9 A result
「今回の最高得点者はシナギです。おめでとう」
ゾラのその一言は、その場にいた全員にどよめきの声を漏らさせた。
「続いて次位はチセ、おめでとう。続いて三位――」
毎回、トップになるつもりで努力している――そう言ったシナギの言葉がよみがえる。
シナギはあたしより先にこの場を出ていくだろう。そうは思っていたけれど、まさかこれほど早いなんて。
そう、いくら何でも早すぎる。
だって、先月の六月にはまだトップテンにも入っていなかったのに。
「……シナギ、シナギ! 一位だよ……」
心の違和感、引っかかりをひとまず追いやって、あたしはシナギに賞賛の言葉を送った。しかし、当の本人は喜んでいるふうには見えなかった。
周囲のざわつきは収まらなかった。
「どうして、あいつまだ一年目だろ?」
「何かの間違いじゃない?」
「カンニングしたんじゃねえの」
「……ちょっと、なんてこと言うの!」
あたしはつい感情的になって立ち上がった。
「あんたたちは知らないかもしれないけどさ、シナギは毎日――」
「オワリ」
シナギがあたしの腕をつかんだ。
「でも……」
「いいの……」
するとシナギは顔を下に向けたまま、席を立った。そして、覚束ない足取りで、疑惑の視線を浴びながら前に進み、正面のスクリーンの前に立つ。
『席に戻って下さい。まだ順位発表の途中です』
スクリーンのニワトリから注意が出る。月末テストの妨害、カンニング等のペナルティは全科目の点数が〇点になる――つまり、最下位者となり“地獄行き”。
他の生徒たちも同じ想像をしたのだろう。一度静かになった周囲が再び騒がしくなる。
「シナギ、席に戻って!」
「そうよ、一度戻りなさい」
「言わせたいやつには言わせておけばいいんだよ」
「このままじゃペナルティになるぞ」
「せっかく一位になったんだから戻れよ!」
あたし以外にも何人かの生徒がシナギに話しかける。しかし、当の本人には届いていないみたいだ。耳に手を当て、身体も震えている。自分の思いにとらわれて、周囲の声が聞こえなくなっているみたいだった。
彼女を引っ張ってでも連れ戻さなければ――
「シナッ!」
あたしは立ち上がった。でもシナギの元に行く前に、腕を引かれ制止させられた。
「キャッ、何する――」
「いいから戻ってください。でなければペナルティを食らってしまいますよ」
あたしの手を掴んだのは、クラソという男子だった。チセと一緒にいる生徒の一人だ。
「でもシナギが――」
「大丈夫、いざとなったら何とかするので」
「……何とかする?」
「ええ、こういうことは以前にもありましたから」
以前もあった? こんな状況で、その人の言うことは意味不明に近かった。でも、どちらにしてもあたしはそれ以上前に進むことができなかった。彼はその腕の細さでは信じられないぐらい強い力であたしの腕を掴んでいた。
『再度、忠告します。シナギ、自分の席に戻りなさい』
「……私は」
その時、シナギが口を開いた。
「聞いてください。私は今回のテストを……一位の座を、辞退します」
「……辞退ってシナギ、どうして」
「先日、私は配布されたテスト予想問題を受け取りました。毎月、教室の廊下で配布しているものです。ここにいる生徒の何人かも受け取ったと思います」
「私も昨晩解いた」
「俺もやったぜ」
「俺も。でもそれがどうした?」
「私は昨晩、その問題を解きました。裏表で五教科……そして、今日テストを受けました。問題を見た瞬間、気付きました。全部、昨日解いたのと同じ問題だって」
一瞬、教室が静寂に包まれた。波が押し寄せる前の静けさと同じだった。
「えっ、マジ」
「いやそんなことねえよ。全然違う問題だったぜ」
「っていうか、そもそも表裏じゃなかったよな」
「うん、裏は白紙だった」
シナギが続ける。
「……私にもよく分かりません。どうして私が受け取ったものだけが、今日のテスト問題だったのか。でも……私は後悔している。昨晩、問題を見た時から、私はそれが明日のテスト問題なんじゃないかって思ってた。でも……私はそう思いながら、全部の問題に目を通し、確認しました。だって、もしかしたら今回のテストで一位になれるかもしれない。まだ遠い先だと思っていた目標に手が届くかもしれない……でも、いざ今日、問題を見て、まったく同じ問題だって分かると……」
シナギが顔を上げた。頬には涙が伝っている。勝ち気で頑固なシナギが……気が付けばあたしの眼がしらも熱くなっていた。
「後悔しています。だから」
シナギは振り返った。背中のスクリーンを見上げ、そして叫ぶ。
その声は堂々とした声だった。
「もう一度、チャンスを下さい。お願いします」
「お願いします!」
「……オワリ?」
無意識に、あたしも頭を下げていた。腕を掴んでいるクラソが「……想定外の状況ですね」
とつぶやくのが聞こえた。
「お願いします!」
生徒たちの目線がスクリーンに集中する。
この状況でニワトリが、正確にはこのニワトリの奥の人たちがどんなジャッジをするのか、注目している様子だった。
その間、あたしは頭を下げたまま、床にこぼれた涙の跡を見ていた。すると、しばらくしてスピーカーからノイズのような音が鳴ったかと思うと、ニワトリとは別の声がした。
『……生徒の皆さん』
その声を聞いて、瞬間的に頭を上げた。ニワトリのようにプログラムされた言葉じゃない。マイクの向こうの人間が離す、血の通った声、生きた《大人》の声だった。
『そのまま、聞いてください。今回の月末テスト、対応をどうするか、これから私たちで会議をいたします。その際に、シナギの発言の正統性も話題になるでしょう』
なぜだろう。記憶はないけれど、その若い女性の声は初めて聴いたという感じがしなかった。懐かしさすら感じる。ずっと聴いていたくなるような、不思議な声。
他の生徒達も同じように感じていたのかもしれない。だって今、あたしたちは、“外側の人間”とコンタクトを取っているのだ。こんな機会、これまでになかった。同じ答えを繰り返すだけのチキンではない、あたしたちを閉じ込めた張本人かもしれないのに。誰もそのことに一切触れず、彼女の言葉に耳を傾けている。
『会議を終えるまで、みなさんにはひとまず食堂で待機してもらいます。今から移動して、到着する頃には食事の準備もできていることと思います。シナギさんはこの部屋に残っていてください。話は以上、それでは扉を開放しますので、移動をはじめてください』
質疑応答の時間は取られず、一方的な連絡のみでその人の話は終わった。その後、スクリーンには再びニワトリが現れ、生徒が質問をしても「指示に従って移動してください」の一点張りのセリフになった。
「シナギ……」
去り際、あたしはシナギに近付いた。傷ついた彼女に何か一言をかけてあげたかった。
「シナギ……」
「オワリ、ありがとう」
彼女の目の下が少し腫れていた。でも気のせいだろうか、憑き物でも落ちたように晴れやかな表情だった。
「どうして……お礼なんて」
「だって……きっとあなたと出会っていなかったら、私きっと最後まで隠してたと思うから……予想問題のこと」
「なんだよそれ……」
あたしは彼女の言葉をどう受け取っていいか分からなかった。
「別に隠したままでもよかったのにさ……あたしは」
「あら、そうなの?」
「いやでも、今シナギに去られると寂しいから、いてくれた方がうれしいけどさ……」
「ふふっ、相変わらず素直ね、オワリは。そういうところ、好きよ」
「ばっ、ばか、何言ってるんだよ」
恥ずかしくて目を反らす。シナギはあたしの手を握り、やわからい表情で笑った。皮肉だなと思った。最近ずっと微妙な関係だったあたしたちが、こんな事態の時だけ親密に接し合えるなんて。
「じゃ、また後でね、オワリ」
「うん、帰っておいで。マイルームに」
「アワールーム、でしょ」
「うん」
そう言って彼女と別れたのが、あたしの知っているシナギとの最後だ。
それから約三時間、あたしたちは食堂に放り込まれ、部屋に戻され、たらいまわしにされた挙句、いつもより一時間早い消灯時間のせいで、逆に眠れない夜を過ごした。
シナギと再会したのは、その翌日、七月一日の夕方。部屋に戻ると、勉強中の彼女の姿があった。相変わらず背中がぴんと伸びていた。
そして、違和感に気付いた。
「シナギ、大丈夫だった?」
あたしのその言葉にシナギは振り向かなかった。愛情の逆は無関心って言うけれど、そういう意味では、シナギはこれまであたしにいくらかの感情を抱いていてくれたのだと思う。
「え……まさかの無視?」
すこしこわくなって冗談気味に話しかけた。反応を求めて肩に触れたりもした。なのに彼女はこちらを見向きもせず、まるで虫でも追い払うみたいにあたしの手を払いのけたのだ。
まるで虫でも追い払うみたいに。
「……シナギ?」