優越と空虚のあいだ
二度目のランチのあとも、谷口とのやりとりは続いた。
特別に盛り上がるわけでもない。
けれど、不思議と会話が途切れない。
LINEの返信も早すぎず、遅すぎず。内容もそっけないけれど、いつも誠実だった。
週末、谷口から「映画でも観ませんか?」と誘いがあった。
美奈は迷ったが、なんとなく「いいですよ」と返した。
彼が選んだのは話題の大作アクション映画。
終わったあと、二人は近くの喫茶店に入った。
谷口はコーヒーを飲みながら、「あのバイクのシーン、かっこよかったですね」と笑った。
美奈はふと、わざとらしく口元に手を当てながら言った。
「でも正直、ちょっと浅かったかな。展開読めるし、あんまり余韻ないっていうか」
谷口は少しだけ首を傾げて、「そうですか?」と静かに返す。
「前に付き合ってた人が映画好きで、もっとニッチなのばっか観てたから、目が肥えちゃって」
自然に出た言葉だった。
でも、その直後に自分でも「あ、これいらなかったな」と気づいた。
それでも、言葉を止められなかった。
帰り道、美奈は自分の話ばかりしていた。
「元彼、外資系で年収結構あったんだけど、忙しすぎて全然会えなかったなー」
「旅行とかも、割と海外が多くてさ。国内ってあんまり行ったことないかも」
谷口は相槌を打つだけだった。
「谷口さんは、旅行とか行くんですか?」
「たまにですけど……あんまり遠くまでは。地元に帰るくらいですね」
「へぇ。地元どこなんですか?」
「長野です。山が多くて、空気はきれいですよ」
「……なんか、健康的ですね。私、田舎とかちょっと無理かも。虫とか苦手だし」
会話は自然に続いていた。でも、どこかで美奈は感じていた。
――自分は今、谷口より「上」に立とうとしている。
それがなぜなのか、自分でもよくわからなかった。
谷口は、まるで何も気にしていないかのように笑っていた。
「そういうのも、個性ですよね」と軽く流す。
否定も、嫌悪も、哀れみも見せなかった。
その「受け流し方」が、かえって美奈には堪えた。
谷口は、マウントを取り返してこない。
下から「すごいですね」と言ってくれるわけでもない。
ただ、自分のスタンスを変えずに、そこに立っている。
それが逆に、美奈の中の「虚勢」を浮き彫りにした。
夜、自宅のベッドで、美奈はスマホを見つめながらため息をついた。
谷口からのLINEは丁寧だった。「今日はありがとうございました。またぜひ」
その一文に、感情的な色はなかった。ただ、静かだった。
「……私、なんでこの人の前で、強がっちゃうんだろう」
彼が特別すごいわけじゃない。
むしろ、派手さもなくて、自慢できるようなスペックは何ひとつない。
だけど、美奈は谷口の前で、自分の価値を誇示せずにいられなかった。
それはきっと、彼の静けさが、彼女の不安をそのまま照らし出してしまうからだった。
そして、心のどこかでこう思っていた。
「この人には、バレてる」
私が自分の中身のなさを隠すために、過去の“誰か”を盾にしていること。
本当は、自信なんてなくて、ただ「選ばれていたい」と思っていること。
それでも谷口は、何も言わない。
彼の沈黙が、やさしいのか、無関心なのか――
美奈には、まだわからなかった。