気づいてしまった夜
土曜の午後。谷口からのLINEは、相変わらず素っ気ないほど丁寧だった。
「天気がいいので、もし散歩でも行けたらと思ったのですが、ご都合いかがでしょう」
絵文字も、感嘆符もない。
まるで業務連絡のような文面に、美奈は少し笑った。
「うん、いいよ。近くの公園とか?」
「はい、〇〇公園とか、どうでしょう。ベンチでコーヒーでも飲めたらと」
美奈は、少し拍子抜けしながら返信した。
もっとスマートに誘ってくる男たちに慣れていた分、
谷口の不器用で誠実な言葉が、最初はただ“面白い”としか思えなかった。
でも、会うたびに、その“面白さ”が“心地よさ”に変わってきているのを、
彼女自身、なんとなく感じていた。
公園は、穏やかな風が吹いていた。
木陰のベンチに並んで座って、コンビニで買ったコーヒーをすする。
しばらく沈黙が続いたあと、美奈が口を開いた。
「ねえ、谷口さんって、何考えてるかわからないって言われない?」
谷口は少しだけ考えてから、静かに笑った。
「言われますね。たぶん、反応が薄いからかな」
「私、ちょっと苦手なんだよね。そういう“読めない人”。裏で何考えてるのかなって思っちゃう」
谷口は、それにも怒らなかった。ただ、「そっか」と頷いた。
美奈は続ける。
「前の彼なんて、すぐ顔に出る人だったから、わかりやすくて楽だったな」
そのとき、自分がまた“誰か”を引き合いに出していることに気づいた。
しかも、それは目の前の谷口を間接的に否定する言葉だった。
だが、口に出してから気づくことしか、彼女にはできなかった。
帰り道、谷口がふと足を止めた。
「上野さんって、すごくちゃんとしてる人だと思います」
「……え、急に何?」
「たぶん、自分のこと、誰かと比べずにいられないタイプだなって思って」
その言葉に、美奈は心臓をつかまれたような感覚になった。
「どういう意味?」
谷口は、視線を外さずに答えた。
「自分をちゃんと価値のある人間に見せようとしてる。たぶん、すごく努力してる。でも……それって、苦しくないですか?」
美奈は、言葉を失った。
反論したかった。
「そんなことない」って笑って、かわしたかった。
でも、何も言えなかった。
谷口は、それ以上言葉を重ねなかった。
ただ、一歩引いたところから、彼女を見つめていた。
その視線が、責めるでも、見下すでもなく、ただ“理解しよう”としていることが、
かえって、美奈の胸を刺した。
その夜、美奈は自分を見つめていた。
「私は、自分が他人を傷つけてるなんて、思ってなかった」
でも、谷口の沈黙が、彼の優しさが、
それを“されてきた”立場からのものだと、初めてわかってしまった。
いつも、私は“守られる側”のつもりだった。
でも今は、“壊している側”かもしれない。
その事実が、胸の奥をじわじわと苦くした。
それでも、美奈は谷口にこうLINEを送った。
「今日はありがとう。また、会ってくれる?」
「もちろんです。いつでも」
谷口は、変わらなかった。
優しくて、不器用で、静かなまま。
でも、その“変わらなさ”が、今夜は少しだけ、救いに思えた。