第7章
1:
診療が終わり、堤雄二がデスクで一息ついていたとき、スマートフォンが振動した。画面に表示されたのは、信頼する歯科技工士の山崎一郎の名前だった。堤はすぐに電話を取り、耳に当てた。
「堤先生、山崎です。例の歯の分析が終わりました。急いでお知らせしたいことがあります。」
山崎の声には緊張感が漂っており、その一言で堤の心臓は高鳴った。堤はすぐに診療所を出て、山崎のラボに向かうことを決めた。
「ありがとうございます、山崎さん。すぐにそちらに伺います。」
電話を切った後、堤は深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとしたが、不安感は募るばかりだった。彼は小野田沙希に「少し出てくる」と声をかけ、診療所を後にした。
2:
山崎のラボは、彼の性格を反映したかのように整然としていた。器具や機械がきちんと並ぶ中、山崎はすでに堤を待っていた。山崎は黙って解析結果を手に取り、堤に一枚ずつ見せながら説明を始めた。
「まず、堤先生が気にしていた金属冠ですが、一部異常に厚い部分がありました。そこを精密に調べたところ、内部にマイクロチップが埋め込まれていることが分かりました。」
山崎はさらに手元の資料を広げ、続けた。
「このチップから取り出されたデータは極めて詳細です。中には『警察の行方不明者リスト』が含まれており、過去数年にわたって失踪した多くの人々の名前が載っていました。さらに、『臓器の種類』や『売買価格』、『臓器売買ネットワークメンバーリスト』、そして関係者の顔写真も何枚か入っていました。」
堤はそのリストを一瞥しただけで、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。そして、顔写真を見て戦慄した。その何枚かには、先日奇妙な行動をしていた患者の顔があったからだ。
自分の診療所に来ていた患者たちが、この恐ろしいリストに関わっていたとは信じがたかった。しかし一方で、関わっていたからこその奇妙な行動であったと考えれば、納得もできた。
そして、リストの最後には見知らぬ男性の写真があった。
「この写真もチップに含まれていました。データのファイル名には『Araki』とだけ書かれていましたが、誰なのかは分かりません。」
山崎が指し示した写真には、若い男性が軍服姿で写っていた。堤はこの写真をじっと見つめたが、その男に見覚えはなかった。写真は古く色褪せており、まるで戦場で秘密裏に撮影されたかのような、背景の荒々しさが感じられた。
「この男が誰で、なぜこのリストに含まれているのか、現時点では分かりません。ただ、この写真が偶然ではないことは明らかです。」
堤は唾を飲み込みながら、これらの情報が持つ意味を考え始めた。この歯の中に隠されていたものは、単なる物理的なデータではなく、その背後にある何者かの意図、そして恐ろしい事実を暗示しているように思えた。
3:
堤が山崎のラボから戻ったとき、診療所はまだ静かな雰囲気に包まれていた。受付の小野田が書類を整理している姿が見えたが、彼女は堤の顔を見上げると、何か言いたげな表情を浮かべた。
「先生、何か…ありましたか?」
「いや、大したことじゃないよ。ちょっと患者さんに関することを確認してきただけだ。」
堤はできるだけ平静を装いながら答えたが、心の中は嵐のように荒れていた。これまでに知り得た事実は、すべてがつながっているようで、しかしその全貌が見えないままに堤を悩ませていた。
佐藤美智子も診療所内を歩いており、いつもの明るい笑顔を浮かべていた。彼女は堤に軽く挨拶をし、今日のスケジュールについて尋ねた。
「堤先生、今日はこれからどうしますか?何かお手伝いできることがあれば言ってください。」
「ありがとう、佐藤さん。少し考えたいことがあるから、しばらく一人にしてくれるかな。」
堤はそう言って、再びデスクに座り込んだ。山崎から得た情報が頭の中でぐるぐると回り続けていた。沼田の歯に隠されていた秘密、奇妙な行動を見せた患者たちの顔写真、そして軍服姿の男の写真。これらのピースが組み合わさり、一つの恐ろしい絵が浮かび上がってくるように感じられた。
しかし、その全体像はまだ曖昧で、堤には何か重要な部分が抜け落ちているような気がしてならなかった。この診療所の静けさの中で、彼は不安に駆られながらも、次に取るべき行動を考え続けた。
その時、再び小野田が堤のところに近づいてきた。彼女は少し躊躇しながらも、静かな声で問いかけた。
「先生、本当に何もないんですか?最近、先生の様子が少し変わっているように思えるんです。」
堤は一瞬返答に困ったが、彼女の優しさに感謝しつつ、できるだけ穏やかに答えた。
「心配かけてごめん。ちょっと複雑なことを考えているだけで、大丈夫だから。」
小野田は微笑んで頷いたが、堤は彼女の瞳の奥に何かを見透かされたような気がした。彼女には、自分が抱える不安を察知されているのかもしれない。
日常の平穏さの裏に潜む闇が、徐々に堤を取り巻いていく。彼はその中で、自らの決断が診療所全体、そして関わる人々にどのような影響を与えるのかを考え続けていた。