世界の裏側担当――世界は交代制で維持されている。今日は、私の最終勤務日だ。
世界は、自然に存在しているわけではない。
それを知っている人間は、ほとんどいない。
私は、その世界を支える部署で働いていた。
世界運用局。
その中でも、最も地味な部署だ。
世界の裏側担当。
表側担当が、奇跡や成功を配置する。
英雄の誕生。
歴史的発見。
感動的な再会。
それに対して、裏側担当は失敗を処理する。
ニュースにならない事故。
誰にも感謝されない犠牲。
統計にも残らない不幸。
表で輝く出来事の裏には、必ず帳尻合わせが必要になる。
それを引き受けるのが、私の仕事だった。
たとえば、飛行機事故を一件回避するために、別の場所で交通事故を一件発生させる。
英雄が一人助かるために、名前も残らない誰かが一人死ぬ。
不公平だが、合理的だ。
世界は、そうやって維持されてきた。
私は四十年間、その仕事をしてきた。
誰にも知られず、誰にも褒められず。
そして今日、定年の日を迎えた。
最後の勤務日。
私は引き継ぎ資料をまとめていた。
そこに、通知が届いた。
世界運用、終了。
最初は、誤送信だと思った。
だが、上司は淡々と言った。
「世界は、今日で終わる」
理由を聞くと、彼は少し考えてから答えた。
「コストが合わない」
それだけだった。
人口は増えすぎた。
調整は複雑化した。
感動よりも、不満のほうが多くなった。
世界を維持する価値が、なくなったのだという。
「じゃあ、人類は?」
私が聞くと、上司は肩をすくめた。
「自然終了だ」
破壊もしない。
爆発もしない。
ただ、裏側の調整を止める。
帳尻合わせが行われなくなった世界は、ゆっくりと崩れる。
奇跡は起きなくなり、失敗だけが積み上がる。
私は気づいた。
なぜ、私が最後の担当者なのか。
裏側担当は、常に余剰だった。
世界が順調なほど、存在価値が薄れる部署。
最後に残るのは、無駄な人間だ。
「最後の仕事だ」
上司は言った。
「裏側を、完全に停止しろ」
私はスイッチの前に立った。
これを切れば、誰にも知られない不幸が、一気に表に出る。
事故は事故として起き、誰も救われない。
だが、世界はまだ少しだけ持つだろう。
私は、スイッチを切った。
何も起きなかった。
世界は、静かだった。
上司は満足そうにうなずいた。
「いい仕事だった」
それが、私が人生で聞いた唯一の評価だった。
私は帰路についた。
夕焼けがきれいだった。
誰かが空を見上げて、感動しているかもしれない。
だが、その感動を支える裏側は、もう存在しない。
明日から世界は、少しずつ壊れる。
だが、誰もそれを「終わり」とは呼ばない。
ただの不運。
ただの偶然。
ただの現実。
世界の裏側は、今日で終わった。
それを知っているのは、
もう、私一人だけだった。




