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黄昏を恋う (短編集)  作者: 新熾イブ
12/15

愛じゃないし恋じゃない



「慰めてあげるから、俺のことも慰めてよ」


 その一言が、きっとすべての始まりだった。



 △▽△



「彼奴ら、今何してんだろうね」


 ベッドに座ったままの彼が私の方に体重を傾けて触れるだけのキスをすると、安いベッドのスプリングがぎしりと鳴る。私たちの間には事後の余韻だなんて甘いものは存在しなくて、唯一それと認識できるのは、胸元に散った紅い華くらいだ。


「さあねえ……それこそシてんじゃない? あたしたちみたいに」


 甘くないキスのお返しに、彼の頬を紅く染めた指先でなぞる。自分で言っておきながら、想像したら悔しくて死にたくなった。


 けれどそれは、私の目の前の男も同じだったようで。


「あー、駄目だ。想像したら彼奴殺してぇ」


「あはっは、殺す勇気なんかないくせに」


「うるせェよ」


 思わず笑ってしまった私を彼は睨むけれど、実際その通りなのだから仕方がない。


 あのひとたちを殺す勇気も、そして死ぬ勇気ですらも持てないから、私たちの関係は続いている。どちらかがその一線を越えてしまえば、この関係は終わりなのだ。


「だって本当のことでしょ。怒んないでよ」


「……オマエだったら、簡単に殺せそうなのに」


 彼は酷くゆったりとした動作で私の首に両手を添えた。首に何かが触れる感触は好きではないけれど、大人しく身を委ねて瞳を細めた。抵抗だなんて無粋な真似はしない。


 だって私は知っている。この男は私を殺せない。


 この男は、私無しでは生きていけないから。


 それは恋愛感情なんて綺麗なものとは程遠いものだけれど、それでも私たちには必要な繋りなのだ。案の定、何の反応も示さない私に彼は興がさめたように手を引いた。


 ――私と彼には、それぞれ好きなひとがいる。


 その想いを咀嚼して飲み込んで昇華させるために、私たちは熱を共有する。



 ――そう。好きなひと。好きだったひと。これからもずっと、好きなひと。


 つらいことがあってもどうしても人前で泣くことが出来なくて、「ひとりでも生きていけそう」だからと彼氏に振られた私に、それでも泣けなかった私に、「つよいね」と笑ってくれたひと。とても優しくて、心が綺麗なひとだった。好きで好きで堪らなくて、あの人の隣に立てる未来をいつだって夢見ていた。


 けれど彼が選んだのは、男ならきっと誰だって守ってあげたくなる、か弱いお姫様のような女だった。


 普段珈琲しか飲まない筈のあの人が少し迷ってから指先を伸ばしたのはあの子の好きなココアで、それを大切そうに取り出した彼の顔には、私には決して向けられることのない微笑が浮かんでいた。


 あの日私は確かに、世界が崩れる音を聞いた気がする。あの人の隣で笑う未来図は、あっさりと消えていってしまう泡沫だったのだと思い知った。そしてその時に出会ったのが、今私の目の前にいる男だ。


 彼は私と同じだった。私と同じ、幸せそうなあの人とあの子をただ黙って見つめていることしか出来ない、想いを叶えられなかった人間。


『殺したいって、思う?』


『思うよ。でも、――あたしには出来ないの』


 私たちが最初に交わした言葉は、たったそれだけ。けれどたったそれだけで、ふたりの感情は痛いほどにシンクロした。


 あの人の隣で無邪気に笑うあの子を殺してしまいたくて、でもどうしても実行に移せない自分の弱さに死にたくなって。


 地獄みたいな毎日が苦しくて苦しくて仕方がなくて、お互い救いを求めていた。


『慰めてあげるから、俺のことも慰めてよ』


 だから手を取った。そんなことをしても泥沼にハマるだけだと分かっていたけれど、どうしてもひとりで耐えることが出来なくて。


 彼と弱さを共有したあの日から、私たちはこの関係を続けている。


 私はもう、彼なしでは生きていけない。お互いがお互いの熱を共有することで、自分はひとりではないのだと仮初めに実感することで、私たちはなんとか息をしているから。


 彼が居なくなれば、私は途端に窒息する。



「いっそ結婚しちゃう? 俺たち」


 皺の残るベッドで、煙草に火をつけた彼が笑う。


「……それも良いかもね」


 チェストに置いていた灰皿を彼に乱暴に渡しつつ、私もぞんざいに笑ってみせる。


 だって私たちにはどうせもう、普通の恋なんて出来ないのだ。お互いが居なければ、あまりの息苦しさに潰れてしまう。


「あの子の前であたしに誓いのキス、できる?」


「出来るよ。彼奴以外なら誰であろうと、人形にするようなモンだろ」


 何を当たり前のことを、とでも言いたげな顔で、彼はそう吐き捨てた。まったく、酷い言われようだ。けれどそれは間違っていない。


「あはっは、言うねえ。まあ、否定はしないけどさ」


 だってふたりを成り立たせている関係は、愛ではないし恋でもない。


 愛と呼ぶにはもっと歪で、恋と呼ぶには沈みすぎている感情。きっと人は、この感情を狂気と呼ぶのだ。


 私はあの人に、彼はあの子に。


 狂おしいほど、執着している。


 愛したひとへと伸ばした手は、掬い上げられることなくそのまま堕ちた。その手を取って同じ高さまで堕ちてくれたのが彼ならば、私が呼吸できるのはもう彼の隣しか無いのだ。


「――いいよ。結婚しよっか」


 彼の鎖骨に爪を立て、噛みつくようなキスをした。



 愛じゃないし恋じゃない。

 (愛した先の向こう側。)




 【Fin】




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