キラキラ、恋愛未満。
気になっている人がいた。
雨の日にだけバスに乗ってくる、涙ぼくろの優しそうな人。
枯れはいつも前の方の席に座って、静かに本を読んでいる。今日は橋本治の『暗野』だ。相変わらずセンスが良い。ヘッドフォンをして読書に没頭している姿が素敵すぎてつらい。あれは……AKGかな。オレンジのアクセントが大変お洒落だ。何を聴いているのかな。04 Limited Sazabysとかだったらいいなあ。ギャップがあって萌える。
……念のために言っておくが、私は決してストーカーではない。ただ視力がちょっと良いから色々と見えちゃうだけだ。そう、色々と。
ああ、それにしてもかっこいいなあ。こうして雨の日に遠くから見つめられることが、今の私にとっては不相応なくらい幸せだ。観察と妄想だけで毎日がキラキラして、幸せに生きていける。そりゃあ話してみたいとか私に向かって笑いかけてほしいとか思わないわけじゃないけど、今はまだ自給自足で十分なのだ。
「“次、佐倉町です。お降りの方は……”」
ああ、もう降りる停留所が来てしまった。20分は短い。ボタンを押してから、カモフラージュ用に広げている参考書をしっかりとリュックに仕舞う。
運転手さんに「ありがとうございます」と告げてから、パスケースのカードを機械にあてて、バスのステップを降りた。
昨夜降り積もった雪の白さが、まだちらほらと残っている。ジャケットのポケットからウォークマンを取り出したところで、後ろから肩を叩かれた。
何も身構えることなく振り返る。そこで、私の思考回路はショートした。
「ねえ君、落としたよ」
振り返ったその先に、愛しの君がそこにいたのだ。しかも、私の持ち物であるはずのキティちゃんのマスコットホルダーを持って。
「え、っ、あ……」
慌てて荷物に目を向けると、リュックにつけていたキティちゃんが外れていた。うそ、いつ。突然の出来事にテンパって、頭が全然回らない。
キティちゃんをかかげる彼の後ろで、バスが緩やかに発車する。……発車? 待って。だんだん頭が冷静になると共に、血の気が失せていくのを感じた。私はこの停留所で降りるけど、彼が降りるのはもっと先の筈だ。
「ごめんなさい……! わざわざ降りてくれたんですか?」
「ん? だって、これ無くなったら困るでしょ? 好きでやったことだから、気にしなくて良いよ」
「……っ、」
温かさしか感じないような表情で、目を細めて笑ってくれる。優しすぎて、申し訳なくて涙が出そうだった。
震えそうになる手で、彼が差し出してくれるキティちゃんを受け取る。
「……本当にごめんなさい。ありがと、ございます」
「いえいえ。いつもこの時間のバスにいるよね。絶対運転手さんにお礼を言ってから降りるから、いい子だなって思ってたんだ」
真っ直ぐ見つめられて紡がれた言葉に、息が止まる。目の前にあるのは、私が憧れていた笑顔。
――覚えてくれていた。一方的だと思っていたのに、私は彼にとっての背景ではなかった。そう思ったら堪らなくなって。
「あ、あの……!」
見ているだけはもう止める。遠くから眺めているだけで満足なんてもう言わない。踏み出す勇気がなかっただけなのに、幸せなんて言葉で言い訳をしていた自分が恥ずかしい。
迷うことなく私を追いかけてくれた彼に、私も真っ直ぐぶつかってみたい。
「お友だちに、なりませんか……!」
出した声は震えていたけど、それでもちゃんと最後まで言えた。
特別になりたいなんて思ってない。ただ少し、顔を合わせた時に少しでも、挨拶や話が出来たなら。この世界はきっともっと、キラキラして見えると思うんです。
彼は呆気に取られた顔をしたあと、瞳に優しい色を滲ませて。
「――僕で良かったら、喜んで」
恋愛未満、けれどキラキラ、世界は色を持つ。
【Fin】