第2章 術師への道 6 呪縛司の来襲
初夏の近づいたこの日も、日が暮れるまでみっちりと授業が行われた。異術学院とは言っても、一般の高校と同程度の授業が此処でも行われていた。その上、異術も学ぶのであるから、授業が初夏の夕暮れまで続くことは当然のことだった。
そんな生徒たちの楽しみは、校舎併設の食堂の夕食だった。毎日の長い長い授業の後の、それは解放された平和な夕食時だった。
この時、得体のしれない影たちが学園に近づきつつあった。
「風が聞こえる…北の海から黒い影が来る」
最初に気づいたのは悠然だった。それは、皆が夕食を取り終え、各自の部屋へ戻ろうとする時だった。悠然は突然震えながら立ち上がり、北の丘陵地帯を指した。
「悠然、どうしたんだ? 北? 北から何が来るんだ?」
彼の様子を見た総一郎は、悠然の顔を一瞥すると、何か異変が起きると直感したのだろうか、一年生全員を先導して屋上に登っていった。
「みんな、様子が変だぞ……外の様子を見た方がいい……それも、高いところからだ」
屋上から西を見ると、その方向には小樽の町の光が見え、その先には暗闇が広がっていた。
「海からくるって?」
「そんなもの、見えないぞ」
皆が口々にそう騒ぐのを聞いて、総一郎はみんなに声をかけた。
「悠然は、『北の海から』といったんだぜ!」
一年生全員は北の丘陵地帯の方向を注目した。そこに、騒ぎを聞きつけて二年生や三年生、また教師たちも、屋上に上がってきた。
既に夜更けだった。月のない夜でもあり、丘陵地帯の山々が一部の星空を隠していることで、やっと山があることが分かるほど、深い暗闇だった。まだ、その方向には何も見えなかったが、低く吹き荒ぶ風の音が遠くから響いていた。
「黒い影が、あの方向からこっちに向かってやってくる」
悠然は、またも震えながら北の丘陵地帯を指さした。たしかにその山々の向こうには、海があるはずだった。教師たちも、生徒たちも、それを思い出したころ、山影すれすれの星々のきらめきが揺らめきの広がりに変わった。その揺らめきの広がりは、次第に4つの巨大な黒い影に分かれた。その4つの影は、まるで風を周囲に渦巻くようにまとってゆっさ、ゆっさと歩く巨人のようであった。その巨人たちの周囲の空間は、彼等が学園に近づくにつれて、いよいよゆがみを増していった。
「闇にまぎれて、北の海から奴らがきたんだ」
悠然のその言葉を聞いたときには、屋上にいた全員が何かがくる気配を感じていた。
「何が来るんだ?」
「多分、眼に見えない......いや、夜だから見えるかもしれない」
悠然がそう指摘した通り、そいつらは夜空の星空を歪ませることで、ぼんやりと全体像が見えるほどになっていた。全体像が見えたせいだろうか、悠然はこの時になってやっと落ち着きを取り戻した。
「あ、見えた」
「あ、あれだ......巨体をゆっくりと動かして、山を一跨ぎしている......あと少しで、ここに到達するぞ」
生徒たちが騒ぎ始めたのを見て、孫建永学院長は刈谷伊一郎教諭に指示を出した。
「あれは魔族のように見える....我々を襲うつもりなのか......応援を頼もう、関係機関に支援をたのもう」
「はい、それでは至急......」
全員が屋上にいたため気付かなかったのだが、校舎全体が停電で真っ暗になっていた。伊一郎は、手持ちの照明で足元を照らしながら、職員室に走りこんだ。しかし、受話器を取ってみると、有線特有の信号音は聞こえなかった。携帯機器の電話も、電波が来ていなかった。伊一郎は、急いで屋上の学院長の許に、携帯機器を抱えながら戻ってきた。
「学院長、連絡がつきません......有線は不通のようです......携帯機器の電波も来ていません......」
「仕方ない、我々配下の者達だけで戦おう......関係機関は連絡しなくても、ここで戦いが始まれば、彼等も気づいてくれるだろう......そうすれば、彼らは来てくれる」
建永は、学院長らしく落ち着いて答えてみせた。それは、周囲に対して言い聞かせる言葉であり、また自らを納得させる言葉だった。彼は教諭たちから学院関連の工作員たちに連絡を取らせ、急いで迎撃態勢をとらせることとした。
すでに、屋上にいる教師や生徒たちは、丘陵地帯から近づく4つの黒い影をはっきり目にしていた。悠然は声を震わせながらも、眼に見える4つの相手が幻影のようなものだと考えた。
「あの4つは、巨大な妖怪か幽霊、魑魅魍魎の類に違いない」
「そうか」
その声とともに、その影めがけて何かを投げつけた者と、その影にとびかかるように飛躍した者とがいた。無数の剣を投げつけたのは、忍術使いの刈谷総一郎だった。また、飛躍してとびかかって行ったのは、命知らずの趙虹洋だった。
「それなら、俺も仙術で援護する」
彼はそう言いながら、曼荼羅華厳を詠唱しつつ両手で何かを操作するように動かすと、彼の頭の上に、巨大な白い影がいくつも現れた。それらの白い巨兵は、総一郎と虹洋の二人をバックアップするように立ち上がった。それは、影に対抗するために、仙術使いの釈悠然の作り上げた力場が形作つた、大きな白い兵士だった。
「手ごたえがない!」
「ふきとばされた!」
虹洋と総一郎の叫びが聞こえると、彼らは飛ばされるようにして飛び出したはずの屋上の床に叩きつけられた。悠然は、それを確認すると、作り上げた巨兵たちに4つの黒い影を襲わせた。
「黒い奴らを圧倒しろ!」
悠然の作り上げた巨兵たちは、そのまま黒い影に襲い掛かって行った。それを敵と認めたのか、黒い影4体もまた向かってきた。巨兵たちは一つの影に襲いかかると、その影はふっと消えたように見えた。だが、残りの影3体は、相対峙した巨兵たちを囲んで押しつぶすと、巨兵たちを造りだした釈悠然を睨んだように見えた。
「や、奴ら、俺を睨んだ」
悠然は恐ろしくなって、教師たちの後ろに駆け込んだ。他の生徒たちは、本来ならば二年生級の術力のある三人が退けられたのを見て、動揺して屋上から逃げ出した。
「関係機関はまだ来ないのか? 小樽の街の中からは、この戦闘が見えないのか?」
学院長は、いらだちを表わしながらそう叫んだ。ちょうどその時、校舎周辺に展開を終えた工作員たちが、異術を4つの黒い影に向けて発揮しはじめた。
工作員たちは、もともとこの学院卒業のエリート異術師だった。彼らはこの時黒い影の正体が何であるかはわからなかったけれども、それらを阻止するために、悠然の作り上げた巨兵よりも多数の巨兵たちを発動した。巨兵たちに因って、黒い影は4つとも吹き消されるようにして消え去った。同時に、学院長は丘陵地帯のひとつの丘の上に4人の人影を見つけていた。学院長の見た4人は、白い馬に乗った者、赤い馬に乗った者、黒い馬に乗った者、そして青白い馬に乗った者たちだった。
彼等は騎士の姿のまま、聞いたことのない言葉で何かを唱えていた。
相手が馬に乗った人間に見えた時、ふたたび総一郎が挑み、虹洋が加勢した。しかし、ふたたび彼らは雷撃のようなもので簡単にはじき返された。仙術の使い手である悠然と教師である父紫陽が二人で挑み食い下がったが、彼等もまた弾き飛ばされた。
これらの様子を見た学院長は、ほかに体力増強を行った直哉や虹洋たちとともに、挑みかかった。
「奴らは、電撃を飛ばして来る......それならば、私がおとりになる......その間に、君たちが直接打撃を彼らに与えろ」
学院長はそう言うと真っ直ぐに切り込んでいった。彼の激しい動きは、彼らに隙を作った。その時、直哉と虹洋の鋭い一撃が4人の身体に届いたように見えた。だが、この時学院長は彼らの正体に気づいた。
「二人とも、戻れ......奴らだ、奴らはここを呪縛で覆うために来たんだ」
学院長は、何か危険を予期したのか、直哉と虹洋を引き戻した。二人はしぶしぶ学院の敷地に戻った。
「なんですか、それ? 呪縛って呪いのことですか」
直哉が学院長にそう訊ねた。学院長は4人の人影を睨みつけながら説明した。
「単なる呪いではない......あれは、太古の時代、人間のなしたことで、大地が呪縛を受けたことがあった。大地が受けた呪縛は、吹きかけられた全てが火炎地獄の滅びに運命づけるもの......この世を創造したと言う奴が、太古の時代に『人間が罪を犯した』との理由ゆえに、大地に呪縛を吹きかけたのだ...今や、世界各地で、そいつの先兵たちである呪縛司たちが、その呪縛を意のままにその手で引きずって吹っかけまわっているらしい」
「呪縛司......それならなんとかしないと」
直哉はそうつぶやきながら、屋上から地上へ階段を駆け下りて行った。
4人の呪縛司は、ゆっくりと学院めがけて再び迫り来た。その姿が学院のすぐ近くに達したのを見て、教師たちは互いに目で合図をし合い、学院長たちや工作員たちと合流するために地上へ階段を駆け降りて行った。
4人の呪縛司は、馬に乗ったままゆっくりと学院めがけて進軍してきた。学院からは、4人めがけて雷撃や光の矢などが目もくらむような強度で浴びせられた。だが、4人はそれをものともせず、彼らの口から飛び出したように見えた無数の剣、実際には何かの言葉が浴びせられ、学院の周囲に展開していた工作員ばかりでなく、学院長たちまで全員が金縛りにあった。
4人の呪縛司達は、これらを確認すると、学院の立っている山に打撃を加え、山体崩壊を起こした。彼らは、それによって、学院の裏にあったラブホテルのような尋問施設を破壊したのだった。
「おぞましき、多数対多数の淫行、見るに耐えず」
「大地を呪った神聖なる呪縛を、ここにいる悪を行う者たちに対して絡めさせる」
この時、金縛りにかかっているはずの学院の中から、一人の男子生徒が飛び出して、4人の呪縛司の前に立ちはだかった。いや、立ちはだかるというには、その男子生徒はあまりに貧弱だった。
「僕を受け入れてくれた学院を壊すなんて、許さない!」
その声は直哉の叫びだった。彼の言葉は、あまりに無謀に見えた。直哉自身、怖さで足が震えていた。それでも、彼は4人の呪縛司めがけて大声を出し続けた。
「ここには僕の仲間たち、家族たちがいるんだ」
「吹けば飛ぶような虫けらが、何を言う」
呪縛司の一人が、直哉に向けて嘲りの言葉を投げた。それに続けるように別の呪縛司が呆れたように言葉を投げた。
「この少年も、この学院の生徒だな」
「誰が出て来たかと思えば、無力な少年ではないか......金縛りにあっても動いている人間であるから、どんな奴かと思えば、心は卑屈で無知そのもの......無知ゆえにここにしゃしゃり出て来たのか?」
「そうであれば、この少年も、この学院とともに大地の呪縛に掻き入れてしまえ」
「いっそのこと、全員をこのまま全滅させるの言うのも、一案だ」
呪縛司達は、こうして仲間内で会話をする余裕を見せながら、直哉の扱いを好き勝手に議論した。その後、彼らは直哉の不意を突くようにして、直哉めがけて電撃を放った。
直哉は雷に打たれて体がはじけ飛んだ。周囲には、肉の焦げたような煙が立ち上った。さらに彼らが直哉に向けて電撃を放った時、全ての電撃を弾き飛ばした者がいた。
「誰だ!」
そこには、ちょうど少女が直哉をかばうように立ちはだかっていた。
「お前は誰だ!」
呪縛司の一人が叫ぶと、少女が大声で応えた。
「私を忘れたの? 小樽で彼が襲われていると聞いたから、此処に来てみたのよ。そうしたら、強力なあなたたちが4人でこんな無力で小さな少年を叩いているなんて!」
この時、少女の顔が何かの光を受けてあらわになった。
「あ、貴女は!?」
それは蒼井智子だった。
「ま、まさか?」
4人は驚いて口々にそう言った。智子は彼らを睨みつけたまま怒りをこらえていた。
「私です」
「な、なぜ?」
「まだわからないのですか?」
「は、話が違う」
こういうと、4人の呪縛司は戸惑いつつ去っていった。激しい戦闘の後に残ったのは、とりあえず無傷で残った学院の建物と、重傷を負って学院の建物の周囲に倒れこんだ教師と生徒たち、そして大やけどをした直哉だった。




