交錯
翌朝、耿良はすっきりと目が覚めた。倦怠感もなく熱もない。ようやく元気になれたかと思って起き上がった。めまいもしない。学校へ行けると判断して制服に着替える。
そのまま顔を洗い歯を磨いてからリビングルームに向かうと、父がキッチンで朝食を作っていた。よく見るアルファにたがわず、父も料理がうまい。
和煌も料理をするのだろうか。
父の姿を見ながら自然とそう考えた自分にぎょっとした。立ったままの耿良に気づいた父が声をかける。
「おはよう、学校行くのか。朝飯は食えそうか?」
「ん、さすがに治ったよ。卵と果物だけ食べようかな」
そう言いながらテーブルに着くと、父がスクランブルエッグとカットしたオレンジと林檎、ヨーグルトを出してくれた。久しぶりに固形物を食べる気がする。
「‥発情の香りは抜けたな。発情期ではないようだったが‥」
父の言葉から、また和煌のことを何か不審に思っているのはわかったが、知らぬふりをして食べ続ける。父はふうとため息を一つついて、自分はコーヒーを飲んだ。
「今日くらいは学校へ送っていこうか?」
「‥大丈夫だよ、三日も寝てたんだし、もう平気」
父はしぶしぶ承知した。
「無理はするなよ」
「うん」
食べ終わって食器を片付けると、学校へ行く準備をして玄関に向かう。後ろから父の声が追いかけてきた。
「今日は早く帰るから、一緒に夕飯を食おう」
「わかった~」
振り返らずに返事をして家を出た。
父親は、耿良の出ていったあとを眺めてじっと考え込んでいた。
学校に来れば、身体の調子も全く問題ないように思えた。朝、一応抑制剤ものんでおいたのでそれもよかったのかもしれない。
才治がやって来た耿良を見て、ニッと笑った。
「佐藤氏~元気になったようで何より!メッセの返信もないから今日も休みかと思ったよ~」
「あ~、ごめん、昨日の夜までは結構寝てばっかだったから‥今朝ようやく本調子になった感じでさ」
「そうなんだぁ。入相先輩に会った?」
「‥え?」
急に出てきた和煌の名前に、耿良は言葉が喉奥でつっかかるのがわかった。そんな耿良を気にすることなく、才治は続ける。
「いや、昨日先輩がお前訪ねてクラスまで来たんだよ。かっこい~!ってみんな騒いで大変だった」
「ああ‥」
わざわざ二年のクラスまで来てくれたのか。‥でも、なぜ?
「なんか、あの様子なら佐藤氏の家まで凸してそうだったからさ」
「あー、うん‥」
もごもごした様子の耿良を見下ろし、才治は口の端を歪めた。
「え~?佐藤氏、先輩となんかあったのぉ?」
「なっ、何もない!俺熱出て寝てたんだぞ!」
「ハイハイ~」
才治はにやあっとした顔を崩さず、手をひらひらさせて自分の席へ向かった。
その背中に言葉をつづけようとした耿良は、そのまま口を閉じるしかなかった。
昼休み、和煌は迷った末にもう一度耿良の教室に来ていた。教室の入り口付近に近づくと、耿良と同じクラスらしい女子生徒が声をかけてくれた。
「入相先輩!今日は佐藤君来てますよ!」
そう言って腕を取って教室まで引っ張ってくる。あっという間のことに戸惑っていると、女子瀬戸は和煌の腕を取ったまま「佐藤く~ん!」と叫んだ。
教室の真ん中ほどの席に座っている耿良の顔が目に入った。気のせいか、少し不機嫌そうな顔をしている。耿良がゆっくり立ち上がったのを見ると女子生徒は「じゃあ!」と言って離れていった。
「‥何ですか」
入口まで来た耿良は不機嫌そうにぼそりと言った。出入り口は邪魔なので、少し離れて廊下側に行く。そして小さな袋に入れた傘を差し出した。
「これ、ありがとう。昨日、返そうと思ったんだけど‥」
そう言って口ごもった和煌の顔を耿良は見上げた。
「‥やっぱりあんたが来てたのか。プリンもあんた?」
言われて初めて、和煌は土産にと思って買ったプリンを玄関に置き去りにしていたことを思い出した。
「あ、うん。何か変なところに置きっぱなし、だったよね、ごめん」
少し顔を赤くしてぼそぼそと話す和煌の様子を、耿良はじっと見つめている。‥今日も和煌からは爽やかな柑橘の香りがしている。
「‥俺、昨日のこと全然覚えてないんだけど‥なんか、した?」
和煌が耿良の顔を見て目を大きく見開いた。少し口を開け、閉じて、また開けた。
「‥さ、とう、くん」
「ん?」
「‥‥‥あの、ごめん、私」
そこまで言って和煌は一度口を閉じ、黙った。そして耿良の肩に手をかけ、少し力を入れて引き寄せ耳元で囁いた。
「昨日‥‥君に、キス、した‥」
「はあ?!」
思わず大きい声を出した耿良に、和煌が驚いて身を引いた。そして申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめん、君、発熱で多分疑似発情起こしてたっぽくて‥あ、でもそれ以上のことはしてないから!」
と言いながら和煌はぶんぶんと腕を振った。耿良がそれを見とがめた。
「‥あんた、それ‥」
シャツの袖口から包帯が見えたのだろう、耿良のその視線を受けて和煌はさっと包帯に手をかぶせ隠した。
「うん、ちょっと釘に引っ掛けちゃって」
和煌はそう言うが、多分自分の腕を傷つけて耿良の発情に誘われないようにしてくれたのだろうと思えた。
だが、和煌はそう言ったそぶりを毛ほども見せないまま、言葉を続けた。
「‥あの、ごめんね。あと、勝手に先生からご住所聞いちゃったから保護者の方にもお詫びの連絡を入れたいんだけど、おうちの電話か保護者の方の電話の番号教えてもらっていい?」
そう言われて、耿良は今朝がたの父の様子を思い出した。‥あの父の番号を和煌に教えて大丈夫なのだろうか。本当なら温厚な母の方に応対してほしかったが、今はまだ母は帰ってきていない。たぶんあと一週間近くは帰ってこないと思われるので、連絡先を渡すとしたら父の番号しかない。耿良の家には固定電話はなく、それが必要な場合にはマンションのコンシェルジュが対応しているのだ。
「え、っと‥今、俺んち親父しかいなくて、あの‥親父は結構、あの、アルファなんだけど‥」
和恋は一瞬ひるんだ表情を見せたが、すぐに真顔になって答えた。
「うん、大丈夫。教えてくれる?」
「‥ちょっと待って」
耿良は教室に入って携帯を取り出した。まだ父親の番号も覚えてはいない。才治がちらりと耿良を見て言った。
「結局、先輩とかかわってるねえ、佐藤氏」
「‥うるさい」
和煌の元に戻って番号を伝える。和煌は柔らかく笑って礼を言った。そしてそのまま帰ろうとする背中に、耿良は声をかけた。
「あの!」
和煌が振り返る。不思議そうなその顔は、やはりキリリとして綺麗だった。
「プリン、うまかった、ありがと‥」
「‥よかった。私のせいで風邪ひかせちゃったかなって思ってて。ごめんね、傘、本当にありがとう」
和煌はそう言って軽く会釈するとそのまま三年の教室へ帰っていった。
耿良は、しばらくの間和煌がいなくなった廊下をじっと見つめてその場に佇んでいた。
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