看病
「お嬢ちゃん、お釣りとレシートだ!」
タクシー運転手が走り去って行った。
私達は高層マンションの車止めの前にいた。
山田の荷物を肩に担ぎ直す。
山田はフラフラと歩き出した。
「……ここまでくれば大丈夫だ……」
か細い声で山田が私に言った。
……あんたはもっとキツイ口調でしょ?
強引に山田の手を取った。
私の肩にかけるように山田を支えて歩いた。
「……ご両親は在宅してるの? とりあえず玄関まで行くわよ」
「……俺は……一人だ」
「…………そう、ちょっとバック開けるわよ」
山田のバックから鍵を取り出す。
マンションエントランスを抜けてエレベーターに乗り込んだ。
「……飯田橋……もう……大丈夫だ……伝染るから……」
「ダメよ! 病人は言うこと聞くの!」
私は2507号室を開けた。
……山田の家だ。
玄関を開けたら山田は気を抜いたのか、そのまま玄関で座り込んでしまった。
「……よし!」
私は行動を開始した。
部屋は恐ろしく綺麗だった。
と言うよりも無駄なものが無い。
リビングにはソファーとテレビがあるだけで、寝室にはベットがあるだけだった。
……ベットの上にいるぬいぐるみ。見なかった事にするわ……
私は座り込んだ山田をゆっくりと立たせて、どうにかベットの中央まで移動する事が出来た。
山田はまだ苦しそう。
大汗をかいていて、顔が赤くなっている。息も荒い。
ーーこいつ風邪引いたことがあんまり無いんじゃない? だから苦しさに耐性が無いのかな?
「……飯田橋……ハム美……」
ーーどういうこと? このお人形の名前?
せっかくだから枕元に人形を置いてあげた。
「はいはい、ここにいるわよ。あんたを寝かせたら帰るからね」
熱を計って……その間に汗を拭いて……下にコンビニがあったからポカリとか買って……
タオル、タオル……まるでホテルみたいに綺麗に並べられているわ……
私はタオルで顔を拭いてあげた。
ていうかコックコート着たままじゃん……
「山田、とりあえずコックコート脱がすよ……」
私はコックコートを勢いよく脱がして、シャツ一枚にした。
山田は抵抗無く脱いでくれた。
……看病にきてるだけよ。冷静になるのよ。
私はぶつぶつ言って気を紛らわしながら、山田の身体拭いていった。
ピピピと体温計がなる。
ーー40度……高いわね。あんた休み無く働きすぎよ……超人かと思ったけど、やっぱり普通にキツイわよね……
「ちょっとコンビニ行ってくるからね。待ってて」
私はコンビニでポカリとか冷えピタ君を買ってきた。
山田の頭に冷えピタ君を張り付ける。
「山田、薬はどこにあるの?」
「…………ない」
ーーマジで! うーん、とりあえずさっき飲んだからいいとして……明日持ってくるか……あ、鍵どうしよう……
「山田、ちょっと聞いてね。さっきオーナーと話したけど、あんた明日バイト休みね」
「……スタッフが……足りないだろ……明日日曜……寝れば……大丈夫……だ」
「はいはい、あんたは休み決定なの。明日はあんたの師匠さん? が来てくれるみたいだから大丈夫よ。安心して寝てなさい」
「……そうか」
「今日はわたしは帰るわ。……色々考えたけど、明日の朝にここに来るから鍵借りるわね」
山田は返事は無いけど、小さく頷いているように見えた。
私は山田に毛布を掛けてあげて、軽く頭を撫でてあげた。
「じゃあまたね……お休みなさい……」
私は静かにマンションを出ることにした。
家に帰った私は、明日の看病の準備をしながら考え込んでいた。
……山田が倒れてびっくりしたけど……今思うと……わたし結構恥ずかしい事してるわね……
でも、緊急事態だから仕方ないわ……
ていうか、山田意外と抜けてるところあるのね? 昼ごはん食べないし……薬持ってないし……
あのぬいぐるみ達……今度聞いてみようかしら?
とりあえず私もうつったら大変だから、手洗いうがいして早く寝よ!
私は朝一番で山田のマンションに向かった。
準備万端だ。
あいつが店にいないと楽しくない。あいつのケーキを食べて喜んでいるお客さんを見たいの。
だからあんたは早く治る必要があるのよ。
私は再び山田の部屋に入っていった。
部屋は静かだ。
昨日帰った時と変わらない姿勢の山田が眠っていた。
……枕元に置いてあったポカリが減っている。良かった。
……シャツが脱ぎ捨てられている? あ、これズボンじゃない? ということは?
冷静になるのよ……熱で汗が出て……気持ち悪くなって、脱いだのね……
こいつは一人暮らし……仕方ないわ!
山田の額に張ってあった冷えピタ君を剥がして、新しい物を張り付けた。
少しだけ乱れた毛布をかけなおす。
ーー顔色は少し良くなったね? 一度起こして薬を飲ませようかしら? いや、上半身裸よ!
山田は少しだけ苦し気な表情で寝息を立てていた。
「山田……山田……薬を飲むわよ。一度起きてもらうわ」
山田がゆっくりと目を開いた。
天井をじっと見ている。
「……なぜここにいる?」
身体を起こそうとする山田を止めた。
「ちょっと!? あんた裸でしょ! 服着なさい! あ、でも無理しなくていいから、薬飲んで動けそうだったらでいいから」
「……そうか」
私は頭を抱えて持ち上げて薬を飲ませようとした。
「おい、飯田橋? 何をやってる? 薬くらい飲めるぞ?」
「ほら病人は遠慮しないの! 私だって恥ずかしいんだから! 昨日もやったから大丈夫よ」
「昨日も? ……覚えがない。あ、待て……うぐっ」
山田の口に薬と押し付ける。
コップに入った水をストローで飲ませる。
「ふぅ……なんであんたの家は薬も無いのよ。まあいいわ。薬も飲んだしまた寝てなさい。ご飯は食べれそう?」
「……大分良くなった。……店は大丈夫か? 店に行くぞ……」
「だから~、あんたの師匠が来てるから大丈夫よ! あんたは寝て治しなさい! で、ご飯食べれるの?」
「……軽い物なら食べれるだろう。飯田橋、俺の事は放っておいていいぞ? お前にうつったら大変だ」
「大丈夫よ。ちゃんと薬飲んできたし。ほら、無理しないで寝てね、あ、着替えたいなら一度部屋出るわよ」
「……頼む」
私は一度寝室を出てリビングで待機した。
隣の部屋からカサコソ音が聞こえる。
……リビングも本当になんもないわね。
あ、写真だ。
テーブルの横に写真立てが置いてあった。
中学生くらいの髪が短い山田と……山田そっくりの綺麗な女の人が写っている。
……これお母さんかな? すっごく綺麗ね……山田も嬉しそうにしてるわ。
写真には文字が書いてあった。
『フランス、リヨンにて! 私の可愛い涼と一緒!』
今まで気にしてなかったけど……山田って涼って言うんだ。
へえ……苗字の割にはかっこいい名まえね。
……でも、一人暮らしって……うん、あんまり突っ込んで聞くところじゃないよね。とりあえず今は山田の看病をしなきゃね!
山田の声が聞こえて来た。
「着替え終わったぞ」
「OK! 今行くよ!」
私は体温計を山田に渡す。
「はい、これで体温計ってね……見た感じ顔色は昨日よりも良くなってるわね。凄い回復力ね……温度は……38度。大分良くなったわ」
「……もう動けるぞ」
「はいはい、薬飲んだからもう寝なさい。軽いご飯作っておくから台所借りるわよ」
「……助かる」
「あら、素直ね? いつもこんな感じだといいのにね」
「うるさい……」
「ほら寝なさいよ」
私は毛布をかけなおして山田の手を握ってあげた。
山田は恥ずかしくなったのか、顔を向こうに向けてしまった。
でも、ちゃんと手を握りしめてくれる。
……多分山田は寂しかったんだろうな?
私は山田が眠りに落ちるまで手を握ってあげた。
リビングにいい匂いが漂ってきた。
私は雑炊の味見をした。……うん、いいできよ!
そろそろお昼になる。
これを山田に食べさせて、もう一度薬を飲ませよう。
寝室の扉がゆっくりと開いた。
私は驚いて振り向くと、顔色が悪い山田がふらふらと歩いてリビングまで来た。
「ちょっと、まだ寝てなさい!」
「……その、腹が減ってな」
「ぷっ! いつもと逆ね! 山田が食いしん坊になってるよ!」
「……うるさい」
「ほら、今トレーに乗せて向こうに持っていくから、ちょっと待っててね」
「わかった」
山田は部屋に戻っていった。
私は山田の部屋にある椅子に腰を掛けた。
山田はベットから上半身を起こして雑炊に向き合った。
「……雑炊か。ふむ……うん? スプーンはどこだ?」
「あ、病人だからゆっくり食べないと駄目よ? あんた早食いだし……だから私が少しずつ食べさせてあげるわ」
「おい、それはちょっと待て。どんな罰ゲームだ」
「きひひ、恥ずかしいでしょ? でも、今日はわたしの言う事を聞かなきゃだめよ?」
「くっ」
私は山田の雑炊をスプーンで少しだけすくった。
冷ましてあるから食べやすい温度だ。
「ほら、アーン」
山田は照れながら口を開けてくれた。
ゆっくりと咀嚼する。
「……ふむ……これは旨い……」
「はい、今日は無理して喋っちゃだめよ~」
色々言いたそうな山田を遮って、次のスプーンを押し込んだ。
「そう、ゆっくり食べてね~」
山田はもぐもぐと雑炊を食べる。
あれ、普段とのギャップでちょっと可愛いんだけど!
私は調子に乗ってどんどん食べさせさた。
「まだ食べれる? あ、もう大丈夫?」
「く、屈辱だ」
「はいはい、涼君よくできましたね~~」
山田は大きく目を見開いていた。
「……名前、知ってたのか?」
「あ、当たり前でしょ? 同級生だから知ってるに決まってるわよ」
うん、知らなかった……
「涼君か……久しぶりに名前で呼ばれたな……」
山田は懐かしそうな顔をした。
「うん、涼っていい名まえじゃん! 短くて呼びやすいし。……これからアルバイト先だったら名まえで呼ぼうか? ていうか呼んでいいかな?」
山田はベットに背を向けて寝ころんだ。
「ふん、勝手にしろ……かなえ」
「ふぇ!? ちょっとあんた!?」
いきなり名前で言われてドキドキしてしまった。
同級生から名前で呼ばれてるけど……まさか山田から名前で呼ばれるとは夢にも思わなかった。
してやったりの顔の山田が笑っていた。
「どうだ、はずかしいだろう?」
「は、恥ずかしくなんてないわよ! これからあんたも私の事名まえで呼ぶのよ!」
「……ああ、分かった……そろそろ寝るぞ……」
薬を飲んだ山田……がベットの上でうとうとしていた。
私は山田が眠るまで、また手を握って横にいてあげた。
心なしか安心した表情になっている。
やがて規則正しい寝息が聞こえて来た。
「……ふふ、お休みなさい……涼」