06.あなたと還りたかっただけなのに
白く霞んだ空を見上げる。空の青さはやっぱりあの世界の方が美しかった。
……わたしはあの子が嫌いだった。いつもいつもあの子の引き立て役にしかなれない自分が、そうとしか生きられないこの世界が嫌いだった。
だから……あの世界であの子じゃなくてわたしが選ばれた時、この世界に還りたくないって、この世界を捨ててもいいやって……本気で思ったんだ。
だけど……あの世界で本当に必要とされていたのはあの子の方で……。わたしは一人この世界に還ってきた。
……誰もあの子の事を覚えていない残酷なこの世界に。
……ねぇ、頼ちゃん。今あなたは……あの世界で幸せですか?
「だってホントはね……? わたし頼ちゃんのこと……大っ嫌いだったの!
わたしはオマエの引き立て役じゃねーんだよっ!
いつもいつも! お節介ばっかりしやがって!
ウゼェんだよっ!! ずっとずっと!
いらねぇんだよ! お前なんてっ!
だから……ね? ここでお別れだよ。頼ちゃん」
バイバイと、光の向こうで手を振る美知は、とてもキレイに……嗤っていた。
わたしは……いつから間違えていたんだろう?
引っ込み思案な幼馴染の美知が、周囲と馴染めるように、少しでも楽しく過ごせるように、色々してきたと思ってたのに、それは全部……美知にとって不要なモノだったのかな? わたしの……独りよがりだったのかな?
だんだんと光を強める魔法陣の真ん中で、わたしは呆然と立ち竦む事しかできなかった。
キッカケは、クラスの男子に揶揄われて教室を飛び出した美知を追いかけたことだった。
校舎裏の階段に座り込んでいた美知に声を掛けた瞬間、ソレは起きた。
アニメや漫画でしか見たことない、円環とよく分からない文字の様なモノで描かれたソレは、わたしと美知を包み込んで……。
気が付けば、全く知らない世界、いわゆる異世界というものにいた。
そこは人間が魔力を持っていて、魔法を使えて、人間を脅かすモノがいて……。
そして明確な『呪い』が存在する世界だった。
その国の女王と、次代である王太子が呪われたことによって、異界から解呪ができる『聖女』を召喚することになったらしい。
そして喚ばれたのが……美知だった。
美知はこの世界の人間には持ち得ない程の魔力を持っていて、その場にいた、召喚に関わった魔法師長、呪われた母と兄を救いたいと強く願う第二、第三王子達が全員美知を『聖女』だと、召喚に成功したのだと喜んでいた。
……そして美知自身も……。
魔力がないと判断されたわたしは……『聖女ミチ』にくっ付いてきたオマケでしかなかった。
だから魔法陣に召還に必要な魔力が溜まるまで、衣食住は保証してくれたが、あっさり放置されたのだった。
その間美知は魔力の使い方を学びながら、この国の人達と交流を重ね、『聖女』に相応しい存在として周囲に認められていった。
……一度だけ、元の世界に帰る気はあるのかと美知に聞いた事がある。
美知の周囲の人間は、わたしの言葉に眉を顰めるどころか敵意を向けてきた。
……まぁ、せっかくの『聖女』を奪おうとする人間にやさしくできるはずもない。
そして美知の返事は……。
向こうでは見た事ない程艶やかな笑みを浮かべ……否を告げた。
その日から、わたしの扱いはより一層粗雑になった。
仮住まいとして与えられていた部屋は、王宮の片隅の小屋に移され、質素で最低限の食事と衣類の替えが小屋の前に置かれるだけになり、誰とも口を利くこともなくなった。
そんな環境で、何故か友人が出来た。
彼ら……彼女らは、此方の世界で初めてわたしの話を聞いてくれる人たちだった。
まぁ、だいぶ? 変わった人達で、筋骨隆々のオネエと、妙に達観した小賢しいショタっ子だったけど。
それでも日がな一日誰とも喋らない環境は、普通の女子高生を自称するわたしにとって厳しいものである事は確かだったので、その出会いは僥倖だったのだろう。
「で? その『聖女』は今日も相変わらず魔法の特訓に明け暮れてるのかしら?」
王城の裏庭の奥の奥で、今日も秘密のピクニックが開かれる。
オネエ様が持ってきた敷物の上に座って、これまたオネエ様が持ってきたクッキーを分けてもらう。
粗食ばかり与えられている身としては、シンプルなクッキーこそが至上の食べ物に見えた。
「みたいです。食事を持ってきた侍女さんがそう言ってましたから……」
ついでに魔力のないわたしの事を嘲っていった事は……黙っていよう。
「……そして君を馬鹿にして去って行ったんだな」
その侍女は……とショタっ子が呟く。……黙っていたんだから、暴かないでよ。
「……どうも、アイツらは暴走しているようだな」
ぼそりとショタっ子から落ちた言葉に、オネエ様が深く頷いてお茶のカップを傾ける。
……オネエ様、筋肉マッチョの見た目で、カップに添えた小指を立てるの、ちょっと違和感です。
「全く……『聖女』の本質を忘れているとはな……」
「『聖女』の……本質ですか?」
ショタっ子の言葉に首を傾げる。
何となく深刻な表情を浮かべ始めた二人を何と無しに眺めていると、二人の背中に黒い煙が見えた。
「……え? 火事?!」
慌てて立ち上がって二人の背後に回り込む。
だけどそこに火の気配はなく、だけど黒い煙のようなのが二人から揺蕩っていた。
「……なにこれ?」
思わずと手を伸ばして、埃を払うように手を動かせば、黒い煙はあっという間に霧散していった。
「どうかした?」
オネエ様がわたしの行動に訝し気に首を傾げる。
「んー? なんか気のせいだったみたい」
黒い煙が見えた気がして……と付け足すと、ショタっ子が勢いよく立ち上がった。
その勢いに思わずしりもちをついてしまう。
「そ、その黒い影は今は?!」
ものすごい剣幕に、相手は少年とはいえビビってしまう。
「い、今はもうなくなったよ……うな気がするけど……」
「こら。ヨリコが怖がっているだろう。落ち着きなさいな」
オネエ様が窘めて、ショタっ子が腰を下ろす。もう先ほどまでの剣幕は鳴りを潜めていた。
「あぁ、すまん……。やはりヨリコが……」
謝罪の後に付け足された言葉は、上手く聞き取れなかった。
「出ろ」
黒い煙を目撃した次の日。わたしは何故か罪人のように腕を掴まれて、この世界に来た時にいた部屋へと引き摺られていった。
そこには久しぶりに見る美知と、魔法師長、美知を守るように立つ王子達と、その護衛らしい騎士みたいな人達がいて、大きな部屋は随分と狭く見えた。
「喜べ役立たず。魔力は満ちた。貴様だけ元の世界に還してやろう」
ありがたく思えよ? と付け足す王子を思わず睨んでしまう。
勝手に呼び出して、その言い草はなんなんだ……。
王子を睨みつけたのが悪かったのか、わたしの腕を掴んでいた騎士の拘束が強まった。
「では……おかえりいただきましょう」
魔法師長の声に、乱雑に魔法陣の中に放り込まれる。
朗々と響く魔法の言葉に従って、魔法陣が光り輝き始める。
「っ! 美知!! 美知も帰ろう?! 美知のお父さんもお母さんも……待ってるよっ!?」
そう言って美知に伸ばした手は、叩き落とされた……他ならぬ美知によって。
そして話は冒頭に戻る。
「二人で消えたのに、一人で還ったらどう思われるかな? 頼ちゃんがわたしの事どうにかしたのかもとか疑われたりしてー。
アハッ! みんなの人気者だった頼ちゃん! バイバーイ」
美知は……そんなにも……。
生まれた世界を捨てる程に嫌われていたの? わたしは……あの世界は……。
でも……わたしはあなたと還りたかった……!
キラキラと輝いて、美知の姿が滲んでいって……。
「愚か者共が……」
ぐっと腕を引かれて、魔法陣から連れ出される。
入れ替わるように美知の身体が魔法陣へと放り込まれた。
「ちょっと! 何するのっ!? わたしは帰らない! 帰らないんだからぁ!! こっちの世界で『聖女』として生きるのよっ!! ちょっと! 誰かっ!! あぁぁぁぁぁぁ!!!」
美知の絶叫と同時にひと際大きく魔法陣が光り輝いて……、そして魔法陣の中には誰もいなくなった……。
「っ! 聖女ミチ!? 貴様っ! 何を……?! 兄上?!」
美知がいなくなった事に気づいた王子達がわたしの身体を抱き込んでいた人物に食って掛かる……も、それはすぐに驚愕へと変わった。
「この愚息共がっ! 『聖女』の本質を忘れたかっ!」
王子二人を怒鳴りつけるのは、気高そうな一人の壮年の女性だった。わたしを抱きしめている男性によく似ているから、恐らく親子なのだろう……。そして王子二人にも彼女の面影があった。だからこの女性は恐らく……。
「母上?!」
「女王陛下っ!?」
ざっと周囲にいた騎士達が礼をとる。
あぁ、ですよね。
「な、何故聖女ミチをおかえしになったのですかっ!! そしてお二人のそのお姿は呪いが解けたということですかっ!? 一体誰が?! 聖女ミチはまだ何も……?」
「……だから愚息だというのだ、この愚息共」
頭が痛いと言わんばかりの女王陛下に、どこか既視感を感じる。そして何故かわたしを抱きしめるこの人からも……。
「『聖女』は魔力を持たない。その代わりに呪いを解呪する聖なる力を持ちうる。それを忘れたか?」
胸元に耳を押し付ける形になっているせいか、どこか遠くに聞こえるその言葉が……。
「な……?! では……?! ミチは『聖女』ではなく、そのやくたた……っ! その方が『聖女』だと……?!」
第三王子の驚愕した声が聞こえる。彼が兄と呼ぶこの人は、やっぱり呪われていた王太子なのだろう。
……だけどわたし、呪いを解いた事もなければ、そもそもこのお二人に会った事もないはずなんだけど? いつの間に解呪したの?
そしてわたしは……元の世界にいつ還れる……の?
色々な事が重なってわたしの精神は、限界を迎え。
プツンと切れた意識の向こうで、ショタっ子の面影が重なる王太子が何か叫んでたけど、わたしの耳には少しも届かなかった。




