1 長い夜
キルバニア王国の王はシン・リエル・バルカスという男である。
先代のエレン・リエル・バルカスは即位すると周辺諸国を瞬く間に制圧して当時まだ地方豪族程度の領土しか持ち合わせていなかったキルバニアを戦国八雄といわれる程の強国にした。しかし、エレン王は41歳という若さでこの世を去った。
「カイロスよ。余が王位についてから早1年経とうというのに臣は未だ余に心服している様子はない。特に亡きエレン王の遺臣どもが幅を利かせておる。」
シン王は郡臣の前では気丈に振舞っているが側近のカイロスの前では弱音を吐くことが多い。
覇王エレンは10年という短い時間でその領土を旧来のものに比べて15倍にも拡大した。これだけの短期間に領土を広げることができた理由は、在野の士を集め貴族の中でも優秀な者を自分の側近として活用したからである。しかし、エレン王はこれらの功臣に対して報酬として広大な領土を与えたまま、死んでしまい、国家の権力を弄れなかった為にシンが王位を引き継いだ時に強大な権力を持つ新貴族として残ってしまい国王の独裁政治の障壁となっているのである。
「大王様、私めに策があります。」
シン王は不満が溜まって目じりに皺が寄っていたがカイロスの話しを聞くと急に安堵したようで表情の険しさが消えた。
「本当か。して、どんな策だ?」
シン王は早くカイロスの策を聞きたいのか、目を輝かせていた。
「大王様、策云々よりもまずは大王様が落ち着くことが肝心です。いかに策が優れていたとしても其れを動かす人間が精彩を欠いたら元も粉もありません。」
カイロスは王を諭すように静かに淡々と話した。
「そうだな。」
シン王は興奮が冷めたのか落ち着いた様子になった。
シン王はマッチの火の様な男である。この男は通常万事に興味がない。しかし、ふと興味が湧くと今の様に急に少年の様にはしゃぐのである。
カイロスはシン王が落ち着いたのを確かめて己の策について語りだした。
「先代のエレン王は優秀な人材を自らの下に集め、それを推進力として分裂していたヘイコウ地方を統一したのです。」
カイロスはここで、一拍置いた。
ヘイトン地方とはライカ大陸の中部に位置する四方を山脈に囲まれた巨大な盆地のことである。この盆地には古来よりウル川とレミゥ川の二つの大河がそれぞれ北と南に流れている実り豊かな土地である。
「であるのならば、我々も今は老害と化した新貴族供に武を以ってその実力を知らしめればよいのです。」
カイロスはシン王にエレン王の武勇伝を語る時はエレン王の下武功を重ねた功臣である新貴族に対して敬意を込めて話すが、政治について話すときは決まって「老害」と呼び、軽蔑した
シン王はカイロスの話を聞くと先代のエレン王に自分が勝るとも劣らない存在であるように思えた。そして、カイロスのそういう気の効いたところを気にいっていた。
「カイロス、そんなこと言っても余にはエレン王の様に優れた部下はおらぬ。」
そういうと、目の前にいる自分の側近である小柄な男が実際のところどのくらいの能力を持っているのか気になった。そして、シン王はカイロスを量るためかどうかは定かではないが、自分が話すことをやめカイロスに次の発言を促すかのように相槌を送った。
「デンタンという男を登用してください。そして、まずシン王様の名で其の者に1千の兵を与えプネリに住む蛮族供を殲滅させましょう。そして、暫くの間、其の者に功を積ませ、行く行くは将軍に任命し周辺諸国を武力を以って血祭りに上げるのです。私の見立てでは其れができるのはこの国でデンタンを除いて他にありません。」
カイロスは覚悟を決めたのかシン王に向かって深深と頭を下げた。
シン王はこれに驚いた。今までカイロスは気の効く奴ではあるがどこか人間性が欠けている様に思えたからだ。
(しかし、普段、冷静沈着な男がここまで推すデンタンという男は一体どんな奴なのであろうか。)
シン王はカイロスが案外人間臭い人物であることが判ると今度はカイロスが覚悟を決めてまで登用の進言をしたデンタンという男が気になった。
「デンタンとはそれほどの男か?」
「はい、いままで、私が見てきた人間の器は大小様々でした。しかし、あの男は極めて異質です。器の底が全く見えないのでございます。」
シン王は自分の側近であり右手ともいえるカイロスに其処まで言わせるデンタンという男に軽い嫉妬に似た感情を覚えた。しかし、同時にまだ見ぬデンタンへの好奇心が膨らんでいくことも感じていた。
「器の底が見えぬとはどういうことだ?」
カイロスはシン王の顔を見てニヤリと笑った。
「会えば判ります。」
(何もかもが不思議だ.普段、感情を一切面に出さないカイロスという男がここまで心揺さぶられるデンタンとはどの様な男か。)
「デンタンという男を呼べ。」
シン王はカイロスに静かに命令した。
キルバニアの首都はリ・ズロニアという。そして、首都であるからにはリ・ズロニアがキルバニアの中で一番繁栄している。特に、キルバニア城下のロゼル商店街はここに来れば全てものが買えると有名である。
「今日も上々かな。」
デンタンは商売をしている。彼はこの世界に飛ばされてから、暫く路頭に迷っていたのだが、小柄で中年の男に助けられて今は健康に暮らしている。
「しかし、あれは一体何だったのか。」
デンタンは商売の帳簿を付けている時決まって、自分のことを助けてくれた中年の男のことを考える。しかし、其ればかりでもない。デンタン自身今どうして自分がこの世界に居るのかなど皆目見当つかない。
(私は祖国を復興してそこで寿命を迎え死んだのではなかったのか。)
デンタンこの世界に飛ばされる以前のことを覚えている。さらに、デンタンはそもそも敵の連合軍によって滅ぼされかけていた国を復興させた救国の英雄である。その男が何の間違いか元住んでいた世界とは別の世界に現在いるのである。
(さらに、私は驚くほど若返っている。)
デンタンが国を復興する際に挙兵した時は大体30くらいのときである。そして、現在はまだ不遇だった時の20くらいの年齢に若返っている。
「これも、天の思し召しということか。」
デンタンは最終的にはいつもこの結論に落ち着いてしまう。しかし、それも仕方あるまい。デンタンとて万物を見通すことができるエスパーの様な超能力を持ち合わせているはずがない。
「雨か。」
昼間は晴れていたが、夜になって急に雨が降りだした。最初は小雨だったものがデンタンが帳簿を付け終えた頃には既に土砂降りになっていた。
「もう寝るか。」
デンタンは帳簿を付け終えたので寝ることにした。
彼は床に着く。そして、吸い込まれるように意識が消えていく。
それから、何時経ったかは定かではない。しかし、不意に土砂降りの音に紛れて戸口を叩く音がした。
「この家にデンタンという男はいないか。」
デンタンは眠りに落ちていたので戸口で怒鳴る男の声が聞こえなかった。
「陛下からの使いだ。早く出てこい。」
ここで、デンタンは外で何やら男が怒鳴っていることに気付いて目を覚ました。
(こんな時間に一体何の用であろうか?)
この時間にそれも大雨が降っているのにも拘らずデンタンに用がある男とは相当な急用があるのだろう。その上シン王からの使いである。
「私がデンタンだ。」
デンタンはシン王直々の使いに対して寝巻から着替えて正装で玄関へと向かった。
夜も深まり聞こえるのは外の雨の音とデンタンの足音だけである。
「デンタン久しぶりだな。」
デンタンが戸を開けると其処には路頭に迷っていた自分を助けてくれた中年の小柄な男が立っていた。しかし、大雨の仕業でその男は体中ずぶ濡れになっていた。更に、その姿とは対照的に眼光はデンタンが今まで見てきた人間の中で最も鋭いものであった。まるで、別人なのではないかと思わせる程である。
まだ、夜は長い。
元救国の英雄デンタンとは誰のことかおわかりであようか?