平和な日常
空を見上げれば、満月の美しさを引き立てるように、小さな星達が力強い輝きを放っている。
この星空を観た者は、その美しさにさぞ目を奪われる事だろう。
そんな夜空の下……男は人気の少なく、蛍光灯の灯りがやや届かない薄暗い路地で、食事をしていた。
人が牛や豚の肉を美味しく食べるように、男もまたソレの肉を美味しそうに食べている。
男は大変空腹だったのか、肉を調理することもなく、そのままの状態で貪っていた……。
クチャクチャ……。ニチャニチャ……。
食されているモノは、つい先程まで息をしていた。肉を嚙みちぎれば、その個所から、まだ生温かい血液がドロリと流れる。
その赤い鮮血が男の空腹感のみならず、優越感をも満たしていた。
……どんな生物でも、唯一気を緩める瞬間が食事中だ。
況してや、幸福の最中にいるその男には、警戒心といった類はほぼ皆無だったのかもしれない。そんな中で……突然声を掛けられた。
「大変美味しそうに――食事の最中に悪いんだが」
声を発したのは……優雅な執事を思い浮かばせるかのような、黒スーツを身に纏い、左目が眼帯で覆われている男だった……が。
自身の背後から。横から。一目でその男の仲間と識別できる、同じ黒スーツを身に纏った人影が次々と現れ、複数人に取り囲まれている事に気付く。
「――捕獲させてもらう」
******
―――人面鳥ハーピー。ケンタウロス。美しい人魚姫マーメイドなどなど、古くから数多の目撃情報が在りながら、未だそれらの伝説的生物が実在したという立証を確立出来ていない我々人類。
「人魚?? マーメイド?? そんなのが実在するとしたら、是非とも会って口説いてみたいね」
「おいおい。ケンタウロスなんてそんな馬鹿げた夢を見るより、いい会社に就職する夢を追った方が、よっぽど現実的だよ」
「キャハハハ!! ハーピーとか笑える!! なんとなくは聞いた事はあるけどさ、そんなの本当に居たの?」
何の変哲もないごく普通の大学1年生。一乃瀬 豊は街に繰り出し、ある種のアンケート調査を行ったが、大半が嘲笑と失笑の意見ばかりで、耳と頭を痛めていた……。
「はぁ……」
期待通りの回答が返ってこない事に落ち込み、豊はサークル部室の机に顔を埋める。そんな豊に、声をかける人物がいた。
「豊さ、そんな暗い顔とムードを俺の前で出さないでくれ。俺の運気までが下がる。それにため息も吐くな。俺の幸せが逃げる」
「お前の!?」
普通は吐いた者の幸せが逃げるというのだが……。
豊とは真逆で、どこか涼しい顔をし、何かしらの難しそうな本を読んでいるこの男性は 神村 聡。
豊とは選考学科は違うものの、同学年で同じサークルに所属している。
小顔で整った顔立ちのルックスと、少し茶色毛が混ざっているサラサラな髪。
物静かに本を読むその姿が、余計にカッコよさを際立せていて、様になっている。……俗に言うイケメンだ。
「で? 何かあったの?」
ただ毒を吐くだけでは無く、こうして落ち込んでいる者にさりげなく悩みを聞く言葉を投げかけてくれる。
こうした優しさと言うのか……飴と鞭の使い分けが出来るのも聡の特徴だった。
「街に行って生物アンケート調査をしていたら、変な物を見るような目で見られて……笑われた。流石にへこむ」
豊は遠慮せずに、悩みというよりも、愚痴の類に近い言葉を漏らしたが、本を読みながら淡々と聡は応える。
「また例のアンケート? その豊のアンケートてさ、自分の考えに同意を求める票集めみたいな意味合い、凄く含まれてるよね。それと、空想上の生物調査だっけ? いつまでもそんな非現実的な事を追っていると、俺らに就職先越されちゃうよ」
鞭を使う聡だった……。
このように、安易に同情や慰めの言葉を口にしないのも聡の特徴。だが、豊はその聡の毒舌には既に耐性が染み付いていた。
というのも……豊と聡は、小学校から高校まで、同じ学校で同じクラスだったという事もあり、気付けば親しい間柄になっていた。
そして、大学までも同じで所属しているサークルも同じ。
聡の毒舌を聞きながら、豊はこれまでの彼との不思議な数々の縁に想いを浸らせていた。
その豊と聡は、同じUMA(未確認生物)研究会のサークルに属している。互いに詳細な好奇の分野は違えど、同じ未知の生物を探求する者同士。
「確かに、そういった空想上の伝説的生物が実在したという事が証明されれば面白いけれどさ、そんな空想よりも、未だ発見されてない新種の未確認生物を追った方がよっぽど夢がある」
「やっぱりその路線が一番無難なのかな……」
「まぁ、でもお前のその考えも、個性があっていいんじゃないの? 興味の対象は人それぞれなんだし」
このように、些細な意見の食い違いがあれこそ、活動に真剣に取り組んでいる事もあり、互いに気兼ねなく本音で語り合い、時にはぶつかり合う事もある。
各々将来的に、そういった道での就職を真剣に目指している事もあり、毒付いたりはするものの、活動を共にする「仲間」を決して心の底から嘲笑ったりはしない。
豊が所属しているUMA研究会はそんな空間だった――。
「よし!! 分かった!!」
二人が会話をしている中、突如バカ出かい声が部室内に響く。
豊と聡も含め、この部室内に居る全員の頭にクエスチョンマークが浮かんだ。
その元気溌刺な声を発した人物は、これもまた二人と同学年で同サークル所属の黒田 雅也だ。
「はぁ……また馬鹿が一人」
聡は、雅也が大声で何かを主張する時には、必ずと言っていいほどロクな内容ではない事を理解しており、イヤホンを耳に着け、読書に勤しむ。
「俺は豊くんの全面バックアップを約束する!! なぁ、お前等も勿論、協力するだろ!?」
部室内には他にも部員が居たが、皆雅也の言葉など誰一人聞いていなく、ある者はスマートフォンをいじったり、そしてある者は紅茶やコーヒーを淹れたりしていた。
「ほう……その真意は?」
豊はその雅也を放置すると余計に面倒臭くなる事を知っており、怪訝な顔をしながら、一応真意を問いただす。
すると雅也は、水を得た魚のように生き生きと語りだした。
「お前ら!! 男として恥ずかしくないのか!!」
全員総無視の対応が気に入らなかったのか、雅也が無駄に熱の籠った大声で同意を促すが、そんな雅也とは対照的に、静かでとても冷めた声が返ってきた。
「……私は女なんですけれども。それは」
雅也の冒頭の一言目から、関わり合いを持たないようにと、スマートフォンとセミロングの明るい茶色い髪をいじりながら、冷ややかにツッコミを入れたのは、これもまた豊達と同学年で、同サークル女性部員の 門倉 明日香だ。
「そこ!! シャーラップ!!!!」
そんな明日香の蔑んだ視線と言葉を気にも留めず、演説を続けようとする雅也。
「は―い。黙りますから、もう少し声のボリューム下げてくれる?」
この明日香という女性を簡単に表すとするならば、女性版聡だった。厳密に言えば、テンションの起伏は聡より激しいが……。
その大人びた雰囲気から、豊は彼女が自分と同じ18歳という事を度々忘れさせられる。
彼女もまた、整った顔立ちをしており、それに加えてメイクもバッチリで服装もオシャレ。ほとんどの人が、可愛い、あるいは美人と言える部類に入るだろう。
何故、このような可愛い女の子がUMAサークルに入ったのか、豊も周囲も謎に包まれていたくらいだった。
そんな雑音と疑念を一蹴したのが、明日香の「やりたい事をやって何が悪いの?」と、実にシンプルな一言だった。
この一言の中に、門倉 明日香というモノが凝縮されていた。
小難しい駆け引きや打算的なことをせずに、シンプルに伝えたい事を言い、周りに流されず、自分の意志を貫き通す強さが彼女にはあった。
そして、そんな明日香もまた、自身が掲げてる研究テーマに熱心に取り組んでいる。
明日香が掲げているテーマは聡と近く、未確認生物の研究。
明日香いわく「まだ、誰も見つけた事が無い生物を発見するって、凄く楽しそうじゃん」とのことだった。
聡と同じで、普段はクールな印象を持つ明日香だが、時に明るく振る舞って場を盛り上げる、UMAサークルきってのムードメーカー的な存在でもあった。
「いいか!? 確かにケンタウロスなどはとても魅力的だ!! が!! それ以上にもっと魅力的なことがあるだろう!!」
そんな明日香の回想に浸っていたら、雅也が未だ下らない熱弁を振るっていた事をすっかり忘れていた。
ムードメーカー的な役割は雅也も同じ……なハズなのだが、明日香とは何かが違う。
流石の豊も、この先雅也が何を言おうとしているのかを感付き、どうやってこの場を逃れるか模索していた中……そこに絶妙なタイミングで、やんわりとした雰囲気を持った人物が雅也の話をぶった切る。
「あの……よろしければ、コーヒーや紅茶のおかわりお淹れしますが。皆さん如何ですか?」
「あ、兎美ちゃん!! 俺欲しい!!」
イヤホンで音を遮断していた聡が、どうやってその声を聞いたのか……我先にと手を挙げ、一番に応える。
「兎美ちゃん!! 僕にもおかわりお願い!!」
聡とほぼ同じタイミングで豊が。
「兎美!! 紅茶を淹れながら、私とたっくさんお喋りしよ!! 今!! ここで!!」
明日香が、聡を覗いて下品な男連中に触らせまいと、兎美を独占しようとする。
「え……? えーと……」
三人に一度に求められ、兎美と呼ばれた女性は戸惑う。
このオドオドとした言動を象徴するかのように、外見がボブヘアで性格もふんわりとしていて、どこか守ってやりたいと思わせるほど可弱く、そして癒し系のこの女性は 同学年で同サークル女性部員の花澤 兎美。
彼女は明日香と対照的で、積極的でも活発的でも無く、18歳とは思えない程に童顔だった。しかし、今居るメンバーの中で誰よりも気遣いが出来、とても心優しい女性だ。
そして、その振る舞いから、いつも場の雰囲気を和ませてくれる。
この雅也の演説を、何の悪意も無くぶった斬ってくれたのも、彼女の長所なのかもしれない……。
「こらぁ!! テメーら人の話を!!」
このまま雅也を放置しておくと、せっかくの憩いの時間が騒音により台無しになるので、豊が機転を利かす。
「はいはい。僕が聞いてるから。そんな大声で話さなくても聞こえるから、もう少し声のトーン下げてね」
「本当だな!! 豊!!」
最後は返答をしなかった。
「雅也君が、何か話したがっている様ですが……いいんですか……?」
雅也のその必死な動作などから、話を聞かない事に少し悪気を感じる兎美だったが……そこも彼女の優しく良い所。
「いいっていいって!! 兎美!! こっちおいで!!」
そんな兎美を、雅也の駄弁で穢されないように、明日香が問答無用で彼女を強引に自分の元へと引き込む。
「すなわち!! ロマンとは人魚のおっぱいがどんな形なのか!! そして人魚の尾ひれの部分は……」
その頃には、雅也を除いて兎美を中心に4人で楽しく雑談をしていた。
……そんな中ただ一人。雅也の熱弁を聞いていないようで聞いていた人物が居た。……明日香だ。
「あ、雅也くんさぁ」
自分の話に、唯一リアクションを示してくれた明日香に喜ぶ雅也。
「おお!! 明日香!! お前だけだよ!! この俺の熱い想いを理解してくれたのは!!」
「や、別に理解はしてないけどね。ただ……」
先程の、兎美とじゃれていた声のトーンとは明らかに違う……冷めた声で明日香が言った。
「今度兎美の前で、下品な事言ったら――ぶっころすからね」
兎美とは対照的に、明日香の笑顔は怖かった……。
ただならぬ危険を察知してか、雅也が真面目か冗談か分からない演説をいい加減にやめる。
それを見越して、明日香が普段同性の友人と接している時と同じ、明るい笑顔で元気に言った。
「さーて!! 今日は私の大好きな兎美を汚した罰で!! 雅也くんが打ち上げ代を、全員分奢ってくれるそうで――す!!」
「ちょ!! 待て!! どうしてそうなる!?」
雅也は明日香に咎められ、ある程度の無茶を要求してくる事は予想していたが、斜め上をいっていたので流石に焦っている。
「雅也良かったね。お前の熱い想いは、みんなに伝わったみたいだよ」
聡が兎美が淹れくれた紅茶を優雅に飲みながら、祝福の言葉をサラりと言う。……全然称えてはいなかったが。
「僕も、雅也がこんな熱い良い奴なんて思わなかったよ!! ありがとう!!」
豊も本心のお礼言う。奢ってくれるという事の感謝の意味で。
「……え? ちょっと、明日香ちゃん……。雅也くんが可哀想……」
「兎美はいーの!! 私の可愛い兎美なんだから!!」
罪悪感を感じ、雅也をフォローしようとたじろぐ兎美だったが、明日香は罪人の雅也に同情する余地など無いと言わんばかりに切り捨て、兎美を自分の元へと引きずり込む。
そして――。
「……あんたたち二人も、兎美に変な事したら……分かってるよね?」
雅也の教訓を得て、豊と聡は危害が自分達にまで及ばないようにと、アイコンタクトで共通認識をして、返事をした。
その雅也は、財布の中身を見て肩を落とし意気消沈していたが、もう後の祭りだった。
「よーし!! UMAサークル研究会!! 飲み会に出発!!」
明日香の号令の元、5人は街へと繰り出した。
何の変哲も無い、ごくありきたりな普通の大学に通っている豊、聡、雅也、明日香、兎美はUMA(未確認生物)研究会のサークルに所属している。
他にも部員が幾人か居て、サークルの中でも意見が割れ、のんびりと適当に過ごして大学生活を満喫したいという派と、本格的に活動したい派に別れた。
今上記に名前を挙げたメンバーは本格派だった。
そして大学卒業後、各々そういった類の仕事に就きたいと本気で考えている為もあってか、強い熱意を注いで真剣に活動に取り組んでいる。
他の部員は、なんとなくノリで入ったり、UMAに対しての熱意や温度差が違ったりと、徐々に来なくなったり抜けたりする者が多かった。
後は在籍はしているが、ほとんど部室に顔を出さない幽霊部員と化している。
その中でも、豊たち5人は特にウマが合った。最初はただサークルということもあり、なんとなくって人物も居たかもしれない。
けれど、UMAに対して真剣に活動をしたり、世界にあるUMA研究施設に訪れ協力をしてもらい本格的な調査や研究をしたり。世界各地の大陸や森林、アマゾンやジャングルに実際に足を運んだり。他にも、ただの遊び半分なサークルという括りでは説明がつかないくらいに、皆真剣に取り組んでいる。
5人ともそれぞれ、性格や考え方は違うけれど、同じ方向性を向いていて同じ空間で長い時間を共に過ごすにつれ、5人ともただのサークルの「隣人」から「仲間」と認め合う関係性になっていくのにも……そんなに時間はかからなかった。
豊は、そんな「仲間達」と一緒に居るこの時間が……この世界がとても居心地がよかった。この世界が壊れないで、ずっと続いて欲しい。
そんな風に願っていた。
――そんな平凡だけど、幸せな世界に、罅が入るように。
「俺さ、今日でサークル辞めるわ」
突然聡が、普段のクールな表情を崩さずに……淡々とその言葉を言ったのだった――。