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序章 1 悪夢

 2028年6月、ニューヨークの連合国(国際連合)本部ビルでは、各国大使達や随行員たちがそれぞれの母国へ引き払う準備で、最後の喧騒に包まれていた。がらんとした総会会議場や安全保障理事会議場では、去っていった主人達の忘れ物が転がっていた。

「虹洋さん、これで私の国とあなたの国とは、二大陣営に分かれてしまったわけだけど......」

「直哉さん、そうね。でも、これからも私たち二人はコンタクトを維持し合いましょう」

 

 高橋直哉政務次官は、ロビーでそう語り合いながら、趙虹洋中国外交委員の細い手を握りつつ、互いの友情の印を交換した。それは、「人人為我、我為人人」と墨で記したアスタリスク型の割符札だった。

 連合国が機構軍と枢軸軍とに別れて対立し、大陸各地で本格的に戦端を交えて以来、平和維持機関であった連合国機関は事実上機能を停止していた。この二人も、すでに母国へ引き上げる手続きを終えたところだった。

 この結果をもたらしたのは、機構軍側のはずだった米国が、結論を急いだあまり、まるで第二次世界大戦前の英国チェンバレンがナチスドイツに大幅な譲歩をした愚行と同じように、大陸勢力に譲歩したことが始まりだった。これが、枢軸軍側の大陸勢力を増長させ、ついには機構軍と枢軸軍の決定的な対立と開戦とに繋がったのだった。

 その後、実に、つい最近まで、直哉は各国の連合国機関派遣の大使たちに能動的かつ精力的に次々に面会してきた。今まであまりにも受動的で昼行燈と呼ばれていたはずの彼だったが、世界大戦が必至と考えられた一年前から、急に熱を帯びたように駆けまわっていたのだった。それは、義理の母、智子だけは助けたいという秘めた思いからだった。

 残念ながら、英仏独を中心とした機構軍陣営とロシア・ベラルーシ・北朝鮮枢軸軍陣営との間は、既にウクライナや黒海地中海戦線からベラルーシやバルト海戦線へと戦線を拡大しつつあった。勢いを吹き返した機構軍はすでにロシアの防御網を突破しつつあった。連合国機関と安全保障理事会は、既に有名無実となって機能停止状態であり、このままでは、ロシアによる核攻撃、米国による核攻撃......戦争が世界中に拡大することは必至だった。それゆえ、日本と中国は、それぞれが一方の陣営に加わり、それぞれに対立しつつも、互いに戦争をしない約束をしつつ、戦争にも加わらなかった。両国は、戦争を拡大しないように互いに協力できるところを探りつつ、何度も接触をしてきたのだった。

 結局のところ、日本と中国は互いに攻撃し合わない条約だけは何とか締結できたものの、互いに相手が所属する機構軍陣営、枢軸軍陣営の戦略や行動に対する意見は対立したままだった。中国と日本の間では、とりあえず戦争は止めさせよう、という不確かな合意を介した不確かな信用を介しながら、手探りで懸命な交渉をしてきた。

 直哉は、同時に同盟国である米国、フランス、英国、ドイツと接触した。彼らには、日本が煮え切らないように見えていたらしかった。彼らは、第一次世界大戦の時に日本が消極的であったことさえ持ち出していた。直哉は、各国のカウンターパートに日本の準備態勢をアピールして何とか面目を保ったつもりだったが、各国、特に米国から日本がミサイル攻撃を受ける可能性があることを指摘され、戦争に向けた準備を強化し急ぐことを、念押しされていた。


 虹洋と別れた後、直哉は総領事館へ行くために、段ボールを抱えながらニューヨークの水上バスの駅へと向かっていた。最近まで使われていなかったのだが、最近は地下鉄が使えない場合が生じたため、急遽水上バスの駅として再び使われるようになっていた。


 このような交渉を終えて、直哉はようやく帰国し、余市の別宅にに帰り着いた。自宅に向かう途中で聞いたラジオでは、しきりに欧州の戦闘を報道する一方で、日本が対処すべきことについて、盛んに議論されていた。

 谷あいの別宅に至るには、深い谷あいをさらに深く進んでいく必要があった。上を見上げると、黒い山影が空を覆い、限られた空一面に銀河が輝いていた。別宅に来るたびに、直哉はこうして空を見上げながら、考え事をしつつ帰宅するのだった。


「事態はむずかしいのかもしれない」

 帰宅した家で、直哉は思わず母親の智子にこぼした。母親と言っても、智子は二歳年上に過ぎず、亡き父の後妻つまり継母だった。

「直哉さん、でもネットでもテレビのニュースでも、日本は当事国にならなくてすみそうだって……」

「確かにそう言う見方が大勢だが、ロシアはバルト海沿岸での戦闘で劣勢に立たされている。彼らは、自分たちのエリアと考えているところへ攻め込まれたとき、核攻撃をためらわない......智子さん、そんな時、日本もターゲットになると言っていいだろう」

 直哉は、父泰然の後妻だった継母の智子が、直哉の二歳上に過ぎないため、父の生前は母さんと呼んでいたものの、今では距離感や相手との曖昧な関係を意識して、彼女を「智子さん」と呼んでいた。泰然が亡くなってから生じた直哉と智子の間の微妙な空気を、智子も感じていて、智子も義理の息子を「直哉さん」と呼んでいた。

「それじゃ、日本も危ないってこと?」

「そう言うことになる......しかも、今夜にも......」

「え? それって」

「そう、この辺りにもミサイルが来る。そして母さんも僕も最期を覚悟しなければならない」

 智子はそう聞くと、色々な配慮をしたらしく、むずかしいかおをしながら直哉に指摘した。

「直哉さん、私はもう「母さん」と呼ばれるつもりはない、と伝えているわよね………それなのに、こんな世の終わりが来てまでも、まだその呼び方をするの?」

「こんな世の終わりって………まだそうとは決まってないよ………智子さん......いや、やはり母さんと呼ぶべきじゃないのか......」

智子の方は、すでに新しい呼び方とそれが表す二人の距離感になれていた。ところが、直哉は彼女の呼び方を意識して気をつけないと、思わず「母さん」と呼んでしまうのだった。

 智子はまだ何か言いたそうだった。彼女はそのまま直哉から視線を外すと、まだ深夜ということもあって、また自室へ戻ってしまった。


 直哉も寝入った時刻だった。家中、いや外の拡声塔に今では聞きなれたJアラートが鳴り渡った。急ぎラジオを聴くと、ロシアから日本めがけて核ミサイルが発射されたということだった。

「そんなあ」

 直哉は思わず絶望して溜め息をついた。この時、智子が悲鳴を上げながら直哉の寝室に飛び込んできた。

「直哉さん、どうすればいいの?」

 智子の悲鳴に驚いた直哉は、ベッドから起き上がりながらも事態を確認すると、いそぎ携帯電話でカウンターパートの趙虹洋を呼び出した。

「中国もいまは夜中だろうね………すまない」

「そうね、ほんと、こちらも夜中だよ」

「日本に向けて核ミサイルが発射されたらしいんだ」

「え?」

「このままでは、アメリカは地球規模で報復に出る」

「それはどういう意味?」

「僕の住む日本に核ミサイルが着弾するというんだ………このままだと、アメリカはロシアとその陣営に、つまり君の枕元にも報復ミサイルを打ち込むはずだ」

 虹洋はしばらく考えて、返事をくれた。

「わかった、私からロシアに掛け合う」

「たのむ」


 その夜、日本にもミサイルが撃ち込まれた。直哉の住む余市にも、周辺から何度も衝撃波が襲った。衝撃波の後には、不気味に巨大な爆発音が何度も空気をつんざいた。それは「ツァーリ」と呼ばれた核融合爆弾をはるかにしのぐ音圧だった。朝方まで続く衝撃波と爆音、そして、しばらくたつと、周囲には豪雨が響き渡った。それらがすっかり静まったころ、ようやく待ちわびた朝日が昇ってきた。


 衝撃波は、高橋家の別宅を少しばかり損傷を与えていたが、別宅は谷あいの奥まったところにあるため、ほとんど壊れてはいなかった。そこから谷あいの道をたどり、谷あいから平野に出たところでは、昨日まであったはずの集落が根こそぎ吹きとばされていた。そこばかりではなく、周囲の森林も吹きとばされており、少し遠くにある廃墟まで見通すことができるほどだった。

 少し遠く居ある廃墟、それはよく考えてみると、少し離れたところにあったはずの小樽の市街地や余市駅周辺の市街地の変わり果てた姿だった。そして、その先には海原が広がっていた。

 実は、この時、周辺の北海道半島部から広島にかけての各地は、海の中に沈んだ。崖は海に面することとなった。また、虹洋のすむ中国も、核ミサイルによってほとんどが海に沈んでいた。


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― 新着の感想 ―
直哉と智子の何ともいえない関係が興味深くて戦争の影響が迫る中での人間ドラマが加わり、緊張感マシマシでした。特に、核戦争の恐怖がリアルに伝わり、今後の展開が気になります
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