27 whiteroom
手枷は、その扉の前で外された。抵抗する間もなく、扉の中に放り投げられ、あたしは倒れた。すぐさま立ち上がり、その扉を叩いたが、すでにロックがかかっていて開けることはできなかった。
その部屋はかすかに煙草の香りがした。中央にパイプ椅子が二脚あるだけの白い空間。天井にスピーカーと、監視カメラが一台。
「……見んなよ」
カメラを睨みつけながら、角のすみにしゃがみ、背中を壁に預ける。
「煮るなり焼くなり好きにすればいいさ……」
膝を立てた、その両膝の隙間に顔を埋めた。疲労感と長時間の緊張のせいか、丸一日勉強した後のように頭がぼうっとする。
そのまま、あたしはしばらくじっとしていた。つま先だけがキツツキのように床を叩き続けていた。イライラしているのか、と客観的に理解する。
「意味が分からない。この世界はどうなってんの? あたしが二人いるとか……そんなの聞いてないんだけど」
口が勝手に動く。それを後で自分が感じていることなんだと理解する。感情と発言の順序が逆転していた。奇妙だけれど、仕方がない。何が起こってもおかしくない、そんな体験をしたのだ。さっき私は。
『せっかく椅子を用意しているんだから、座ったらどう?』
スピーカーから声がした。例の《先生》だ。あたしたちが起こした反乱のことなど、まったく気にしていないかのような、冷静な喋り方。
それがあたしの苛立ちを加速させた。
「黙れ。記憶を奪うならさっさと奪えば?」
『記憶を奪う?』
「脱走した人は記憶喪失にして、また施設に放り込むんでしょ。やんなよ。あたしは抵抗しないから」
『フフッ……アーッハッハッハッ』
彼女が高いオクターブで笑った影響なのか、スピーカーにノイズが走った。
「……何笑ってんだよ」
『スマートアンサーよ、オワリ。記憶喪失という発想は、これまでに逃げ出そうとした生徒達には出ませんでしたから。なるほど記憶喪失か……なぜそう考えたの?」
「あんたに話して何の得がある?』
『あら、私と交渉する気なの? いいわ……もしあなたが私をもっと驚かせてくれたら、ご褒美をあげましょう。何がいいかしら』
「なら仲間を助けろ」
『お仲間とは捕えた四人のことかしら?』
四人、とは誰の事だろうか。三人までは特定できる。ただもう一人がどちらを指すのかが分からない。もしクラソを四人目だとカウントしているのだとしたら、チセはまだ彼らに掴まっていないことになる。
「……そうよ」
『残念ながら、それは無理ね。だって、あなたの言葉を借りるなら、その四人はすでに《記憶を消去》してしまったもの』
「……四人とも? って言うことはクラソだけじゃなくて、他の三人も?」
あたしは四人目を特定するための質問をした。
『……ええ。だって三人とも一階まで来られなかったんですもの』
「どういう意味?」
『あなたは特別ってことよ、オワリ。わが校の誇るべき優秀な生徒と言えるわ。監視カメラの死角をかいくぐり、一階にまで辿り着いた。いいえそれだけじゃないわ。あたなはあなた自身である島田秋葉と顔を合わせた。この施設ができて何年も経つけれど、そんな生徒はあなたが初めて』
「……ふざけんな」
カメラに近付こうと、あたしは立ち上がった。彼女と話していると沸々と怒りが込み上げてくるのが分かる。
「あんたたちがどんな人たちかずっと不思議だったけど、今、ようやく分かった。あんた
はあたしたちを単なるゲームの駒か何かだと思ってるんだろ。あたしたちの脱走も想定内で、どんな風にあたしたちが逃げるかを見て楽しんでたわけだ」
『まさか……確かにあなたたちはこの施設にとって貴重な実験サンプルですよ。でもね、それ以上にあなたたちは私の大事な生徒であり、愛おしい我が子だと思っているわ』
「……キモいんだよ、発言が、いちいち」
精一杯の恨みを込めてあたしは言った。
「外の世界のことは知んないけど、さすがに分かるよ。あんたは相当な悪人で犯罪者だ。あんたたちがしていることがもし世間に知れたら、きっとあんたらは破滅するんだろうね」
「まさか、そんなもの、あなたが望んでいる妄想以外の何物でもないわ。そんなことより、どうだった? 自分と同じ姿かたちをした人間とばったり遭遇した感想は」
「……あいつは誰だ?」
「フフッ、誰だと思う?」
答えるべきか、沈黙を貫くべきか。
「あなたの言葉一つ一つが、教育のみならずあらゆる分野の発展の一助となるの。ぜひ聞かせてちょうだい。そうね……教えてくれたら、私もあなたの質問にも答えてあげる」
「……どうせ騙す気だろ」
「馬鹿ね、生徒に嘘は付かないわ」
馬鹿はどっちだ。あたしたちをずっと欺いてきたのはあんたらのくせに。
できれば彼女に一泡吹かせてやりたい。でも彼女がここに来ない限り、それは不可能だ。
それにどちらにせよ、私の運命は決まっている。ならば、せめてあたしは真実を知りたい。
「二人の会話から何となく分かったよ。あの二人はこの施設の外で暮らしているんだろ?」
「その通りよ。名前は島田秋葉、そしてもう一人は島田名沙。彼女たちは姉妹、といっても血は繋がっていませんけれどね」
「血が繋がっていない姉妹?」
「次は私が訊ねる番よ。島田秋葉を見た時の感想は?」
あたしは中央のパイプ椅子に座った。
「……そんなのない。頭が真っ白になって、ぐちゃぐちゃになっただけ」
「それだけ?」
「あれはあたしの双子、じゃないよね。何なの?」
「……さあ、何でしょうね」
「答えろよ。あたしは質問に答えた」
「……そうね」
彼女は何か思案しているように、間を取った。
「教えてあげてもいい……でも本当にいいのかしら?」
「勿体ぶらずに言えよ」
「知らなかった方がいいということも世の中にはある」
「……どうせ記憶を消されるんだからいいだろ」
プツンッと音がした。スピーカーからだ。それきり彼女からの返事は来なくなる。何を話しかけても、ちゃんと声が届いているのか怪しくなるほどの無反応。
「もうっ、腹が立つ」
あたしはその場にうつ伏せに寝た。部屋全体を覆う白い天井。手を伸ばしてできた影が、あたしの顔にかかる。
チセがあたしを助けに来るとは思えない。きっと三人の方を優先するはずだ。
ここで思い切り暴れれば、あたしに注目してくれるだろうか。そうすれば三人の警備が薄くなったりしないだろうか。
警備が薄くなる? 本当にそうだろうか。施設にいる人数がどれだけなのかも分からないのに。
とにかく情報が少なすぎる。
目の前にはパイプイスが二脚。その上に立ち上がって、もう一脚を放り投げれば、監視カメラは破壊できるかもしれない。そうすれば中に人が入ってくる。そのタイミングで脱出しようとすればどうなるか。
きっと失敗するだろう。大人二人相手に抵抗できないぐらい自分は非力だ。でも、もし捕まったら、あたしは別のもっと厳重な部屋に移されるだろう。もしかしたらそこに三人がいるかもしれない。ミタカ、チャイコ、シェルマー。彼らはあたしのことを覚えているだろうか。すでに記憶を失っているのなら、今のシナギのように……
「……もうちょっと抵抗してみるか」
あたしはそうつぶやいて、パイプ椅子に近付いた。しかし実行に移す前に、敵側から動きがあった。扉が開いたのだ。
「どうも、オワリさん」
左右に分けられた髪に眼鏡。白衣を着ているが、それは知っている顔だった。
見つけた、そう思った。
「クラソッ」
「はじめまして、ですよ? 僕はそんな名前ではありません」
「……ああ、そういうわけね」
《先生》が言う通り、彼はあたしを忘れてしまっていた。ショックがないわけでもない。でも自分でも驚くほどに動揺は少なかった。シナギで経験したせいか、耐性が付いたのかもしれない。
「あなたは誰?」
「僕ですか、ここの研究員です。あなたを迎えに参りました」
「名前は?」
「名前ですか? 小野塚一郎と言います」
彼は胸ポケットから社員証を取り出し、あたしに見せた。確かに、そう書いてある。
「迫田先生から、君をお連れしろと指示を受けたので。付いてきてください」
「迫田先生って、あの女性?」
「君の《あの》が誰を指すのかは不明ですが、女性であることは確かです」
クラソらしい独特な言い回しだった。
「手錠を掛けます。抵抗したりしないで下さいね」
「移動するだけでわざわざ? ずいぶんあたしを警戒してるのね」
「僕は別にいらないと思うんですけどね」
小野塚は眼鏡の位置を正した。
「僕が見る限り、君はかなり先生に気に入られてますから。羨ましい限りです」
「……羨ましいんだ」
「ええ」小野寺はあたしの手首に手錠をはめた。「何といっても《インテグラル》の原案者の一人ですし、すごい人です。僕はまだ二年目ですが、先生の話を聞くたびに、才能のすさまじさに辟易としますよ」
小野塚は両手の平を天にかかげ、やれやれと首を振った。しかし、あたしは彼の言葉に反応していた。
「二年目?」
「そうですよ?」
彼はそう言って、歩行を促す。あたしが言われた通り、歩きはじめると、彼はその後ろをゆっくりと付いてきた。
「実を言うと、僕はインターンなんですよ。元々は工業高校に通っていたのですが、ある時、高校生エンジニアのイノベーションコンテストというのがあるから受けてみろと父親に勧められまして。それで参加した時に先生と知り合ったんです」
「……記憶、あるんだ」
「『君の能力を最大化する環境がある。うちに来ない?』表彰式の後で、そう言われたんです。驚きましたよ」
言語を無機質に羅列しているだけのような口調。だが、そこには確かに彼の心にある熱のようなものを感じた。
それが余計にあたしを混乱させる。
これは記憶喪失と言えるのだろうか。違う気がする。新しい記憶を植え付けられたとしか考えられない。しかしながら、嘘の記憶だけで、ここまで実感のある話ができるものなのだろうか。
「ここではどんな仕事をしてるの?」
「それは話せないんですよね。凄く悔しいんですけど。凄く凄く悔しいんですけど」
「……この施設って、何?」
「それも企業秘密ですが……そうですね、僕にとっては『MMORPG』の舞台といったところでしょうか」
「MMORPG、って何?」
「バーチャルリアリティの技術を使った、仮想世界に自分が入り込んでプレイするゲームのことです。もっとも実際の舞台はリアル地下ですし、入り込むのも自分じゃないもう一人の……あっ、これだと違反になるか。すみません、これ以上は……」
「……もう一人の自分」
あたしが何気なくつぶやいた言葉に、小野寺が反応した。一瞬立ち止まり、こちらを見る。クラソと同様、表情の分かりづらいポーカーフェイスだが、眉をしかめるその目はあたしに対して何かを訴えようとしている、そんな風に見えた。
「……何?」
「いえ……何でもありません」
「本当に?」
「……やっぱり知りたいって思いますよね。この施設のこと」
「……どうしてそんなこと言うの?」
「……同年代なので、同情するというか」
「同情? いらない、そんなもの」
「辛い思いを抱えたままになります? この先に進めば」
「……あなたは先生に指示されてあたしを運んでいるんでしょう」
「そうですが……」
小野寺がいつまでも立ち止まっているので、あたしは彼を無視して先を進んだ。すぐに彼は付いてきたけれど、さっきよりも遠い距離にいた。
そして辿り着いたのは、一階の中央の部屋だった。扉の前には迫田が立っていて、あたしを見るなり、白衣をひるがえしながら、こっちに向かってきた。
「いい目をしているわね」
迫田はあたしの鋭い目線を皮肉ったように笑い、そしてそれきり何も言わず、扉へと案内した。
「小野寺はここに立っていなさい」
「分かりました」
「オワリさん……準備はいいかしら?」
「何の準備だよ」
「そうね……私は今、自分でも意図せずあなたに話しかけたわね。ごめんなさい……でも強いていうなら、私を、私たちを恨む準備かしらね」
「それだったら余裕だね」
「フフッ……それは良かったわ、本当に」
扉の前のモニターに親指を当てる。すると鍵が解除される音が複数したのちに、モニターがグリーンに染まった。迫田が扉に手を掛け、力を込めて、持ち手を引いた。
その時、小野寺はあたしに深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
掛けるには不自然な言葉があたしの胸をわずかに波打たせる。
扉の先は薄暗い小部屋だった。その壁にかけられているコートを一枚とり、あたしに投げた。
「着なさい。中は寒いわよ」
あたしは素直に渡されたコートに袖を通した。それは大人用のサイズで、あたしが着るとコートの裾が床に垂れた。迫田もコートを羽織ると、すぐ二枚目の扉を開けようとしたが、途中で思い返したようにその手を下ろした。
「あなたが開けなさい」
「えっ?」
「私の気まぐれにせよ、何にせよ、あなたは努力してここまで辿り着いた。だから、この扉を開ける権利があなたにはあると思う」
勿体ぶって、いったいこの先に何があると言うのだろう。あたしは頷き、扉に手をかける。すると急に不安になった。
それは迫田も小野寺の態度のせいだ。あたしがこの先にある何かに遭遇することに、大袈裟なぐらい神経を尖らせている。想像も付かない未知のそれが、あたしに与える影響を警戒している。いや、もっとシンプルにあたしを心配していると言い換えてもいい。
「……何があるの、この向こう側に」
馬鹿げた質問だと自分でも思った。答えはすぐ目の前にあるのに。それでも聞かないではいられなかった。
迫田は返事の替わりに、あたしの両肩に手を乗せた。一瞬、神経を逆撫でされたような気分になったが、不思議と払いのけようとは思わなかった。コート越しに伝わってくる彼女の手の感触。やんわりと包み込むような握力には、敵意も嘲りも感じない。まるでそれはあたしの不安に寄り添おうとするような優しい手だった。
深呼吸、一つ。
あたしは目を開いたまま、体重を前方に傾けた。地面との摩擦を手に感じ取りながら。ゆっくりとその扉は開いた。




