表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/15

05.女神の代理人と銀の騎士

 卒業論文に向けて陽菜が大学図書館の地下書庫で資料探しをしていると、ほんのりと発光している本を見つけた。気になり手に触れた瞬間、目がくらみ――次に目を開いた時には、真っ暗な場所にいた。


 停電したのかと大慌てする陽菜だけれど、図書館ではない場所にいると気がつく。途方に暮れていると、ズッズッという重たいものを動かす音がした。正体不明の音に怯えていれば、壁に隙間ができて、松明の明かりと一緒に一人の青年が現れる。


「君、閉じ込められたのかい!?」


 青年の名前はロウエン。騎士をしていて、探し物のためにこの古代遺跡を探索していたのだとか。陽菜はロウエンに助けられて、遺跡から脱出する。

 ロウエンは馴染みの宿屋に陽菜を預けてくれた。元の世界に戻る方法を探しながら、なんとか生活に馴染もうとする陽菜に、ロウエンは何かと目をかけてくれる。

 ある日ロウエンが、陽菜のいた遺跡から一冊の本を持って帰ってきた。その表紙は陽菜が書庫で見つけた本と同じで「女神代理戦争」について書かれていた。

 意味のわからない陽菜がロウエンに尋ねれば、ロウエンは苦々しそうに囁やいて。


「やっぱり君が、女神の代理人だったのか」


 この世界の女神は代替わりする。次代の女神を決めるために代理人が現れ、殺し合うのだそうだ。

 代理人は女神の権能を一人一つ与えられ、女神となれば代理人は願いを一つ叶えてもらうことができる。

 この世界の人々は、自分たちの求める権能を持つ代理人を擁立し、守る。権能にも種類があり、加護から災厄まで存在した。だから不要な権能は女神の代理人だけではなく、人々に狙われる可能性もあるらしい。


 陽菜の権能は「記録」。象徴(シンボル)は本。


 ロウエンは騎士団へ陽菜を連れ帰るけれど、すでに「従属」を権能とする女神の代理人リゼットが擁立されていた。

 陽菜が女神の代理人だと知られると殺される危険がある。ロウエンは陽菜を守ろうとするけれど、気づいたリゼットによって自我を奪われ、陽菜を殺す命令を受けた。

 陽菜は逃げ出した。逃亡生活は厳しく、そんな中でロウエンを好きになっていたことを自覚する。


「必ず助けるから……!」


 権能である記録の中に残るロウエンを心の支えにしながら、もう一度陽菜はリゼットの元に向かった。リゼットは陽菜の命と引き換えに、ロウエンの自我を返すと言うけれど――

 聖騎士たちにむりやり跪かされた陽菜の目の前に、カランと軽い音を立ててナイフが転がされる。

 女神の代理人に与えられた祈りの間で、リゼットがたっぷりの金髪をふんわりと波立たせながら悲しそうに告げた。


「死んでください。そうしたらロウエンはわたしの権能から解放して差し上げます」


 声の音色は悲しそうなのに、有無を言わせないような圧を感じた。


 陽菜は震える手でナイフに触れる。

 リゼットの奥にロウエンが佇み、無表情で陽菜を見ていた。


 いつもはぐしゃっと適当に結んでいたロウエンの銀髪は綺麗に整えられていて、上品に一つに纏まっている。首には見慣れない痣。楽しそうにへらっと笑いかけてくれた蜂蜜色の瞳に感情はなくて、お日様のように感じられた彼の気配はどこにもない。


 陽菜は目を瞑る。

 記憶の中にあるロウエンを思い出す。


 この世界で自分を見つけてくれた時の驚いた表情。

 宿屋の厨房を借りて作った料理を美味しそうに食べてくれた表情。

 しょうがないなぁと言いながら文字を教えてくれた時の温かな表情。

 女神の代理人だと分かった時の、寂しそうな表情。


 全部、覚えてる。

 記録の権能がなくたって、いつでも思い出せる記憶はたくさんある。


 それは、ロウエンのことだけじゃなくて。


 二度と見ることのできない景色、会いたい人々。

 心に刻んでおきたい記憶はたくさんあって。


「ほんと、この世界って残酷」


 陽菜はナイフを掴んだ。

 鞘から引き抜くと、逆手に持ち替える。

 リゼットが控えめに目を逸らす。

 罪悪感があるなら、こんなこと言わなければいいのに、と思う。


 陽菜はナイフを振り上げた。

 リゼットの奥にいるロウエンへと、笑いかける。


「ロウエンさん、ごめんね。またたくさん、迷惑かけちゃうかも」


 あなたが助けてくれたから。

 あなたが見つけてくれたから。


 だから陽菜は、この残酷な世界を悪くないって思えて。

 だから陽菜は、この選択を選ぼうと思って。


「私は、絶対に後悔なんてしない……っ!」


 ナイフを象徴(シンボル)である本へと突き立てる。

 心臓をひと突きにするはずだったナイフが違うものへ突き出されたことで、リゼットの眉が跳ね上がる。


「あなた、何を」

「私の権能は記録です。私はこの世界が記録した物事全てを閲覧することができます。――もちろん、過去の代理戦争についても」


 陽菜は知っていた。

 命を失わないまま、女神の代理人として退場する方法を。

 その代わり、陽菜はかけがえのないものを失ってしまうことも。


「女神の代理人に与えられる『なんでも願いを叶えてもらえる』恩恵って、本当は選択肢が一つしかないんです。リゼットさんも――元の世界に帰りたいんですよね?」

「っ……!?」


 リゼットは息を呑む。

 そんなリゼットに、陽菜はしょうがないなぁと言うように笑った。


「記録を閲覧して知りました。女神の代理人は全て異世界人で、元の世界に未練がある人たちだって。この代理戦争も、本当のルールは象徴(シンボル)の破壊であり、女神の代理人を殺すことじゃないんです」


 ナイフを突き立てた本が、風化していく。

 さらさらと崩れ、塵になり、灰の山のように積もった。


 リゼットの表情が変わる。

 陽菜は灰の山からナイフを発掘すると、そっと鞘に納めて。


「どこかの代で『死んだら元の世界に戻れる』という風潮があったようです。それが今にまで伝わったみたいですよ」


 だから何も知らない代理人は、この世界の人から代理戦争の話を聞く時、一緒に『殺しても元の世界に戻るから大丈夫』という免罪符をもらい、殺し合う。


 本当は死んでも元の世界には戻れないのに。


「唯一戻る方法があるとしたら、それは女神の代理人として勝利し、願いを叶えてもらう時だけなんです」


 だから女神の代理人は自分のために代理戦争をする。

 元の世界へ戻るため。

 戻らないといけない理由を抱えて。

 陽菜も、本当は。


「私が帰りたい理由は、叶えたい夢があるから。私、日本の大学生で、歴史を勉強してたんです。こっちに来る前は卒業論文を書いてて。卒業したら、文化財修復士になりたかったんです」


 陽菜の両親が二人とも文化財修復士だったから。

 陽菜は両親の仕事に憧れていた。壊れたりくたびれてしまった綺麗なもの、大切なもの、想いがつまったものを、直す両親のことが誇らしかった。


 両親の背中を追って、夢を叶えたい。

 そう思って、ずっと勉強してきた。


 陽菜は鞘に納めたナイフを持って、リゼットに近づく。

 青褪めた表情のリゼットの目の前にまでくると、ナイフを差し出した。


象徴(シンボル)を破壊してしまうと、元の世界へ戻るための切符を手に入れることはもうできません。……でも、生きてさえいれば、夢は叶えられるから」


 両親を悲しませてしまうだろうけど、死んでしまうよりずっといい。

 陽菜はそう言って、リゼットの手にナイフを握らせる。


「それでも私を殺したいのであれば、あなたがちゃんと私の命を背負って」


 自死させて罪悪感を少しでも減らそうなんて、そんなことは許さない。

 陽菜がまっすぐにリゼットを見つめ返すと、サファイアのように青い瞳が揺れる。


「わ、わた、わたし……」


 震えるリゼットが、陽菜が手渡したナイフを落とした。

 あれほど陽菜を殺すためにと追い詰めていたリゼットなのに、殺すための免罪符が偽物だと知った途端、この様子。


 きっと本当は、リゼットも優しい人なんだろう。

 代理人に与えられる権能は、その人に相応しいものになるらしい。

 だから陽菜は『記録』の権能を与えられた。歴史を学び、文化財修復士を目指していたから。

 そんなリゼットが『従属』の権能を与えられたのは。


「……妹が、いるのです」


 リゼットはぽつりとこぼす。

 揺れるサファイアの瞳が陽菜を映した。


「わたしがいなくなれば、父の暴力は妹に向きます。だから、わたしは、どうしても、元の世界に戻らないといけなくて……っ」


 リゼットの表情がくしゃりと歪む。

 ごめんなさい、と零れた言葉とともにリゼットの膝から力が抜ける。


 陽菜はリゼットが『従属』の権能を与えられた理由をなんとなく理解した。リゼットの生き方を揶揄するような権能に、なんだか可哀想な気持ちになる。


 だけどそれは、今することじゃなくて。

 陽菜は自分がここまで来た理由を、ここまでした理由を、リゼットに伝える。


「リゼットさん、約束を。ロウエンさんを、解放してください」

「……そう、ですわね。このままでは、父と同じような人間になってしまいますわ」


 リゼットはそう言うと、首元にあるチョーカーへと触れた。


「『従属』の権能により、ロウエン・スマーニャの魂を解放いたします」


 言葉と同時に、ロウエンの首にかかっていた首輪のような痣が光とともに消えた。

 瞬き一つで、ロウエンの蜂蜜色の瞳に光がともる。


 瞬間、陽菜は彼へと駆け出して。


「ロウエンさんっ!」

「陽菜」


 戸惑うロウエンに、陽菜は両手を広げて抱きつく。


「大丈夫ですか、痛いことやひどいことはされていませんか? ごめんなさい、来るのが遅くなって……!」

「違うよ。君こそ。なんで僕なんかのためにこんなことを。象徴(シンボル)がなくなってしまったら、君は」


 まるで自分のことのように後悔し、唇を噛みしめるロウエンに、陽菜は笑って腕を伸ばす。

 高い位置にある彼の両頬に、そっと触れた。

 陽菜は穏やかに微笑んで。


「いいんです。ロウエンさんを助けられるなら、安いものです」

「そんなことは……ッ」

「私、ロウエンさんのことが好きです。好きな人のために人生かけられるのってすごく幸せなことだって、お母さんが言ってましたから」


 にこにこと陽菜が笑う。

 ロウエンは面食らったように、目を丸くして。


「陽菜、今、なんて……?」

「ロウエンさんが迷惑じゃなければ、私の人生もらってください。記録の権能がなくなってしまったので、私はもう、ただの女の子でしかないんですけど……」


 自信がなくなって、最後のほうは尻すぼみになってしまった言葉。

 その言葉を、ロウエンはちゃんと拾ってくれて。


「……そっか。なら、僕も腹をくくらないといけないな」


 ロウエンがガシガシと頭を掻いた。せっかく几帳面に結われていた銀髪がぐしゃぐしゃになってしまう。

 でもその姿こそが、陽菜の見てきたロウエンの姿で。

 蜂蜜色の瞳に力強い意思を灯して、ロウエンは陽菜を見つめる。


「二度とこんなことがないように誓うよ。君の人生を丸ごと守れるように、僕はもっと強くなる。だから、そのために」


 ロウエンは陽菜から視線を外すと、リゼットのほうを向く。

 陽菜はロウエンの言いたいことを理解して、同じようにリゼットを見た。

 リゼットは迷子のように、所在なさげに座りこんだまま。

 彼女もまた、陽菜と同じ、哀れな犠牲者だから。

 陽菜は決意する。


「代理戦争を終わらせましょう」


 誰も死なせない。

 後悔ももういらない。


 この世界に来てよかったと、いつか言えるようになるために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ