相性合致フェロモン
和煌に細かく指導されながら次の企業の入っているビルまで歩き、耿良は恐る恐るインターフォンを押した。
「はい」
「あ、あの、開邦学園高校のものです、挨拶です」
(ご挨拶に伺いました、だよっ)
と後ろから小さく和煌の声が聞こえて焦った耿良だったが、インターフォンからは暢気な「はーい」という返事が聞こえ、そのまま切れてしまった。仕方なくその場で待っていると、人のよさそうな中年の男性が現れた。和煌に促され、たどたどしく挨拶をする。
「え、と、開邦学園高校から来ました、文化祭実行委員会の佐藤耿良です。今日は、お願いします」
「はい、こんにちは。君が実行委員長?」
そう問われて、一歩後ろにいた和煌が応えた。
「ご挨拶が遅くなりまして申し訳ございません。開邦学園高校から参りました、実行委員長の入相和煌と申します。本日はよろしくお願い致します」
和煌の言葉を聞いて、男性は少し目を見開いた。
「おや、同じ名前なんだねえ。はい、ではこちらにどうぞ」
会社内を通って小さな会議室のような場所に案内される。コーヒーでいい?と聞かれ、耿良は元気よく答えた。
「あ、俺はカフェオレで」
和煌は黙ってぐん!と耿良の腕を引っ張って深くお辞儀した。
「‥遠慮も知らないもので、申し訳ございません」
そういう和煌に対して、耿良は怪訝な顔をしたままだ。男性は大きな口を開けてあっはっはと笑いながら、「カフェオレね」と言ってくれた。
今回の文化祭の主な展示や催事の話をして、例年と同じように協賛してもらえるかの話を進める。さすがに危機感を覚えた和煌が、その後の話をスムーズに進めていった。
「うん、たぶん去年と同じ額を出せると思うんだけど、管理部長が新しい人に代わってね。一応その人の裁可をもらってからお返事するでも構わないかな?」
「はい、ありがとうございます。私のメールアドレスか、お電話でも構いません。ただ、パンフレットの入稿締め切りがありますので、できるだけ早く教えていただけると助かります」
「うん、わかったよ」
こちらの資料を渡して辞去しようとしたとき、男性が耿良の方を見て言った。
「君はずいぶん自分の気持ちに素直なようだね。それは君の美点でもあると思うけど、TPOを考えないと君自身が損をする場合があるかもしれないよ?」
「え?‥ああ、はい」
「‥本当に失礼を致しました」
和煌はそう言って深く頭を下げ、耿良にも頭を下げさせた。
二つの企業を回り終えるとすっかり外は暗くなっていた。
駅までの道を歩きながら、耿良は和煌に謝った。
「なんか、ごめん。いろいろ迷惑かけたかも」
和煌は耿良の顔を見て、苦笑した。
「う~ん、迷惑っていうか‥佐藤君はこの先日本で暮らしていくつもり?」
「ああ、うん多分そう、かな」
和煌は少し真面目な顔になって立ち止まり、耿良に向かって言った。
「日本って、本音と建て前をうまく使い分けられないときつい部分があるから、君はこれからの学生生活でそれをきちんと学んだ方がいいよ。さっきみたいな時に自分の好みを主張したほうがいい場合もあるかもしれないけど、あそこで出される飲み物は私たちがお金を払って飲むものじゃない。コーヒーと言われたらコーヒーの用意しかないかもしれない。飲まなくても、はいと言った方がいい場面も出てくる」
「え‥聞かれたから答えただけなんだけど」
ん~と和煌は少し首をかしげながらまた苦笑した。
「まあね、そうなんだけど‥結果、君はああ言われたでしょ?ご両親とかにも聞きながら、そういう部分も学んでいった方がいいと思うよ」
「ああ、うんわかった‥わかりました」
そう言い直した耿良の顔を見て、和煌はにこっと笑った。
「まあ、頑張って。明日は学校近くの店舗を回る予定だから。待ち合わせ、学校の最寄り駅に九時半でいい?東改札口で」
「うん、あ、はい」
「ふふ、じゃあ帰ろうか。ご自宅の最寄り駅はどこ?」
「笠ヶ井です」
和煌は立ち止まって目を見開いた。
「え、一緒の駅だ。‥意外と近くに住んでたんだね‥」
それから仕方なく、最寄り駅まで一緒に帰った。二人とも口数は少なかったが、お互いにほんのりと香ってくる相手のフェロモンには気づいていた。身体の内側がジワリと熱くなるような、じりじりとした感覚がする。
電車から降りて最寄駅から出たとき、和煌は聞こうかどうしようかずっとためらっていたことを口に出した。
「あの、佐藤君さ」
「うん?」
振り返った耿良の顔は少し紅潮している。やはり、長く一緒にいたせいで、相性合致フェロモンの効果が出てしまっているのだろう。その顔を見て、やはり確認すべきだ、と思い和煌は一気に言った。
「ごめん、すごく立ち入ったことを聞くけど、君発情期ってもう来てる?」
「え」
思わぬところで聞いた「発情」という言葉に耿良の身体が反応したのか、ただでさえ紅潮していた顔が耳まで真っ赤になった。
ぶわっと薔薇の甘い香りがあたりに立ち込める。
まずい、と思った和煌は意図してぐっと強めの威圧フェロモンを出した。
一瞬、耿良の甘いフェロモンに気づきかけた周囲の人々が、和煌の威圧フェロモンによってその場からそそくさと離れていく。それを確認してふうと息をつきながら和煌は威圧を弱めた。
「‥大丈夫?」
「悪い‥フェロモン、コントロールできねえから‥」
「うん、オメガは仕方ないよ。発情は、まだ?」
耿良は顔を赤くしたまま黙って頷いた。和煌は難しい顔をして少し考え込んでいたが、しばらくして耿良に言った。
「明日までは私が面倒見るけど、それ以降は君の対応を山霧君に代わってもらおうと思う。やっぱり長く一緒にいるとどうしてもフェロモンが出てしまうみたいだし‥発情がまだってことは、いつ来ても不思議なじゃないってことだから。私も責任が取れないしね。山霧君もアルファだけど、あまり君のフェロモンは感じてなさそうだったから大丈夫だと思う。常用の抑制剤はのんでる?」
「最近、のみ始めた‥」
「うん、それがいいかな。まあ、三年は基本12月までしか学校に来ないし、あと四か月足らずのことだから。悪いけど抑制剤はのんでいてね」
「‥うん」
耿良は顔を赤くしたまま俯いた。和煌はちらっと腕時計を確認するとまた言った。
「暗くなってきてるけど、家まで遠い?送っていこうか?」
その和煌の言葉に、耿良はかっとして言い返した。
「‥問題ない!どっちかっていうとあんたの方が危ないだろ!女なんだから」
耿良のその言葉を聞いた和煌は、目を丸くして耿良を見つめた。今まで、アルファである和煌のことをそんなふうに見たり扱ったりしてくれたものはいなかったのだ。
ふん、と赤い顔をしてちょっと怒ったような顔でこちらを睨んでいる耿良が、たまらなくかわいく思えた。
そう、思った瞬間に耿良の腕をとって、すいっと自分の胸の中に閉じ込めた。少し和煌より背の低い耿良の華奢な身体は、まるで誂えたかのように和煌の腕の中にすっぽりと収まった。
ぶわり、とお互いのフェロモンが強く香る。無意識のうちに、お互いがお互いを強く抱きしめる。相手のフェロモンに酩酊したようないい気分になって、お互いに顔をすり寄せあった。
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