辺境伯に任命された。だが領地がド田舎だったので、本気で開拓してみた
レオン・サンダースは辺境伯に任命された。
しかも、陛下直々の任命である。
レオンはこれまで数々の事業を成功させてきた実績がある。彼にとって、辺境伯への任命は大きな栄誉だった。
レオンは心を躍らせながら、馬車に揺られて任地へ向かった。
しかしーー。
レオンがそこで見たものは、期待とはかけ離れた土地だった。
「……なんだここは。王都へ帰りたい」
寂れた街並み。ろくに整備されていない道路。人通りも少ない、これといった名産品もなさそうだった。
レオンは、これまで自分が見てきた土地との違いに愕然とした。
彼は地元に詳しく、これから自分の右腕になる補佐官が待つ中央広場へ向かった。
中央広場には、一人の男が立っていた。
年齢は三十代ほどだろうか。落ち着いた身なりをしており、レオンを見て丁寧に頭を下げた。
「はじめまして、辺境伯様。私がマーティン・クラークと申します」
レオンも軽く手を上げて応じた。
「俺はレオン・サンダース。よろしくなマーティン」
「長旅でお疲れでしょう。本日は、ゆっくりお休みになられて、明日からーー」
マーティンの言葉を遮り、レオンは当然のように言った。
「ん? まだ明るい時間だ。今から現地調査するぞ」
「……かしこまりました。それでは初めはどちらへ」
「そうだな。まずは町中を一通り見て回ろう」
マーティンが案内を始めようとしたとき、レオンは周囲を見渡した。
しばらく無言で町を歩いていると、マーティンが口を開いた。
「ここは、これまで貴方が暮らしていた場所とは異なるでしょう」
「……まあ、馬車に乗っているとき思ったよ」
「……」
マーティンはわずかに視線を逸らした。
「辺境伯様、次はどちらへ向かわれますか」
「ところで、さっきから辺境伯様って呼んでるけど、レオンでいいよ。お前とは今後長い付き合いになるんだからさ、マーティン」
マーティンは一瞬だけ迷ったものの、結局敬称を外さなかった。
「……かしこまりました、レオン様」
「お腹がすいたな。マーティン、地元の料理や、美味しい店はあるか?」
「はい、あります。ご案内します」
「……即答だな」
「地元民ですので」
マーティンに案内された店で、レオンも同じ料理を注文した。
マーティンはレオンが自分と同じ店に入ってくれること自体が意外だった。
食事を終えると、レオンはマーティンに尋ねた。
「なあ、マーティンはここの地元出身だろう? オススメの場所はないのか?」
レオンが尋ねると、マーティンは少し考えるように視線を上げた。
「ありますが、少し遠いです」
「お、あるんだな。教えてくれ」
「山頂です。夕暮れに映える景色が綺麗なんです」
マーティンの言葉に、レオンは興味を示した。
「興味が湧いた。見に行くぞ」
「今からですか!?」
「ああ。今からなら夕暮れに間に合う。今日は天気がいいから、きっと見られるぞ」
レオンはそう言うと、さっそく山頂へ向かおうと歩き出した。
マーティンは一瞬だけ呆気に取られたが、慌ててその後を追いかける。
山道を進み、やがて二人は山頂へとたどり着いた。
夕暮れの光が山々を赤く染め、遠くには町の景色が広がっている。静かな風が吹き抜け、王都では見ることのできない穏やかな時間が流れていた。
レオンはしばらく景色を眺めたあと、感心したように口を開いた。
「なるほど、これは確かに人を呼べる」
「そうでしょうか。私は見慣れておりますので」
「見慣れているから価値が分からなくなるんだ。王都の人間なら、この景色を見るだけに来るかもしれないな」
レオンは景色から目を離さず、何かを考えるように腕を組んだ。
その横で、マーティンは改めて山頂からの景色を見渡した。いつも見ているはずの風景が、少しだけ違って見えた。
☆ ☆
翌日、レオンの家で作戦会議が行われた。
レオンは作戦会議を始める前に、この土地の図書館へ向かい、土地の過去や遺産を調べていた。
昨夜、山頂からの景色を見たことで、彼の中ではすでにいくつか計画が動き始めていた。
「早急に行いたいことは、道の整備、領民が利用する施設の改善、それから減税だな」
レオンは机の上に広げた資料を見ながら、次々と考えを口にした。
「道は分かるだろう。あれでは馬車がまともに走れない。舗装するだけでも見栄えも良くなるし、流通も改善する。ここは必ず整備する。
そして、領民の俺に対する警戒心を和らげるために減税する。いきなり来た領主が、道を直すから税を増やすと言ったら反発されるだろう?」
マーティンはレオンの話を聞きながら眉を寄せた。
「それは矛盾します。道路整備には多額の費用がかかります。どうすれば、そんな都合のいいことが……」
「そんなもん。俺の金で直せばいいんだろう?」
「……億ではすみませんよ」
レオンは、まるで大したことではないように言い切った。
「だろうな。でもな、俺は陛下から任命された辺境伯なんだ。何が何でも結果を出す。そのための資産はいくらでも出してやるさ」
マーティンはしばらく黙り込んだあと、ぽつりと呟く。
「……変わっていますね。今までここに来た辺境伯は、そんなことをしませんでした」
「マーティン、お前はこの土地のことを本気で考えているんだな」
「……」
「だからこそ、協力してくれて。頼む」
レオンはそう言って、マーティンに向かって頭を下げた。
突然のことに、マーティンは慌てて立ち上がりかける。
「私ごときに頭を下げるなんておやめください。なぜ貴方は……平気で」
「頼むんだ。しかも、いきなり来たやつを信じろって言われたら、こうするだろう。そこに身分も歳も関係ない」
マーティンは俯き、しばらく考え込んだ。
やがて顔を上げると、レオンをまっすぐに見つめた。
「……私は、貴方を信じたいです」
「本当か?」
「今まで多くの辺境伯を私は見てきましたが、貴方は一度もここに来て不満を漏らしていません。それだけではありません。何としてもこの土地を良くしたいという意欲を何度も見ました」
マーティンは、昨夜の山頂でレオンが見せた表情を思い出していた。
「だから……信じたいです」
レオンは満面の笑みを浮かべると、勢いよくマーティンの肩を叩いた。
「おう! ありがとうマーティン。最高の相棒だ!」
「ちょっと、そんなに喜ばないでください……。恥ずかしいです」
「誰も見てないんだからいいだろう」
「……」
マーティンは困ったように目を逸らした。
しかし、口元には、ほんのわずかに笑みが浮かんでいた。
「マーティン、この領地の防衛力はどの程度だ?」
レオンが尋ねると、マーティンは少し考えてから、答えた。
「正直に申し上げますと、大したものではありません」
「やはりそうか」
「国境とはいえ、ここ数十年は大きな戦いもありません。王都からも距離がありますし、国もこの土地に大きな予算を割いてはいません」
マーティンの口調には、諦めにも似た響きがあった。
「つまり、国からも期待されていない?」
「……身も蓋もありませんが、そういうことです」
レオンは腕を組み、しばらく考えた。
「……だったら、防衛だけに予算を割く必要はないな」
「と、申しますと?」
「観光に力を入れる」
「……観光、ですか?」
レオンは当然のことのように言った。
「ああ、この土地には人が来ない。なら人が来る土地にすればいい」
マーティンは困惑した表情を浮かべた。観光という言葉自体は知っていた。
だが、この寂れた土地に、わざわざ遠方から人を呼べるとは思えなかった。
「しかし、この土地には何もありません」
「本当に何もないか?」
レオンはそう言って、窓の外へ視線を向けた。
「山がある。川もある。古い街道もある。温泉があるなら、それも使える」
「ですが、そんなものは王都にも……」
「王都と比較するんじゃない。ここにはここの良さがあるだろう。マーティンなら分かるはずだ」
マーティンは窓の外を見た。
そこにあるのは、幼い頃から見慣れてきた山と川だった。これまで、わざわざ人を呼ぶほどのものだと考えたことはない。
「……確かに、あるのかもしれません」
マーティンの返事を聞き、レオンは満足そうに頷いた。
「それじゃあ、俺と観光候補を見に行こうぜ。ついてこい」
レオンがマーティンを連れてきたのは、この土地に村を流れる小さな川だった。
「ここだ」
レオンが足を止めると、マーティンも川の前で立ち止まった。
「川ですね……」
「ああ。木々もしっかりしてるし、紅葉も綺麗だ。あの川に小船を通して、観光客を乗せるのはどうだ?」
レオンは川の流れや周囲の木々を見渡しながら、早くも観光の光景を思い描いているようだった。
対して、マーティンは川面に目を向けた。川幅はそれほど広くなく、水深も浅い。
観光客を乗せた船を運搬するとなると、簡単には判断できなかった。
「……判断が難しいです」
「それなら、実際に試してみよう。地元の人から船を借りられないか、交渉してくる」
あまりにも話が早く、マーティンは思わず声を上げた。
「え!?」
しかし、レオンは気にする様子もなく、川の様子を観察していた。
「この川は浅い。だが、小船なら浮かべられる。なかなかいい川だと思うぞ」
「浅いことがよいのですか?」
「ああ。深すぎれば、子どもが溺れる危険もあるだろう。それだけは避けたい」
レオンは川の流れを見つめながら、落ち着いた口調で続けた。
「安全に配慮した観光資源を作るのも、俺の仕事さ」
「なるほど……」
☆ ☆
その後、レオンは道路整備に着手した。
これまでの事業で築いてきた土木関係者とのつながりもあり、工事は比較的スピーディーに進められた。
突然始まった道路整備に、この土地の人々は訝しげな表情を浮かべていた。これまでの領主たちが大きな変化をもたらさなかっただけに、今回の工事も一時的なものだと考えている者もいた。
しかし、日を追うごとに道が整えられていく様子を目にするうちに、領民たちの中には少しずつ期待を抱く者も現れ始めた。
「今回の辺境伯様は、何かしてくださるのかもしれない」
そんな声が、町のあちこちで聞かれるようになっていった。
レオンは道路整備と並行して、病院や図書館、教会などの公共施設の補修工事も進めていた。
ただし、領主の権限だけで一方的に工事を進めることはしなかった。施設の関係者と相談し、必要な場所や修繕方法を確認しながら、順番に改修を行っていく。
レオンは、金を出せばすべてが解決するとは考えていなかった。
実際にそこで暮らし、施設を使っている人々の意見を聞くこともまた、土地を良くするために必要なことだった。
☆ ☆
二ヶ月後。
レオンはこの土地の領民を集め、演説を行うことになった。レオンが領民の前に立つのは、これが初めてだった。
絶対に失敗できない演説である。レオンは、いつになく気合いを入れていた。
控え室では、レオンが険しい表情で黙り込んでいた。その様子を見たマーティンが、声をかける。
「貴方でも、そのような顔をするのですね」
「……ああ、怖い顔をしていたか。悪いな」
「いえ。人間らしいです」
マーティンは穏やかに微笑んだ。
「……本当に貴方は、有言実行する方です。どうか、堂々と演説してください」
「おう! 俺の勇姿を見てくれ!」
「……ええ」
レオンは力強く頷くと、部屋を出て、領民が待つ会場へ向かった。
壇上に立つと、集まった領民たちの視線が一斉にレオンへ集まった。
レオンは一度、ゆっくりと息を吸った。
そして、領民たちを見渡してから、話し始めた。
「俺は、最初この土地に来たとき、正直に言えば王都へ帰りたいと思った。
道は荒れている。町は寂れている。娯楽も少ない。俺が今まで暮らしてきた場所とは、何もかも違った。
だが、調べてみれば、この土地には美しい山があり、川があり、星空があり、歴史もある。お前たちが当たり前だと思っていたものに、俺は王都の人間が金を払ってでも見に来る価値があると思った。
俺はこの土地を、王都よりも立派な場所にしたいわけじゃない。ここで暮らすお前たちが、ここで暮らしていてよかったと思える場所にしたい。
そのために、俺は金を出す。知恵も出す。だが、俺一人では何もできない。この土地を知っているお前たちの力を貸してほしい」
レオンは、領民たちに向かって深く頭を下げた。
会場は静まり返った。
やがて、領民たちは互いに顔を見合わせながら、口々に何かをつぶやき始めた。
「……本当に、俺たちの力を借りたいのか?」
「今までの領主様は、そんなこと言わなかったな」
「俺たちにも、何かできることがあるんじゃないか?」
戸惑いの混じった声は、やがて少しずつ前向きなものへと変わっていった。
レオンは顔を上げて、笑った。
「ああ。ぜひ、力を貸してくれ」
☆ ☆
二年後。
レオンが辺境伯に任命されてから、二年の月日が流れていた。
かつて寂れていた町には人の往来が増え、整備された道路を馬車が行き交っている。川には観光客を乗せた小船が浮かび、町の店や宿も以前より活気を見せていた。
そんなある日、レオンとマーティンは屋敷でいつものように話をしていた。
「そういえば先日、王都へ行ったら陛下からお褒めの言葉をいただいたよ。『よくやったな。辺境伯から、さらに一つ位を上げてやろうか』とまで言われた」
レオンは、どこか得意げに話した。
「……そうでしたか」
「でも、断った」
マーティンが顔を上げる。
「なぜです?」
レオンは少しだけ笑うと、当然のことのように答えた。
「だって、俺はここの辺境伯だからな。それにマーティン、俺がいなくなったら寂しいだろう」
「……貴方の奇抜な方法を引き継げる方は、他にはおりません。ですので、貴方にはここに居続けてほしいです」
マーティンは淡々と答えたが、その声にはわずかな本音が混じっていた。
「素直じゃねぇな……」
レオンは苦笑し、窓の外へ視線を向けた。
そこには、以前とはすっかり様変わりした町の景色が広がっている。
「この領地が昔の姿に戻らないよう、しっかり見届けてやらないとな。なあ、マーティン」
「はい、レオン様」
二人は並んで窓の外を眺めた。
レオンにとって、この土地はもはや、ただ任された領地ではなかった。
自分が暮らし、守り、これからも共に歩んでいく場所だった。




