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ちちのかみ

作者: 佐々ポン吉

 雨が降ってきた。4時間かけて滋賀までやってきた。今日の仕事は島根から成田空港までの積荷だ。俺は一息いれにサービスエリアに立ち寄ることにした。長距離トラックの仕事も長くやっているとルートルートごとに決まったサービスエリアに立ち寄ることが多くなる。いわゆるいきつけってやつかな。

「おばちゃん、今日も元気だね」

「おうよ、あたしゃいつまでも現役だよ。あんたこそこのごろ老けきってるよ。あたしより先にいくんじゃないよ」

「言うな。おばちゃんも」

 食堂のおばちゃんともすっかり顔なじみだ。メニューもほとんど頭に入ってる。といってもいつも食べるのはかけそばオンリーなんだけどな。

 俺はかけそばをすすりながら、ふと扉の向こうのおもてを見た。雨は止みそうにない。いつものように五分でかけそばをかたづけると、食器を返却棚に下げ、食堂をあとにしトイレへと向かった。そうそうトイレにいく途中に飲み物の自動販売機があるのだ。ここで俺はいつも眠気覚ましに缶コーヒーを買って飲むのだ。

「えぇと缶コーヒーは……っと」

 あれ、なんだこれ、こんなところに牛乳がある、こんなの置いてたっけ?

いつも缶コーヒーがディスプレイされている筈の場所、そこには牛乳があった。しかも牛乳瓶、きわめつけはその瓶のラベルに書いてある文字だった。

「神様」

 なんじゃこりゃ。商品名なのか?っていうかそもそもこれが牛乳かどうかということさえあやしくなってきたぞ。


 しかし、俺はこの危ない誘惑に逆らうことができなかった。いつもいつも同じ缶コーヒーばかり飲んでいてもいいが、たまには変わったものに手を出すのもいいだろう。210円。ちょっと値段が高い気もしたが気分転換料と思えば安いものだ。

 ガタンと音がして牛乳瓶が商品口に落ちてきた。おっ懐かしいな。蓋が紙の蓋だ。プラスチックのキャップじゃない。子供のころの給食にでてきた牛乳瓶を思い出すな。一瞬嬉しい気持ちになったがすぐにその気持ちは失せた。紙の蓋は素手ではとても開けづらいのだ。ええい。どうして爪がひっかからないんだ。

「うぉっしゃー」

 気が付けば奇声をあげて牛乳瓶と格闘していた。

「ええい生意気な」

 おお。開いた。俺は一気に牛乳を飲み干した。


 なつかしい。なつかしい味がした。まさしく小学生のころ給食で飲んでいた牛乳の味だ。今だっていつも牛乳は飲んでいるがそれとは歴然とした違いがあった。どこかまろやかでやさしい味がした。子供のころ「おかえり」って母にいわれた時のような安らいだ気持ち。そんな味だった。

 おっと感傷にひたっている場合ではなかった早くトイレをすまさなきゃ。まだまだ道のりは長いのだ。


 俺は、さっさとトイレを済ませると小雨の中、小走りで自分のトラックへと向かった。

 運転席に座るとすぐに俺は異常な事態に気が付いた。

「おかえり」

 助手席に10歳くらいの少女が座っている。木綿でできた若草色のワンピースを着て、髪は三つ編みにした少女だった。

「おいおいここは子供の遊び場じゃないぞ、とっととパパとママの車にお戻り」

「今はここが私の居場所だよ。それにおじさん恩知らずね。さっき私をいただいたくせに」

 おいおい人聞きの悪いこと言うなよ。いただいたって、俺はロリコンじゃないぞ。ただでさえいろいろあるこのご時世に。

「おじさん、さっき私を飲んだでしょ。210円返したって返品はきかないんだからね」

210円?飲んだ?さっき飲んだのは牛乳だぞ。この子はその場面を見てたっていうのか。

「違うよ。私がその牛乳なの。私は牛乳の神様。略してちちのかみ」

「いたずらも度が過ぎると、おじさん怒るぞ」

「さっき私を味わったくせに、さっき私を堪能したくせに……」

おいおい声がでかいって、味わう、堪能、俺は断じて変態ではない。そうはいってもこのままではまずい長距離トラックの中に中年の男と少女が同乗。これじゃまるで誘拐犯だ。

「お嬢ちゃんのお父さんお母さんはどこにいるのかな。言ってくれないとおじさん困っちゃうんだけどな」

「どこ?どこかって聞かれればどこか遠いところかな」

うーむーこれはひょっとするとパパママがこの子をなんらかの理由でこのサービスエリアに置いて出発しちまったのかな。これはどこかの警察署まで送り届けないことにはなんともならないか。

 俺は泣く泣く車を出した。雨が本降りになってきた。

「おじさん、安全運転でね。奥さんと娘さんがいる身なんだからね」

「おいおいなんで俺の身の上を知っている」

「神様はなんでも知ってるのよ。それからもういい加減大人なんだから身の回りの支度はテキパキしなさいよ。ノロ助なんて呼ばれないようにね」

 ノロ助は俺の小学生の時のあだ名だ。そんなことまで知ってるなんてこの少女は本当に神様なのか。

「だからほんとにほんとだって言ってるじゃない」

「私は日本各地の牧場で乳牛の健康を見守ってる神さまなの。滋賀の牧場から東の方の牧場に視察に行くために、あのサービスエリアで牛乳の姿に身を変化させて東の方に行くドライバーが私を飲んでくれるのを待ってたの。ただで遠くまで乗せてもらおうってわけにはいかないからね」

「高い牛乳代だな。便乗代プラス210円か」

しかしこの子の話が本当だとすればそれはそれで辻褄はあってるといえないこともない。それに彼女の話だといつまでもこのトラックの助手席にいすわるつもりでもないらしい。下手に警察に届けてあらぬ誤解を受けるよりかは、彼女がいう東の方とやらまで行けば勝手に降りてくれるかもな。

「おじさん成田へ行くんでしょ。そしたら私を成田山へ連れてってそこで私は降りるから」

「えっ、成田までいけば降りてくれるの?」

「何?おじさん。なんか恩知らずなののよね。さっき私を味わったくせに。私を堪能したくせに」

うぁー。やめてくれ。っていうかわざと言ってるだろ。こいつ。


 いつしか雨は止んでいた。豊橋で休憩をとることにした。車の中にいると違和感があるが、一旦そとに出てしまえば少女とは親子連れに見える。俺はタバコを一服したあと思わずまた飲み物の自動販売機を目指してしまった。またあの牛乳が飲みたい。無性にそう思えてしまったのだ。しかしビン牛乳はおろか紙パックの牛乳もそこにはおいてなかった。俺はまたトイレを済ましトラックへと戻った。少女はもう助手席に戻っていた。トイレも済ましてきたようだった。

「それと、おじさん交通安全のお守りつけてないね。成田にいつも行ってるなら成田山のお守りくらいちゃんとつけなきゃだめだよ。昔から暴走族でもお守りはつけてるんだよ」

「痛いところをつくな」

「私は神様だからね」

「あとさっきサービスエリアで牛乳探してたでしょ」

「いやっ。そんなことは……」

「恥ずかしがらなくていいよ。昔のころを思い出して懐かしかったんでしょ。あのころの子供は毎日給食でビン牛乳飲んでたからね」

「あ、あぁ」

 俺はまた子供のころを思い出していた。商社マンで家にあまりいなかった父。母親だけが家族の温もりだった「おかえり」という母の言葉にいつも安らぎを感じていた。

「おまえは」

「おまえはさっき両親が遠いところにいると言ったが。その、さみしくなったりとか。つまり……つまりそういうことはないのか」

「うーんー今はあまりないかな。それより今は私がお母さんみたいなものだからね。日本中の乳牛が健康でいられるようにつねに見守って、災いの兆しがないかいつも気を配っている」

「なるほど」

「そしてそのお母さん牛は仔牛の健康を願ってお乳を蓄えている。そして人間は牛に感謝して牛乳を、お母さん牛の仔牛の健康を願う思いの結晶を、頂いている。常に誰かが誰かのお母さんになっている。人間も同じでしょ」

「どうだろう」

話している時の少女の表情は伺いしれなかったが、話し方はやさしさに満ち溢れていた。そして逆に少女の方もまっすぐ伸びる高速道路の先を見つめていて俺の表情のようすなどは見ていなかったようだ。


 成田が近づいてきた。滋賀で出会った時はうっとおしかったこの少女に、俺はいつしか思慕の感情が湧いてきて別れるのが惜しくなった。

「もうここでいいよ。トラックじゃ門前まで入れないでしょ」

「そうか」

俺は平静を装ってそう答えた。

「さよなら」

「じゃあな」

 俺たちは別れを告げ、少女はさびしい国道沿いを歩いていった。木綿でできた若草色のワンピースと三つ編みの髪が遠ざかっていく。遠ざかるにつれ少女が神様から普通の少女に戻っていくような気がして俺は無性にせつない気持ちになった。そしてその姿が消えるまで俺は国道沿いに立っていた。娘ともしばらく話もしてないな。家で寝てばかりいないでたまには娘の相手もしてやらなきゃ。お父さんなんだからな。俺は。


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