触るなっ!!
閲覧前の注意。
他の作品と違い、若干暗いお話となっています。
また、同性愛的な描写も混じっていますので、そういうのはちょっとと言う方も引き返し推奨。……ただ、『愛』がない場合はこれ、どう言うんでしょう?
少年の意識は明と暗を繰り返し、「ああ、自分はもう死ぬのだな」という事は自分自身が一番よく分かっていた。
自分で行なった事だし、フェンスを越えて踏み出すまで恐怖を覚えた事とか、飛び降りた瞬間はその浮遊感がちょっとだけ気持ちよかった事とか、走馬灯ってのは嘘なんだなとか……色々あったのだが、まあ、もう今更どうでもいい事なのだろう、きっと。
今、一番頭にあるのは「ざまあみろ」だ。
自宅の机の上に置いてきた遺書には、連中の名前が全部書いてある。
念の為、新聞社にも送っておいた。
今日、いや、もう昨日か。
この日も、ごく普通に登校し、ごく普通に『奴ら』にイジメにあった。
普段は、スクールカースト上位の連中と、まったく接点のない自分。
抵抗ってのは無茶な話で、正直現実味が無い。
というか、実際問題無理だ。
こちらが一人なのに対し、向こうは五人。
やったら、あの『体育用具室』でその何倍もやり返される。
それに先生も……あいつらを信用している。
こちらの味方にはなってくれそうもない。
気のせいじゃないのかとか、そんな話に持って行き、最悪あいつらと向き合って話し合う事になる。
それが終わった後、どうなるか……決まっている、『体育用具室』だ。
両親に相談……それも、出来ない。
そんな惨めな目に遭ってるなんて、言えない。
だから、飛び降りた。
自分に残された選択肢は、もうこれしかなかったのだから。
他の選択肢は厳しすぎる上に、自分に長すぎる。
だから、もう終わらせることにしたのだ。
どうせ、この先も死んでいるようなモノなのだから、物理的に死ぬか、精神的に死ぬかの違い程度でしかない。
ところで、自殺した人間は天国に行けないという話を、どこかで読んだ事がある。
なら、自分はどこに行くのだろう。
……まあ、連中がいなければ、どこでもいいんだけど。
と、彼は答えの期待できない思考で最期を迎えようとしていた。
しかし、思いも掛けず、その疑問の答えを聞く羽目となった。
「――何も無い世界よ」
耳に届いたのは、若い女の子の声。
虚ろな頭のまま、視線を横に傾けると、自分の通う(もう『通っていた』の方が正確か)学校の制服を着た少女が少し離れた場所に立っていた。
……意識はもう相当に朦朧としていて、顔はよく分からない。
ただ、髪の長い、それも相当に可愛い女の子、という事だけ分かる。
「…………」
「普通、死ねばそこで終わりよ。だから、あなたの人生はあと三分でおしまい。これはもうどうにもならないわ」
まるで、風に踊る涼しげな風鈴のような声で、彼女は少年の末路を告げた。
「口を開くとさらに寿命が縮むから喋らなくていいわ。ところであなたが死んだあとの事、知りたくない? あなたが親よりも関心を抱いていた五人について」
「…………」
少年は動きもせず、口も開かなかったが、意思は肯定だった。
そうだ、奴らはこの先どうなるのだろう。
「正直な所、あなたの望むようなことはほとんど何も起こらないわ。確かに明日から数ヶ月、彼らを取り巻く環境は厳しいものになるでしょう。だけど、それはこの世界じゃ珍しくないことだし、あなたに絶対非がないとは言い切れない……という説で彼らを擁護する立場の人間だって出てくるの。まだ若い少年の未来を守る、人権派の弁護士とかね。さらに言えば、学校っていうのが閉鎖的な環境だって事は知っているわね。逆にいえば、学校を出てしまえば、それまでの事はほとんどチャラに出来てしまう。汚れた出来事は全て忘れてね」
「…………」
「代表的な例で、彼らのリーダーの話をしましょうか。あの野球部の爽やか少年。彼が単なる能無しなら、学校側もそれほど擁護しなかったでしょうけど、あなたにとって残念なのは、彼の家がとても裕福な資産家で、しかも彼自身全国レベルの豪腕投手だって事ね。あなたの親は、お金と権力と脅迫に屈するわ。学校側と、リーダーの実家の両方にね。あなたの親が特別弱い訳じゃないの。だけど、『いつ終わるか分からない執拗な攻撃』の効果は、今のあなたはとてもよく分かるはず。とにかく、被害者であるはずの少年Aの自殺事件の背景は曖昧にされ、取り巻き達が周囲から冷たい目で見られても金を握らせているから口外もされない。ちなみにリーダーがあなたを苛めていた理由って、両親や学校からの過度の期待によるストレスなんだけど、どうでもいいわね?」
「…………」
「そういえば、マスメディアに告発文を送ったそうだけど、それも揉み消されるわよ。リーダーの祖父は、戦後復興の立役者の一人で政界にも財界にも口が利くから」
「…………」
「不快な事はまだ続くわよ。全国区で活躍した彼は、プロ野球入りを果たし、結構な額の年棒を掴むわ。可愛い幼馴染みの奥さんと、目に入れても痛くないほど愛しい二人の子供。愛人も一人。余裕のある老後を送り、死ぬ直前にあなたにした仕打ちは一切覚えていないわ。ええ、全く欠片ほども覚えていないの」
「…………」
「他の四人は少々辛い道を歩むけど、それでも平凡なサラリーマンや実家の後継ぎとして、それぞれ幸せな家庭を築き、やがて家族に見守られながら老衰で死を迎える。……ああ、今のあなたは、とてもいい表情をしているわね」
そうか、いい顔をしているか。
今の自分は鬼の表情をしているのだろう。
連中に見せてやりたいところだが、もはやそれも叶わない。
ならば、せめてこの怨念をこの地に呪いとして染み込ませてくれる……!!
「さて。残り時間は、三〇秒よ。……わたしの正体には気付いていると思うけど、あなたはどうしたい? 選択肢は二つ。このまま何も無い世界に消滅するか。五〇〇〇年間の地獄の業火で魂を灼かれた後、未来永劫わたしに隷属するのを引き換えに――彼らにも地獄を見せるか」
決まっている。
許せない。
あいつらがそんな幸せな未来を掴めるなど、断じて、絶対に、許せるものか。
五〇〇〇年の業火?
上等だ。
奴らに地獄を見せられるのならば、その程度、安い代償だ。
だから、口を開く。
必要ないのは分かっていたが、声に出す事で意思を示したかった。
絶対の呪いとして。
最後の意識が途切れる前に、彼は渾身の力で答えた。
「復讐を」
昼休み。
まったく、たまったものじゃなかった。
いい迷惑だ、と彼は思った。
「まったく、勝手に死にやがって……」
両親や祖父、教師にまで説教されるし「本当にイジメはなかったんだね?」と何度も確認させられた。
まさかまさかだ。
「根も葉もないでまかせです」
そう答えて全ては終わり。多分、向こうは承知しているのだろうが、さすがに自殺したあいつとこちらの価値の差ぐらいは分かってくれていたらしい。
ただ、さすがに当分は大人しくしてないと駄目だろうな。
あーあ、また適当に新しい玩具を探さなきゃならないな、と。
「おっ……」
廊下を歩いていると、彼は幼馴染みの彼女を見つけた。
小走りに駆け寄る。
「よう!」
「あ……お話終わったの?」
彼女の顔が綻ぶ。
「何の話してたの? 何だかみんな、深刻そうな顔してたけど」
「あー、いいのいいの。お前が気にするような事は何も無いんだからさ」
「そう……ならいいんだけど。最近、嫌な事が続いてるでしょ?」
「ああ、まったくだよな。イジメを苦にした自殺に、停学処分……きついよな」
「……自殺したのも停学になったのもみんな、あなたのクラスメイトだったんでしょ? 何も気づけなかったの?」
「ああ……こう言っちゃ何だけど、やり方が巧みだったんだろうな。まあ、あいつらはいっそ、退学処分にした方がいいと思うんだよ」
「だよね。イジメなんて最低だよね」
「まったくだ」
この時の彼の発言は本気だ。
まったくもって、イジメなんて最低だ。
もちろん、今の自分が本当で、自殺した少年を苛めている時の自分は仮のものだ。
自分は本来清く正しく、親や学校の期待に応えられる『よい子』なのだ。
ただ、そう振る舞うにはどうしても精神的な圧迫を感じ、それが徐々に溜まってくるのだ。
これはもうどうしようもない。
だから、どうにかして解消するしかないではないか。
そういう意味では、『あいつ』には随分と助けてもらった。
奴は自分の『闇』を祓うにはうってつけの素材だった。
だが。
「まったく……自殺なんかしやがって」
「本当にね……」
おそらく彼とは全く違う理由で、彼女も表情を沈ませる。
――と、不意に二人の横を誰かが通り過ぎた。
「ん?」
「あれ?」
思わず立ち止まって振り返ってみるが、誰もいなかった。
一瞬、女生徒が彼に微笑みかけ、自分たちの横を通り過ぎたように見えたのだが。
「気のせいか……何だったんだ」
「さあ……それより、そろそろ教室に戻らないと授業が始まっちゃうよ?」
「そうだな。それじゃ、急ぐか」
「うん!」
ごく自然に彼女の手を握る。
公認の彼女なのだ、全然問題はない。
実のところ、両親には内緒だが、それ以上の行為もとっくに済ませていることだし――と思っていると、彼女の動きがビクッと止まった。
「あ……」
「え?」
彼女は立ち止まり、彼と握っている手を凝視していた。
その顔が見る見るうちに蒼ざめ、強張っていった。
「どうした?」
彼は、彼女に近づいた。
彼女はビクッと身を竦ませ直後、
「い、いやっ! いやああああああああっ!!」
彼女は激しく頭を振って、勢いよく手を振り解いた。
「触らないでっ!!」
そして彼をドンと突き飛ばすと、そのまま走り去ってしまった。
あまりの事に、彼は追うのも忘れて呆然とした。
周囲の人間も同様で、彼が何かしたと考えるよりも、彼女の奇行に思考が向いてしまうのは仕方のない事だった。
「な、何だぁ……?」
彼にはこの時、何が起こったのか分からなかった。
「さ、触るなっ!!」
「え……?」
次の異常は、野球部の部室で起こった。
同じ部員にタオルを渡してやった時だ。
「やめろ! 触るな! 近づかないでくれ!」
「お、おいおい、どうしたんだよ、一体……」
彼女と似たようなりアクションだったので幾分耐性のついていた彼は、嫌がる部員仲間にも構わず近づいた。
「あ、あ、あああああああああっ!!」
恐怖に引きつったような表情の部員は、そのまま彼を突き飛ばすと部室を出て行ってしまった。
一緒にいた部員達は、唖然としながら必死に逃走する部員の後姿を眺めていた。
その内の一人が、床に尻餅をついた彼に手を差し伸べた。
「何だ、あいつ。どうしたっていうんだ? 大丈夫か?」
「ああ、悪い……一体、まったくどうしたんだろうな」
そして、手を握った瞬間、パッとその手を振りほどかれた。
「うわっ!?」
手を差し伸べていた部員は顔を蒼ざめさせ、震えていた。
「お……痛たたた……な、何するんだよ、おい!」
「こ、こいつ……」
得体の知れない化物を見るような目が、彼に向けられた。
そして、手を振りほどいた部員は早急に荷物をまとめ始めた。
「え?」
「悪い。俺、野球部やめる」
「え? おい、お前、いきなり何を……?」
強張った笑みを浮かべたまま、彼は立ち上がると部員に近づいた。
しかし、相手は手近にあったバットを手に取ると、必死の形相で彼に突きつけた。
「黙れ! 近づくな! そこから動くんじゃねえっ!」
「おい! いい加減にしろよ!!」
「待て待て待て、何が何だか分からないが、二人とも落ち着けよ」
「そうだぜ。暴力はよくない」
さすがに激高して拳を固める彼を、二、三人の部員達が宥めようとした。
しかし、彼の身体に触れるや否や、電流でも浴びたかのように全員が一斉に離れた。
「……っ!?」
「な……っ」
「お、お前……っ!?」
「――え?」
それはまるで、暗闇でいきなり目の前にゴキブリでも発見したかのような態度だった。
彼らの視線が、バットを構えているに向けられる。
我が意を得たと、その部員は頷いた。
「……そういう事だ。俺はもう、ここにはいたくねえ。お前らも……同じだろう?」
「あ、ああ……そうだな」
「……おい、お前ら……」
「「「「触るなっ!!」」」」
彼に触れた全員の声が唱和し、ユニフォームのまま荷物をまとめると、バットで彼を押しのけ部室を出て行った。
部室が静まりかえる。
さすがに、彼も自分に何か異常が起こったということだけは分かった。
周囲を見渡すと、残った部員達が自分を遠巻きに眺めているのが分かった。
「俺は……」
俺は奴らに何かしただろうか。
全く心当たりが無かった。
彼は思わず無意識に自分の手を胸に押し当てた。
――その時だった。
視点が切り替わる。
埃っぽい体育用具の収められている倉庫。
『体育用具室』だ。
臭いまで分かる。
目の前で笑みを浮かべているのは『彼』自身だ。
そして、追従するように控えているのは、今は停学処分になっている四人の生徒。
心なし寒いのは自分が裸のせいだろう。
制服や下着はマットの上にばら撒かれていた。
「タスケテ」
という、誰かの虚しいが切実な心の叫びがダイレクトに伝わってくる。
そして同時に誰も助けてくれないという逃げ場の無い絶望も同じく伝わってくる。
金を奪われ、平手で叩かれ、蹴り飛ばされ、小便を引っ掛けられ、マットに簀巻きにされ、窒息寸前まで追い詰められ、バットで殴られ、脅迫され、言葉の刃で傷つけられ、「犬」「豚」と人間性を貶められ、複数の同性に同時に犯され、徹底した苦痛と屈辱を味合わされ、生臭い臭いの体液を全身にこびり付かせたまま裸で放置される世界。
地獄の毎日。抵抗。報復。毎日。懇願。拒否。嘲笑。毎日。殺意。諦観。決意。遺書。屋上。一瞬の恐怖と苦痛を伴う安堵。
『彼』と出会ってから、それから解放されるまでの少年の全時間を、彼は圧縮された時間で仮想体験した。
「う、うわあああああああああああっ!!」
バッと、胸から手を離す。
全身から脂汗が出てくる。
牡特有の濃密な体臭、全身を撫で回す粘ちっこい幾つもの手つきや、初めて後ろの穴を犯された時の激痛、その奥で生暖かい粘液が吐き出される感触までリアルに思い出せた。
しかも、貫いていたのは自分自身だ。
口も、後ろの穴も、何度も何度も。
毒液がまだ体内に残留しているような感覚だった。
顔が蒼ざめる。こんな……こんな『地獄』は耐えられない。
そしてやっと納得した。自分に触れたみんなが何故遠ざかっていったのか。
こんなモノを見せられて、平然としていられる奴は人間じゃない。殺されなかっただけマシだ。
――額に手を当てた瞬間、再び彼は『地獄』を『一周』した。
「ああああああああああああああああっっっ!!」
彼は絶叫した。
触れれば『地獄』が再生される。
例え自分に本気で愛する人が出来たとしても、こんな鬼のような人間と一緒に居たいとは決して思わないだろう。
地獄を見たいとは思わないだろう。
そもそも彼自身は、一体いつまで生きていられるだろうか。
迂闊に自分の身体に触れたが最後、『地獄』を見る日常。
死んだ少年が体験してきた日常。
何より耐えられないのは、嘲笑を顔にこびり付かせた鬼畜である自分自身の顔。
どうする。
これからどうする。
生きるべきか、それとも死ぬべきか。
両手首を切断しようとも、その切断面に触れれば『地獄』が訪れるような気がする。
「お、おい……大丈夫か?」
心配そうな表情の部員が、彼に近づこうとした。
彼は顔を起こして怒鳴った。
「触るなっ!!」