学校休み クロワッサンオザマンド
今日は6月の初めての土曜日だ。学校は休み。
俺は土日祝日は必ず正社員パティシエと同じ時間で働く様にしている。
今月は祝日が無いし暑くなり始めるから、比較的お店の忙しさは緩やかだろう。だがデザートサービスタイムは修羅場になる……
……飯田橋は初めての土曜日か。フォローしてやるか……
俺は日課の早朝ランニングを終えてシャワーを浴びて出勤の準備をした。
髪を適当に乾かす。
……伸びたな。そろそろ切るか? いやまだいける。先延ばししよう。
俺はジャスコで買った私服に着替えてお店へ向かう事した。
お店に着いて朝のケーキの仕上げをする。
この店はオーナーシェフパティシエともう一人、凄腕のパティシエがいた。
俺の直属の師匠であるパティシエだが、今はフランスに修行に行っている。
そろそろ帰って来る頃だと思うが……適当な人だしな。
キレイな顔をして武闘派で……フランスでの武勇伝がオーナーから伝わってくる。
奴が居ないおかげで、俺がデザートを作る事ができた。
他にも見習いパティシエも一人いるが、オーナーに任されてデザートを作っているのは俺だけだ。
もちろん販売スタッフも飯田橋以外に優秀な子がいる。
そんな事を考えていたら飯田橋が出勤してきた。
「おはよーございまーす! 初めての休日でちょっと緊張してます!」
元気一杯の挨拶だ。
スタッフ達が笑って挨拶をする。
この業界はほぼ女性スタッフで埋め尽くされている。
このお店も例外ではない。俺以外全て女性スタッフだ。
飯田橋がこっちに来た。
「おはー! 今日はよろしくね! ていうか忙しいの?」
「もちろんだ。平日と比べ物にならん。というわけでさっさと着替えて仕事をしろ」
「もぅ、分かっているよ!」
飯田橋は奥のロッカールームに向かって行った。
制服に着替えて戻ってくる飯田橋。
この店の制服はとても可愛らしい。
パンツスタイルだが、フリフリのシャツに可愛い刺繍が入ったエプロンを着用している。
頭にはリボンを付けて髪をまとめている。
飯田橋のスレンダーなスタイルにピッタリ合う制服で、どこぞのモデル顔負けのカッコよさだ。顔をとやかく言う趣味はないが、こいつが特別だと俺でもわかる。
俺の母親よりもキレイな女性は初めて出会った。
学校で噂される理由がよくわかる。
だが、こいつは学校では猫を被っている。
上品でおしとやかで優しくて弱々しく装っている。
……本当は雑で、適当で、食いしん坊で……食べカスを口の周りに付けて、美味しそうにケーキを頬張る女だ……
……悪い子では無い。
戻ってきた飯田橋が首を傾げた。
「うん? 私に見惚れてんの? このこの〜」
……やっぱりバカだな。
「黙れ腹ペコ女。さっさと掃除をしろ!」
「なによ! 腹ペコじゃないわよ!」
飯田橋のお腹がキュ〜っと鳴った……
飯田橋の顔が赤くなる。
「え、え!? ち、違うの! 朝早かったからご飯食べて無くて……」
仕方ない。俺はオーナーを見た。
オーナーはみんなに言った。
「はーい! 一段落したら朝のお茶タイムに入るよ! 今日朝食は私の山田君が作ったクロックマダムとクロワッサンザマンドとじゃがいものポタージュよ! さあコーヒーをいれるのよ! 激戦に備えて!」
さらっと密着してきたオーナーを引き剥がした。
飯田橋は戸惑っている。
俺は飯田橋に説明をした。
「朝は必ずみんなで朝食を食べる。もちろんこの後も交代で休憩に入るが、開店前のこの時間はみんなでコーヒーを飲みながらゆっくりとした時間を作る。……集中力は持続しないからな。このお茶タイムは大切なリフレッシュだ」
俺はオーブンをチェックした。
いい感じでクロックマダムが焼き上がっている。
オーナーがベーコンとソーセージとオムレツと目玉焼きを焼き始めた。
「え!? 料理もできるの!」
飯田橋が驚愕で目を見開いている。
「ああ、食の世界は基本が一緒だ。美味しいものを判断できる味覚をもつ者は、美味しいものを作れる。……俺も趣味で料理をする」
ステンレスの作業台の上に所狭しと朝食が並んだ。
みんな各々のマグカップにコーヒーを入れた。
飯田橋が声を上げた。
「あ! 私のマグカップが無い……どうしよ。お店のカップ使っていいですか?」
オーナーが少し考えてから言った。
「にひひ、これ使っていいよ! はい!」
俺はコーヒーを吹き出した。
「ぶっ! オ、オーナー……それは俺のお古だ。飯田橋、違うの使え」
飯田橋が手に持っていたマグカップには、猫と狐の可愛らしい絵が書いてあった。
全体的に女性らしさがある一品だ……
「母がくれたマグカップで……そろそろ持って帰ろうと思っていてな」
飯田橋はマグカップをしげしげと見ていた。
「ええー! 超可愛いじゃん! これ気に入ったよ! 私に貸して! 山田お願い! ていうか今山田が持ってるカップもワンコ柄で可愛いね!」
オーナーがニヤニヤ笑う。
「……ふん、勝手に使え」
「やった! コーヒーコーヒー!」
俺たちは朝食を取り始めた。
クロワッサンザマンドはアーモンドクリームと一緒に焼き上げたクロワッサンである。
アーモンドの香ばしい香りと甘みがクロワッサンと非常に合う。
その横にあるのがクロックマダム。
俺のクロックマダムはベシャメルソースをたっぷりパンに塗って、ハム、チーズを乗せてオーブンで焼き上げて目玉焼きを乗せた物だ。
じゃがいものポタージュは温かいじゃがいものスープだ。
味付けにブイヨンと生クリームで調整している。
本格的な物じゃないから濾さずにミキサーにかけただけだ。
みんな朝食をのんびり食べ始めた。
飯田橋は恐る恐るクロックマダムに手を伸ばした。
「はむ! ……おお、半熟玉子だ! あ、意外と柔らかいね……もぐもぐ……ねえ、これ本当にベシャメルソース? 私が知ってるものと違う……味に深みがあってパンに凄く合う! しかもこのチーズってグリュなんとかチーズじゃない? これ贅沢すぎるパンだよ……」
飯田橋は嬉しそうに食べている。
「あ、クロワッサンも美味しいね……うん、やっぱり、私はアーモンドクリームがついてるのが好きだな。甘みと塩みのバランスが良いね! あとあと、じゃがいものスープ? ポタージュにつけるともっと美味しい! 単純なスープなのに味付けのバランスが最高! 山田……あんた天才ね!」
みんな飯田橋を優しい目で見ている。
こんな風に喜んでくれる人がいるから、俺たちはパティシエをやっているんだよ。
飯田橋は俺のカップを両手でしっかり持って、コーヒーを飲んでいた。狐と猫の絵柄を見てニヤニヤしている。
「はぁ……美味しかった。ごちそうさまでした! 今日も一日頑張ります!」
飯田橋は俺たちに最高の笑顔をくれた。
こいつの美味しいものを食べた後の顔を見ると嬉しくなる。バカみたいに純粋な笑顔だ。
「おい腹ペコ女。仕事に戻るぞ。今日はお前に修羅場を見せてやる」
「腹ペコじゃ……え、修羅場? そんなに?」
「ああ、そんなにだ」
「えっと……お手柔らかに!」
「無理な相談だ」
その後俺たちは再び仕事に戻り、デザートのサービスが開始された……
サービス時間が終わると、飯田橋の魂が抜けていた。
「……乗り切った。……私は生き残ったんだ!」
なんとか仕事をこなせた飯田橋は達成感に包まれているようだ。
「飯田橋。明日もあるぞ」
「ひぃぃぃぃぃーーーー!!」
飯田橋の悲鳴がお店に響き渡った。