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TWOPLACE  作者: 心野想
29/30

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「まあ、お茶でも飲んで。身体を温めなさいや」


 柴田は気遣うように言った。濃い緑色をした湯呑が目の前に差し出される。あたしはその湯呑をじっと見ていた。


「安心していい。睡眠薬なんて入っとらんから、ははっ」


気が付いたように柴田は言った。あたしの考えを笑うような言い方だった。


「ほれ、わしも飲む」


 柴田はお茶に口を付けた。喉が動く。


「それであたしだけここに連れて来られたのは」

「そりゃあ釘を刺すため、さ」

「……ふうん」


 あいまいな返事をした。それ以外に言いようがなかった。


「どうか親を恨まないでやって欲しい。こう順序が逆になっては信用されづらいのは分かっとる。だが、そもそもの発端はお嬢ちゃん方のためにしていることだ」

「子どもを睡眠薬で眠らせるようなことが、あたしたちのためっていうの?」

「それもお嬢ちゃんたちに余計な不安を抱かせないための、いわゆる愛情だと思うな」

「……愛情? 笑えないよ」

「まあ待ちなさい。間もなくお母さんがここに来る。わしはただの仲介役なんだ」


 あの女が来ると聞いて、あたしの胸が急激に騒ぎはじめた。ダメ、気を強く持たなければいけない。


「ほら、やって来たようだよ」


 柴田がそう言った直後、足音がして、扉をノックする音がした。あたしは俯いて、その顔を見るのを恐れた。いったいどんな顔をしているのだろう。きっと、現場を見られた殺人犯のような表情をしているに違いない。

 しかし、実際はその逆だった。


「どうも夜分遅くに」

「どうもすみません、ご迷惑をおかけしまして……」


 ここに現れた静香さんの声色は、明らかに動揺していた。


「……秋葉、ごめんなさいね」


 あたしは話しかけられ、顔を上げた。静香さんは目に涙を浮かべ、あたしの元に駆け寄る。手を握られた。


「いつか話すつもりだったの……本当よ。もっと落ち着いたら話そうって……でもこんな形になってしまって……」

「お母さん」その時、あたしは初めて彼女の事をお母さんと呼んだ。「とりあえず座って」

 彼女の手がゆっくりと離れた。何かを言いたそうにしていたが、それを一度呑み込むように、新しい笑顔を顔に浮かばせた。


「そうね……そうしましょう」


 静香さんは斜向かいのソファに腰かけた。


「じゃあワシは奥にいますんで、何かあったら呼んで下さい」

「ええ……いつもご親切にありがとうございます」


 《いつも》という言葉があたしは気になった。柴田さんは父の知り合いで、お母さんは初対面のはずなのに。嘘だったのか。


「さて……どこから話しましょうか」


 彼女は暖炉の火を見つめた。あたしはお茶に口を付ける。熱い液体が喉を一気に燃焼させた。

 彼女は戸惑っていた。それは話の切り口を探しているのか、黙ったままでいるあたしに気後れしているのかは分からない。どちらにしても、あたしはその態度に腹が立っていた。自分のしてきたことには、正当な理由がある。そんな偽善者ぶった態度が許せなかった。


「とりあえずさ」あたしはため息交じりに言った。「なんでこんなことしたの?」

「……そうね」彼女は自分のお腹に視線を移した。「きっかけは、夫が亡くなってからよ。八年前、ちょうど名沙が小学校に上がる年だったわ……」


 彼女の話を聞きながら、あたしは自分のお母さんが亡くなった時のことを思い出した。


「私は自分一人で名沙を養わないといけなくなった。終わった、と思ったわ。夫の遺産ではとても食べていけない。仕事らしいことをした経験もない。そんなあたしがたった一人で名沙を育てる……不可能だと思った……だから名沙を、児童施設に預けようとしたの」

 

 彼女は両膝の隙間を閉じ、身を縮めこませた。当時の事を後悔しているのか、彼女にとってできれば思い出したくない過去なのだろう。


「あなたは幸せだったでしょう。あんな立派な父に育てられて……」

「……」


 あたしは返事をせずに、その目をじっと見つめた。


「……そして私は児童施設に赴いて、担当の方と面談をした。才羽才さん、すごく親切な方で、母子家庭の補助金制度や色々と教えていただいたの。ありがたかったわ。救われた。世界に一人も自分のために何かをしてくれるひとなんていない。そんな精神状態だったから、才羽さんは私にとって神さまのような存在に思えた……ううん、今でもそう思ってる」

「……才羽才」


 確かその名前は以前聞いた産婆の名前じゃなかったか。


「そしてね、三回目の面談の時、彼は私にあることを教えてもらったの。大学の研究機関で子どもを募集しているって。それに参加すると、母子二人が生活するのに十分な協力費が支給されるって」


 その時、あたしは改めて静香さんを見た。大学の研究機関……その言葉を、自分の見たあの施設と重ね合わせる。


「その後、私はその研究機関で働いている方と面接になった。話を聞けば聞くほど、私はその提案に前向きになったわ。条件も悪くないし、何より名沙と離れなくて済む。それで私は……」

「ねえ」我慢できずにあたしは口を開いた。「じゃあ、あたしが入ったあの建物は大学の研究施設ってこと?」

「……詳しいことは私も分からないの」


 彼女は申し訳なさそうに言った。それに対して嘘を付いているとは思わない。彼女がそう言うのだから、きっとそうなのだろう。しかし、それでもあたしは信じられないという顔を作った。


「……悪いけどさ、あそこ絶対、なんか怪しいよ。まともな人たち作ったとは思えない」

「……何度目かの面談の時ね」彼女の指がテーブルの上を滑る。その指を彼女の目が追っていた。「担当は女性だった。迫田さんはいかにも有能そうで、自信に満ち溢れた人だった。その頃、私はお金に困っているもあって、すっかり申し込む気でいたけれど、迫田さんの話を聞いてから、その内容に恐怖を感じたわ。だってその研究は……」


 やにわに静香さんは立ち上がった。暖炉の前にしゃがみ込んだかと思うと、柴田さんを呼んで、

「ごめんなさい。追加の薪はありませんでしょうか……どうにも寒くて……」


 山奥のキャンプ場とはいえ、季節は冬だ。あたしはきっとその寒さは薪を追加したぐらいではどうにもならないと思った。

 柴田さんは上着を手に持って、隣の部屋からのそのそと現れた。


「ちょうど全部入れたところでしたんで、新しいのを倉庫から持ってくるとしあしょう」


柴田さんが薪を持ってくるまで、静香さんは「寒いわ……寒いわ」と何度もつぶやいている。自然の炎に照らされた顔は赤く染まり、毎日同じ生活を共にしていた相手とは別人に見えた。

あたしは恐怖を感じながら、やはりこの人はあたしの《母親》ではない。そう思える日は永遠に来ないだろうと確信した。

明日も明後日も、あたしはこの人と同じ家に住むのだろうか。とてもじゃないが、耐えられそうもない。

そもそも、父はこの女のことをどこまで理解しているのだろう。


「一つ教えて欲しいんだけど」

「……何、秋葉」

「ちなみにお父さんはこの話のこと……」

「知っているわ」

「……本当に?」

「ええ」

「そう……そうなんだ」


 柴田さんが小走りで帰ってきた。そのまま暖炉の前にやってきて薪をくべる。静香さんは地獄の縁に希望の糸が降りて来たような、異常な喜び方をした。


「ああ、ありがとう……ありがとう……温かいわ、とても」

「それはようござんしたね」


 柴田さんがいなくなってからも、しばらくは話しかけづらい空気が続いた。彼女は両手をしきりにこすっては、膨らんだお腹をさすり、つぶやく。


「あったかいねえ……うれしいねえ」


 彼女の常軌を逸した振る舞いに、恐怖が徐々に大きくなる。聞きたいことは山ほどあるが、あまり長い間二人でいるのは嫌だ。それと同時に、今度は名沙のことも心配になってくる。


「……ねえ」


 あたしは質問を吟味した後、勇気を振り絞って尋ねた。


「名沙がまだ施設にいる。帰って来れるよね」

「え、何を言ってるの? 当たり前じゃない」


 静香さんは、なぜそんな質問をするのか全く理解できないという顔だった。

 

「……でも」

「あの人たちは決してあなたたちは殺さないわ……だってあなたたちがいなくなったら、もう研究はできないもの」

「何の研究?」

「子どもを幸せにするための研究、よ」

「……本気で言ってるの?」

「もちろん、そうよ。作業自体は簡単よ。あなたの毛髪と唾液を一定量分けてくれるだけ。本当にそれだけなの……それでね、もし名沙の分の採取を手伝ってくれるなら、二人にはもう睡眠薬は使わないわ」

「……つまり、それが施設への《協力》なのね」

「そうよ……それをしなければ、補助金は得られない。今のような生活もできなくなってしまう。それがどれだけ恐ろしい事態を引き起こすか、想像できるでしょう? 来月にはもう一人家族が増えるのよ……」

「……うん」


 表面上頷いて見せたが、反吐が出る、と思った。どんな言い訳をしたって、あたしと名沙を怪しい研究の材料にしてきたという事実は変わらない。

 その一方で、静香さんの境遇に同情する部分もなくはなかった。名沙を育てるために、藁をもすがる気持ちだったのかもしれない。彼女の苦労を思うと、頭ごなしに彼女のしてきたことを否定できない。あたしたちがその協力費とやらでご飯を食べ、学校に行かせてもらっている。

 つまり、彼女の過ちを責めるということは、あたしに今の生活を壊す意思があるということにもつながってしまう。


「いいよ。分かった」あたしは半ばあきらめたような気持ちで彼女に告げた。「今回のことは誰にも言わない」


 それを聞いた静香さんは驚いたように、あたしをじっと見た。そして、一度俯くと、今にも泣きそうな顔になった。


「……ありがとう、秋葉。本当に、本当に……」

「言っとくけど、あんたを信用した訳じゃないからね」

「うん、構わない。それでも……私はただ今の家族を守りたいだけなの」


 この悪魔め。外野からボールをぶつけるように、その言葉を吐きかけてやりたかった。だけれど、もう充分だ。少なくとも今日は色々なことがありすぎた。


「……だから、早く名砂を連れ帰してきてよ」


 あたしはそう言って立ち上がった。



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