現実
食堂にあの女アルファはいなかった。ほっとするとともに、どこかひっかかったものがある自分に耿良は苛々した。
別に、会えないから‥残念だとか思ってない!
心の中で自分に言い訳をしつつも、僅かでもそんな気持ちにさせる『運命』と呼ばれる相性合致フェロモンの凄まじさを思った。
(本能、ってやつか)
生殖という意味合いで言えば、相性合致フェロモンの相手と番うのは理にかなっているし納得はできる。
だが、自分は一人の人間であり、理性もあるのだ。そのような、獣のような本能に負けたくなかった。
「どお?佐藤氏、ウチの食堂のチキン南蛮、そこそこうまくね?俺のおすすめポイントとしてはやっぱボリューム!この値段でこんだけ入ってるのはお得じゃね?」
才治はそう言いながらタルタルソースを鶏肉で掬って口に入れるのに忙しそうだ。確かに、この鶏肉は美味い。甘じょっぱくてタルタルソースとも合う。耿良が住んでいたのはアメリカの中でも結構田舎の州だったので、あまり日本食に出会う機会はなかった。
「うん、うまい」
耿良は素直に頷いてチキン南蛮を咀嚼した。日本に帰って来てよかったことは、とにかく食べ物の種類が多く、何を食べても安くてうまいことだ。耿良が日本を離れたのは三歳になるかならないかの頃だったので、日本の全てが何もかも目新しくて面白かった。
才治はごくんと大きな鶏肉を呑み込んでから言った。
「で、佐藤氏はあの運命の先輩の事、どうするつもりなん?」
んぐっと喉に鶏肉が引っかかった。ゲホゲホと咳き込みながら胸元を叩き慌てて水を飲み嚥下させる。目にうっすら涙を浮かべながら耿良は才治を見た。才治は何でもないと言ったふうに今度は白飯をかき込んでいる。
見ていないようで、しっかり見ている男だ、と耿良はため息をついた。
「‥何のことだ」
「やだな佐藤氏、俺の眼は節穴じゃないよ~」
才治はにやっと笑ってまた大きな鶏肉を箸でつまみ上げた。
「さっきの、三年の特進クラスのアルファ‥入相先輩だよね?佐藤氏があんな風に固まるなんて初めてじゃん。アメリカでもあんまりアルファに会ったことないって言ってたし‥そうだろ?」
「‥‥才治の、その変に勘のいいところ、何なんだよ‥」
「あははあ、お褒めにあずかり恐縮でっす」
軽い返事をして首を傾げ、才治は肉を口の中に放り込んだ。
もぐもぐと咀嚼する才治を見つめながら、耿良はぼんやりと考えた。‥どうするつもり、か。どうするつもりもないけど‥また突然学内で会うのは嫌だな‥
「才治、特進クラスってどこにあるんだ?」
才治は鶏肉を平らげてから上目遣いに耿良を見上げ、にっと笑った。
「お?突撃しちゃう系?」
「違う。避けたいんだ」
「ほう」
才治はペットボトルからお茶をごくりと飲んで耿良を見た。
「特進クラスは、中等部も高等部もまとめて高等部二階にある。アルファが多いから、隔離されてる感じだな。‥ああ、三年の特進にだけ、一人オメガがいるって聞いたことあるけど」
自分以外に、既に特進クラスに入っているオメガがいる。
その事を初めて知って耿良は驚き、また喜んだ。
(オメガでもできる)
その証左のような気がしたからだ。
それに、今から頑張って来年特進クラスに入ったとしても、あの女アルファは三年だから顔を合わせることはない。
「わかった、ありがとう。出来るだけ二階には近づかないようにするよ」
「あ~‥あんまりあの先輩に近づきたくない感じ?」
「うん」
短く返事をしてチキン南蛮を食べることに集中している耿良を、才治はふうん、と言いながら見つめた。才治から見れば、先ほどの耿良はまさに運命に出会った!という感じに見えたのだ。
ただ、すぐさまその場から離れていこうとは思っていなかったのだが。
「なあ、好奇心だけど、なんであの先輩に会いたくねえの?美人だし‥そんな悪い噂も聞かねえけど」
アルファ好きの女子が色々と喋っていた内容を頭の中に思い浮かべながら、才治は耿良に尋ねた。耿良は、細い眉をぎゅっと寄せて顔を顰めた。
「‥お前、いくら美人でも女に突っ込まれてえと思うか?」
才治はぎょっとした顔でうっと息を呑んだ。
「お、おお‥わかりやすい、例をどうも‥」
耿良はそのままバクバクとチキン南蛮定食を食べ進めていった。
「ごめんいつみ、売店あんまり何もなかったね‥」
食堂を諦め、売店でパンやおにぎりを買おうと向かったが、既にめぼしいものは売り切れてしまっていた。自分の勝手で食堂に行けなかったことを、和煌はいつみに謝った。いつみは気にしてない、という風に手を振った。
「へーき、ツナマヨはあったし。‥で?あの二年生、そうなの?」
「‥‥そうって?」
じろり、と鋭い目つきでいつみは和煌を睨んだ。そんな目つきをしても、いつみの顔の可愛らしさは失われない。
「ごまかさないでよ。あたしだってオメガの端くれなんだからね。きらのフェロモン、さっきすごく波打ってた。あの子、『運命』だったんじゃない?」
「あ~‥バレてたか‥」
ふん、と鼻を鳴らしていつみはおにぎりにかぶりついた。そして小さな口でもしゃもしゃ咀嚼する。リスみたいで可愛いな、と和煌はそれを見つめた。
「何、嫌なの?あたし、目の前で相性合致フェロモンの一致を見たことないから何とも言えないけど。ぱっと見だけど、結構かわいらしい子だったよね?」
「う~ん‥」
和煌は、ぺり、とサンドイッチのパッケージを開けた。サンドイッチも卵とツナの二種類しかもう置いてなかった。ぱくりと卵のサンドイッチを一口食べてみるが、あまり味を感じない。
心の中がざわざわしている。あのオメガのところへ早く行けと、早くその腕に捕まえろと本能が告げているのがわかる。
和煌はぶんぶんと頭を振った。いきなりの行動に、隣に座っていたいつみが驚いて声を上げる。
「うわ、何⁉もう、びっくりするじゃん!」
「あ、ごめん」
ハア、とため息をついた和煌に、いつみは話しかけた。
「ねえ、ダメなの?嫌な感じ?ちょっと教えてよ、あたしも人ごとじゃないんだしさ」
「う~ん‥」
和煌は、目の前の線の細いオメガにどこまでぶちまけていいものか迷った。
‥本当なら、いつみのような可憐なオメガがよかった。だが、いつみはフェロモンの相性を重視するタイプのようで、和煌は一年の時に既に「戦力外通告」をいつみから受けている。ちなみに特進クラスのアルファは全員、受けていた。
クラスにたった一人のオメガであるいつみは、特進クラスのアルファ達からまるで「姫」のように大事に扱われていたが、一年の途中にいつみがブチ切れた。
「あたしはあんたたちの番じゃないのよ!普通!普通でいいんだから!特進から追い出したいの?いちいちどこにでもついてくんな!」
あの時は相当に大騒ぎしたので、他学年の特進クラスからも見物人が来たっけな、と和煌は
思い返した。
お読みくださってありがとうございます。




