第3章 魔法使いとして 5 ゴグの地の魔王ラーメック一族と、雷同の群衆たち
さて、時は遡ること三十年前。大魔ルシファーは決戦の時が近いことを確信していた。
すでに、二千年以上の昔、啓典の主の御前に陣取っていたはずの大魔ルシファーとその配下たちは、自らがすぐそばで使えていたはずの啓典の主を裏切り、天上の全域で啓典の主が率いる天の大軍と戦いを繰り広げていた。
この戦いは激烈を極めたという。大魔ルシファーは、啓典の主が大切にしていた人類を、もう一歩というところで手中に収めることができたはずだった。これに対して、啓典の主は文字通り、自らを捨て身身代わりに犠牲になったことで、大魔ルシファーをだしぬいてその隙をついて彼らを天から排除した。そこで、敗走した大魔ルシファーは、創造主の陣営から敵前逃亡をしてきた堕天使たちとともに、人類が増え始めた小さな楽園の惑星、地球へと軍をすすめたのだった。その直後、大魔ルシファーは、カラコルム山系の奥深い谷の奥深くの神殿に鎮座した。
それから時は流れて、今から30年ほど前、彼らに魅入られた者達が蠢き始めた。すなわち、彼らに魅入られた者達は、カラコルム山系の谷深く地上から隔絶されたゴグの地に、神殿都市を築いて大魔ルシファーを崇めた。彼らの祖先の一部は、元々十数万年ほど前に現在の人類と共通の祖先から発生した人類 カイン族であった。後に、彼らは、大魔ルシファーを共に崇め始めた現在の人類の一部と混血して新たなカイン族に進化していた。即ち、彼らは吸血、人喰い、羅刹、酒呑童子、鬼、サキュバスなどという魔族へと進化した、上位人類カイン族だった。大魔ルシファーの誘惑のままに、彼らは清められることを拒否した。それゆえ、一般的な魔族カイン族は、罪と垢にまみれた皮膚がひび割れ、それがハニカム状となってあらわれ、ちょうど六角形が666のごとくに連続していた。
大魔ルシファーは、この時代、既に上位人類カイン族すなわち魔族の崇拝を大きく集めていた。それとともに、ゴグの神殿都市には巷の各地から「山々から遥か下方の地上に棲む人類に、魔族たちの活動を将来ことごとく邪魔する人間たちが現れた」という報告が上るようになっていた。大魔ルシファーに至っては、側近からそのような報告を受けて、驚愕を隠そうとはしなかった。
「我々の計画を、将来ことごとく邪魔する人間たちが現れたというのか?」
「はい、ルシファー様」
ルシファーはさらに詳しく一族や側近たちの報告を聞き、長く考え込んだ。長く考え込んだ末に、彼から出た言葉は、側近たちを驚かせた。
「このままでは、啓典にある預言のとおりに、我々が滅びることになるぞ」
「『啓典』とは何ですか? そんなことが『啓典』にあるのですか?」
「愚か者、我々は彼らの『啓典』をおろそかにしてはいけない……すでに、啓典の初めに記された『彼はお前の頭を砕き、お前は彼の踵を砕く』という十数万年前の彼らの預言が、二千年前にわれらの敗走という形で実現しているのだぞ……見よ。この預言書を…」
ルシファーが手元で示した箇所には、確かに地上に投げ落とされた大魔ルシファーたちに関する預言が記されていた。
「私は、お前を、翼を広げて覆うケルブとして作った。
お前は神の聖なる山にいて
火の石の間を歩いていた。
お前が創造された日から
お前の歩みは無垢であったはずだった。
しかし、ついに不正がお前の中に見出されるようになった。
お前の取引が盛んになると
お前の中に不法が満ち
罪を犯すようになった。
そこで、私はお前を神の山から追い出し
翼で覆うケルブであるおまえを
火の石の間から滅ぼした。
お前の心は美しさのゆえに高慢となり
栄華のゆえに智恵を堕落させた。
私はお前を地の上に投げ落とし、
王たちの前で見世物とした」
「この預言は我々がかつて味わった、天井での敗北をあらかじめ伝えていた文書だ...…このことからも分かるだろう、我々は彼らの預言書の意図を理解しなければ、我々には勝利が無いぞ……よいか、我々は、この地を支配したのだ.......我こそが支配者たるオーバーロードなのだ!......この地の人間、全ての者は我々のものだ......我こそがオーバーロードなのだ」
「ははー、おっしゃる通りです......ただ、ルシファー様......オーバーロードとしての貴方様が、そして、我々が、ふたたび負けるなどということが預言されているのですか? そのことと、証人が現れたことと、どのように関係するのですか?」
「それでは、これを見てみよ」
大魔ルシファーは側近たちに預言書を投げてよこした。そこには、預言の言葉が光を放ち始めていた。
『龍は、自分が地上へ投げ落とされたとわかると、
男の子を生んだ女の後を追った。
しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた
龍は女に対して激しく怒り、
その子孫の残りの者たち、すなわち、
啓典の父のおきてを守り、証しを守り通している証人たちと
戦うことを決意した……』
大魔ルシファーは、光を帯びた預言書を恐る恐る囲む側近たちを見つめ、改めて側近の報告を求めた。
「私は、オーバーロードだぞ! その預言書は、その我々を危うくしかねない預言だ.......そして、その預言書に合致するように『ことごとく邪魔する人間たち』が現れたのだ......これは警戒しなければならないことだ......とすれば、我々は『ことごとく邪魔する人間たち』とは、どんな奴なのかをしらねばならぬ」
「はい、それは......」
側近たちは、地上で展開する大陸勢力にたいして、頑強に反撃し始めた東アジアの人間たちを報告した。特に、注目されたのは「高橋直哉」の名前を伴った報告だった。
ルシファーは、しばらく考えるとある指摘をした。
「そいつは、この啓典に書かれている『証人』であるかもしれぬ」
「啓典の『証人』だというのですか?」
「そうだ!」
「『ことごとく邪魔する人間』たちと目される人間たちの中には、確かに彼がいます....しかし、彼はあまりに愚か者です……また、人間たちが異術と呼ぶ力すなわち魔力も彼には感じられません......そんな奴が啓典に預言されている『証人』であるとは考えられませんが…」
「あまりに愚かな少年だと? ふむ、お前たちの様々な報告書によると、確かに愚か者らしい……しかし、私が見通してきた時の流れの中で、彼にがあまりに目立っている……我々は何かを見落としているに違いない」
これらの検討に基づいて、彼らは高橋直哉を追い詰めていくことにした。
また、啓典に預言されている「証人」が出現したに違いないという結論から、大魔ルシファーは、上位人類つまり魔族のうちから、魔族の帝王として魔王ラーメックとその7人の王族「女王アダ」「女王ツィラ」「王ジャバル」「双子の王トバルとカイン」「女王ナーマー」「女王 呪張」を選び出した。
魔王ラーメックは、地球各地に、吸血、人喰い、羅刹、酒呑童子、鬼、サキュバスなどという魔族とともに、地球の各地へ7人の王族を派遣した。七人の王族たちは、魔族の活動によって。吸血、人喰い、羅刹、酒呑童子、鬼、サキュバスなどという魔族を従えて、神の息である生命エネルギーを自らの魔力の元である魔素に変換する機構を建設した。それらは迷宮のような構造をしているがゆえに、「地下迷宮」「迷宮城塞」などと呼ばれるようになった。彼ら魔族は、これらの迷宮から、全世界に張り巡らされた地脈と呼ばれる伝導路を使って、魔素をかき集めた。それは、大魔ルシファーの大能をまねるためであった。
これらによって力を得た魔王と魔族たちは、十分な魔素を得つつ攻勢に出て、聖なる民たちを圧倒しはじめていた。
ただ、大魔ルシファーさらに魔王たちは、まだ知らなかった。啓典の預言にはまだ続きがあった。
「龍は海辺の砂の上に立った。すると、一匹の獣が海の中から登って来るのを見た。獣は十本の角と七つの頭があった。豹に似て、足はクマのよう、口は獅子のようであった。龍はこの獣に自分の力と王座と大きな権威とを与えた。獣は聖なる者達と戦い、これに勝つことが許された……神の怒りがその極みに達し...さらに獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字666に勝った者達を見た」
今までの大魔ルシファーとその崇拝者たる魔族たちの動きは、まさに、この預言書の通りであった。そして、その先には大魔ルシファーたちの壊滅も、預言されていた。
この時が、ちょうど女王の呪張が高橋直哉たちによって、飯倉地下迷宮で敗北を喫した前後だった。それは明らかに彼ら自身の壊滅の予兆だった。それでも、彼らはいまだに彼ら自身の壊滅の予兆を認識できていなかった。
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直哉がアリサとともに堀切同潤会の邸宅に帰って来てから、五回目の春を迎えた。直哉が、父泰然の世話を焼く智子を「母さん」と呼ぶようになって、四年経ったことになる。今では彼も、智子に対するその呼びかけ方とともに彼女が新しい母親であることにも慣れた。このごろの直哉や智子は、毎晩アリサや直哉の父泰然を交えて、東アジアでの戦況を憂いていた。
他方、仲間だった総一郎、虹洋、悠然の三人は、行方不明のままだった。仲間を裏切った梓晴は、そのまま女王ナーマーが率いる大陸勢力アジア方面軍の司令官になり、民族解放機構側の北都、西都に続き南都を陥落させ、いまでは、破竹の勢いで民族解放機構側をベトナム領域近くまで追い詰めつつあった。この戦いの途中で何度か行われた解放機構側の無人機 天女蜂と、大陸勢力側の無人機 狂戦蜂との間の空中戦は、いずれも大陸勢力側の圧勝に終わっていた。急速に戦力を失っていた解放機構軍は、既に天女蜂の一大拠点であった上海基地を放棄していた。
そんなある朝、泰然は、ウェブニュースを報じる個人端末をほかの三人に示しながら、話をしていた。
「この調子では、サハリン戦線の大陸勢力側も、列島を北海道からこの東都まで一気に攻め入って来るかもしれないぞ」
「避難する必要があるのかしら?」
不安そうに智子がそう言うと、泰然は笑って応じた。
「疎開だね」
「でも、私たちは何処へ?」
「そうだな、我々は小笠原か、沖縄かな......とにかく都市部を中心に、疎開の準備をする必要があるな...その前に、日本海方面、そして九州やや沖縄の面する東海方面とともに、余市や札幌を中心にしたオホーツク方面防衛線を強化しておかないとな……併せて、我々は国内に強固な善なる体制を作り上げなければならない......智慧ある者たちが訴え、会衆がそれを支える、そんな強固な民主主義確立を急がなければ……」
その日から、泰然は、すっかり老いた体に再び力を得たように活動を開始した。政治家として、指導者として、そして何より息子直哉に父親たる生き様を示すために...
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このころ、既に日本や北米大陸の非占領域である合衆国残存域では、ふたたび大陸勢力が別の働き掛けを開始していた。そこでは、以前、タコ足のような魔素吸収施設が設けられていた。日本では、東都の飯倉の地下迷宮、北米合衆国残存域では、同様なことがニューヨーク、ワシントン、東海岸などでなされていた。そこで再び始まった別の働き掛けとは、二人の王「トバル」と「カイン」とが、大魔ルシファー側に寝返った堕天使たちを総動員して、大衆へ働きかけることだった。この働きかけは、大陸勢力にとってみれば、大規模な戦線拡大も、核ミサイルの打ち合いも必要のない極めて効果的な作戦だった。
「彼らの民主主義という体制は、極めて脆弱だ......大衆の中に我々の堕天使たちをおくりこみ、魅了をまき散らせば、たちまち愚かな思い込みに雷同して、怒りと欲望のままに行動する衆愚たちが多く誕生する……彼らは将来、我々が魔素を得るために飼う家畜人類に育っていく者たちだぞ...簡単なこと、堕天使たちによって慈愛と想像力のもととなる理性を曇らせればよい…慈愛は失われ、貧弱な頭脳になり、簡単に魅了を受け取るはずだ」
二人の王の働き掛けは、極めて自然に増殖した。魅了の虜になった人間たちは、大陸勢力の工作員が巧妙に作り上げた情報のえさを与えられると、たちまち噂話と語らいとにつられて集まり、単純で愚かな作り話を信じて雷同し、怒りと欲望のままに行動するようになった。衆愚飛ばれる人間たちの誕生であった。
彼らを精神支配するために、堕天使たちも動員された。衆愚と呼ばれるようになった人間たちは、家畜人類への深化を始めたのだった。
「大地が丸いというのか? お前は騙されている、考えてみろ、お前たちの立っているところは平べったいではないか! そうだ、大地は丸いなどと信じてはいけないぞ!」
「大地が太陽の周りをまわっているというのか? 我々は優秀な存在だぞ! そんなことを信じている程度では、大陸勢力に負けてしまうぞ! 丸くない地球が太陽の周りをまわっているはずがない…そんな出鱈目を言う科学を信じるな!」
「医学を信じるな、科学を信じるな 科学を始めたのは、メンデルだ! 教会の手先だ」
「奴らのせいで変な治療をさせられ、変な予防注射をさせられ、病気が広かったんだ。少数意見は悪だ。少数者は悪だ。奴らが諸悪の根源だ」
「この宇宙が作られたというのか? そんなことを言う科学者を信じるな! 彼らは啓典の創世記によって世界を観察しているにすぎない嘘つきだ、啓典の手先だ!」
「啓典が言う慈愛を信じるな、彼らがかばう弱者、寄留者たち、女たちを黙らせろ、奴らは厄介者だ! 奴らを抱えていると、大陸勢力に負けてしまうぞ! 厄介者の奴らを押しつぶせ!」
「社会に慈愛が失われたのは、慈愛を隠れ蓑にしている弱者たち、寄留者たち、奴らのせいだ! 奴らは、大陸勢力が作った裏切り者だ。我々はこのままでは大陸勢力に負けてしまう! 奴らを追い出せ!」
「やつらは、悪だ。彼らは、悪だ。我々は、正義の鉄槌を下してやらなければならない。ゆえに、我々は、彼等に対してどんな行動に出ても許されるぞ、いざ、鉄槌を!」
やがて、衆愚たちは、大勢が集まって互いに雷同し合い共鳴し合って、怒りと欲望のままに国家的な規模で動きはじめた。それはまるである種の進化だった。その先には、上位人類に従順な家畜人類になる道があった…
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このころ、泰然たちは忙しく活動していた。
この日、泰然は迎えの車とともに永田町へと出かけていた。妻の智子ばかりでなく、直哉もアリサも
、この日の泰然の帰宅が遅くなることは、あらかじめ知っていた。それは、この日漸く国内の民主勢力を結集し政治体制を確立できるはずの日だった。他方、この日同潤会住宅に、衆愚となった男たちが押し寄せた。
「出て来い、泰然。『民主勢力結集』などと戯言をいって、科学者や弱者、寄留者たちのような社会のごみと一緒に暮らそうと言い出すとは。泰然、お前も社会のゴミだ!」
「そうだ、排除してしまえ」
「殺してしまえ」
家の前でそのように騒ぐ男たちの前に、やがて妻の智子が毅然とした態度で外に姿を現した。
「夫の泰然は、ここにはいません。ご存じのように、いま彼はこの国家の体制をしっかりさせるために、大事な日を迎えています…したがって、ここにはいませんし、本日帰宅する予定もありません」
「なんだと!」
「今申し上げた通りです」
「隠しているわけではあるまいな」
「くどいですね....あなた方は私の申し上げていることを理解できないほど、愚かではないと存じますが、違いましたか?」
「......」
男たちは、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、しぶしぶ帰って行った。智子は、彼らを見送ると、すぐに泰然のこもる永田町からほど近い極秘宮へと出かけて行った。
それから少しばかり経った時、ふたたび同潤会の家を先ほどの男たちが訪ねていた。
「おい、泰然、やはりいるんだろ」
「泰然、出てこい」
妻の智子もすでに出かけて不在だった。今、家に残っているのはアリサと直哉だけだった。直哉は不安そうなアリサの顔を見つめると、意を決して、自宅の前で再び騒ぎ始めた男たちの前に出た。
「先ほどの皆さんですね」
「そうだ、泰然を出せ」
「先ほど、母がお伝えしたように、ここに泰然はいません」
「へえ、先ほどの女はお前の母親なのか? 泰然はずいぶん若い妻を持っているんだな....そうか、その女も家の中にいるんだな!」
男たちはそう言うと、電話でさらに仲間を呼んだ。
「おい、すぐに加勢に来い....こいつら、俺たちを愚弄している」
「そうだ…さっきから、こいつら、入れ代わり立ち代わりに出て来て、ごまかしている....泰然はきっとこの家の中にいるに違いない」
男たちはさらにいきり立っていた。直哉はひたすら説明した。
「ここに、父はいません」
「こいつ、馬鹿野郎だな...同じ言葉を繰り返すしか、能がない奴だ」
「こいつは泰然の息子だろう? そうか、泰然は息子が愚かな弱者だから、弱者などという社会のごみをかばい立てする考えを奉じているんだな......それならば、ちょうどいい、泰然の息子も社会のゴミだ、粛清してやろう」
「おう、そうだ」
「そうだ」
彼らはそう言うと、直哉を捉えると、そのまま家の中へと押し入っていた。
「家の中に、泰然と、妻もいるに違いないぞ」
「さがせ」
彼らは土足で家の中を歩き回り、その家の中に泰然も妻もいないことに気づいた。
「おい、奴の息子のいうとおり、ここに泰然はいないぞ」
彼らの一人がそう言うと、彼らはどこかへ電話をしている様子だった。
「ええ、そうです! 泰然は、おそらく永田町の近くにいるに違いないです....そちらで対処してください」
こんなやり取りを終えた後、他の仲間が奥からアリサを引っ張り出してきた。
「やつらの代わりに、大陸勢力の女がいたぞ」
「そうか、おお! 青い目と白い肌、大きな胸……極上の美人じゃないか!」
「じゃあ、泰然は何処に居るのか?」
「息子にしゃべらせろ!」
彼らは、泰然を見つけられないことに焦りを感じていた。彼らは、直哉とアリサを家の柱に縛り付けると、直哉を殴り始めた。
「おい、泰然はどこにいるんだ」
「し、知りません」
「へえ、しゃべれないのか」
その後、直哉は無抵抗のまま何度も殴られ、何度も蹴られた。それでも直哉は口を開かなかった。
「この息子、気を失ったぜ」
「このまま拷問を加えても、むだらしいな」
「そうだ、この大陸女を責めてやろう」
「そうだな、そうしてやろう」
彼らはそう言うと、悲鳴を上げるアリサと、その悲鳴で目を覚ました直哉の猛抗議にも拘わらず、アリサを後ろ手に縛り、彼女の服を引き裂いた。
「おい、見ろよ、やっぱり極上の女だぜ」
「や、やめろぉ!」
直哉の悲鳴のような声が上がった。同時に彼の身体に数人の蹴りが入った。
「ぐへえ」
すでに、直哉の身体は骨が折れ、全身は血が流れ、あざだらけ、ほとんど瀕死の状態だった。そして、彼の苦悶の声に重なるように、アリサの悲鳴が響いた。
「うう、いやあ、やめてえ だめえ」
瀕死の直哉の目には、引き裂かれた服が全てむしり取られ、あられもない姿をさらしたアリサの泣き顔が映った。
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少し遡った時、泰然と智子が極秘宮から永田町に戻ったところだった。そこに、彼らを待ち伏せていた群衆が押し寄せた。彼らは、同潤会住宅を襲った仲間から連絡を受けて、ここに集まった群衆だった。
「いたぞ、高橋泰然だ」
「捕まえろ」
「女も一緒だ」
「殺してしまえ」
狂暴化した大勢の群衆は、泰然の乗車した車をあっという間に包囲した。泰然を引き出した人間たちは、彼のおいた体を動かなくなるまで打ち、蹴り続けた。
「機動隊がきたぞ!」
別の車に乗っていた智子は、離れたところから大声を上げた。この声に、襲った人間たちはすぐに反応した。
「何、逃げろ!」
「高橋泰然をやったぞ...もうこれでいい…さあ、逃げよう」
人間たちは、こう言いながら現場から立ち去って行った。
智子や警官たちは、やっとのことで泰然のもとに駆け付けた。泰然は、すでに虫の息だった。
「あなた…」
「智子や、直哉が危ないぞ...直哉を助けに行ってくれ…くれぐれも直哉を頼む...」
泰然はこう言って、智子の腕の中で息を引き取った。
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智子が同潤会にある自宅に帰宅すると、そこには大勢の衆愚たちが入り込んで荒らしまわっている最中だった。
「あ、あんたたち、何をしているのよ」
「お前は?」
男たちは、一斉に声の主、智子の方へふり返った。
「お、お前は、泰然の妻じゃないか....泰然はここにいるのか」
「いないわ...あんたたちの仲間が殺したのよ」
「おお、それなら目的を完遂できたわけだ...引き上げてやるよ」
この時、瀕死の直哉とあられもない姿になったアリサとが、智子の目に入った。智子はどすの利いた低い唸り声を上げた。
「こんな風になるまで、何をした?」
「なんだそのものの言い方は! 女、だまれ! いい気になるなよ!」
「無抵抗の直ちゃんたちに、無力で従順な人間に、これほどの傷を負わせてまで、あんた達は何をしようとした? 何をさせようとした?」
「俺たちは、正しいことをしたのだ!」
「無抵抗の智恵あるものに、これほどの仕打ちをしたのか?」
「俺たちは、諸悪の根源たる高橋泰然の一味を、この世から断つのだ!」
「諸悪の根源? ほう、あんた達こそ、諸悪に連なる者であることを知るがいい」
男たちは、それにひるむことなく智子に声をかけた。
「なんだと。俺たちの正しさが分からないのか!」
「わからないわね、下衆ども!」
「ほう、女、そんな口を俺たちに聞くのか......それなら、お前も...この大陸勢力の女と一緒に、俺たちが可愛がってやろうぜ」
「そう、あんた達がその気なら、もう容赦はしないわ」
智子はそう言うと、一言、来たれ、と大声を発した。途端に、同潤会住宅の周囲から外の音が亡くなり、辺りは静かになった。
「あんたら、ここで滅びるのよ。群衆のあんた達にも、あんたたちに指令を出している魔族たちにも、背後に隠れている堕天使たちにも、私は言っているのよ...あなた達、此処で滅びるのよ、もう呪縛司が近くにまで来ているのだから」
その言葉に、数人の男たちが外を見ると、今まで市街地の明かりがあったはずのところに、巨大な黒い影が何体もたっているのが見えた。そして、家の外から四人の人影が乗り込んできた。それをみた男たちが、一瞬ひるんだところで、智子は倒れて動かない直哉へ駆け寄った。
「直ちゃん!」
「あ、母さん…僕は......無能で......無力だ....」
「直ちゃん、今はしゃべらないで!」
「いいんだ...僕は.......ゴホゴホ……滅びる……愚かで……グフ……何の役にも立たない虫けらだ」
「直ちゃん、しゃべらないで、お願い!」
「今…...告白して……おくよ.....智母さんに……グフ...ゼエゼエ…」
「わかったから、もうしゃべらないで……死んじゃう」
「いいんだ...…ゼエゼエ……僕は……フウフウ…おろかな虫けら......グフ…グフ...…せめて死してお詫びを…」
「直ちゃん!」
もう、直哉は身じろぎする力も残っていなかった。その彼を智子が抱き上げた時、男たちが声をかけた。
「まだ生きていたのか、それならとどめを刺してやるよ」
智子は男たちを睨みつけた。




