世間は恋愛で溢れている!?
いつも通りの朝。スマホのアラームに起こされ、くたびれた自身の顔を鏡で拝み、支度をし始める。スーツを着込んで豆川珈琲というチェーン店が展開している市販の豆で作った至高の一杯を流し込み、慌ただしく家から出る。辺りはまだ静かで、自身のローファーの音がコツコツと反響しているだけのそんな何の変哲もない日常。だが、今日は何かが違っていた。そう気づいたのは、自身が受け持つクラスに入ってからだった。
「はい、ホームルームを始めるぞ〜」
俺はいつものように教室に入りそう声を掛けるのだが、どこかクラスのみんなは落ち着きがない。俺のことを見たかと思えば、隣にいる緑川を見る。そんな流れをホームルームが終わるまで繰り返しており、その異変には俺だけではなく緑川も流石に気が付いているようだった。
「嘉人先輩……」
「ああ、何か変だな」
「はい……どこか生徒たちに凄く見られているようか気がして」
俺たちはその視線から逃げるように教室から出ると、廊下で話していた青野と金山に声を掛けた。
「2人とも、ちょっといいか?」
「あっ、よしお……と、緑川先生」
「朝から2人一緒とか、まじウケるんですけど……」
俺は2人の元へと近づいていき、話を聞こうとしたのだが、どこか2人の態度は良いものとは言い難かった。新学年初日の時と同じような、自分たちを俺から避けているような、そんな冷たい対応である。
「なんか、2人共元気なくないか?特に青野が」
「だって、それは!――――むぐ」
「よっしーには関係ないっしょ。ウチら忙しいから、もう行くわ」
そう言って青野の口を抑えた金山は、青野の腕を引っ張ってどこかへと消えて行ってしまった。俺は訳が分からず緑川の方を振り返るのだが、どうやら緑川も先程の2人の態度の理由が分かっていないようだった。俺たちは腑に落ちないまま、授業の準備を進めるため職員室へ向かうと、中から怒鳴り声が聞こえてきた。
「嘉人先輩、先に行ってください」
「何言ってんだ、緑川が先に入れ」
「いいえ、後輩は先輩を立てるものですから」
「いや、レディファーストで……」
そう扉前で言い争っていると、ドシドシと音を立ててこちらへ何か近づいてきた。そしてそれは扉を勢いよく開けると、俺たち2人を見て顔を真っ赤にした。
「き、君たち!職員同士の恋愛は禁止だと知っての行為かね!?」
「ちょ、ちょっと待ってください!私はこんな人と付き合ったつもりはありません!」
「おい、誰がこんな人だ」
「では、これは何だね!?」
怒りのせいでズレているカツラに気づかない教頭は、俺たちの目の前にとある1枚の用紙を見せつける。俺は距離が近すぎて見えなかったので、それを教頭から受け取り見ると、どうやら新聞部が作成している毎日新聞であった。そしてこれがどうしたものかと横へ目線をずらすと、新聞一面を使って大々的にとある事が書かれていた。
「はあ!?俺と緑川の熱愛報道!?」
そう、生徒が必ずと言っていい程目にする毎日新聞に、ありもしない俺と緑川の熱愛について言及された記事で埋め尽くされていたのだ。俺はその新聞記事に呆気に取られていると、教頭は俺と緑川に乱れる心を整えながら告げる。
「君たち、校長先生がお呼びだ。早急に向かいたまえ!」
「……はい、分かりました」
俺は事が悪い方向へと急速に進行しており、状況が呑み込めないまま校長室前へと足を運んだ。扉をノックし、返事が聞こえると中へと入り込む。
「……架谷くんと、緑川くんだったかな?」
「はい、そうです……」
「はい……」
校長は俺たちが前に来るのを確認すると、そう重みのある声で話す。カーテンから射し込む光により、校長の顔はハッキリと見えなく、今はどんな表情をしているのか分からない。だが間違いなく、怒りであることは確実と言えよう。
「何故ここに呼ばれたか分かるか?架谷くん」
「……はい。私たち2人の関係が、生徒たちの間で噂されているからだと」
「概ね正解だ……それでは緑川くん、何故それが問題だと思う?」
「……教員同士の恋愛が禁止されているからでしょうか」
緑川の額には汗があり、この場の空気に緊張しているようだった。そしてそれは緑川だけではなく、俺もである。いくら俺と緑川が付き合ってはいないとはいえ、あらぬ噂で職が失われるかもしれないという危機に瀕しているからだ。そんな俺たちに追い打ちをかけるよう、校長は話を続ける。
「違うな。正直、職員同士の恋愛などはどうでも良い。ただ、そのことから勉学が本分である生徒たちに悪影響を及ぼす害となり得る可能性があるという事が問題だ」
校長は席から立ち上がると、後ろにある観葉植物に水を与え始める。俺はその些細な行動すら、なにか試されているのではないかと思えてしまう程に、重圧に押しつぶされそうな状況であった。
「実際のところ君たちは、付き合っているのか?」
「いえ、私たちはそのような関係では御座いません」
「そうか……なら、残された選択肢は2つだ。生徒たちに広まった噂を完全に断ち切るか、退職するか」
俺はそれを聞いた時、罪悪感に似た必要のない何かに胸が締め付けられ、今にも倒れてしまいそうな感覚であった。




