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回想~横浜の双龍(ハマのダブドラ)



 ここに、ひとりの男がいる。

 名は大森隼一おおもりしゅんいち

 横浜生まれ横浜育ちの、中学2年生。サングラスとアロハシャツが似合う、ワイキキあたりならどこにでもいるタイプの中学生だ。

 ただし、いま彼が立っているのは横浜中華街。くりかえす、横浜中華街!

 ──などという露骨なコピペでページ数をかせぐのは自粛しよう。


 夏休みシーズン真っ最中の、この日。隼一は中華街へ視察に来ていた。

 照りつける強烈な日射しの下、大勢の人々が街を行き交う。

 隼一の姿を見て、目礼する者も少なくない。

 中には五分刈りサングラスに着崩したスーツというチャイニーズマフィアみたいなのもいるが、隼一は平気な顔だ。とても中学生には見えない。というより未成年に見えない。なにしろ平日の昼間から、天下の往来で缶ビールをあおりつつ中華まんをかじっているのだ。(注:未成年者の中華まん摂取は法律で禁じられています)


 隼一の横を歩いているのは、ひとまわり小さい中学生。

 こちらの外見は完全に未成年で、ビールは飲んでない。かわりにタコ焼きをつまんでいる。

 服装は、むやみに丈の長い──というより完全にサイズのあってないTシャツと、ハーフパンツ。肩まである髪はサラサラと風に揺れて、真っ白な肌が日の光にきらめく。その中性的な美貌は、すれちがう人々の視線を例外なく奪うほどだ。

 いかなる角度から見ても、異様に目立つ二人である。まずは隼一の凝縮濃厚イタリアンなルックスに誰もが否応なく一度は目を引かれ、次に隣の美形を見て癒やされるという絶妙なタッグ。おそらく道行く男女全員に訊ねれば、9割が『こっちのイタリア人はいらない』と答えることだろう。だが残りの1ゲイには熱烈に支持されるという──いわば激辛メキシコ料理みたいな男なのだ。


「はあ……いつ来ても居心地が良いですね、この街は。先日の関帝誕も例年以上に盛り上がりましたし」

「ああ、そうだな」

 隣を歩く友人の言葉に、隼一はそっけなく応じた。

 はたから見れば、まるで親子だ。とても同級生には見えない。

「この新しくオープンしたタコ焼き屋も、さすがの中華街クオリティです。ひとつどうですか?」

「いらん。おまえの作るタコ焼きのほうがうまいに決まってる」

「それはもちろん、味で負けることはありませんけど……たまには悪くありませんよ、こうして道すがらに食べ歩くのも。それに実際このタコ焼きはよく出来てますし、値段のわりには」

「そこまで言うなら、ひとつ試食しようか」

 そう言って、隼一は缶ビールを一口飲んだ。

 すかさず、その眼前へ熱々のタコ焼きが差し出される。


「ではどうぞ。『あーん』してください」

「ああ?」

「だって両手がふさがってるじゃありませんか。食べさせてあげますよ」

「『横浜の龍』と呼ばれる俺に、こんな衆人環視の場で『あーん』しろってのか? どんなバカップルだ?」

「私だって『龍』の片割れですよ?」

「あっちのカフェで、中国マフィアの連中がこっちを見てニヤついてるんだがな……」

「どうでもいいじゃありませんか、そんなの」

「おまえはときどき強引だよな」

「え? なにを言うんですか、横浜中華街のすべての酢豚からパイナップルを排除してしまった人が」

「『すべて』かどうかはわからない。だからこうして、パトロールが欠かせないんだ」

「わかってます。わかってますから、とりあえず『あーん』してくれませんか? ……あ、ソースがたれた。ほらもう、早く『あーん』してくれないからですよ!」

「わかったわかった」


 などという平和ボケきわまる会話が延々と続けられるぐらい、街は穏やかだった。

 ここ横浜中華街は日本屈指の──否、世界屈指の美食の街。

 その秩序と安泰を守るため、今日も横浜の双龍は道を行く。

 ひとりは、酢豚のパイナップルを亜空間に放逐する異能力の持ち主、大森隼一。

 その相棒は、『特級タコ焼き師』の国家資格を持つ美貌の天才、梅田弥七うめだみな


 ここで少々なじみのない単語が出てきたので、かるく説明しよう。

『特級タコ焼き師』とは何か!

 だれもが知ってのとおり、タコ焼きをうまく仕上げるにはそれなりの技術が要求される。にもかかわらず、かつての日本では未熟な腕でタコ焼きを販売して不評を買う店が後を絶たなかった。『タコ焼きぐらい誰でも焼ける』という奢りゆえである。

 無論それぞれの家庭で自由に焼くのは構わない。が、そんな素人同然のタコ焼きが日本全国にあふれていたのは事実だ。おかげでタコ焼きはB級グルメの筆頭という位置づけをされ、まともな料理としては長らく評価されてこなかった。

 ここへメスを入れたのが、ひとりの大阪府知事だった。元弁護士の彼は地元の経済と名誉を守るため、『タコ焼き師検定』の資格を導入。当初は大阪府内だけのものであったが、いまは全国に波及し立派な国家資格となっている。

 取得基準は非常に厳しく、2級でさえ合格率は5%前後。

 特級に至っては小数点以下で、現在所有者は日本全国10人もいない。『世界で最も取得の難しい資格』としてギネスワールドレコードに申請されたこともある。

 言うまでもなく、弥七は最年少の資格者だ。その『焼き技』はもはや伝統芸能と呼べるレベルであり、店を開けば連日大行列ができるのは間違いない。いずれは皇室御用達になることも確実だろう。

 そんな人間国宝級の人材が、なぜ横浜中華街で遊んでいるのか。

 それは2年前の、とある事件にさかのぼる──。


 という調子で話を引っ張ろうと思ったが、回想シーンから更に回想シーンへ飛ぶのは自重しよう。そんなことしはじめたら、いつまで経っても話が終わらない。

 どこかの栗本薫とか夢枕獏なんかは『終わらない小説があってもいいじゃないか』みたいな主張をするが、読者からすればたまったものじゃない。たのむから死ぬ前に完結させてくれ。遺筆に『未完』とか書くぐらいなら、『そこに突然巨大な隕石が! 人類滅亡! 完!』みたいな感じで無理やりにでも終わらせてほしい。作者が死んでエタったら、もうどうしようもないだろ。あとは田中芳樹とか、ついでに田中芳樹とか、それから田中芳樹とか……。


 よし、あきらめて話を進めよう。

 一言で言えば、弥七は隼一と出会ってしまったのだ。

 そして『酢豚のパイナップルを根絶させる』という壮大な理念に心を打たれ、以来2年間ほど行動を共にしている次第。特級タコ焼き師である弥七のほうが社会的なステータスは遥かに高いが、完全に隼一を慕っている状態だ。

 こうして二人で中華街を巡回するのも、いつものことである。

 もっとも、弥七にとってはほとんどデートみたいなものなのだが。


 なお念を押しておくが、弥七の読みは『みな』である。古い世代の人はどうしてもどこかの有名な忍者を思い浮かべてしまうかもしれないが、そんな渋いオッサンとは180度ちがうキャラなので常にイメージを修正しながら読むように。

『修正とか面倒だろ! どうしてこんな名前つけたんだよ!』と言いたくなるかもしれないが、ちゃんと理由はある。理由はあるが今は思いつかないから、その話はあとにしてくれ。多分どこかで説明するから。これ伏線だから、大丈夫だから、牛男爵先生は約束を守るから(震え声)


「それにしても静かになりましたよね、最近は。2年ぐらい前までは、街のあちこちで酢豚のパイナップルをめぐって血で血を洗う抗争が起きてたのに。これもすべて、隼一さんのおかげですよね」

 自分のことのように嬉しそうな笑顔で言う弥七。

 隼一は「ふ……」と笑って応じる。

「『すべて』ってことはないな。おまえの力がなければ、この街をまとめるのはずっと時間がかかっただろう。はじめて会ったときは、俺の酢豚改革にタコ焼きの技術が何の役に立つのかと思ったものだが」

「本当ですか? 役に立ってますか、私」

「もちろんだとも。俺の目標のために、おまえの力は欠かせない」

「お世辞でも嬉しいです」

「俺は世辞など言わない。……む」


 隼一は中華まんの残りを口に放りこむと、アロハの胸ポケットからスマホを取り出した。

 画面には、メールの着信を告げる表示。

 その内容を確認したとたん、隼一の口元がにやりと歪んだ。まるで、獲物を見つけたハンターのような笑み。

 スマホを胸ポケットにもどし、隼一は足早に歩きだす。


「ついてこい、弥七やしち。タレコミがあった」

「情報屋からですか?」

「一般市民からだ」

「市民ですか……。前みたいにパイナップル派の罠じゃないといいんですが」

「もちろん警戒はするが、これが罠ということは99パーセントないだろう」

「なぜ言い切れるんです?」

「タレコミ先の店を見ればわかる」


 隼一たちは、横浜中華学院を横に見ながら道路を走っていった。

 じきにたどりついたのは、一件の雑居ビル。

 カラオケルーム、ネットカフェ、金融業者、雀荘といった看板が並んでいる。料理店の看板は見当たらない。

「行くぞ。最上階だ」

 隼一がエレベーターのボタンを押した。

「というと……雀荘ですか? まさか雀荘で酢豚を?」

「そのとおりだ。もし俺たちをハメるための罠だったら、こんな店は選ぶまい」

「それは確かに……。中華料理屋を選びますよね、ふつうなら」

「ああ。タレコミによれば、この店は昼間からパイナップル酢豚を提供しているらしい」

「昼間からパイナップル酢豚……!? 完全に舐めてますね、隼一さんのことを」

「俺のことは構わない。……だが、酢豚のパイナップルを見るたびに思い出すのさ。幼かったあの日、肉だと信じてヤツを口に入れたときの衝撃を……。わかるか? 肉のつもりで食べたモノがパイナップルだったときの絶望! 悲しみ! 怒り! そして虚無! あんな体験を、未来ある子供たちに味わわせてはいけないんだ! 21世紀の日本に酢豚のパイナップルはいらん!」

「そのとおりです!」

「では行くぞ! 無知蒙昧な輩によってダークサイドに墜とされた哀れな酢豚を救済するため……ただちに正義を執行する!」

 言い放つと同時に、隼一は雀荘の扉を蹴り開けた。

 そもそも子供は雀荘に来ないだろとか、それ以前におまえらが子供(中学生)だろとか、冷静にツッコんではいけない。すでにおわかりのとおり、この作品はツッコんだら負けなのだ。ダリの絵を見て『その時計まがってるよね?』とか言うぐらい意味がない。


「いらっしゃいませ。セットですか? フリーですか?」

 出てきたのは大学生風の店員。

 麻雀を知らない人のために説明すると、セットとは4人1組で(知人同士で)卓をかこむこと。フリーとは他の客と対戦することである。勉強になりましたね。

「わるいが俺たちは客じゃない。ずばり訊くぞ。この店の酢豚にはパイナップルが入っているそうだな?」

 隼一は初手から核心に踏みこんだ。

 ここ中華街において、彼の顔は広く知られている。場合によっては『へへぇ~、すみませんでしたぁ~』という具合に相手が土下座して、あっというまに一件落着なパターンもあるのだ。顔自体が、どこかのご隠居の印籠みたいなものである。

 が、あいにく隼一の威光も雀荘のスタッフには通じなかった。


「はい。たしかに当店の酢豚にはパイナップルを使いますが。……あ、ご注文ですか?」

「ちがう、そうじゃない。とりあえず責任者を呼んでもらおうか」

「私が責任者ですが」

「おまえが? ずいぶん若いな」

「今年の春に九州の大学を出て、こちらの店をオープンしたばかりなんですよ」

「なるほど。それじゃあこの街のルールを知らなくても仕方ない」

「ルールといいますと?」

「酢豚にパイナップルを入れてはいけないというルールだ。法律と言ってもいい」


 無論そんな法律は存在しない。いわば不文律、暗黙の掟だ。

 が、若い店長には通じない。

「いやしかし……酢豚にはパイナップルを入れるのが常識ですよね?」

「どこの異世界の常識だ? すくなくとも、この横浜にそんな常識は存在しない」

「でもお客様には好評ですし……」

「この街は外部からの観光客が多いからな。ルールを知らなくても仕方ない。……が、この街に住む者ならば知ってなければならない! 絶対にだ!」

 隼一の大声に、客の視線が集まった。

 店長は『なんでもありませんから』という具合に客のほうへ手を向け、それから少し考えて反論する。


「でもやっぱり酢豚にはパイナップルを入れたほうがおいしいと思うんですよね。こう見えても私、料理にはちょっと自信ありまして。なんなら試食してみますか? 食べてもらえば私の言うことがわかってもらえると思うんですよ」

「いいだろう。だがどうせなら、勝負といこうじゃないか。そのほうがハッキリ結果がわかるだろう?」

「どっちの酢豚がおいしいかの勝負ですね? いいですよ」

「さすが雀荘店員。勝負事には食いついてくるな」

「雀荘店員というより、もと中華料理店アルバイトのプライドですね」

「ならば、そのプライドごと叩き折ってやろう。審査員は今ここにいる客全員だ。俺が勝ったら、今後この店で酢豚にパイナップルを入れることは禁じる。いいな?」

「こちらが勝った場合は?」

「そんな心配はしなくていいが、迷惑料として10万ほど置いていこう。それでいいな?」

「いいですよ。とんだ臨時収入だ」


 あれよあれよというまに、話はまとまった。雀荘を舞台に食戟……もとい酢豚対決がおこなわれることになったのである。

 かなりワケわからん展開だが、近代麻雀もこれぐらい意味不明な連載をのせればいいと思う。……いやとっくにやってそうで怖いな。なぜか麻雀じゃなく料理でバトルする麻雀漫画。で、負けたら指を切られたり、血を抜かれたりするんだ。……うん、多分あるわ(真顔)



「……ほう、ここが厨房か。雀荘にしては立派だな」

 感心したように言って、隼一はまわりを見渡した。

 面積は普通の家屋のキッチンほどだが、ガスコンロは業務用の高火力だし、調理器具も充実している。冷蔵庫には食材がぎっちり詰めこまれ、下ごしらえされた肉や魚がジップロックに収められていた。

「料理に自信があるというのは確かなようだな。雀荘の料理とは思えんレベルだ」と、隼一。

「なんせ中華街ですからね。料理は手を抜けませんよ」

「そいつは良い心がけだ。この街の住人として、うまい店が増えるのは喜ばしい」

「ありがとうございます。……ところで、そちらの娘さんは? お手伝いですか?」

 なんの悪気もない感じで、店長が弥七を指差した。

 弥七の頬がピクッと震える。

「私が娘に見えるんですか?」

「あ、これは失礼。息子さんでしたか」

「同級生ですよ。それに私は女です」

「え!? 大学生!? とても見えない!」

「…………」

 中学生だと主張すると面倒なことになるので、弥七は黙ってうなずくことにした。


「こいつは俺の用心棒だ。料理には手を出させない。俺ひとりでやるから安心しろ」

「用心棒!?」

 隼一の言葉に、店長は素っ頓狂な声をあげた。

 無理もない。片方はイタリアマフィアみたいなサングラスの男。もう片方は学生アイドルみたいな容貌なのだ。どう考えても配役が逆である。『漫画か!』とツッコみたくなるところだ。実際ラノベなので似たようなものだが。

「まぁそんなことはどうでもいい。とりあえず調理をはじめてくれ」

 隼一が促した。

「いいでしょう。……でも、そっちの料理は?」

「ふ……。こんなときのために、酢豚はいつでも持ち歩いている」

 隼一はショルダーバッグを床に置くと、中からタッパーを取り出した。

『料理バトルなのに調理シーンなしかよ!』と思うかもしれないが、これは漫画じゃないんだ。いきなり乗りこんでいった先で何の用意もなく料理とか、現実的(ラノベ的)に考えてできるわけないだろ! しかもここ雀荘だし! ラーメン屋とかですらなく!


「というわけで俺はレンジでチンするだけなので、先に料理を出させてもらうぞ。おまえが先に出したいと言うのなら待つが、どうする?」

「いや、後攻でいいですよ」

「かしこい判断だ。グルメバトル漫画じゃ、先に料理を出したほうが負けるのがお約束だからな」

「それでも先に出すのは、それだけ自信ありというわけですか」

「自信? いや『わかってる』だけさ。俺が勝つと」



 店内には12人の客がいた。

 ひとりの例外もなく、ヒマそうなオッサンばかりだ。昼間から飲酒している者も少なくない。

 この騒ぎの中でも麻雀を打つ手を止めない彼らに勝負の経緯がアナウンスされ、まずは隼一の酢豚が配られた。

 当然ながら客は地元民ばかりなので、隼一の顔を知っている者が多い。食べる前から勝負は決まってる、などという声も聞こえるほどだ。

 そして実際そのとおりになった。

 投票の結果、11対1という大差をつけて隼一は圧勝。取り決めどおり、この店では酢豚にパイナップルを入れることが禁じられたのである。


「馬鹿な……長崎新地中華街で大学4年間バイトした、俺の酢排骨が……」

 無惨な結果に、店長は崩れ落ちた。

 だが隼一は、そんな敗者に目もくれない。彼にとっても、この投票結果は意外だったのだ。

 審査員に向かって、隼一は大声を叩きつける。

「おい! パイナップル酢豚に票を入れたクソ野郎は誰だ!?」

 鬼のような形相に、だれもが顔を見合わせた。

 その中から、ひとりの中年男がそっと手をあげる。


「おまえか! この舌バカ野郎め! 酢豚を食うのは初めてか!? 出身はどこだ!? どこの原住民の末裔だ!?」

 ハートマン軍曹みたいな口ぶりで、隼一が質問した。

 あわれな中年男は、ハゲかかった頭をうつむかせながら答える。

「生まれてからずっと、この街ですが……」

「横浜人だと!? なら俺のことは知ってるな!? この街のルールは!?」

「はい、知ってます。でも……」

 男が言い淀んだ。

 隼一は怒りのままに問いつめる。

「でも? なんだ? さっさと言え、このハゲ!」

「私は……私は……どうしても、パイナップルの入った酢豚が、好きなんです……!」

 震えながら訴える、中年男。

 極度のストレスにさらされているせいか、頭髪がハラハラ抜けてゆく。

「正気か、貴様! 本気で酢豚のパイナップルがうまいと思うのか!?」

「はい……。私が幼かったころ、パイナップルは特別な日にしか食べることのできない贅沢品でした……。でもそれを日常的に食べることが許されたのが酢豚だったんです。酢豚のパイナップルは私にとって、かけがえのない思い出でして……。でも近頃は、あなたたちのせいで中華街の酢豚が食べられなくなり……最近できたこの雀荘で、パイナップル入りの酢豚を食べていた次第です……」

「貴様個人の思い出など知ったことか! そんなもの自分で作って食え!」

 個人の思い出のみで酢豚のパイナップルを絶滅させようとしている男のセリフではない。

 ないが、この世界では力がすべて。酢豚からパイナップルを奪われた哀れな中年男は、涙ながらに訴えるほかなかった。

「自分で作れと言われても……私は料理ができないので……」

「料理? 店の酢豚を持ち帰って、缶詰のパイナップルをぶちこむだけだろうが!」

「でもやはり、外食の空気を味わいたいというか……。それに自宅には居場所がないので……」

「嫁にいびられているとでもいうわけか?」

「いびられているというか無視されているというか……。高校生の娘も私とはいっさい口をきいてくれませんし……職場では仕事もなく窓際で……こうして麻雀を打ちながら好物の酢豚を食べるのが、唯一のたのしみなんです……」

 ほろほろと泣きだす中年男。

 身につまされるところがあるのか、ほかの客たちも同情的な目で見つめている。


「ふぅ……、なるほど。どうやら貴様には、しかるべき処置が必要だな」

 溜め息混じりに言って、隼一は弥七へ目配せした。

「私の出番ですね?」と、弥七が笑顔で近付いてくる。

「ああ、ひさしぶりに力を借りるぞ。この男の頭脳を改革してやれ」

「わかりました!」

 さわやかなアイドルスマイルを浮かべると、弥七はバレリーナみたいに一回転してシャツの裾をはねあげた。

 すらりとした太腿の白さに、おっさんたちの視線が注がれる。

 が、その直後。弥七の手に抜き出された『得物』を見て、だれもが声を失った。


「あの……その千枚通しでなにを……?」

 泣いていた中年男が、おそるおそる訊ねた。

「あなたに今から、ロボトミー手術をほどこします」

 右手に千枚通し、左手にハンマーをかまえて、笑顔で答える弥七。

 サラッと言ってるが、あまり一般的な単語ではない。

「ロボトミー……? なんですか、それ」

「これは精神外科手術の一種でして……。簡単に言うとですね。この千枚通しを鼻の穴から差し込んで、脳の前頭葉を一部切開します。これによってあなたの精神は健常を取りもどし、酢豚のパイナップルを必要としなくなるでしょう。家庭での地位も向上し、雀力も強化されるはずです」

「は……!? 脳を切開!?」

「安心してください、私は国家認定の特級タコ焼き師ですから。この手術で失敗したことは一度もありません。しかも手術代はいただきませんので。どこかの強欲な無免許医とは違います」

 そう言って弥七は、『国家認定タコ焼き師特級免状』を取り出した。

 その書状には確かに総理大臣の署名のもと、特級タコ焼き師の免許を授与する旨が記されている。

「そ、そうですか……特級タコ焼き師になら、私の脳をまかせても……」

「はい、まかせてください。すぐに終わりますから」

 弥七の手の中で、千枚通しがキラリと輝いた。


 未成年者が(というか中学生が)飲酒したり、雀荘に行ったり、ロボトミー手術したり、いろいろと倫理的に問題がある内容だが、ともあれ手術は成功した。

 つい数分前まで人生に絶望しきって酢豚のパイナップルを盲信していた中年男は今や完全に活力を取りもどし、『ツモォォォ! 大三元ンン字一色ォォ四暗刻ォォォ! 酢豚うめぇぇぇ!』などと叫びながら、隼一の酢豚を貪り喰っている。その野獣のごとき姿は、まるきり別人だ。ロボトミー手術を受けると麻雀が強くなるというデータはないが、彼の仕上がりを見るかぎり否定はできない。そのあまりの強さに、ほかの客たちは『俺にもロボトミーしてくれ!』と弥七に群がってくるありさまだ。

 だがもちろん弥七は応じない。今回の被験者が麻雀力をUPさせたのは副作用であって、本来の施術目的は酢豚のパイナップルという異物への嗜好を断ち切るためなのだ。



「これは素晴らしい……じつに素晴らしい結果です」

 パチパチと、かるい拍手が鳴った。

 その美声に、すべての視線が集まる。

 声の主は若い男だった。それも、いちど見たら忘れられないようなルックスの。顔つきがどうの物腰がどうのという次元ではなく──まとっている空気が、この世のものではない。ファンタジーの世界から抜け出してきた貴族のようだ。

「なんだ、おまえは。いつからそこにいた?」

「最初からここにいましたよ?」

 隼一の問いに、男はサラッと答えた。

 だが、どう考えてもこの発言はおかしい。


「ひとりで雀荘に来て、そこに座ってたというのか?」

「不自然ですかね」

「不自然すぎる。そもそもおまえ、中学生ぐらいだろうが」

「それは大森君、あなたも同じですよね」

「ほう、俺のことを知っているようだな」

「ええ、よく知ってますよ。酢豚のパイナップルを絶滅させるために戦う、横浜の龍。……それからそちらは、特級タコ焼き師の梅田さん。はじめまして、僕は鶴見零司と言います。今後ともよろしくどうぞ」


 貴族風の男は椅子から立ち上がり、かるく頭を下げた。

 隼一と弥七は、訝しげな表情で互いの顔を見つめあう。

(こいつは一体なんなんだ?)

(さぁ……)

(敵か? 味方か?)

(とりあえず様子を見ましょう)

 という無言のやりとりが交わされる。


「あ、もしかして何か警戒させてしまいましたか? だとしたらすみません。まだこちらの流儀に慣れていないもので……」

 ははっと笑って、零司は頭をかいた。

 そんな何気ない動作でさえ、整髪料のCMに使えそうなほど絵になっている。

「というと、どこかよそから横浜に来たのか?」

「ええ。僕がどこから来たのかについては……これをどうぞ」

 零司は学生カバンを雀卓に置くと、落花生の袋をふたつ引きずり出した。

 どちらも、千葉県八街産の最高級品である。

 一見地味だが、じつはかなり高額な地方名物。にもかかわらず、もらってもあまり嬉しくない残念系贈答品の代表と言えよう。でも仕方ないんだ! 千葉には落花生と梨しかないんだ! あと濡れ煎餅とか! そこらのコンビニやスーパーで濡れ煎餅なんぞ売ってるのは、世界でも千葉だけ!


「なるほど、おまえは千葉県民か」

「はい。とりあえずお近づきの印にどうぞ」

「あ? ああ」

 落花生の袋(500g入り)を手渡されて、若干とまどう隼一。

 おなじく弥七も不可解な表情を浮かべている。

 無理もない。初対面でいきなり落花生を差し出す中学生がいるだろうか。

「受け取る前に訊いておくが、なにが目的なんだ?」

「目的はひとつです。酢豚のパイナップルを撲滅するという大森君の計画に、僕も協力させてもらえませんか?」

「おまえみたいなことを言ってくるヤツはたまにいるが、どいつもこいつも役に立たん。協力させてくれと言うが、おまえに何ができるんだ?」

 隼一は挑発的な視線を向けた。

 しかし零司は平静な声音で切り返す。


「まず、この雀荘のタレコミ情報を流したのは僕です。ほかにも中華街で3軒ほどパイナップル酢豚を扱っている店を知ってますので、協力させてもらえるならお教えしましょう」

「ほう、そいつは役に立つ情報だな。だがそれだけか? だったら他の情報屋と変わらんぞ?」

「ほかにもいくつか大森君のお役に立てることはあるのですが……そうですね、僕は大森君よりおいしい酢豚を作ることができるので、そのレシピを提供しましょう。どうですか?」

「な、ん、だと……?」


 ごく普通の口調で告げられた零司の爆弾発言に、隼一は血相を変えた。

 己の酢豚に絶対の自信を持つ彼にしてみれば、これはまぎれもない宣戦布告だ。

 隼一が今まで数多くの酢豚を改革してきたのは、『食材追放』の暴力によるものだけではない。どこの店よりもおいしい酢豚を作ってみせてきたからこそ、だ。それを根底から否定するかのような零司のセリフに、隼一は怒りを隠しきれなかった。


「俺よりうまい酢豚が作れると……そう言ったな?」

「はい。確実に」

「言っておくが、俺は酢豚対決で負けたことは一度もないぞ」

「では残念ですが、これが初の敗北ということになりますね。でも、ご安心ください。すべては酢豚のパイナップルを殲滅するためのステップです。僕のレシピを大森君が使うことで、酢豚改革はより速やかに完遂されることでしょう」

「たいそうな自信だな。ならば勝負といこうか。……だが、おまえが負けたらどうする?」

「そうですね……大森君流に言うなら、そんな心配はしなくて結構ですが迷惑料として100万ほど置いていきましょう。それでいいですね?」

「ふ……、おまえみたいなヤツは嫌いじゃない。ならば早速食わせてみろ、おまえの酢豚を!」



 こうして、名もない雀荘を舞台に酢豚勝負第2弾が幕を開けた。

 中学生3人が雀荘で酢豚バトルというのは冷静に考えて異様な光景だが、なりゆきなので仕方ない。なにも考えずに小説を書いてるとこういうワケわからんことになっちまうぞという、良い見本である。

 それはともかく、以後半世紀にも及ぶ隼一と零司の因縁が今ここに生まれた。

 酢豚のパイナップルを根絶するという彼らの目標は、果てしなく遠い。

 もちろん読者は二人の未来を知っているわけだが、さていかなる運命の導きによって彼らは敵対することになったのか。それは次回語るとしよう。この章ちょっと長くなりすぎたからな!




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