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第2章 術師への道 4 初めての授業 飛躍のための秘薬

 入学式の次の日となった。直哉も梓晴も晴れて謹慎が解かれ、ほかの一年生たちとともに、指定された教室に集まっていた。そこには、直哉と梓晴や新入生の他に、進級のはずが落第した刈谷総一郎と釈悠然、趙虹洋がいた。

「あれ?」

「おっ?」

 直哉と総一郎は互いに相手の顔を見て驚いて凍り付き、次に互いに不思議そうな、また敵意を思い出したという顔をした。虹洋は、というと、直哉が以前にあった彼女自身や総一郎、悠然の名前をはたして覚えているかどうか、疑っていた。

「おい、高橋直哉!」

「ええと?」

「私は趙虹洋だ」

「そうそう、虹洋だったね、覚えているよ」

「何を覚えているの?」

「入学前にこの学院に来た時に、小樽駅から案内してくれた時のこと、それから車でひっくり返ったところを僕が助けたこと......お互いに、これで貸し借り無しかな」

「ああ、そうだな」

「なんだ、虹洋、そんなことがあったのか」

 虹洋の様子を見て、意外そうな表情とともに問いかけたのは総一郎だった

「へえ? 虹洋が助けられたのか? へえ? それなら、お前、俺のことはおぼえているか?」

「あんたたちは、なぜここにいられるんだろうか?......僕の智姉をさらおうとした敵工作員のはずだったが? 虹洋がいるのと同じ理由なのか?」

「まあ、そうだ......俺たちはお前に反撃されて失敗した…お前の不意打ちのせいで、俺たちはたまたまやられちまっただけだけどな...その失敗の後、俺と悠然は大陸勢力の工作員たちに追われて此処に逃げこんだのさ」

 総一郎と悠然とが直哉と話していると、虹洋は直哉の横で黙っている梓晴に眼を向けた。

「あんた、朝から直哉と一緒にいるけど、何者?」

 虹洋の問いかけは、ずいぶんと皮肉がこもっていた。その問いかけに梓晴は少し微笑んだように見えた。嘲笑だったのか、余裕を示した微笑だったのか、友好の微笑だったのか、それはわからなかったが、そのほほえみは虹洋の癇に障った。それを確かめながらなのか、梓晴はすぐには答えなかった。

「ええ、そうですね、私は直哉と夫婦寮から来ました」

 この答えは、虹洋や総一郎のみならず、クラスメイト達全員に大騒ぎを起こした。

「夫婦寮? 夫婦?」

「あんた達、16才だろ? それなのに夫婦なのかよ」

「噂では、夫婦寮に一年生が二人入居したと聞いていたけど」

「僕たちは、なぜか夫婦だということで、夫婦寮に入れられたんだ。ある施設に間違って入ってしまったために、謹慎処分を受けて二泊したけど、僕は何もしなかった」

「そうか、それでは、結婚しているのに、なぜ何もしなかったのか?」

 総一郎がそう問いかけた。彼にしてみれば、若い女性と一緒に夜を過ごせば、それに結婚もしているのであれば、二人の間に何かがあるはずだった。ところが、直哉は涼しい顔をしながら平然と答えた。

「そうだよ......夫婦寮では、美しい神聖な女性、林梓晴と一室に閉じ込められてしまった。それは苦しかったぜ。何せ、そのように閉じ込められてしまうと、僕は女性に触れることはおろか一緒にいることに耐えられないからな。その代り、この学び舎では放課後まで解放されている。この時間だけはみんなと過ごせるからね」

「え? 結婚しているはずなのに、手を出さないの?」

「結婚なんかしていないのかしら?」

 女子生徒たちは、そう言いながら、直哉の周りに集まり始めた。その様子を見た総一郎は、直哉の弱みを見つけたと思ったのか、直哉に大声で詰った。

「へえ、夫婦なのに手を出さないところか、一緒にもいられないのか? ヘタレだな」

「なんだよ、ヘタレとは。総一郎、お前こそ、まさか、あんたが僕の立場だったなら手を出すというのか? そんなひどいことをするのか?」

 直哉はそう言うと、総一郎を睨みつけた。総一郎は軽蔑の目を直哉に向けた。また、周囲も直哉に憐みの眼を向けた。このとき、梓晴は、少し離れたところから直哉を改めて見直していた。

「そう、高橋直哉は、私を大切にしてくれたのね」


 こんなひと騒動が朝にあったのち、このクラスの初めての授業が始まった。それは、全ての学びの基礎となる観察実習だった。

「さて、みんな......今日から本格的に授業が始まることになる」

 この声とともに、教室内はざわつき始めた。

「静かに! 第一時限は全員で外に行く......フィールドワークではないが、観察の基礎を学ぶ観察実習だ」

 クラス全員が校庭にでると、校門や境界の先にはすぐに森林が迫っていた。この学院は丘にあるために周囲は鬱蒼とした森林があり、ところどころに遊歩道や広場があった。

「いいかね、この自然環境内で、君たちは、また地球環境を構成する大気圏、水圏、岩石圏に含まれる様々な物質を感じ取るんだ......地球環境内で起きている様々な化学反応、そして化学反応の高等な平衡反応でもある様々な生命活動を観察しなさい......さあ、皆、それぞれ好きに展開しなさい」

 こうして、教師の釈紫陽に促されると、一年生たちは散らばっていった。

 季節はちょうど春だった。林の中や開けた空き地、また池や草地。その様々な所で、ある昆虫たち、猫たち、様々な獣たちは恋の季節を謳歌していた。春になってから交尾して子孫を増やすギフチョウ、糸蜻蛉などの虫たちもいた。

 虹洋は、それらを見ながら、ふと近くに直哉がいることに気がついた。彼女は、何かを考えついたように、直哉に近づいた。

「今が春ね」

「ああ、花は咲いているし、様々な虫が恋人を追いかけ始めているしな」

「虫たち、猫たちも春の真っ盛りね」

「虫たち? 猫たち? どうしたんだ? ぼくの目の前には、そんな光景は見えないが...」

 直哉はこう言いながら、虹洋の方を振り向いた。彼女の手前では、イトトンボのオスとメスがちょうど交尾している姿が見えた。また、彼女の向こうには、ちょうど恋をして互いにじゃれついている猫たちの姿があった。

「彼らは、今、恋をして、交尾して、子孫を残すのね」

「そうか、春とはそういうことだな」

 直哉は虹洋に顔を向けてそう答えた。虹洋は、彼の表情を観察しながら、つづけた。

「でも、彼らは雄雌の間でキスはしないのよね」

「雄雌のキスって何?」

「やっぱり......貴方、キスを知らないのね?」

「しっ、知っているさ。父や母たちが、子供にする愛情表現だろー」

「じゃあ、愛し合う男女のキスは?」

「あ、あ、知っているさ。愛し合う男女のキスは、二人が一緒に気持ちくよなるために必要なことだろ? ただ、どうやるのかは......知らない......」

 直哉が返事した際の声は、だんだん小さくなった。だが、その代わりに、彼の反応の意味は破壊的だった。


「え?」

 周囲にいたクラスメイト達が、驚いたように直哉を眺めた。

「知らないの?」

「男女のキスを知らないの?」

「好きな人と、キスしたことがないの?」

 皆の反応に、直哉は知ったかぶりを続けた。

「い、いや、知っている! 知っているさ!」

「じゃあ、あなたは何処にキスするの?」

「もちろん頬だ」

「ねえ、ディープキスって知っている?」

「ああ、深い愛情を表すキスだ」

 直哉は知っていると主張し続けていた。ただし、その答えは直哉がキスが何か、そして愛し合う男女がキスの後にさらに何をするのかを、一切知らないことを明らかにしてしまった。しかし、16歳にもなって手遅れになった男子生徒に、いちからどのように教えるかなど、誰も考えられないことだった。

 しかし、教師の紫陽は、その義務感からか、なんとか直哉を導かなければならないと考えた。

「先ほども触れたけど、虫たちは、恋をして、交尾して、子孫を残すよね」

「はい」

「人間も交尾をするんですよ」

 紫陽の説明に、直哉は衝撃を受けた。彼の顔は次第に驚きから絶望したことがあらわになってきた。

「な、なんですって?」

「そうじゃないと、子供ができないでしょ?」

「え?」

 直哉の絶望と驚きの混じった表情に、周囲ももはや憐れみとも、奇異とも言えない目で彼を見つめた。また、全ての娘たちから見れば、もう彼を相手に夜をともにすることはおろか、彼とどんな会話できるのかさえ、想像できなかった。

 ただ、 彼は、女性には触ってはいけないと考えているだけだった。梓晴に至っては、入学式直前のあの一夜の出来事に納得しつつ、その後、一緒に彼と同室で暮らす間、彼が彼女に触れなかった本当の意味を悟り、彼に安心感を持ちつつ、彼を少々憐れんでいた。

 だが、教師の紫陽からすれば、結婚によって愛の結晶である子供が妻から生まれることによって、妻に与えられる負担を、夫になる男が分かっていないことは問題だった。

「高橋くん,貴方は子供がどのようにして生まれるか、それが妻にどんな負担を与えるかを認識せずに、林梓晴さんと結婚していたのですか」

「いや、結婚て、それは......」

「貴方はすでに夫婦寮で暮らしている。それならば、その暮らしも学院内でのことになる。すなわち、これは学院長にも報告しなければならないことです」

 教師 紫陽の言葉に、直哉は顔を蒼くした。だがその時、梓晴が間に入った。

「待ってください......彼は、私を大切な存在として扱ってくれています……だから、彼の横にいることとで、いつも安心していられるんです……これからも、ずっと彼の横にいたいとさえ、今は考えています」

「しかし、高橋くんは林さんと結婚していながら、結婚の意味ともたらされることを分かっていないまま、結婚生活を続けていたのですか? そんな無知なままで高橋くんは林さんを好きに扱っていたのですか?」

 紫陽は直哉と梓晴とを見つめながら、困ったという顔をしながら指摘した。直哉はその顔の表情にめげずに続けた。

「僕が梓晴を好きに扱っていた、なんてこと、ありません! ぼ、僕と梓晴は確かに夫婦寮に入れられています。しかし、僕たちは二人とも、いや少なくとも僕は彼女にふれたことはありません」

 直哉の訴えに、梓晴も続けた。

「私と彼は、今まで夫婦寮で暮らしてきました……結婚だって私なら知ってます......私が彼にボディプレスをして、口と口とで交わすキスをすることで子供ができることだって、私は知っています……彼は、それを知らなかっただけです……それでなくても、彼は私と二人きりの時に、とても紳士的でした......それに、子供を産む側の女である私が、彼にキスを教えれば、先生の指摘された、女の苦しみを知らない男の問題は無くなるはずです」

 これらの反論を聞いた紫陽は、直哉と梓晴の訴えたという姿勢ではなく、彼らが語った内容を問題にした。

「ちょっと待て、キスで子供ができるだと?」

 これには、周囲の生徒たちが呆気に取られて

「え? キスで子供ができるの?」

 周りが騒然となった時、教師の紫陽は再び指摘した。

「高橋くんだけではない、林さんも、結婚した男女の夫婦生活の本当の姿を知らないのか....夫婦寮に入っているのに、結婚生活をしているはずだというのに、まぐわいを知らないとは....特に高橋直哉君は重傷だ。学院長に報告したうえで、学院に入るまで彼にどんな教育をしたのか、家族にも聞いておく必要がある」

 こうして、観察の実践講義は、それぞれの生徒たちがどれだけ無知であるかをあらわにした。特に、直哉、そして梓晴までが手の付けられない無知であることが判明した。

____________________


「問題なのは、彼らが結婚もしていないのに夫婦寮で数日の夜を過ごしたことです。もちろん、我々も彼らが結婚していると思い込んだところに、誤りはありました。謹慎処分もありましたから、数日間二人だけで閉じ込めたことも、此方の誤りでした。しかし、この事態で判明したことは、もっと深刻なことでした。高橋直哉君は....あの……恋愛も、男女のお付き合いの仕方も、結婚も、一切知らないまま、16歳になっているのです。たまたま、同室だった女子生徒も、高橋くんと同じ程度の知識しかなかったので、問題は起きなかったのですが…あなたは高橋くんのご家族だと聞きました...苗字が違うので、おそらくは再婚した者同士の連れ子だったのでしょうか......それにしても、これは困った事態です。彼は、女子生徒も含めたクラスメイト達を相手にして、様々な術を体得する学びをするのですが、女性に触れられないなどということでは、この学びに非常な困難を伴います……ご家族として、どのようにお考えなのですか?」

 がっしりとした体格の孫建永は、時折頭を抱えたり、両手を挙げて天を仰いだりしながら、直哉の抱えている問題の深刻さを説明した。それを聞いていた蒼井智子は、顔を真っ赤にしながら黙っていたが、やっと直哉の周囲の事情を説明し始めた。 

「直ちゃんには、家族はお父さんと継母である私の母と、私しかいません……彼の実母が亡くなったあと、彼の父は激務で彼が生まれてからほとんど彼と接触していませんでした.......実質的な家族は、私だけでした......でも、私と直ちゃんは喧嘩はしますけど、誰よりも長く一緒に過ごしてきましたし、今も固いきずなと信頼で結びついています……だから、今、直ちゃんにそんな問題があるなら、家族の問題でもありますから、私が何とかします」

「そうですか.....それなら.......あの、蒼井さん、あなたが保護者変わりだというので、あなたにお尋ねします。高橋直哉君は、まぐわいを知らないらしいですね」

「あの、とても下品な言い方ですね、せめて「愛の交換」というべきです」

「蒼井さん、もう一度お聞きします。そんな調子では、彼には具体的なことは教えてなさそうですね。今まで、直接的な表現や直接的な行為を避けて、単に抽象的なことを彼に教えていたのですか」

「だって、彼は私の二歳下、家族も同然です…いつかは、家族たちで教えるつもりでいました…すでに彼は私の身体をよく知っているし、私は彼の身体をよく知っていますし...…ただ、彼は逃げ回っていたんです」

「な、なんと?」

「彼に教えようとすると、彼は受け入れてくれませんでした.......彼を裸にして上に乗っかっても、彼は自分の股間の変化に驚き、私の身体に驚いて、逃げ出してしまうのです」

「あの、教え方に問題があったのでは?」

 教師がそう指摘した。すると、

「でも、十分な知識を与えた後ならば、後は実地で学んでいくことが普通では?」

「そうとも言えるね……フーン......それなら、縛り付けて逃げられない様にしましょう…そうすれば逃げられないでしょうから.......そう、それなら最適な所がある」

____________________


「ここは、入学式の前日、迷い込んだところだ」

 夜になって、直哉は、両手両腕を拘束され、学院長と同様にがっしりした係員たちに抱えられて、ここまで運ばれてきたのだった。どこで解放されるのかわからないまま、直哉は中へ、奥へと運ばれていった。

 奥の一室に運ばれると、直哉は束縛から解放された。だが、代わりに、全ての衣服がむしり取られたうえで、ダブルベッドの上に寝かせられた。彼の手足は、学院の秘薬、いや秘術とも呼ぶべき術によって、しびれて動かすごとができなかった。ただ、全ての感覚は研ぎ澄まされており、口も利ける状態だった。

「高橋くん、君は十六歳になるまで、一般に性教育と呼ばれている学びを受けて来なかったらしいね…いや、それを拒み続けて来たというじゃないか…だが、学院では女性を含めたクラスメイト達とともに、様々な術を学ばなければならないんだ....ある時には生身の女性、つまり女子生徒たちも相手にすることがあるんだ…ところが、触ることすらできないという君の問題点があっては、君はクラスメイト達と共に学ぶことはできない…学院の学びは、対人術であるからには、人と接触することは避けられないことなんだ....幸い、君のご家族がその点について、責任を取ってくれるということなので、学院は場所を提供することにした......秘密の特訓らしいから、学院は手を出さないがね....じゃあ、君のご家族に任せることにする」

「ま、待ってください....僕の家族なんていません……僕の家族は、すでに亡くなった母親だけです。父親とその連れ合いたちは確かにいますが、彼らは単にそれだけの存在です」

「そうか、君はそうやって何もかも拒んできたらしいね…ただ、年貢の納め時だ、君の家族が責任を取ってくれるらしい」

 学院長はそう言って、部屋から出て行ってしまった。


 しばらく時間があった。縛られてはいなかったが、術が効いているせいで体が動かせなかった。初めて知る感覚だった。そんなことを考えながら、なんとか逃げ出そうとしているとき、カチャッというドアを開ける音とともに、きぬずれの音がした。

 直哉は、直哉の家族が責任を取って教育をすると聞かされていたこともあって、父親の高橋泰然が此処に来るのだろうと思っていた。だが、目の前に現われたのは、頭から肩そして足元を覆う薄く大きなベールだけを身につけた、智子だった。

「智姉?」

「直ちゃん、ここではもう逃げられないから...今まで、私が教えてあげようと思ったすべてを、ここで教えてあげる」

「な、なにを教えるって?」

「直ちゃん、女の人のこと、何にも知らないでしょ? 知ろうともしなかったし......逃げてばっかりいたし......でも、ここでは逃げられないからね……私が一晩駆けて、じっくり教えてあげる」

 いつの日だったか、直哉が学問の一切できなかった中学生の時、似たようなことがあった。彼女が示す様々な部位や姿勢に関連させて、中学で教える内容を全て身につけたことがあった。ただ、今回は、そんな学習などではなく、彼女の示す部位や姿勢そのものを目にし、触れて、さらには扱い扱われる学びだった。いや、学びというより経験、といったほうがいいかもしれなかった。だが、それは直哉にとっては、彼にしかわからない恐怖を存分に味わうことだった。

「や、やめて、やめてくれ、お願いだから……」

 彼の声は、小さく震えていた。そして、その声さえも、智子の唇で押し消された。こうして、直哉の再教育が再び行われるのだった。ただ、我々はこれ以上何が行われたのかを知る必要はない。大切なことは、彼が、女性に対して持っていた未知への恐れの心が、女性自体を神聖視する段階になったということ、つまり女性恐怖への第一段階に至り、ある種の能力を得たということであった。

 ただ、それでも彼はまだほかに問題を抱えていた。彼は、愛する家族、愛する伴侶という意味が分かっていなかった。

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