2 theforty'sroom
昼食を終えた生徒達が弁当の空箱を順番にダストボックスに投げ捨てていく。その後はそのまま部屋を出る。食事時間以外、食堂の扉はオートロックで開かない。仮に閉じ込められたら、翌朝になるまで外に出られなくなるという話だ。
扉を出た後、シナギはあたしに小さく手を一振りして、図書館に向かっていった。「じゃあまた午後の授業で」とは言ってくれない。ナポリタンのまずさも口に残っていて、余計に気分は晴れない。
「行こう……」
他の子どもたちの最後尾から更に距離を取って、あたしは歩いた。目的地なんてない。ただシナギとは違う場所ならどこでもよかった。
あたしの足は、この施設に一か所しかないエレベーターのある場所へと向かっていた。通路は白一色。またここにも点々と天井からぶら下がっている監視カメラ。
なんて場所に、あたしは暮らしているのだろう。あたしはカメラをちらちらと見ながら、呪うような視線を送った。
それにしても、ここには情報がなさすぎる。
窓もなければ、外部と繋がる扉もない。ここにいる生徒達は、生まれてこの方、施設の外に出たことはない。それどころか、外に出る扉すら見たことがない。この施設を建てた誰かが、あたしたちの脱走を警戒しているのだと思う。だとすればお笑い草だ。これだけ監視カメラを設置しているのに、いったいどこに逃げ出す隙があるというのか。
エレベータがやってくると、気の向くままに四階に上った。そこにはプライベートルームと呼ばれている、学習用の個室設備がある部屋がある。個室は全部で四十あり、それぞれ防音用の厚い壁で隣と区切られ、中には学習用机とパソコン、ホワイトボードがある。当然、監視カメラも。
いつも入る部屋は決まっていた。入口から一番遠い、奥の四〇号室だ。他のどの部屋より、そこは気楽で、本当の意味で一人になれた。
「あれ……」
ドアノブには赤い『閉』の文字。先客がいるようだ。あたしは驚いた。いくら何でも早すぎる、食事の時間は限られているというのに、食堂に行かなかったのだろうか。それとも食後に一直線にここに来たのだろうか。
「仕方がない、戻るか……」
恨み半分で、ドアに向かってつぶやいた。どうせヘッドフォンをしているだろうからあたしの声なんて聞こえないだろうと高を括っていたが、その時、カシャンと四〇号室のロックが解除された。やばい、聞こえた?
扉が開くと、そこから一人の男子が顔を出した。
「やっぱりここに来たね」
現れた男子は、親し気に話しかけてきた。その人の名前をあたしはよく知っていた。チセ、八十人の生徒の中でも年長組で、成績は常に三位以内という。いわゆる優等生だ。
「やっぱりって?」
「予測して待ち伏せしていたんだ、君をね」
待ち伏せ? 予想外の言葉に戸惑った。あたしを待つ理由が分からなかった。彼とはこれまで話したことがないし、あたしのような平凡な生徒にとっては一方的に見上げるだけの存在だ。
「別に、毎日ここに来るわけじゃ」
「知っているよ。まあ、とにかく入ってくれないかな。でなければ色々と困った状況を起こしかねないから。この意味、理解できるよね?」
チセの提案をあたしは即座に受け入れた。こんなところ誰かに見られたら、彼の隠れファンが黙ってはいないだろう。ならば、さっさと個室に入った方が得策だ。
「コーヒーと紅茶どちらがいい?」
「いりません。それよりもあたしに何の用ですか」
質問の返答はすぐには来なかった。彼はシャツの一番上のボタンを閉め、一脚しかないソファチェアに腰かけた。そしてパソコンの起動ボタンを押す。
個室に二人きりなんて。あたしは居づらさを感じていたが、一方のチセはというと落ち着いた様子だった。
「用があるかどうか、それを確かめるために来たんだ。今日のナポリタンはおいしかったかい?」
「まさか」
「好きな食べ物は?」
「……中華、とか」
「だったら二週間後の水曜日の夜だね。チャーハンとから揚げの日だ」
「……そうなんですか」
メニューには一定の周期があるという噂は聞いたことがある。だけれど、どんな規則なのかは考えたことはなかった。少なくとも、考えなくてもすぐに分かるほど単純なルーティーンではないのは確かだ。
「知らなかった、か。無知というのはありがたい」
「馬鹿にするために、あたしを待ち伏せしたんですか」
「短気はいただけないね。知らないからこその利もある」
チセはそう言うと、椅子ごと身体を横にずらした。
「これを見てごらん」
その言葉に大人しく従い、あたしはディスプレイ画面に目を向けた。そこに表示されていたものが何なのかはすぐに理解した。それはあたしたちのいるこの施設――フューチャースクール、通称FS――の手書き図面だ。
「昼食後に、君が向かう場所は全部で四カ所。一階の自分の部屋、三階展示室そばの給湯室、地下のロビー、そしてこの個室……」
「なっ……」
あたしの行動を正確に把握していることを知り、あたしは焦り以上に不安を感じた。いったい、どんな方法で? だって監視カメラは……
チセが話を続ける。
「単純計算すれば、二五パーセントの確率で、君はここに現れる。あとは過去の訪問パターンから分析したら、まあそれでも確率的には四割ぐらいだったけれどね」
「……どういうつもり、ですか」
「勘違いしないでくれよ。別に後輩の女の子をストーカーする趣味は持っていない。そんな不審な行動を取れば、“地獄行き”の対象になる可能性があるしね。そんな危険な橋は渡らないよ」
「……じゃあ、どうして」
「その疑問に答える前に、僕からいくつか質問させてもらえないか」
チセは自分のペースを保って、常に会話の主導権を握ろうとするようにあたしには思えた。いったい彼がどんな目的であたしと接触したのかは謎だが、なんだか試されている感じがして不愉快だった。
「何が聞きたいんですか?」
「君はなぜ午後になると、この場所に?」
「何となく、ですよ。特に目的はありません」
「隠しているつもり?」
「隠すって、何を?」
少し語調が荒くなった。でもチセはその点についてはあまり気にしていないようだった。
「質問を変えよう。君はここから出ようと考えている?」
さっきとは全く別の質問が来た。いよいよ彼の意図が分からない。
「あなたの前で言うのは癪ですけど、これでも一位になってここから出たいと考えていますよ」
「トップになって? それが君の本音なのかい、オワリ」
「他にどんな方法があるっていうんですか?」
「……もしそれが本音なら、僕が勉強教えてあげようか?」
「お生憎様。あたしには家庭教師がいますんで」
優秀な家庭教師が。今は不仲だけれど。
「それはルームメイトのこと? 彼女に教えてもらうより、僕の方が適任だと思うけれどな」
「なぜそう思うのかは知らないけど、あなたに教えてもらいたいとは思いません」
「ははっ、この短時間で嫌われたものだね」
チセは残念そうな顔をした。演技だと思う。
「あなたはその内、卒業するでしょ。先月も二位でしたよね」
「君は二九位だったね」
「あたしの順位までチェックしたんですか」
「いや、順位に関しては全員分把握しているよ。別に他人の順位を気にしているわけじゃない。なんというか、そういう質なんだ。勉強漬けの日々を送っていると、時に無意味なものに興味が惹かれるんだ。食堂のシーリングファンの回転数の差を計算したり……FSにある階段の段数は知ってるかい」
「知りません」
「九五%の階段が一セット十三段、踊り場を挟んで二十六段だよ」
「もう帰っていいですか」
貴重な昼休みを彼の才能自慢で潰すのは真っ平だった。通路に誰もいないのを確認すると、礼儀的に軽く頭を下げ、外に出た。去り際に、チセの背後の監視カメラが視界に入った。
去り際に、彼は言った。
「また来るよ」
「……もう来ないでください」
それは返答というより願いに近かった。