カレーライス・トッピング選挙開幕!
ここで少しばかり昔の話をしよう。
いまから10年前のことだ。現在でこそ『横浜の龍』などと恐れられる隼一も当時はまだアゴの割れてない子供で、世界のことをなにも知らない馬鹿だった。いまでも馬鹿だが、当時は馬鹿の後ろにEXがつくぐらいのエクセレント馬鹿だったのだ。
ある日、彼は両親につれられて横浜中華街でも指折りの名店をおとずれた。そして、子供は子供らしくワンタン麺でも注文しておけばよかったのだが、よせばいいのに酢豚を注文してしまったのだ。
ほんの些細な気まぐれ。しかし、その気まぐれが彼の人生を激変させた。
彼は何も知らなかった。世界のことも、自分のことも、そして酢豚のことも──。
隼一は生まれて初めて目にする酢豚を前に、はやる思いをなだめながらスプーンを取り、肉のように見えるものを口に入れた。
そう。彼はそれを『肉』だと信じていた。舌の上に広がる肉の風味、やわらかな歯ごたえ、あふれる肉汁、香ばしい匂い……そういったものを期待して口に運んだのだ。
そうして悲劇は訪れた。──ああ、なんということだろう。すべては巧妙に仕掛けられた罠だったのだ!
次の瞬間、幼かった隼一はたとえようのない異物感をおぼえて立ち上がった。肉だと確信して口に入れたもの。それは、とうてい肉とは思えない酸味を発して彼の味覚を破壊したのだ!
すさまじい衝撃だった。たとえるなら、麦茶だと思って飲んだものが麺つゆだったときの衝撃。まさに世界の終わり(アポカリプス・ナウ)ともいうべき未曾有の惨事が訪れたのだ。
耐えることなどできようはずもなく、隼一は口の中の物体を吐き出した。
見れば、それは肉とは思えないような扇形に切られており、中華ソースのからまる表面には放射状の繊維のようなものが走っていた。だれの目にも、それは肉とは見えなかった。ありていに言えば、それはパイナップルそっくりだったのだ。というより、パイナップルそのものだったのだ!
当時6歳の隼一には、それが一体なにを意味するものなのか理解できなかった。それまでの人生で一度もパイナップルを食べたことがなかったのだ。6歳では無理もない。彼は、およそ考えられる最悪の形でパイナップルと出会ってしまったのである。
もしも、違う場面、違う形で出会っていれば、彼はパイナップルを好きになっていたかもしれない。そしてパイナップルもまた彼を愛してくれたかもしれない。だが運命の神は無慈悲に彼らを引き裂いた。そうして隼一はパイナップルを心の底から憎むようになり、とりわけ酢豚のパイナップルについては根絶させるほかないとの超越的思想を抱くようになったのだ。
大森隼一、小学1年生のときの決意である。
彼の思想は、やがて恐ろしい力となって実を結んだ。彼は人知を超えた超常能力を手に入れたのだ。
酢豚のパイナップルを異次元にはじきとばす、テレポート能力。
この力によって彼の思想は単なる思想の枠を突き抜け、圧倒的な実行力をそなえるに至った。彼は片端から酢豚のパイナップルを消し去り、追放した。容赦なき血の復讐がおこなわれたのだ。
彼の前に、あらゆるパイナップルは無力だった。ユダヤ人はナチスに対して抵抗する術を持っていたが、パイナップルは何の抵抗もできなかった。すべてのパイナップルは無抵抗のままに駆逐され、追放され、霧消した。凄絶なる酢豚世界の民族浄化が実行されたのだ。文字どおりの、酢豚文化大革命。
彼がこれまでに滅ぼしてきた酢豚のパイナップルは、およそ東京ドーム2杯分にも及ぶ。指導によって酢豚のレシピを改善させた料理店は500以上。まだ高校生であることを考えれば、恐ろしい実行力と言えよう。
だが──彼の復讐劇は終わらない。
この世に、パイナップルの入った酢豚が存在するかぎり。
「俺は……絶対に……酢豚のパイナップルを許さない!」
大声をあげて、隼一は跳ね起きた。
保健室のベッドの上だ。
消毒液の匂い。真っ白な壁。窓の外には、夕暮れの空が広がっている。
かすかに、全身からパイナップルの匂いがした。
後頭部をさわると、なにやらベタッとした感触。
血かと思って手を見れば、それは明らかにパイナップル缶のシロップがこびりついたものなのであった。
「あ、気がついた? よかったぁ、心配したんだよ」
あまり心配していた様子もなく、千果子は隣のベッドに腰かけてスマホをいじっていた。
「一体なにがあった……? ひどく悪い夢を見ていたような気がするが……」
「おぼえてないの? 大森ってばパイナップルの缶詰ぶつけられて気絶しちゃったから、あたしとハッちゃんで保健室まで運んできたんだよ」
「そうか、それは手間をかけさせたな。……赤羽はどうした? 姿が見えないが」
「バイトがあるからって言って帰ったよ」
「ああ、バイトか……。で、おまえはなぜ残ってるんだ? 俺のことなどほうっておいて、帰ってよかったんだぞ?」
「え? なんで残ってたか、わからないの!?」
立ち上がりそうな勢いで、千果子は身を乗り出した。
その剣幕に、おもわず言葉をつまらせる隼一。
まさかこのデコ、俺のことが好きだとか言い出すんじゃあるまいな……?
イヤな汗をかきながら、隼一は千果子の言葉を待った。藪をつついて蛇を出すような愚は避けたかったのだ。
すると千果子は、こぼれんばかりの笑顔で言うのだった。
「だってほら、サポイチの塩ラーメン作ってくれるって言ったよね? あれだけ期待させてくれたら、食べずに帰れないよ?」
「……そんなくだらんことのために、この時間まで待ってたのか? どれだけヒマなんだ、おまえ」
「『くだらんこと』って……重要なことだよ! それに、あたしはヒマじゃないし! おいしいものを食べるのが好きなだけ! だいたい大森ってさぁ……このまえのカレーラーメンのときも思ったけど、料理に対する愛情が足りないよね!」
「あぁ? この味覚障害のデコが、俺に向かって何を言うつもりだ?」
「だって、このまえは平気な顔でカレーラーメンどこかに消しちゃうし! あれだけ買いだめしてあるサポイチも『くだらんこと』とか言うし! パイナップルの缶詰も廊下にバラまいちゃうし! 食べ物を粗末にしすぎだよ! アフリカの難民の子とかに謝って! ついでにあたしにも謝って!」
「…………」
千果子の真剣な眼差しに、隼一は言葉を飲みこんだ。
すくなくとも、パイナップル缶については彼にも反論の余地がある。
というより、その件に関して彼は一方的な被害者であり、責められるべきは万由梨なのだが──。
「ふぅ……」と嘆息し、隼一は反撃に出た。
「いいか、よく聞け。食べ物を粗末にしてるのは、ポロイチをおいしく作ることもできない、おまえら愚民どものほうだ。食品メーカーがどれほど苦心惨憺して至上の即席麺を売り出そうと、馬鹿どもの手にかかれば豚のエサにしかならない。そんな程度のものを食べて、味噌が一番とか醤油が一番とかのZ級低レベルな言い争いをしてるんだ、おまえら愚民どもは。カレーとラーメンをまぜるのも意味がわからん。そもそもカレーとラーメンはどちらも単体で完成している料理であって、いっしょにする道理はない。舌バカ連中は『1+1=2』みたいな杜撰きわまる主張をするが、俺に言わせれば『1×1=1』だ。そこには何のケミストリーもシナジーもサプライズもない! おまえら味覚障害者がカレーラーメンみたいな代物をありがたがって食うのは自由だが、すくなくとも横浜中華街においては存在を認めん! 俺が! 横浜中華街の! 秩序を! 守る!」
パチパチパチ……と、拍手が鳴った。
隼一が振り向くと、そこには微笑を浮かべる鶴見零司の姿。
手を叩きながら、彼は口を開いた。
「さすがは大森君。ご立派な意志です。そうですとも、われわれ横浜市民は誇りを持って中華街の格式と伝統を守り伝え
「だまれ、千葉県民。なにが『われわれ横浜市民』だ。おまえは一年中ピーナッツでも食ってろ」
吐き捨てるように隼一が言った。
しかし零司は、まったく表情を変えない。
「僕の身を案じてくださって、ありがとうございます。ごぞんじのとおり、ピーナッツすなわち落花生はリノール酸やオレイン酸といった動脈硬化などの生活習慣病を予防する効果を持つ不飽和脂肪酸を豊富に含み、ビタミン、ミネラル、アミノ酸などの栄養バランスにも優れ、毎日適量を摂取することで美容や健康に効果が期待できるとされています。もちろん僕も千葉出身ですからピーナッツは日常的に
「おい、やめろ! おまえの千葉トークは聞きたくない!」
「千葉トーク? 僕はただ、お礼を述べただけですが……?」
零司は軽く首をかしげると、なにか思い当たったかのように人差し指を立てた。
そしておもむろに学生カバンへ手をつっこみ──
「そうそう、言葉だけでは誠意が伝わりませんでしたね。それにピーナッツの実力も伝わりにくい。……というわけで論より証拠。これをどうぞ」
と、袋入りの落花生(殻付き・500g)を取り出したのであった。
千葉県八街産の最高級品である。
「おまえからそんなものを受け取る理由がない。ひっこめろ」
「遠慮は無用です。うちにはたくさんありますし。ビールのおともにいかがですか?」
「いらん。大体なぜ、学校に落花生を持ってきてるんだ」
「おや、ごぞんじありませんか。千葉では常識ですよ?」
「横浜は千葉じゃない」
「それはもちろんです。横浜市を千葉県に組み込むのも、行政の問題上むずかしいでしょう」
「行政の問題じゃねえよ」
「たしかに地理的な問題もありますが……千葉県の飛び地として横浜市を併合することは不可能ではありませんよ? まぁそんなことより、ピーナッツいかがです? さきほども説明しましたが、ピーナッツには健康に有用な栄養素が豊富に含まれており
「いらんと言ってるだろうが!」
「それともこちらの、業務用ピーナッツ10kg入りにしますか?」
「持って帰れ! 俺はピーナッツより柿の種のほうが好きなんだよ!」
「柿の種とピーナッツのミックス……いわゆる柿ピーもありますよ? これなら受け取っていただけますね? ビールのつまみにするのでしたら、こちらの唐辛子入り激辛柿ピーが
「すべて持って帰れ!」
そんなやりとりを、千果子は口をあけて眺めていた。
が、ふと我に返って口をはさむ。
「ねぇねぇ、そのピーナッツ、あたしがもらってもいい?」
「ええ、ぜひ持っていってください。10kgの袋でいいですか?」
まるで四次元ポケットみたいに、学生カバンから馬鹿でかい麻袋を引きずり出す零司。
信じがたい光景に目を丸くさせながら、千果子は手を横に振った。
「そんなにいらないよ! ていうか持って帰れないし! 最初の小さいヤツでいいから!」
「そうですか。ではどうぞ」
500g入りの落花生が、千果子の手に渡された。
それだけでなく、袋の上には一個の菓子が乗っている。
「なにこれ。落花生パイ……?」
「気をつけてください。『落花生』ではなく『楽花生』ですので」
「へぇー。食べたことない。おいしいの?」
「ええ、千葉県民なら知らぬ者のない銘菓ですからね。味は折り紙つきですよ。横浜ハーバーにも負けはしません」
「その横浜ハーバーとかいうのも食べたことないなぁ」
「おや、それは横浜市民として問題ですね。ちょうど今ここに、いくつか持ってきてあります。楽花生パイと食べくらべてみませんか?」
「いいね! ちょうどおなかへってきたところだし!」
「では、お茶の用意をしましょう。……そうそう、申し遅れましたが僕は鶴見零司といいます。僭越ながら、当学園の生徒会長および学食運営委員長を務めさせていただいております。今後ともよろしくどうぞ」
「……って、もしかして結構すごい人!? あたしは川崎千果子! この学校には転校してきたばかりなの! よろしくね! おいしいものは大歓迎だよ! 大歓迎だよ! だいじなことなので二度言いました!」
「なるほど、転入生でしたか。あけびの高校へようこそ。では歓迎のお茶会にしましょう」
こうして何の脈絡もなく、おやつの時間が始まった。
保健室の机に、楽花生パイと横浜ハーバー、柿ピーが並べられ、PETボトルのお茶が3本置かれる。
すべて零司の学生カバンから出てきたものだ。
物理的にありえない光景を前に、千果子はすっかり仰天している。
「え、ええーー!? そのカバン、どうなってるの!?」
「これはまぁ……青い猫型ロボットの秘密道具みたいなものです。もっとも、未来の道具を取り出すことはできませんが」
「未来のものじゃなければ何でも出せるっていうこと?」
「まぁ、おおよそのものは」
「じゃあ、お金とか出せる? 100万円ぐらいもらえたら、すごくうれしい!」
「すがすがしいまでにストレートな要求ですね。出せないことはありませんが、僕は友情をお金で買うようなことはしたくありません」
「大丈夫! お金もらっても友達にならないから!」
「すると僕は、赤の他人に100万円をポンと渡す慈善家になってしまいますが……」
「すごくいいことだと思うよ!」
「…………」
さすがの零司も、これには絶句した。
が、すこし考えて彼は冷静に切り返す。
「……では、ひとつゲームをしましょう。川崎さんが勝った場合、賞金として100万円を差し上げます」
なにしろ世界観ガン無視のチート設定キャラなので100万ぐらいどうってことはないのだが、なんの理由もなく渡すほど彼もお人好しではない。
「ゲーム? いいよ! どういうの?」
「あなたの勝利条件はこうです。『3日以内にSPYを解散させ、大森君を学食運営委員会の一員とさせること』。ただし達成できなかった場合、今後いっさい大森君と接触することを禁じます」
「え。そんなのカンタンじゃない? でも大森と接触するなってどういうこと? もしかして会長さんってゲイ?」
「SPYのメンバーが増えるのは、われわれ運営委員にとって好ましくないので。なお念のため言っておきますが、僕はゲイではありません」
「でも大森ってゲイにモテそうじゃない?」
「かもしれませんが……それでゲームはどうします? 乗りますか? 乗りませんか?」
「乗る乗る! 乗るに決まってるよ!」
「でしたら今からゲーム開始です。タイムリミットは3日後の18時。いいですね?」
腕時計に目を落として、零司は淡々と告げた。
千果子は大きくうなずき、さっそく説得にかかる。
「いまの話ぜんぶ聞いてたよね? さぁいますぐSPYを解散して学食委員会に
「おことわりだ」
千果子が言い終えるより先に、隼一は答えを返した。
まるで理解できないものを見たかのように、千果子は目をぱちくりさせる。
「え、どうして? いま聞いてたよね? 100万円だよ? あ、もちろん大森にもいくらか……20万円ぐらいあげるから。ことわる理由ないよね?」
「カネの問題じゃないんだよ」
「な、なんで!? じゃあ25万円でどう!?」
「ことわる。カネの問題じゃないと言っただろ」
「そんな……! じゃあ山分けにすればいいの? 50万円ずつ?」
「人の話を聞け、この馬鹿が。だいたい鶴見は俺に向かって『100万円で委員会に入ってほしい』と言うことだってできたんだぞ。そうしなかったのは、俺がカネで動かないと知ってるからだ」
「でも50万円だよ!? いらないの!?」
「いらん」
「うそォォォォォォォ!」
千果子は頭をかかえて天井を見上げた。
その様子を見て、零司は苦笑いを浮かべている。
「残酷な結果ですが、こうなるのは最初からわかっていました。では川崎さん、今後いっさい大森君には近付かないように。いいですね?」
「待って! 待ってよ! まだ3日あるよね!?」
「ありますが……彼を説得できると思うんですか?」
「そ……そうだ、お金で釣れないなら色仕掛けで……!」
「あきらめない心は評価に値します」
大真面目な顔で、零司は二回うなずいた。
隼一は鼻で笑いながら、横浜ハーバーをかじっている。
「ちょっと、お菓子食べてる場合じゃないよ! このゲームに負けたら、あたしと会えなくなっちゃうんだよ!? それでもいいの!?」
「ああ。大歓迎だ」
冷然と応じる隼一。
なにかの駆け引きとかではなく本心からの言葉なので、千果子にとっては最悪の状況である。
「もったいないと思わないの!? 見てよ、このナイスバディを! これ見て何とも思わないの!? ほらほら!」
背中よりも起伏のない胸を突き出して、首の後ろに手をまわし、腰をくねくねさせる千果子。
だが隼一は、汚物でも見るかのように表情を歪ませるだけだった。
「その薄気味悪い踊りをやめろ。MPでも吸い取るつもりか」
「ちょ! 人を泥人形みたいに言わないで!」
知らない人のために説明すると、泥人形というのは某国民的RPGに登場するモンスターで……ものすごくどうでもいいので以下略。ちなみにトルネコシリーズの泥人形は経験値を吸い取る踊りを繰り出してくるのでマジうざいが、千果子ほどのウザさではない。
「とにかくゲームは終わりだ、あきらめろ泥人形。そしてもう一度言うが、その不気味な踊りをやめろ」
「考えなおして! あたしは泥人形じゃないし! 登場した瞬間からメインヒロインでしょ!? フローラとビアンカと千果子がいたら、千果子を選ぶでしょ!? 結婚相手に泥人形を選ぶ男はいないでしょ!?」
「くだらん選択だな。イオナズンも使えない女に興味はない」
「あ、あなた、まさかフローラを……!?」
「ああ、迷う余地もなかったな。即決さ」
「信じられない! この人でなし! そこはビアンカを……じゃなくて、あたしを選ぶ場面でしょ! このままじゃバッドエンドまっしぐらじゃん! それに塩ラーメンも食べてないし! 詐欺よ、詐欺! おいしいラーメンで乙女心をたぶらかしておいて、この仕打ちなんて! 鬼! 悪魔! イタリア! アフロ!」
「なんとでも言え。まぁ最後の晩餐に塩らーめんぐらい作ってやるさ。それで永久にお別れだ」
「ひどい! 手切れ金が塩ラーメン一杯だなんて! よーく考えて! あなたはいま、ひとりの女の子の人生を台無しにしようとしてるんだよ!? いいの!?」
「俺の人生はおまえの手で台無しにされそうだったが、早い段階で修正できてよかったよ。鶴見もたまには良いことをする」
「ぐぬぬ……」
とりつく島もないとは、まさにこのことだった。
が、ここで千果子は少しだけ冷静さを取りもどし、零司のほうを振り向いた。
「会長さぁぁん! いまのゲームなかったことにして!」
これまた直球きわまる要求だった。
零司はニッコリ笑って、当然のように答える。
「ええ、いいですよ。かわいい女の子のたのみとあっては、ことわれません。いまの賭けはなかったことにしましょう」
「やったーー! ありがとう会長さん! さすがイケメン! どこかのケチくさいイタリア人とは違うよね!」
「おい、ふざけるな! 約束したことは実行しろ!」
柿ピーの袋を握りつぶしながら、隼一が怒鳴った。
しかし零司は平然と答える。
「おや、大森君が怒る筋合いではないでしょう? いまのゲームは僕と川崎さんの間でおこなわれたものなのですから。両者合意のもとでなら、どのようなルール改変も許されるはずですよね?」
「四の五の言わず、このウザ苦しいカレー妖怪デコスケを引き取れってんだよ! 委員会に人手が足りないなら、この泥人形カレーを仲間にすれば済む話だろうが! そのまま最後まで馬車に入れとけ! 正直つきまとわれてウンザリしてるんだよ! おまえがタコ焼きでも食わせてやれば、そっちに憑依するだろ!?」
とてもラブコメ小説の主人公とは思えないセリフを言い放つイタリア人。
いや、これはラブコメ小説じゃない! グルメ小説だった! どっちにしてもひどいけど!
ああ、何故こんなのが主人公に……!
「女性に向かって、泥人形だの洗濯板だのという言葉をぶつけるものではありません。それにわかっていると思いますが、僕は大森君の能力を評価してスカウトしているのです。人手が増えれば誰でもいいわけではありません。というより、あなたが委員会のメンバーでないことがおかしい」
「前にも言ったぞ、おまえの下でなど働けるか! それから俺は洗濯板などと言った覚えはない!」
「べつに僕の下で働いてほしいとは言ってませんよ? ただし委員会の規則と方針には従っていただきますが……。そして洗濯板というのは僕の勘違いだったかもしれません。失礼しました」
「そうやって結局は学食に口出しできないようにするつもりだろうが! なんでも自分の思い通りになると思ったら大間違いだぞ鶴見! 洗濯板という点には激しく同意するけどな!」
「ふふ……僕の思い通りにならないのは、大森君。あなただけですよ。しかし、あなたの影響力と実行力はもはや放置しておけない域に達しています。あなたの支持者だけで学食選挙の趨勢が決まってしまう現状も大変よろしくない。……それから洗濯板は多少なりとも凹凸があります。適切な表現ではありませんでしたね」
「なにを言ってる? おいしいものが支持される! それが学食選挙だろうが! まさかおまえまで天王寺みたいなことを言いだすのか!? 俺のやってることがナチズムだとでも!? そして洗濯板が正しくないというのなら、まな板でいいだろ!?」
「見方によっては、あなたの行為はナチス以上ですね。彼らの蛮行は過去のできごとですが、あなたの行動は現在進行形でおこなわれていますので。このまま行くと、遅かれ早かれ大森君は学食の独裁者になるでしょう。その前に誰かが止めなければいけません。ただし、まな板という表現には合意します」
「ほぉ……おまえが俺を止めるとでも言うのか? 委員会のおまえに選挙を左右する力はないぞ? 『学食の公正を期するため学食運営委員に所属する者は一切の選挙活動を禁ずる』という規則がある以上はな!」
「たしかにそういう規則は存在しますが……やりかたなどいくらでもありますよ? いくらでも、ね」
炎のように激昂する隼一に対して、零司は氷のように冷静だった。
それを見た隼一は、ますます怒りをたぎらせる。
「やりかただと? 天王寺みたいに裏から組織をコントロールするつもりか? そんなことをしてみろ。俺が必ず暴きだしてやる。おまえの学園生活はおしまいだ」
「いえいえ、僕はそんなことはしませんよ。天王寺さんが裏で何かをしているかどうかも知りませんし」
「とぼけるな。おまえが知らないわけないだろうが」
「本当に知りませんよ? そんなことより大森君、僕と『ゲーム』をしませんか?」
「ああ? 巨乳フェチのインチキ詐欺師とゲームをする気はない」
「そう言わず、話だけでも聞いてください。……今度、カレーライスのトッピングをめぐって選挙がおこなわれますよね? どちらが勝つか賭けませんか? それから僕にそういう性癖はありませんよ?」
「くだらん。結果は明白だ。カレーにレーズンなどありえん。そしておまえは巨乳フェチだ。天王寺を会計長に抜擢したのも、それが理由だろうが」
「なにか非常に間違った認識をされているようですが……まぁいいでしょう。大森君がグリーンピース派に賭けるのでしたら、僕はレーズン派の勝利に賭けることにします。この賭けに負けたなら、僕は生徒会長の座と学食委員長の座を辞任すると約束しましょう」
きっぱりと、零司は言い切った。
これには隼一も驚きだ。
「正気か? たかがカレーの……しかもグリーンピースかレーズンかのトッピング選挙に、そこまでするのか?」
「ええ、僕はいつでも本気です。そのかわり大森君、あなたが負けたらSPYは即座に解散。同時に学食運営委員会に入ってもらいます。……このゲーム、受けますか?」
零司は真正面から斬り込んできた。
これを見て逃げだすほど、隼一は腰抜けではない。
「いいだろう、そのゲーム受けてやる。おまえを引きずり下ろすためなら、なんでもやってやるさ」
「ありがとうございます。ただしゲームに負けたからといって、『いまのはナシ』などというのは認めませんよ? もっとも、大森君のプライドがそんなことを許すはずはありませんが……」
「それはこっちのセリフだ。いまのうちに辞任届を書いておけ」
「やめて、ふたりとも! あたしのために争わないで!」
そのとき。隼一と零司の間に千果子が割って入った。
すでにおおかたの話はついたところだが、お菓子を食べたりお茶を飲んだりでタイミングを見失っていたのだ。
「だれも泥人形のためになんか争ってねぇよ」と、隼一が眉を歪めた。
「僕は川崎さんをはじめ、すべての生徒のために戦ってますよ」と、零司が爽やかに微笑む。
それを聞いて、千果子はふたりを見比べた。
楽花生パイをもぐもぐしつつ、テカテカしたオデコを光らせながら彼女は問いかける。
「でも会長さんは、カレーにレーズンなんだよね?」
「ええ」
「だったら、あたしは大森の味方になるよ! 会長さんのほうがイケメンだし、やさしいし、気前もいいし、頭もいいし、だれが見たって大森の100倍カッコイイけど、レーズンだけは……レーズンだけは許せないの! 嗚呼、なんて悲劇……!」
まるで舞台女優みたいに、千果子はおでこを押さえてよろめいた。
「とにかく賭けは成立だ。積もり積もった恨み、今度こそ晴らしてやる」
大根女優に目もくれず、大森は言い放った。
が、零司はとぼけるでもなく目をぱちくりさせている。
「なにかの勘違いでは? 大森君に恨まれるようなことをした覚えはありませんよ?」
「おまえが認知症だとしても、恨みは晴らさせてもらう」
「あの……まさかとは思いますが、梅田さんの事故をいまだに誤解されているとか?」
「事故だと!? あれはおまえが計画的に引き起こした『事件』だろうが!」
いままでで一番大きい声だった。
それでも零司は澄ましたままだ。
「ふぅ……以前にもこの話はしましたが、どうやっても平行線のままなんですよね……。まぁゲームの約束は取りつけましたし、目的は果たしました。今日のところは引き上げるとしましょうか」
「待て、鶴見! 話は終わってないぞ! それに『目的は果たした』だと!? どういう意味だ!?」
「その話は、また今度にしましょう。外も暗くなってきましたし……僕たちはともかく女の子の一人歩きは危険です」
「こんな泥人形を襲う勇者がいるか!」
「経験値目的で襲う勇者はいるかもしれません。ともあれ僕は帰らせていただきます。明朝までに片付けなければならない仕事がありますので」
「待て! おい!」
「ではまた」
隼一の呼び止めを無視して、零司は保健室を出ていった。
実際のところ、彼は非常に多忙な身なのだ。学食運営委員会と生徒会の長を兼任しているのだから無理もない。酢豚のパイナップルを抹消するためだけに生きている隼一とは違うのだ。
決して、この章が長くなりすぎたのでいったん場面を切り替えたいとか、そういう作者側の事情によるものではない。だんじて。──だんじて! 重要なことなので二度(ry
ともあれ、こうして話はまとまった。
学食のカリスマ大森隼一と、万能のチートイケメン鶴見零司が、たがいの地位と誇りをかけて戦うことになったのである。カレーライスにグリーンピースをのせるか、レーズンをのせるかという地球規模のテーマを舞台として──!
あと梅田?とか何か伏線らしきものが張ってあるけど、作者はナチュラルに忘れる可能性が高いので読者も忘れて構わないぞ! その場の思いつきで書いただけだからな!
次回、レーズン派の仁義なき容赦なき躊躇なき侵攻が始まる! グリーンピース派の反撃やいかに!