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第3章 魔法使いとして 6 衆愚たちの来襲

 瀕死となり昏睡したままの直哉を抱き上げた智子は、今までの彼女の声とは違った非常に低い声で大地を揺るがした。

「だまれ......その傲慢な口、傲慢な態度のてい、見下す目......魔族のささやきに雷同し、衆愚になり下がった大衆たちよ……お前たちは、いま、この場で滅びよ……啓典の父がさだめた大地への呪いに縛り付けられよ」

 この声をきっかけにして、4人の人影が光の中に正体を現した。

「我々は呪縛司のミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエル......衆愚と魔族どもよ、そして背後の堕天使どもよ、思い知れ!」

 呪縛司達はそういうと、直哉、アリサ、智子たちの周囲にいた群衆や魔族、そして背後で操っていた堕天使たちを、一斉に大地の呪いに縛り付けた。すると、直哉、アリサ、智子を除いた周囲のすべての衆愚たち、後ろ手指示をしていた魔族を、いくつものつむじ風が翻弄し始めた。暴風のような風の中で、智子が周囲の状態を確認して眼で合図をすると、大地がひび割れ始めた。広がり始めた地割れの奥底には、溶岩の火口に似た坩堝のようなゲヘナが見え始めた。智子がその方向を指し示すと、周囲の群衆ばかりでなく、背後の空中に舞いあがっていた堕天使たち全てがことごとく吸い込まれてしまった。


 衆愚になったとはいえ、人類までが大地の坩堝たる「ゲヘナ」に生きたまま放り込まれたことは、堕天使と大魔ルシファー、彼等に従う人間たちが「裁き」という滅びへと突き進んでいく歴史が、二千年の沈滞を経て、すでに再び走り出していることを象徴していた。


 周囲の群衆が全て大地へと飲み込まれた後、智子は瀕死の直哉と気を失っているアリサを、自室に運び込んだ。その後、智子は目覚めたアリサと一緒に、瀕死の直哉を看病しはじめた。幸いにも、直哉は一命をとりとめたが、重篤な直哉が回復するにはその後1カ月半ほどを要した。


 その間、智子とアリサが聞いた報道によれば、大陸勢力が支配する領域は、すでに北米の大部分、ユーラシアのほとんどに達していた。対する解放軍側は、アフリカや南米、北米の合衆国残存域、インド洋や太平洋島嶼などの辺境に追いやられていた。それでも、解放軍は頑強な抵抗と反撃に出るようになっており、大陸勢力側は核攻撃を脅しに使う事態になった。

 大陸勢力では、もともと大規模に組織化された衆愚たちがさらに増えるとともに、彼らが支配した地域や解放側に立つ国々でも国家を超えた規模で、雷同して怒りを燃やす衆愚が一気に増加しはじめた。今や、両陣営の社会は、単純で愚かな作り話に雷同し、怒りと欲望のままにする衆愚たちで、満たされ始めていた。

 

 解放側に立っていた東瀛日本においても、大陸勢力に対する怒りを燃やす衆愚がますます増えて、全国規模で過激な集会と破壊活動とを繰り返していた。

「大陸勢力を許すな」

「奴らをせん滅しろ」

「我々は優秀な存在なはずだ! 我々の中に弱い考えを持つ者がいては、大陸勢力に負けてしまう!」

「啓典などというまがい物は慈愛・配慮などと言う……そんな弱い心を持つな…啓典の民たちの主張を信じるな……彼らと、彼等がかばう弱者、寄留者たち、女たちを黙らせろ、奴らは大陸勢力がこちらに紛れ込ませた厄介者だ!」

「奴らを野放しにしておくと、大陸勢力に負けてしまうぞ! 厄介者の奴らを押しつぶせ!」

「やつらは、悪だ。彼らは、悪だ。我々は、正義の鉄槌を下してやらなければならない。ゆえに、我々は、彼等に対してどんな行動に出ても許されるぞ、いざ、鉄槌を!」

 このように叫び続ける群衆は、開放側の各都市や日本の東都や各都市にはびこっていた。


 梅雨末期の季節になって、そんな群衆がふたたび同潤会住宅の高橋家に押し寄せた。このとき、東都の多くの政治家の家にも、豪雨の中、新たに衆愚となった群衆たちが押し寄せていた。クーデターだった。


「ここに、俺たちの仲間がきたはずだ」

「この辺りで、仲間たちがぱったりと消えたのだ」

「ここは、高橋泰然の自宅だ。ここには奴の娘と息子がまだいるはずだ......そいつらがなにかを知っているにちがいない」

「そうだな......奴らは大陸勢力に繋がっているに違いないんだ....仲間を取り戻せないかもしれないが…それでも仇を打ち、厄介者を一掃するんだ」


 高橋家は衆愚たちによって包囲されてしまった。家の書斎では、やっと歩けるようになった直哉を隅にかばうようにして、アリサと智子が潜んでいた。

「私たちは、このままでは皆殺しにされてしまいます」

 アリサの言葉に、智子も同意した。

「東都では、主な政治家たちも襲撃されているようですね」

「智子、私たちは少なくとも東都から脱出しなければなりません」

「アリサ、何処へ行けばいいのかしら?」

 そんな二人の会話を聞きながら、直哉はふとつぶやいた。

「北海道の小樽がいいかなあ......小樽には、異術学院の何かしらが残っているかもしれないよ」

「え? 小樽?」

 驚くアリサと智子だった。それでも、智子は冷静に分析を加えた。

「そうね……かつて私たちがいた異術学院にいきましょう……東都はもちろん、他の地にも、わたしたちが身を寄せられる場所は見当たりませんが……小樽なら、今の大衆運動から見れば、穴場ですしね……中国大陸ではベトナム辺りまで大陸勢力が攻め込んでから、大陸勢力はそれ以上攻めあぐねているようです......日本に攻め込もうという意思が見えていたサハリン側の大陸勢力も、逆に自衛隊が効果的に撃破していますしね」 

「いいわね…それなら今準備を急ぎましょう。そして、かつて、私たちがそこから出発して辿った地下トンネルを、今度は逆方向に使いましょう」

「そうね…かつての大陸勢力の遺物、地脈だった地下トンネル……入り口は六本木から飯倉へ向かう廃ビルの地下だったわね…それならば、かつて直哉が持っていた『呪縛司の地図』を持っていきましょう」


 智子とアリサ、そして直哉は、まず、自宅からの脱出方法を考えた。周囲はすでに群衆によって包囲され、辺りは騒然としていた。群衆たちが家の中に突入してくるのも時間の問題だった。

 おりしも、梅雨の終わりの豪雨が強くなり、外の群衆の声をまるで増幅するかのように家じゅうが激しく震えた。 

「こわい」

 アリサの小さく震えた声が、智子の身体に届いた。智子は、アリサの目を見つめると、本調子ではない直哉にも合図をして、

「屋根裏に隠れましょう…今、外は豪雨で家中に雨音が響いていますから、多少の音も大丈夫でしょう」

「でも、包囲されているのよ」

「彼らが諦めるまで、屋根裏で隠れ続けていましょう」

 三人は、着の身着のままで書斎の天井に這い上がり、そこからリビングの天井部分へと達した。リビングにはすでに群衆たちが土足で入り込み、三人を探している様子だった。ここで、直哉は足を踏み外し、天井を突き破ってしまった。もともと、彼は俊敏でなく、その上「呪縛司の地図」を抱えていたためだった。


「いたぞ、天井だ」

「もう、逃がさないぞ」

「降りてこい」

 男たちの怒号が響き渡った。直哉は智子とアリサに目で合図をすると、無造作に『呪縛司の地図』を手にして、ゆっくりと下へ降りて行った。途端に、群衆につかまって、玄関に陣取っていたリーダーらしき男の前に突き出された。

「お前、泰然の息子、直哉だな」

「僕は高橋直哉と言います」

「そうか......一緒に女たちもいたはずだが?」

「誰のことですか?」

 直哉は意識的にとぼけることにした。ただし、彼が意識的にとぼけるとしても、いつもの調子と表面的には同じだった。


「お前! お前の母親、それから大陸勢力の女、この二人と一緒だったはずだ」

「僕の母親ですか? 僕を産んでくれた母は、今はお墓にいます……」

「言い方を変えよう……泰然の妻はどこだ」

「泰然は僕の父親です......でも、彼は少し前に死んでいます……つまり、彼が死んでしまえば婚姻関係は終わりました......だから、泰然の妻はもういません」

「そうかよ......じゃあ、ここにはお前ひとりだというのだな」

 群衆のリーダーは、家にに火を付けるように、配下に合図をした。直哉は怒りを込めた視線をリーダーに向けた。

「何をしやがる」

「ここに女たちはいないんだろ?」

「この野郎」

 直哉は、不安定な足取りでつまづきながらリーダーに飛びかかろうとした。そこに多くの男達が飛びかかり、直哉を洪水に覆われ始めた地面に押し付けた。直哉は、手足を強かに打撃されて、動かせなくなってしまった。これによって、直哉の攻撃は阻止された。ただし、彼と彼をよってたかって押しつぶしたはずの男達は、うごかなくなった。それは、直哉の持っていた『呪縛司の地図』からの電撃が、倒れ込んだのと同時に通電した結果だった。

「どうした?」

 リーダーは彼の動かなくなった部下たちが鼓動まで止めて死んでいることに驚いたが、同時に直哉が下敷きになっているもののまだ生きているのを知ると、別の部下達に改めて家に火を付けるように指示した。

「やめろー、やめてくれー」

 直哉は大声を上げたが、リーダーは直哉を何度も酷く蹴り上げた。

「うるせえやつだ…仲間をこんなに殺しやがって……ふーん、火を付けることでそんなに慌てているのか? 家の中にはもう、誰もいないんだろ? おかしいじゃないか?」


 この言葉とともに、高橋邸に火が放たれた。この状況に、直哉はたまらずに答えた。

「いるんだ……リビングの天井に二人....火事で焼け死ぬ前に助けなくちゃ死んじゃう」

「ほう、待て、それなら、その二人の女を外に助けだしてやるよ」

 すでに火が天井に届き始めていた。部下達は、勢いづく火を見ながらゆっくりと家の中に入り込み、天井裏を覗き込んだ。そこでは、熱さに我慢している智子とアリサの姿があった。

「おい、外へ出ろ…この家はもうすぐ焼け落ちるぞ」

「直哉はどうしたの?」

「ああ、奴は痛めつけられて、動けないみたいだぜ......情けない男だぜ」


 アリサは、目の前の直哉がぼろぼろにされて押しつぶされている姿を見て、絶叫した。後から降りてきた智子も、直哉の姿を見て憤怒を込めて、唸り声を上げた。彼女たちの反応をみて、群衆のリーダーはあざ笑いながら直哉の頭を掴み上げ、彼の悔しそうな顔を笑いながら晒した。その様子を見た智子は、さらに怒りを増し、悔しそうにつぶやいた。

「あんた達は、人間だけでこのような悪事ができるのね……確かにあんた達は「衆愚」と呼ばれる類になり果てているわけね.......でも、人類だけの襲撃の群れをゲヘナに放り込むことは、今はできない......」

「ほお、女、お前が俺たちを滅しようとするのかね?」

 群衆のリーダーは、ふたたび嘲笑った。この時、既に豪雨が強まり、地表の洪水が水かさを増していた。

 直哉は、そっと、再び『呪縛司の地図』を周囲に溢れている水に接触させた。

「バシッ」

 周囲の人間たち全ては、氾濫する水に足をつけたままだった。呪縛司の地図から発した電子流が、周囲の水に足をつけていた群衆を貫き、彼らは次々に水の中に倒れこんだ。それをきっかけにして、智子とアリサが後ろに控えていた男たちを、一気に倒していた。

「何が起きたの?」

 智子とアリサが不思議そうに、洪水の中に倒れこんでいる群衆やリーダーを眺めた。

「あんたが持っている『呪縛司の地図』の電撃は強烈ね……あんたがこれを使いこなせるとは、知らなかったわ......」

 智子がそう言うと、アリサが後ろを振り返って火事が鎮火しつつあることを指摘した。

「智子、後ろの火事、大雨で鎮火しそうよ」

「アリサ、水の中に入らないようにして! 直ちゃん、その地図を絶縁物質でくるんでくれないかしら?」

「母さん、彼らをそのままにして此処を立ち去るの?」

「直ちゃん、ここに来たのは、どうやら衆愚となった人間たちだけのようよ......魔族も堕天使もいないままでは、彼らを滅ぼすわけにはいかないわね」

 彼らは、こう言い合いながら、土砂降りの中、高橋邸をあとにしたのだった。

____________________


 北海道の小樽に着くと、彼らは異術学院跡を訪ねた。あたりの山々の警戒態勢も、立ち入り禁止の看板も何もかもが、すでに有名無実となっていた。

 自由に入り込めるようになっていた丘陵の山道を進むと、そこにはかつての学院の建物が朽ち果てた姿をさらしていた。それでも、学院長のあった校舎の地下室だけは、周囲の林が風雨から守っていたせいもあって、いまだにドアや外壁、最低限のライフラインなどが維持されていた。


「ここで、しばらく暮らせるのかしら」

 アリサが天井や周囲を見渡しながら、不安を口にした。直哉は相変わらずの単純さで応答した。

「でも使える部屋は、学院長室の一部屋しかないよ」

「そうね......直ちゃん……この部屋で、三人で一緒に食事したり寝たり風呂に入ったりして、暮らすのよ」

 智子は、少しばかり直哉を見つめながら、妙なほほえみを浮かべた。それを見て、直哉はかつて智子から受けた仕打ちを思い出して、少しばかり戦慄した。

「何だよ、それ?……」 

「そうね……とりあえず、街へ出て、寝具や必要な道具を手に入れましょう」

 ここでも、智子が先導して残りの二人を行動することになった。


 小樽の町は、すっかり軍港都市に変わっていた。すべての桟橋は立ち入り禁止となっており、その先には大小さまざまの艦艇が錨を下ろしていた。街中にはまばらに水平たちや士官たちが歩くだけであり、一般の人間はほとんど見かけなかった。店らしい店はなく、その代わりに大きな倉庫がそこかしこに建てられていた。


「倉庫しかないのね」

「仕方がない……ここは、内緒で、何処かの倉庫に忍び込むしかないかな」

 直哉は先行する智子の言葉に、そう答えた。すると、アリサが遥か前方の倉庫で荷物の出し入れをしていることに気づいた。

「あそこの倉庫では、兵員たちの装具を出庫中ですね」

「本当だ! あれには寝具もある!」

 直哉は思わず大声を出した。それを智子が窘めた。

「これから倉庫に忍び込むんでしょ! 静かにしなさいよ!」

「え? でも、まだ忍び込んでいないよ」

「ねえ、直ちゃん、もう何歳になったのよ! いつまでそんなのんきな状態なの?」

「へ? 母さん……あの倉庫に平然と忍び込むことができるのは、おそらく僕だけだと思うよ」

「どうして?」

「僕が持っている『呪縛司の地図』を、倉庫の入り口ドアに接触させれば、自由に開閉できるはずだから……」

「なんでそんなことが言えるの?」

「だって、ずいぶん前に、海底トンネルの立て坑から入り込んだ地脈に、僕は何の造作もなく入り込めたんだ......あれは、飯倉迷宮に行くための地脈だった......『呪縛司の地図』によって、入り口がおのずから開いてしまう…….おそらく、何かの魔術か何かだよ」

 いつになく、直哉は鋭かった。というより、彼は智子の困った顔を見たために、鋭い分析ができたらしかった。直哉は引き続き、別の観点から指摘をした。

「おそらく、海上自衛隊の艦隊が今大陸勢力に対して大規模な攻勢に出ている最中かな? だから、装備の搬出はその一環だろうね……だから、どの倉庫がいいのかな……寝具が残っている倉庫に忍び込まないと......」


 彼らは、いくつもの倉庫に入り込んだ。しかし、ほとんどの倉庫は、既に搬出が終わっており、最後に残った倉庫にも、いくつかの食料袋、そして寝袋が一つ残っているだけだった。

「ここも、もうほとんど残っていない......でも、食料サックが6ヶ月分ほど、それから寝袋が一つだけ残っていたよ......」

「えっ! それだけだったの? 直ちゃん!」

「うん!」

 直哉は躊躇いながら、そう答えた。彼は、その答えの後に智子とアリサに何を言われるかを予想していた。そして、やはりアリサが戸惑ったように声を上げた。

「ねえ、それだと誰がその寝袋を使うの?」

「うん、大きいから3,4人は入るから、全員で使えるよ!」

 直哉は何も考えず、答えた。智子はたしなめるように、指摘した。

「へえ、直ちゃん、あんた、アリサと一緒に寝袋に入れるわけ?」

「え? あ!」

「私はね、直ちゃん、継母とはいえ母親だから、あんたと一緒になっても....まあ....平気だと......思うんだけど....あんたとアリサとが一緒に.......その寝袋を使えるのか?、と聞いているのよ......いずれは平気になってほしいんだけど......」

「えっ、ああ、そうだった……ダメなんだ、僕と二人の女の子と一緒に同衾するなんて……だから、今は夏だから、僕が床でごろ寝することで大丈夫だよ」

 その日から、しばらく彼らは学院の旧学院長室で、しばしの隠遁生活を続けた。トイレはまだ使える旧学院の端にあるところを使い、風呂は外のドラム缶、炊事と洗い物は風呂近くの水場でこなした。

ただ、炊事と洗い物はもっぱら智子しかできないことだった。


 季節は秋へと移った。北海道の秋の訪れは早く、すぐに氷雨の季節が来た。

「もうすぐ秋ね……冬になると冷え込むわね」

 ある朝早く、智子は顔にひんやりと接した空気の冷たさで、目覚めた。彼女とアリサは寝袋に籠ったままだったものの、二人とも寝袋から出していた顔が冷え切っていた。隣のアリサは、それでもまだ

寝袋の中でうなされており、何故かすべての服を脱いでしまって、しきりに寝返りをして悶えていた。

「アリサ、うなされているの?」

 智子はそう言うとアリサを見つめた。やがてアリサの制御が智子の下に移ると、アリサは静かになった。先ほどのアリサの身もだえは、寝ているはずの直哉の制御下にあったことで何らかの影響を受けたことによるものらしかった。

 そんなことを考察しながら、智子はアリサとともに身づくろいをして寝袋から出た。ふと気づくと、彼女たちの寝袋から少し離れたところに、直哉が転がって冷え切っていた。


「直ちゃん、直ちゃん、生きているの?」

「う、うーん……痛い、痛い、痛い」

 直哉の身体はすっかり冷え切って、体中の筋肉がこわばっていた。それを何とか克服するように、直哉は徐々に体を動かし、ようやくに体全体を暖めることができた。

「うーん……今朝は冷えるなあ」

 智子は、直哉の体操する姿を見つめながら、考え込んだ。


 昼になって、彼らは昼食をとった。この時、夜の保温の仕方が話題になった。

 話題を切り出したのは、智子だった。

「もう、秋が深いみたいね……夜はもう冷えるから、何とかしないとね」

「丸太を組んで外壁を厚くしようか?」

 直哉は智子の考えに応えるように、解決方法らしきものを口にした。智子は、直哉の気楽さに戸惑いながら答えた。

「それでも、コンクリートの上は冷えるのよ」

「じゃあ、何かを敷く? そうだ、外の針葉樹の枝を集めて……」

「まるで獣の巣のように作るわけ? でも、獣は体中を毛皮が覆っているのよ!」

「じゃあ、体中を毛皮で覆うかな……」

 直哉は冗談めかした。やはり、愚かな状態の彼に解決策などあるはずがなかった。智子は、アリサも呼び込んで、相談をすることにした。

「アリサ、夜の過ごし方で相談があるの」

「え?」

 いまのアリサは、智子の制御下にあった。それゆえ、智子の考え方に沿った思考をしていた。それを確実にするため、智子は声を強めた。

「アリサ、じゃあ、これからは彼と一緒に暖かく過ごすことで、良いわね!」

 智子は有無を言わさぬ剣幕だった。その剣幕のまま、智子は直哉にも提案をした。

「直ちゃん、ねえ、あんたも今夜は暖かいところで寝たいでしょ?」

「うん」

 直哉はよく考えもせず、そう返事した。だが、智子が考えている夜の寝所の形態は、実はアリサと彼とがともに最も恐れるものだった。


 夜になった。やはり、日没とともに急速に室温も低下し始めた。就寝時刻になると、とても床で寝ることのできないほどの寒さが、三人を包んでいた。

「寝る前に、しっかり体を温めないとね」

 彼らは、寝る前には必ず外のドラム缶で入浴を済ませることになっていた。

 先に湯あみを済ました智子は、部屋に戻ってアリサに湯あみを促した。アリサはそれに従って湯あみをはじめた。智子はその湯船の水音を聞きながら、ドラム缶の湯船に浸かっているアリサへ、声をかけた。

「アリサ、あのね、今夜の過ごし方なんだけど、実は寝袋には5人まで入れるのよ......だから、今夜から直ちゃんも一緒に、三人でこの寝袋の中に入って寝ることにしたいのだけど......」

「え、どういうことですか?」

 アリサはそう言うと、湯船から智子の前に飛び出してきた。

「智子、それはどういうことなの?」

「うへえ、やめてくれ!」

 運の悪いことに、智子の横には直哉が風呂の順番を待っていた。当然に、アリサが湯船から飛び出してきた一糸まとわぬ姿も、眼にせざるを得なかった。

「直ちゃんも、それでいいよね?」

「寝袋を使う……けど、アリサと母さんと僕とで使うの?」

 彼は、悲鳴と目眩いを起こしつつ、智子にそう言うのが精一杯だった。

 

 直哉は気を失ってしまった。それは、この夜、三人が同一の寝袋に同衾することに、とても都合がよかった。彼は、そのまま夜明けまで気を失ったままだった。たとえ、万が一に夜中に目を覚ましたとしても、傍に妙齢の女性がいることで、彼は再び気絶をしたであろう。彼のこの状態があったが故に、三人が同衾することが可能だった。


 その日から毎晩、三人は同衾し続けた。彼には就寝前にアリサもしくは智子の肌を少しばかり見せるだけで気絶してしまうので、彼は次の日の朝まで目覚めることはなかった。こうして、しばらくは、三人ともこの微妙なバランスを崩すことなく、毎晩同衾し続けられた。

 ただ、このバランスが崩れる時が来た。


 ある夜のこと、直哉は真っ暗な部屋の中で、智子とアリサの二人とともに寝袋に寝ていることに気づいた。慌てた直哉は、眠いのを我慢しながら外に出た。その後、彼はそのまま床の上で寝ざるを得なかった。彼の身体はすぐに冷え切ってしまい、かれはそのまま次の日の朝を迎えた。


 次の日の未明になり、智子は暗がりの中を食事作りのためにそそくさと寝袋から出た。彼女は直哉が寝袋の中にまだ寝ているものだと思っていた。しかし、寝袋の中には、アリサが一人だけだった。しかも、彼女は何故か再びすべての服を脱ぎ捨てて眠っていた。

 実は、この時、アリサは直哉の制御下にあり、直哉の精神状態に影響されていた。同時に、いま、直哉の精神は寒さによって追い込まれていた。彼のその状態は、彼女自身の精神をも追い込んでしまうことを意味していた。彼女自身が精神を追い込まれれば、それはいわば催眠状態のままに行動してしまうことになった。こうして、ちょっとした示唆、たとえば直哉の潜在意識、または直哉の奥深く潜在意識に隠された欲望が彼の制御を通じてアリサに伝わり、彼女は身も心も裸になってしまうのだった。先ほども、そのせいで寝袋の中ですっかり脱衣していた。


 朝の食事はトウモロコシのスープだった。このころには、直哉も起床し、冷えてうまく動かない体を何とか動かして、智子を手伝っていた。冷え切ったせいもあって、彼はトウモロコシの粒々を鍋に入れるはずが、くしゃみとともに部屋中にばらまいてしまった。そのうちのいくつかが、運の悪いことにアリサが未だに寝ている寝袋の中に入り込んでしまった。


「い、痛い」

 寝坊したアリサは、背中を圧迫するトウモロコシの粒々の痛みで、やっと目が覚めた。いくつかのウモロコシの粒が、彼女の背中に強く食い込んでいたのだった。

「何かが寝袋の中に入り込んでいるわ......痛い……これはなんなの?」

「あ、ごめん......さきほどこぼしたトウモロコシの粒が、入り込んだんだな......今取り除いててやるよ」

「私の背中側にあたっているのよ....痛い……早くとってちょうだい!」


 直哉は片手を寝袋の中に差し入れた。

「おい、まさか、なにも着ていないのか!」

「あ、どうしてかしら......それよりも、い、痛い……早く取って……背中の下の方に、固いトウモロコシの粒が当たっている......」

「そうか、それなら取ってやるよ」

 直哉は冷や汗を流しながら、アリサの背中沿いに腕を深く差し入れた。

「どこなんだ? どこだ?」

 彼はそう言いながら、差し入れた腕をアリサの周囲で動かした。

「どこなんだ?」

 直哉は、さらに両手で寝袋を探った。

「あ、あった!」

 彼は右手と左手とで、二つを摘まんだ。...つもりだった。

「あ、それは、違う....」

 アリサが、小さく悲鳴のように声を出した。直哉はうまく摘めないことにいら立ち、指に力を入れた。

「あれ、取れない......」

「ふう…そこ、違う……」


 この時、智子が直哉とアリサのおかしなやり取りに気づいて、料理を中断した。

「直ちゃん、何やっているのよ」

 だが、直哉はもうすぐつかめそうだと思って、まだ作業を続けていた。 

「へ、分かったぞ、これだ!」

「や、やめ……て!」

 アリサが身じろぎすると、寝袋から彼女の身体が出てきた。直哉と智子がそれを目にしたとき、直哉の両腕は、いつのまにか背中から両脇を抱えるようにして、アリサの前に回されていた。しかも、彼の左右のそれぞれの手がつまんでいるものは、トウモロコシの粒ではなかった。

 彼がつまんでいたのは、アリサの胸の二つの先端だった。

「そ、そんなはずは!」

 直哉はそう言って、気を失った。

「もう、いや!」

 アリサは、胸を腕で隠しながら叫んだ。彼女は、しばらく、つままれたところがじんじんしていた。


 直哉はなかなか目を覚まさなかった。転がったままの彼の身体は、ふたたび冷え切っていた。智子は、アリサとともに、冷え切った彼を何とか工夫して寝袋の中へ運び込んだ。そんな作業を終えてから、智子はアリサに話しかけた。

「アリサ....彼は床に寝転んでいるだけで、すぐに体が冷え切ってしまうことが分かったわよね……特に冷える夜は、彼も寝袋に入れてあげなければいけないと思うのよ......」

「そんな...いやだ! 今朝、智子も見たとおり、私は寝袋の中で無意識にすべて脱ぎ捨てていたのよ……彼の支配下にあった時、そんな状態になったら、彼と私が何をするか......」

 アリサは、そう反論した。智子はさらに指摘した。

「あなた、昨夜も、直哉が冷え切って過ごしたのを知っているわよね」

「でも、智子! 彼が、これからも毎晩ずっと、わたしたちと一緒に寝袋に入るんでしょ?」

 アリサは、そう言いつつも一応理解しつつあった。たしかに、室内でも非常に冷え込むゆえに、三人で体を寄せ合わないといけない。他方、彼女は、今までの教育と経験上、若い男女がそのまま一緒に寝袋に同衾することなど、あってはならないことだと理解していた。特に魅了と似た形で制御を直哉から受けているアリサにとっては、彼と直接同衾することは、してはならないことをしてしまいそうな誘惑めいた匂いがした。それでも、智子は説得した。

「アリサ! この状態を繰り返していると、そのうち彼は凍死してしまうのよ……あなたの危惧も分かるけど......散々彼の弱点を見て来たでしょ? 彼は女性の素肌だけでもパニックになるし、それが身近な娘だったらなおさら衝撃を受けて、気絶してしまうはず......」

「でも、同衾の状態で、私自身が彼からの影響をうけた場合に......どうなるか....してはならないことをしてしまいそうで.......」

「それは、私が何とかするわ......それに、そもそも、彼を床に転がして冷やしてしまったとすると、あんたにも再び脱衣してしまうという問題が生じかねないわよね……」

「え、ええ、確かに……そうだけど......」


 こうして、三人は、なんとか冬を越した。春になり、世界情勢は再びきな臭くなった。智子の持ち運んでいたハンディラジオでは、盛んに再び両陣営の対立が深まりつつあることを報じていた。 

「このままでは、わたしたち、再び滅びてしまうのかしら…私たちを襲い来る群衆たちが、すでに解放側の国家でさえ、国家のありようを変えてしまっている……慈愛と配慮がすっかり冷えたこの世界は、預言されたとおり滅びる...…これから、核兵器の使用、オリオンの衝撃波……何がくるのだろうか」

 直哉がつぶやいた。智子も、彼のつぶやきを引き取って続けた。

「おそらく、核ミサイルの打ち合いになってしまうでしょう......私たちは、さらにどこかに逃げなければ」

「どこへ?」

それは、三人のつぶやきだった。それに続いて、アリサが驚くべき提案をした。

「大陸勢力の占領域へ行ってみませんか?」

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