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01.勇者にニホンを見せたくて

 僕が幻想世界アールヴヘイムに召喚されたのは、高校一年生の春のことだった。


 エルフの王様の話によると、三つの世界が重なり合うのは千年ぶりの出来事らしい。

 僕の生まれ育った地球世界ミズガルズ。魔法文明の発達した幻想世界アールヴヘイム。そして、悪魔たちの暮らしている殺伐とした魔界ニヴルヘイム。それらの世界は、普段は関わり合うことなく存在してるんだけど。


「――魔界の王は、幻想世界を乗っ取るために軍勢を差し向けてきておる。今やこの世界は滅亡の危機に瀕しておるのだ……勇者ヨースケ殿。どうか我々を救ってくださらぬか」


 王様に依頼され、僕は魂から生み出す「聖剣」の力を使って、魔王討伐の旅に出ることになった。


 旅が終われば、僕は地球に帰れる予定だった。

 というのも、聖剣は悪魔からエネルギーを吸い取って、僕に「奇跡」の力を与えてくれるのだ。魔王の持っている莫大なエネルギーを吸収できれば、僕は世界の壁を切り裂いて、地球に帰還することができる。直感的にそう理解できた。


 こちらの世界の戦力は、悪魔の軍勢から民衆を守るので精一杯だ。だから、強い力を授かった僕は、各地の悪魔を単身で葬りながら、魔王が本拠地とする城へと向かっていった。


「ありがとうございます、勇者様……この都市は壊滅を免れました……なんとお礼をすれば良いか」


 揉みくちゃにされながら、感謝されたこともある。


「どうしてもっと早く来てくれなかったんだ……俺の妹はもう……あぁぁぁぁ……」


 救えなかった命も、たくさんあった。やり場のない怒りを、ただ受け止めるしかない時も。


「ヨースケの背中はあたしが守る!」

「俺がお前の傷を治す。どんな傷でもだ」

「儂の魔術でお主を助けよう」


 女戦士ティナ、治癒師ベルモット、大魔道士モーガン。僕の周囲には少しずつ仲間が増えて、孤独を感じることは減っていった。そして、長いようで短かった三年の旅の末、僕たちは魔王城へと辿り着いた。

 だが、魔王は強かった。殺されずに立ち向かえただけでも、奇跡だとすら思えるほどに。僕に残された選択肢は、たった一つだけ。


――聖剣に全ての力を込め、世界を切り離す。


 重なり合っていた世界は元の通り、バラバラの三つの世界へと戻っていった。魔王も悪魔も皆、魔界ニヴルヘイムへと消える。そして。


 僕はもう、地球へ帰れなくなった。


「勇者ヨースケ、見てください。ニホンの家です」


 エルフの王女コロネ姫に案内されてやってきた先。

 僕の目の前にはなんだか珍妙な建物があった。


 建物の骨組みは木材で作られていて、壁は全て紙製。全体はこの世界風の丸みを帯びたシルエットなのに、屋根だけ瓦葺きになっているから、なんだか妙にアンバランスだ。


「あの……コロネ姫」

「ふふふ。もちろん完璧に再現できているわけではないでしょうが、なかなかの出来栄えでしょう。紙の壁は強度的に不安ですが、表面を結界魔術で保護しているので見た目より安全です。どうです、ニホン風ですか」

「えぇぇ……」


 コメントに困るなぁ。


 魔王討伐の旅の途中、確かに仲間にそんな話をしたことはあった。襖とか障子とか、紙を材質にした扉があるという話を。そうしたら、どうやって魔物の侵入を防ぐんだとか議論になったりして。

 だけど、外壁まで全て紙で作るなんて話は、僕はしたことがないはずだ。うーん、どう説明したものかなぁ。


「あら、イメージと少々違いましたか?」

「うーん、けっこう違うかな」

「そうですか。なかなか難しいものですね」


 なんだか申し訳ないなぁと思う。

 きっとコロネ姫は、魔王討伐の後で落ち込んでいた僕を元気づけようとして、こんな手の込んだサプライズを用意してくれたんだろう。出来ることなら僕も明るく振る舞いたいところだけど。今は、作り笑顔すらできる気がしない。


 だって、僕はもう二度と、日本に帰ることができなくなってしまったのだから。


  ◆


 あの日は、ひどい嵐だった。

 それはきっと、この幻想世界アールヴヘイムが、魔界ニヴルヘイムに取り込まれる前兆だったのだろう。決戦は最初で最後、僕らが魔王を仕留められなければ、世界そのものが終わってしまう。


 だが、悪魔たちを葬って奇跡の力を溜め込んだ僕であっても、魔王にはなかなか傷をつけられなかった。

 なんとか追い詰めていっても、魔王は体を霧状に変化させ、一瞬で移動する。正直、殺されずに戦えたのは幸運でしかなかった。


「ククク……勇者よ。我の体に傷をつけて、ずいぶんと奇跡の力を取り込んだじゃないか。これ以上、戦う必要はないのではないか」

「一体何を……!」

「お前はもう、元の世界に帰ることができよう」


 魔王の言う通り、僕はもう地球世界に帰るだけの力を得ていた。

 世界の壁を切り裂いて、平和な地球へ帰ってしまいたい。幻想世界のために命をかけるなど、意味がないではないか。そんな思考が、脳裏をよぎる。


 そんな中。声を上げたのは、女戦士のティナだ。


「ヨースケ……これまで、ありがとう」

「……ティナ」

「大丈夫。本来なら、この世界のことは、この世界の住人が対処しなきゃいけなかったんだよ。ヨースケを巻き込んじゃって、本当にごめん。それなのに、今まで戦ってくれて、ありがとね。あたしたちは大丈夫だから、胸を張って地球に帰りなよ」


 あぁ。こんな状況になったら、僕にはもう、選択肢なんて一つしかないじゃないか。


 極限まで引き伸ばされた時間感覚の中、僕は静かに決意を固める。

 学校で友達と馬鹿な話をすることも、コンビニで駄菓子を買うことも、寝転がってテレビをだらだら見ることも、キッチンから漂う匂いで母さんの作る夕飯を察することも、父さんの晩酌に付き合って訳知り顔で大人の話を聞くことも……きっともう、僕はできないのだろう。


――聖剣に全ての力を込め、世界を切り離す。


 重なり合っていた世界は元の通り、バラバラの三つの世界へと戻っていった。魔王も悪魔も皆、魔界ニヴルヘイムへと消える。そして。

 僕はもう、地球へ帰れなくなった。


「……ヨースケ?」

「ごめん。少し一人にしてくれないか……自分で決断したことだし、これしか道はなかったとはいえ……今はまだ、受け止めきれないんだ。色々と」


 そうして、僕は仲間たちに背を向けて、その場を去った。どうやら世界中で嵐が止み、お祭り騒ぎになったらしいんだけど、僕はそういったものには一切参加することはなかった。誰とも会いたくなくて、山奥に小屋を建てて自給自足の生活を始めたのだ。


 コロネ姫が僕のもとを訪ねてきたのは、それから一年後のことだった。


  ◆


 目の前の珍妙な屋敷は、僕がかつて仲間たちに話した断片的な情報をもとに作り上げたのだろう。まぁ、これが日本家屋かと言われれば、首を傾げざるをえないんだけど。


「さぁ、勇者ヨースケ。中にお入りください。もちろん靴を脱いでですよ? ニホン風ですから」

「あ、うん……この草を編んだような床は」

「タタミです! ニホンのタタミを再現したのです」


 う、うーん、これは畳ではないかなぁ。

 なんというか、地面から生えた細長い草が複雑に編み込まれて、謎の柔らかい床面を形作っている。足で踏んだ感じは柔らかくてしっとりとしていて、何かの生き物の巣みたいな感じだ。これはこれで悪くないと思うけど……残念ながら畳ではないなぁ。言うなればTATAMIって感じ。なんかごめんね。


 そうして、床は全面TATAMI張り、壁は紙という謎の建物を進んでいくと、その先に待っているのは十人ほどのメイドさんだった。うん。メイド服はなぜか完全再現されているんだけど、ちょっと待って。


「お帰りなさいませ、勇者様!」

「「「お帰りなさいませ」」」

「あ、うん……メイド喫茶かぁ」


 たぶん、治癒師のベルモットが知恵を出したんだろうなぁ。なんか旅の途中、興味津々で根掘り葉掘り聞いてきたから、メイド喫茶については割と事細かに教えたんだよ。再現度としては見事と言うほかない。


 そうしてメイドさんたちに案内されるまま、TATAMIの上にデンと置かれたテーブル席に着く。もう細かいことは突っ込まないぞ。


「勇者様。お食事になさいますか。ワタシになさいますか。温泉になさいますか。それともワ・タ・シ?」

「え、温泉もあるの?」

「はい。大魔道士モーガン様が温泉を掘り当てたので、この先に源泉カケナガシ? の混浴大浴場があります。メイドみんなでお背中をお流しします。えっと、スーパーセントウです」


 一旦待ってくれるかな。ちょっと情報量が多い。

 とりあえず、モーガンに温泉の話をした記憶はあるんだよね。こっちではあまり湯に浸かる習慣ってないから、ちょっと勿体ないなと思って。そこになんか、色々な物が混ざって、意味が分かんないことになってるんだけど。


「……じゃあ、食事をもらえるかな」

「はーい、お食事オーダー入りましたー!」

「「「美味しくなぁれ、もえもえ!」」」


 セリフのタイミングよ……!

 いや練習したのは分かる。努力のあとが伺えるけどね。ベルモットのメイド観は一体どんなことになってんだ。あとメイド喫茶は大人のお店ではないって何度も説明したはずだけど。無駄に露出が多いんだよ。


「ヨースケ……」


 そんな声に顔を上げると、目の前にいたのは。

 旅の仲間。女戦士のティナだった。


 一年前は短く切りそろえていた髪も、今ではずいぶんと長く伸びた。戦う必要がなくなったからだろう。

 久しぶりに会った彼女は、鎧ではなくエプロンを身に着けている。というより、エプロンしか身につけていない。うーん? ちょっと待ってほしい。


「久しぶり、ヨースケ」

「うん、ティナ。どうして裸エプロン?」

「あのね……あたしたち、考えたの。ヨースケに元気を出してもらうには、できるだけニホンに近い環境を用意してあげるのが良いかなって。完璧とは、ぜんぜん言えないと思うけど」


 そうか、うん。ありがとね。

 裸エプロンはどうかと思うけど。


 そうして少し話していると、僕の前に料理の盆が運ばれてくる。これは……日本の料理とも違うし、この世界でも見たことのないものばかりだけど、一体何を持ってきたんだろう。

 すると、ティナが説明を始める。


「あたし、ニホンの料理を再現してみたの。どうしても同じものは見つからなくて、世界中から似ている食材をかき集めたんだけど」


 そうして一つ一つの料理を見ると、確かに見た目は奇抜ではあるものの、ちょっとだけ和食っぽかった。


「……いただきます」

「めしあがれ。この食事の挨拶も久しぶりだね」


 盆に置かれた二本の棒は魔法の杖で、それぞれ魔力を込めるとフォークとスプーンに変化する。たぶん「お箸だけで食事する」って話が曲解されたんだと思う。

 皿に盛られた黒いお米は、想像以上にモチモチしている。緑色の味噌汁モドキは甘みが強めかな。具材は謎野菜と芋で、これはこれで悪くない。ショッキングピンクの毒々しい醤油モドキはちょっとピリ辛だけど、刺し身っぽく盛られた焼き魚との相性は良い。あぁ、この世界の魚は生食に向かないもんね。


「……ごちそうさまでした」

「ふふん。どう? ニホンを感じた?」

「うーん、そうだなぁ……」


 いつの間にか、コロネ姫や旅の仲間、メイドたちが勢揃いして、固唾をのんで僕の顔を覗き込んでいた。その姿に、なんだか可笑しさがこみ上げてくる。


「日本っぽさは……まぁ、一割くらいかなぁ」

「そんなぁ」

「でも元気は出たよ。ありがとう。長らく心配をかけちゃったみたいだけど……うん。みんなが頑張ってくれたおかげで、僕はもう大丈夫になったみたいだ」


 僕の言葉に、ワッと歓声が上がる。


 きっとこれからも、日本が恋しくなることはあるだろう。家族や友達に会えない寂しさも、それはそれとして残り続けると思う。

 それでも、みんなと一緒なら、どうにかこうにかやっていけそうな気がする。今の僕は、そんな風に思えていた。


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