白猫珈琲店物語 ―「境界に触れた日」 ― 動物虐待に心を傷つけた女性の救いの物語
この作品は、路地裏にひっそりと佇む「白猫珈琲店」を舞台にした物語です。
日常の中で深く心を傷つけた人が、
不思議で静かな店主・朔真と、
霊的な癒しを宿した真っ白なペルシャ猫によって、
ほんの少しだけ前へ進めるようになる――そんな物語です。
今回のエピソードは、
動物虐待の現実に触れて心を壊しかけた女性が、
白猫珈琲店で“境界の癒し”と出会う話です。
重いテーマではありますが、
誰かの心に優しい光が灯れば幸いです。
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第1章 駅前の演説と、胸に刺さるもの
夕方の駅前。
人々のざわめきと電車の音の奥で、ひときわ通る声が響いていた。
「——どうか、目をそらさないでください。
彼らは声をあげられないだけなんです」
通りがかかった**40代の女性・沙羅**は、その声に足を止めた。
掲げられたパネルには、
異国で虐待を受けた多くの猫の姿。
毛並みは泥にまみれ、
怯え、傷つき、痩せ細った体。
「助けて」という言葉が聞こえるような瞳。
胸が絞られた。
(どうして……こんなことが……)
沙羅は猫を飼っていた。
いつも甘えるその子を思い出すと、
目の前の現実は、耐え難い痛みへと変わっていく。
演説の女性は続けた。
「私たちが声をあげなければ、
この子たちは永遠に苦しむままです」
その瞬間、沙羅の胸は強く、熱く、そして重くなった。
——怒り。
——やりきれなさ。
——何もできない無力感。
そして、深い傷の始まり。
その夜から、悪夢が沙羅を襲う。
夢の中で、愛猫が駅前で見た猫たちと同じ虐待を受けている。
叫んでも、手を伸ばしても間に合わない。
目覚めるたびに胸は締め付けられ、
「夢でよかった」と泣きながら猫を抱きしめる日々。
心は削られ、世界は灰色に見え始めていた。
その傷が深くなった頃——
いつもの帰り道で、ふと気がつく。
朧な街灯の影。
知らない路地にひとつだけ灯る白い看板。
それは、こう書かれていた。
【白猫珈琲店】
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第2章 朔真と、白い守り猫が見せる“境界”
白猫珈琲店の扉を押すと、
柔らかなベルの音が、やさしく心を撫でるように鳴った。
店の奥で、
黒髪の長身の青年——朔真が静かに振り返る。
その人間離れした整った顔立ち、
深い夜を思わせる黒髪、
透明な瞳。
「……ようこそ。お疲れのご様子ですね」
その声が、
氷となって固まった沙羅の心に、ひびを入れる。
足元では、
真っ白なペルシャ猫がこちらを見上げていた。
ふわりと光を帯びたようで、どこか神聖。
——その子は“白猫”。
朔真と対を成す、店に宿る守りの象徴。
席に通されると、
朔真が静かに銀のトレイを置いた。
そこには
「白猫シルキーミルクティー」
——ふわりと光の粒が漂っているような、白の飲み物。
「あなたの心の傷を和らげるための一杯です」
沙羅は目を伏せ、
言葉もなく涙をこぼした。
しばらく沈黙が流れた後、
朔真は静かに問いかけた。
「……あなたを苦しめているものは、
“怒り”と“無力感”ですか?」
沙羅は震える声で答えた。
「……駅前で……
あまりに酷い猫たちの写真を見て……
助けてあげたいのに……
何もできないんです。
夢にまで……出てきて……」
朔真は目を閉じ、
苦しさを分け合うように深く息を吸った。
「あなたは優しい。
だから、痛みを自分に引き受けてしまった」
白猫がそっと沙羅の足元に寄り添い、
その身体があたたかい光を放ち始める。
次の瞬間、世界が揺らぎ、
淡い光に包まれ——
沙羅は“ある場所”へと導かれる。
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第3章 “境界の庭”で出会う、助けを待つ心
沙羅が目を開けたとき、
そこは白猫珈琲店の奥に存在する “境界の庭”。
夜明け前の青い光に満たされ、
無数の猫のシルエットが静かに揺れている。
触れようと手を伸ばすと
すり抜けてしまう。
これは“魂の残滓”(ざんし)のような存在だ。
朔真が隣に立ち、静かに語る。
「これは、あなたの心が受け取った痛み、
その影が映し出された場所です」
沙羅は涙を流しながら、
言った。
「私は……何もできない……
助けてあげたいのに……」
朔真は淡く微笑んだ。
「“全部を助けること”は、誰にもできません。
けれど、一歩だけなら、あなたにもできます」
白猫が足元で柔らかく喉を鳴らす。
「あなたが感じた痛みは、“無駄”ではありません。
あなたの優しさは、確かに誰かを救う力になります」
猫たちの影が光に溶け、
ひとつの姿に集まっていく。
それは——
駅前で見た“助けられなかった猫”の、穏やかな影。
影は沙羅に近づき、
頭をすり寄せるような仕草をした。
そして消える。
朔真がそっと言う。
「あなたが“見てくれた”。
それだけで、あの子たちは孤独ではなかったのです」
その言葉が、
重く張りつめていた沙羅の胸の奥に
静かに沁み込み、ほどけていく。
世界はふたたび光に揺れ、
沙羅は白猫珈琲店へ戻ってきた。
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第4章 “ひとつだけの救い”と、新しい明日
席に戻ると、
朔真がひとつの皿を差し出した。
「白猫ホイップハニートースト」
はちみつが優しく照り、
白猫の形をしたホイップが添えられている。
「あなたにできる救いを、
ひとつだけでも見つけてみませんか」
沙羅はゆっくりと頷いた。
「……私にも……できる、ひとつ……」
そう呟いた瞬間、
胸の奥の黒い塊が静かにほどけていく。
白猫が膝に飛び乗り、
温かな重みを預けてくる。
朔真が静かに微笑む。
「あなたの優しさが、
これから救う命をつくるんですよ」
その言葉に沙羅は、
はじめて心から息を吸い込むことができた。
白猫珈琲店を出ると、
空はほんのり朝焼けに染まり始めていた。
その色に照らされながら、
沙羅は静かに決意する。
——寄付でもいい。
——SNSでの発信でもいい。
——地域猫への支援でもいい。
自分にもできる一歩を。
白猫珈琲店は、
彼女の背中をそっと押すように
灯りを落としていった。
そして沙羅は、
その日初めて、胸を張って歩き出した。
「助けられる命が、ある」
そう思える心を携えて。
第5章・後編 「それでも、世界を照らす小さな灯り」
ゆっくりと珈琲を飲み干した女性は、カップを両手で包み込んだまま、朔真の言葉を反芻していた。
――“あなたが苦しむほど、猫たちは悲しまない。”
――“あなたの優しさは、痛みを増幅させるためではなく、未来を変えるために与えられたものです。”
その言葉が、胸の奥で小さく温度を持ちはじめていた。
白猫は、カウンターから静かに降りると、女性の足元に寄り添い、ゆっくりと尻尾を揺らした。
まるで「もう大丈夫だよ」と語りかけるように。
女性はぽつりと口を開いた。
「……でも、私は何もできないままです。」
朔真は小さく首を横に振った。
「できない、ではなく……“まだ形になっていないだけ”ですよ。」
「形……?」
「あなたの心がこんなにも痛んだ。それだけ深く愛しているということです。
その愛は――必ず行動に変わります。」
女性の目に、かすかな光が戻りつつあった。
「でも、怖いんです。
またあの写真を見てしまったら、また胸が苦しくなる。」
朔真は女性の前に、小さな木箱を置いた。
蓋には猫を模した繊細な装飾が刻まれている。
女性は驚いたように目を瞬かせた。
「……これは?」
「“銀の鈴の箱”です。
ここに、あなたが“守りたい”と思う気持ちや、
“こうなってほしい”と願う未来を書いて入れてください。」
女性は小さく息を呑んだ。
「願いを、ですか?」
「ええ。これはあなた自身の心を整えるための箱です。
世界は一度に変えられませんが……
“あなたが動き出せる心”をつくることはできます。」
白猫が、ひとつ柔らかく鳴いた。
その声に促されるように、女性は提供された便箋に、ゆっくりとペンを走らせた。
『私が出会う猫たちを守りたい。
私ができることを少しずつ見つけたい。
怖くて目を背ける人間ではなく、
優しさで支えられる人間になりたい。』
書き終えた紙を箱に収め、蓋を閉じると――
胸の奥で、しゅっと何かが静かに落ち着いていくような感覚があった。
朔真はそっと箱を手に取り、暖炉の前にある棚に置いた。
「あなたの願いは、ここで預かります。
これはあなたがまた迷ったとき、いつでも戻って来られる証です。」
女性の目が潤んだ。
「……ありがとうございます。
本当に、救われた気がします。」
朔真は微笑む。
「救われたのは、あなたが“猫たちの声”を聞こうとしたからです。
あなたの優しさは、決して無力ではありません。」
白猫が彼女の足に身体をすり寄せた。
その温かさに、女性の表情がやわらいだ。
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白猫珈琲店を出る女性
店を出ると、路地裏には淡い雪が舞っていた。
外灯の光が雪を照らし、その一粒一粒がまるで世界の小さな祈りのように見える。
女性はマフラーを握りしめる。
――私ができることを、始めてみよう。
まずは、地域の猫のための寄付。
保護団体の情報を調べること。
そして、自分の愛猫をこれまで以上に大切にすること。
世界を全部救えなくても、
“目の前の一匹”を守ることはできるのだ。
白い息が空へ昇り、その先に、
さっき朔真が言った言葉がしずかに響く。
――「優しさは、未来を変える力になる。」
女性は微笑んだ。
その背中を、店の窓から白猫が静かに見送っていた。
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ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
このエピソードは、
「現実の動物虐待に触れて心が壊れてしまった人の、その後」を描きました。
深い愛情を持つ人ほど、
残酷な現実を知った時に強く傷つきます。
でもその痛みは、
“優しさの証拠”であって、
決して弱さではありません。
白猫珈琲店の朔真と白猫は、
そんな優しい人が再び前へ進めるように、
そっと寄り添う存在です。
もしあなたが同じ痛みを抱えているなら、
この物語が少しでも心の灯りになりますように。




