28 centralroom
どこもかしこも白一色のこの施設の中央、そこは青白い照明に包まれていた。これほどの寒さは今まで感じたことがない。外の世界では、氷点下を下回ると、空から柔らかい氷が降って来るらしいけれど、きっとそれぐらいの温度だろう。
あたしはコートのポケットに手を入れた。
吐く息が白い。
扉を開けた先には、短いブリッジがあり、足を乗せると、少し軋む音を立てて揺れた。その先の通路は二手に分かれていて、広い部屋の壁沿いに沿ってぐるりと伸びている。その通路には下りの階段があり、そこから中央に行けるようだ。
そこから先、迫田は勝手について来いと言わんばかりに、先を歩きはじめた。やけにゆっくりとしたペースで通路を通り、中央への階段を降りていく。その一挙一動はやけに儀式めいていた。表情は固く、まるで見えない力に従わされているようにすら見える。あたしの脳裏に月末テストの時の教室の光景が浮かんだ。八十名の生徒が並べられた机に座り、机の上に神経を集中させ、ペンを走らせる。その中で一人、ふと我に還った時のような――そんな感覚が、今と重なった。
あたしは手を握り、迫田の見えない足跡を踏み直すように、歩いた。その一歩一歩自体が何らかの意味を持つよう。すでにあたしは後ろを振り返ることも、後戻りすることも許されない気がした。それはここに流れている神聖な雰囲気を汚すことになり、決してしてはならない行為。なぜそんな風に考えるのかは分からないが、そう思わせるだけの力が、この空間は存在していた。
中央に足を踏み入れると、迫田は壁沿いの、腰の高さまである装置の前にいた。そして、その上に、肌色の木で組まれた、簡素な神棚が供えられていた。細長い紙をジグザグに折った飾りつけがあり、中には小さな社のようなものがある。
「祈りなさい」
迫田の言葉にあたしは何も言わずに従った。祈るという行為が本来どういうものなのかは知らないが、とにかく彼女のやる通りに手を叩き、頭を下げる。形だけの祈りだが、やらないわけにはいかないだろう。
そして彼女は装置に触れた。モニターも何もない、同じ形をしたスイッチがずらりと並んでいる。それぞれのボタンは透明なケースが被せてあり、番号が振ってあった。《一》から《八六》までのボタンは、内部から静かな光を放って点滅していた。
彼女は《七七》のケースを開け、人差し指の第一関節が曲がる強さで、ボタンを押した。
迫田は振り返り、あたしの横を通り過ぎて、中央の円形の床の前で立ち止った。あたしもその横に立つ。
中央の床が音もなく、横にスライドしはじめる。長い時間をかけて、床から穴が現れると、そこから金属製の物体が姿を現した。それは筒形をしていて、滑らかな曲線をえがいた側面が、青白い照明を反射し、自らの周囲に光の線を描く。
その装置は三メートルほどの高さまで伸びると動きを止めた。最後は大きな音がした。それは部屋中にけたたましく響き、僅かな時差を生み出して次々と耳に飛び込んできた。
迫田が一歩、その装置に近付く。円筒形の側面のみが、ゆっくりと横回転している。そのうち、側面に扉のある部分が姿を現した。
プシュッーという内部の空気が外に漏れ出る音がして、側面を切った境目が上部から開きはじめる。その隙間から大量の煙が溢れた。境目はそのまま床に倒れて、あたしたちを中へと導く段差へと変わった。
そこで迫田はあたしを見た。行きなさい、という合図だった。
あたしは無心で装置の内部に足を踏み入れた。冷気の煙に触れると、微細な氷の粒が顔の表面に張りつくような感触がする。もう一歩、進むとそこに表面が白いケースがあるのに気付いた。腕を伸ばし、その表面を拭うと、その壁は透明で内部の様子が透けて見えた。
そこには血の通っていない、白い手が見えた。
「ひっ」
思わず声を上げた。このケースの中に入っているのは人間だ。そう知った途端、足がここから逃げ出そうと方向を変えた。でも、その先には迫田が立っていた。
「……うう」
そこをどけと恨むような目で訴える。しかし迫田は足を開き、その場から動こうとはしない――あなたはもう扉を開いてしまった。後戻りすることはできない――そう全身で語りかけた。
逃げられない――そう悟った時、あたしは激しく身震いした。泣きたくてしょうがなかった。この課題を終えなければ、あたしはここから出ることは許されないんだ。
あたしはケースの曇りを拭った。思考をこの作業を終えた後のことだけに集中し、目の前の情景を少しでも意識に上らせないように努めながら、手から腕、腕から全身と見える範囲を広げていった。そして、後は顔の部分を残すだけになると、あたしは目を背け、ただ手だけを動かした。
「もう……充分でしょ?」
あたしは懇願するように言った。涙目で情けない顔をしているだろうが、それを利用してでもここから出たい、本気でそう思っていた。もうあたしの望みは達成した。これ以上、望むものはない。
「見なさい。全てを、最後まで」
「……嫌」
あたしは腰砕けになり、その場に崩れ落ちる。しかし、迫田は強引にあたしを立たせ、その上後頭部を掴んで、その死体の顔の元へと引き寄せた。
あたしは強く目を閉じて抵抗する。
「見るのよ。それがあなたの責任であり、私の義務でもある」
「いやっ……やめてっ!」
「ほら、目を開けて。ここにあなたの見たかった真実がある」
「……イヤッ!」
あたしは迫田を全力で払いのけた。彼女は後方にバランスを崩し、あたしから離れる。今だ。そう思ったあたしはすぐさまその場から逃げ出そうとした。
「待ちなさい!」
それは装置の外に出る直前だった。背中と腹部を指で強く押された感触がした。たったそれだけのことだったのに、あたしは全身から力が抜けたようにその場に崩れ落ちる。
「……何、今の……」
たった数秒前の、乾いた破裂音。あれは何だったのか。
「こっちに来なさい」
あたしはそれを無視して立ち上がろうとした。しかし、頭がふらっとしてうまく起き上がれない。全身から力が奪われていくようだ。初めての感覚。それでも懸命に足に力を入れるが、すぐに迫田に首をつかまれ、その場に仰向けに倒される。
迫田はあたしの身体をまたいだ。そして上を向いたあたしの顔に銃口を突き付けた。拳銃? まさか……そんなものを持っているなんて……
そうして、あたしはやっと気が付いた。
「……あたし、撃たれたの?」
「残念だわ。とても残念な結果よ。おかげで次の会議が憂鬱だわ。『だから時期尚早だと忠告したんだ』って言われるんだろうなあ。もう最悪」
「……殺すの?」
「神棚の前でなんて罰が下るかしらね。でも、全てはあなたが土壇場で臆病になったせいよ」
「やめてっ……分かった。見る、見るから……」
「ごめんなさい……もう手遅れだわ」
迫田は目を閉じた。
逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ。




