第2章 術師への道 3 夫婦寮
「学院長、誤解です」
直哉と梓晴は、同時に声を出した。だが学院長の孫建永は、二人の反論が耳に入らなかった。
「お、お前たちは、まだ人生を短く歩んできただけなのに、こんな大それたことをするのか?」
「お言葉でございますが、僕たちはここまで長い道のりを一緒に歩んできました!」
直哉は、昨晩、苦労の末にやっと学院の施設にたどり着けたこと訴えた。
直哉の説明した内容は、正しかった。ただし、いろいろと端折っているために、誤解を与えかねなかった。梓晴はというと、この直哉の訴えている事情と、学院長の言っている指摘とを、一応理解していた。ただ、彼女は日本語の理解がまだ追いついていないのと、直哉が一生懸命に訴えていることによって何とかこの事態を抜けられそうと感じたために、敢えて口を挟まなかった。
他方、学院長は、直哉の声の鋭さで気圧されていた。
「そ、そうなのか。じゃあ、二人が、あそこで絡み合っていたとしても、無理はないか......」
直哉も、梓晴も、昨夜の二人の疲労困憊を理解してくれたのだと喜んで、思わず互いに顔を見合わせて微笑んだ。だが、次の瞬間二人とも昨夜のことを思い出して、顔を赤くしたのだった。学院長は、この二人の反応を、初々しいと感じ、二人がまだ新婚の夫婦なのだと誤解し、嘆息していた。
「お前たちは、まだ若いのに、そんなことになっていたのか......だが、不注意で間違ったコースを進んだことには違いない……もたらした事態も重大だった......それゆえ、お前たち二人は入学式にでることは許可できない......授業が始まる日まで、二人とも謹慎だ......部屋から一切出られないように鍵を閉めるから、そのつもりでいろ」
学院長はそう言うと、二人を条件付きで解放してくれたのだった。この反応に、直哉たちは『若いのに、疲れ切ってしまったのかい』と言われたと誤解した。もちろん、学院長は『若いのにもう長い付き合いをして結婚に至っていたのか』という意味で嘆息していたのだった。
直哉と梓晴は、事務員ふたりによって厳しく監視されながら歩いていった。男子寮が過ぎ、そして女子寮も過ぎていくと、二人が案内されたのは、丘の林に囲まれたある小さな寮だった。いくつかの部屋に明かりがともされており、すでに誰かが生活していることが感じられた建物だった。そして、一つの部屋の前に来ると、こう説明した。
「ここは、この広いベッドのある寝室、それとは別に机が二つある小さな勉強部屋が備えられている......もちろん、バストイレ付きだ」
「え、こんな広いところを使っていいんですか」
直哉は、うれしさを爆発させた。事務員たちは複雑な表情をしながら答えた。
「あ、ああ、そうだよ......学院長のご配慮に感謝しろよ...さあ二人とも中へ、私たちについてきなさい」
こうして、事務員二人は梓晴と直哉を部屋の中へと案内すると、二人分の教科書類、説明書類を部屋の中央に置いた。
「じゃあ、これで失礼するよ」
事務員二人はそう言うと、ドアの外へと出て行った。その後を梓晴も付いて行こうとすると、彼女は事務員二人にドアの中へと押しとどめられて、ドアは外から鍵を閉められてしまった。
「あ、あの、どういうことですか? 私の部屋はどうなっているんですか?」
「どうも、こうもないよ。二人は新婚なんだろ? だから、その部屋で二人ともしばらく謹慎だよ...一切部屋の外に出られないから、そのつもりで! じゃあ、失礼するよ」
「あ、ちょっと待ってください!」
梓晴の抗議の声は、事務員二人に届かなかった。梓晴は、まだ事情を呑み込めていなかった。居室の奥では、直哉が独り言を言いながら、まだ歓声を上げ続けていた。この時になって、梓晴は高橋直哉という人間について、言うこと為すこと理解することがいい加減であり、その結果がとんでもないことになるということを、いやという程認識した。いずれにしても、こうして二人はこの居室に閉じ込められてしまった。
直哉は、まだ歓声を上げ続けていた。
「この部屋はすごいなあ、トイレ付きは当然だが、バスルームがアクリル製の透明な壁で、バスルームの外を監視できるんだな、つまりは泥棒を監視できるということか!」
「あ、あの、高橋直哉さん?」
「え? 林梓晴さん、だっけ、なぜここに残ったの?」
「私たち、ここに閉じ込められちゃったようね」
「え、なぜ?」
直哉は女子生徒が同室になったことが分かり、途端に顔が真っ青になった。
「ど、どういうことだよ?」
「私にもわからないわ」
「そ、そこに、『部屋の使い方、注意点』と書いてある冊子があるぞ」
「え? これね……ねえ、この冊子にによると、ここは『夫婦寮』だって!」
「え? 夫婦寮? なんだそれは?」
「結婚した男女が一緒に住む寮でしょ!」
「け、結婚? なんだそれは?」
「結婚て、あの、夫婦として、一緒に過ごすことよ、例えば、食事をとる時とか、お出かけする時とか、お風呂に入るときとか、寝るときとか、いつも一緒に過ごすのよ」
「一緒に入るのか? 一緒に寝るのか? そ、そうか、だからベッドが広いのか...」
「それから、夫婦生活をするのよ」
「なんだ? その夫婦生活って?」
「あの、だから、二人で手を取り合って、キスして、それから体を重ねて一体になって......」
「体を重ねて? 一体になる? どういうことだ?」
「し、しらないわよ」
「でも、一体になると言ったのは、あんただぜ。知らないことを言うのか?......ぼくは、啓典で読んだことがある....しかし何のことやら?」
梓晴は、黙っていた。直哉は独り言をつづけた。
「あの時も、何のことだか、さっぱりわからなかった、母も父も教えてくれなかったし、智姉は聞いても教えてくれなかった......」
「あなた、それで高校生になったの?」
「あ、ああ」
「そ、そうなの? じゃあ、女の子と一緒に過ごしたことは無いの?」
「あ、あるさ! 智姉は優しいから耐えられた....でも、それは僕の望んだことじゃあなかった」
「耐えられた? 望んでいない? 貴方は女の子をどんな風に考えているの?」
「そんなことは小さい時からちゃんとわかっているさ……触ったら壊れてしまう、絶対不可侵の神聖な存在だ」
これを聞いた梓晴は、思わず笑った。それは安心感からなのか、苦笑なのかはわからなかった。
「フーン、そんな理解なら、それでもいいわ……謹慎が解けるまで、何とか過ごしていきましょ」
「ああ、そうだな」
二人は、こう言い合いながら、それぞれにあてがわれた机やタンスに、自分の持ってきた荷物をしまい込むのだった。
夜になった。二人はここまで極力互いに干渉し合わないように、互いに気を使いながら過ごしていたのだが、シャワータイムになってから、梓晴は浴室が透明な壁に覆われていることに戸惑っていた。
「あ、あの、シャワールームなんだけど」
「ああ、あんたが使っているときは、中を見ないさ」
「貴方が中を見ないと、言えるかしら? しかも毎晩のことよ! 約束されてても、それが守られる保証は無いわ」
「ああ、そうだな.......その透明な壁については、僕に一案があるんだ」
直哉は、サンドブラストでアクリル板を浴室の中から曇りガラスのように細かい傷をつけることで、アクリル板を不透明化処理をした。この処置を見て、梓晴も納得した。
「そうね、これだけ曇っていれば、見えないわね……じゃあ」
「安心して、シャワーをどうぞ」
直哉は、自らが曇処置したアクリル板を見つめた。ちょうど、浴室の中からは鼻声とともにシャワーをかぶり始めた梓晴の雰囲気が伝わってきた。
ざざー、ざざー。浴室では梓晴が激しい湯量でシャワーを振り回すように使っていはじめた。それが、直哉にとって慌てさせ、自信を失わせる事態をもたらした。
「中の、この姿は何だ....え、は、裸の姿? これはまずい……そ、そうか......水がかかると表面が平らになって透明になるのか? だが、水が落ちれば再び曇る.......それなら見なければいいんだ...」
こう言って彼なりに納得したものの、それで解決する問題ではなかった。
「それなら、こちら側の明かりを消そう」
だが、これはまた、浴室の様子をさらに浮かび上がらせた。そうか、
「こ、これはいけない......だが、もうどうしようもなし……」
直哉が浴室を使う番になった。彼は身を縮こまらせてシャワーを使うのだった。
「ベッドは一つしかないのよ......ここから、此方に入ってこないでよ」
就寝時間となった。こうして、互いに二人は気を使いながらベッドで就寝した。
夜は更けて、丑三つ時となった時だった。どこか遠くから、いや、窓の外のどこからか、女の悲鳴のような声が響いてきた。時々、...何かを脅すように切れ切れに響く高い声、それと一緒に狼のような太い声も聞こえた。
「ねえ」
梓晴が、深く眠っている直哉に声をかけた。目覚めない直哉を、梓晴は指でつつき、体をゆすった。
「ねえ、ねえってば」
「な、なに?」
「外から何か聞こえる」
「うーん、智姉、何だよ」
直哉は寝ぼけて梓晴の手を取って引き寄せて、智姉の名を読んでいた。
「誰よ、『智姉』って?」
「え? 誰? ここは? あ、林梓晴さん!?」
「そ、そうよ......それよりも、外から恐ろしい声が聞こえるのよ......死霊の声よ!」
この段階になって梓晴の耳には、先ほどまで恐ろしく響いていた声は、別の種類、すなわち男女の絡み合いの声であることが分かった。途端に梓晴は顔を真っ赤にほてらせた。
「あんな声が出るのかしら…これから毎晩あんな声が聞こえるのかしら……夫婦寮だからなの?」
梓晴はそう絶望的な声を上げると、頭に毛布をかぶって耳を塞ぐのだった。
直哉というと、彼はこの種の声に慣れていないため、注意深く聞き分け、しばらく考えなければわからない種類の声だった。そして、考えた末に男女の絡み合いの声だと直哉が結論した時、彼もまた声が聞こえないように頭から毛布をかぶって耳を塞いでいた。
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次の日、二人は寝不足のまま朝を迎えた。そんな朝、直哉たちの部屋からも、入学式の声が聞こえた。学院長の挨拶は、直哉が面接の時に聞いた言葉と、ほとんど変わらなかった。
「......私たちの学院は、大同主義の下、階級的差別や搾取のない自由平等平和の社会を目標としている学校です……」
彼の話は、大筋として、学院は大陸勢力に対抗するための機関であるが故に、日本に建てる必要があった。だが、便利な東京などではなく、不便な北海道の小樽を選んだのかは、大陸勢力に対抗するにはいい場所だったということだった。




