた。
「……じゃあ俺にしなよ。誰でも良いなら、俺に」
掠れた声で、吐き出すようにして紡がれた言葉は祈りのような響きを孕み、静かに空気を震わせる。
「……何、言ってるの」
「言葉が欲しいならいくらでも言ってあげる。寂しいなら抱き締めてあげるから」
あまりに真摯な瞳で、優しい色で私を見つめる薫に場違いだけれど笑ってしまう。
お生憎様。
そんな言葉で、簡単に落ちるような女じゃないわ。
「やめといた方がいいよ。相当な事故物件だから」
冗談混じりに軽口を叩きながらも、無意識に零れた笑みは自嘲。
本当に彼が私の欲しい言葉と温もりをくれるなら、先輩から乗り換えても別にいい。だけど、
「ずっと好きだったんだ。――俺のこと、好きになってよ。佳世ちゃん」
だけど私の話を聞いてなお、そこに私の気持ちを求めるのなら話は別。
「悪いけど、その程度じゃ、私は好きにはならないよ」
私は、一度好きになったらその人のすべてを独占しないと寂しくて耐えられない。取り返しがつかなくなって、気が狂うほどに愛してしまう。
その覚悟が、あなたにあるの?
軽々しく、好きになってだなんて言わないで。
もうこの先は聞きたくない。耳を塞いでしまいたい。
なのに、なのに。
「どうすれば俺を好きになってくれる?どうすれば佳世ちゃんに寄り添える?」
――やめてよ。
どうしてそんなに必死なの。
どうしてそんな、真っ直ぐな瞳で私を見るの。
真っ直ぐな薫が異常な私の愛し方を受け入れてくれる筈がないと分かっているのに、信じたくなってしまうじゃない。
あなたのこと、愛してみたくなるじゃない。
「だったら……」
吐息に乗せた言葉が酷く重たい。揺れる思考が息苦しくて睫毛を伏せた。
初恋の人に否定されてから、誰にも言わないと決めていた心が、はち切れそうになりながら溢れだした。
「私と一緒に……死んでよ」
そう聞いたのは賭けだった。
あなたは、愛した人を殺せる?
愛した人に殺されて、幸せだったって笑える?
私の理想はそれなのよ。
だから、私が好きなら応えてほしい。
私のために狂ってほしい。
私の言葉に合わせたように、強い風が教室に舞い込んだ。ざあっと二人の間を吹き抜けて、その風は私から音を奪った。
「……ん?何か言った?」
「何でもないわ」
聞こえなかったのなら、良い。
薫の運命が、私じゃなかっただけのこと。
――話は終わった。
薫に時間を取られたせいで、お昼休みがもう15分も残っていない。早くお昼を済ませてしまおうとフォークを握り直すと、彼はくすりと笑みを漏らして。
「ねえ、佳世ちゃん」
「なに?」
「佳世ちゃんとなら、死んでもいいよ」
薫から発せられた言葉は、奇跡のような甘い毒。
窓から零れる日の光を浴びた彼は、カッターをかかげて嬉しそうに笑っていた。
狂った彼女が望んだ結末。
(初めて、世界を美しいと思えた。)
【Fin】