冷やし中華はじめました
日本には、およそ1700の市町村が存在する。
その中にあって横浜市は、日本最大の人口を誇る『市』だ。
私立あけびの高校は、その東部──東京湾を見下ろす高台にある。
生徒数6000。創立50年の、それなりに歴史のある学園だ。校風はフリーダムで、生徒の自主自立を最大のモットーとしている。あけすけに言えば、『俺たち教師は忙しいから、おまえらで勝手にやれ。ただし問題は起こすなよ』ということだ。
そのため、服装や髪型など一切の規制がない。隼一みたいにアロハ&グラサンで登校しても何も言われないし、トゲ付き肩パッド装備で改造バイク(スーパーカブ)を乗りまわす世紀末モヒカン野郎もいる。ほかにも、メイド服で登校する男子生徒、チャイナドレスで登校する男子生徒、旧型スクール水着にセーラー服姿で登校する男子生徒など、フリーダムというよりカオスというべき状態だ。
なぜか女装する男子が多いのも、あけびの高校の特徴である。逆に男装する女子はあまりいない。もちろん、これには理由がある。理由はあるが説明はあとにしよう。念のためこれだけは先に言っておくが、作者の趣味ではない。なので、イタリア人のゲイの男性は女装画像などを送ってこないように。わかったな? 絶対送ってくるなよ? ダチョウ的な意味でなく。なお現役女子高生からの応援メールはいつでも(ry
──さて、中華街カレーラーメンの騒ぎから数日後。
隼一は学生食堂で冷やし中華を食べていた。
その背後には、『冷やし中華はじめました』という貼り紙。これぞ日本の夏の風物詩といえよう。まさに今日のランチタイムから、今年の冷やし中華シーズンが始まったところだ。
麺の上に乗っているのは、ハム、キュウリ、錦糸玉子。
これ以上ないほどシンプルな、赤、緑、黄の三色構造だ。カメルーンとかコンゴとかガーナあたりの国旗を思わせる。
そう、ワールドカップを見ればわかるとおり、なぜかアフリカの国にはこの三色を用いた国旗が多い。もちろん理由はある。簡単なことだ。なぜならば……これは日本人のほとんどが知らないことだが……冷やし中華という料理そのものがアフリカで生み出されたものだからだったんだよおおおお! な、なんだってーーー!?
なお、もしかすると信じてしまう(ついでに作者を馬鹿だと思ってしまう)読者がいるかもしれないので念のため言っておくが、いまのはウソだ。考えてもみろ、冷やし中華がアフリカ大陸で発明されたわけないだろ! 中国で編み出されたに決まってるだろうが! 作者は馬鹿かもしれんがな! それを言うならこんな小説読んでるヤツも大概だぞ!
まぁそんなことはどうでもよかった。
基本的にどうでもいいことしか書かれてない作品だが、本題に戻ろう。
冷やし中華だ。本日のテーマは冷やし中華なのだ。今回も酢豚の話は出てこないが気にするな。ただのタイトル詐欺だ。もう一度言うが気にするな!
そしてなにを隠そう、この大森隼一という男はイタリアンなルックスに似合わず中華料理の達人。冷やし中華など彼にとってはお手のものなのだ。
なにしろ、いま食べている冷やし中華のみならず、この学食で提供されているメニューの半分以上は隼一の手がけたレシピによるもの。その才能は圧倒的だ。横浜中華街で『龍』と恐れられたのは過去のことではない。いまなお現在進行形で、隼一は『横浜の龍』でありつづけているのだ。
「うむ……今年の冷やし中華も問題ない。俺のレシピどおりだ。これほどの冷やし中華を出す学食は世界のどこにもあるまい」
料理評論家みたいに気取った顔で、隼一はうなずいた。
実際、この学食の料理はどれも完成度が高い。しかも一般的な飲食店より遥かに安価。この冷やし中華だって200円だ。量も一般の店より多いぐらいで、コストパフォーマンスは非常に高い。おかげで昼休みの学食は常に満席だ。
「うわー、見てくださいよ先輩。みんな食べてますよ、冷やし中華。はじめてです、こんな風景」
隼一の隣に座っている一年生が、おどろいたように声をあげた。
隼一とおそろいのアロハシャツにサングラス。ただし身長は150ほどしかないので、ふたり並んで座ると何かのコントにしか見えない。
名前は赤羽八朔
猫みたいにふわふわした髪と、猫そのものの大きな耳がトレードマークだ。べつに、猫族と人間族のハーフだとか、化け猫だとかいうわけではない。ラーメンを亜空間に吹っ飛ばすような男が存在する世界だが、亜人や妖怪は存在しない。たぶん。いまのところは。
かんたんに言えば、八朔は猫耳カチューシャを装備しているのだ。背が低くて目立てないから少しでも大きく見せようという涙ぐましい努力である。とはいえ生徒の中にはバニーガールコスで授業を受けるような猛者(しかも男子)さえ存在するため、猫耳程度では焼け石に水でしかないのだが。
「ふ……この冷やし中華祭りに至ったのは当然の結果だ。俺の手がけたレシピだぞ。質、量、価格、いずれも完璧。赤羽、おまえも食ってみろ」
「じゃあ、さっそく! いただきまーす!」
八朔は割り箸を手に取ると、おそろしい精密さで『完璧に』左右均等に割った。
そして麺を5本、錦糸玉子を2本、キュウリを2本、ハムを1本……と、流れるような動作でつまみあげ、スッと口に運ぶ。
つづけて、もういちど。まったく同じ動作をくりかえす。
その一部の無駄もない洗練された動きに、隼一はもちろん周囲の生徒たちも見とれるばかりだ。
ちなみにこれは八朔の持つ特殊能力『超鋭敏感覚』によるものだが、本作は超能力バトル小説でも超能力官能小説でもないので、あまり意味はない。忘れて結構。
「……で? どうだ?」
隼一の問いに、八朔は少しのあいだ下を向いて震えていた。
そして、猫みたいな瞳をキラキラさせながら感想を返す。
「さすが! さすがです、大森先輩! できるかぎり原価を安くおさえなければいけない学食という空間では、高級食材など使うことはできません! にもかかわらず、この具材と麺が織り成す高貴な味わいといったら! これはスープ! スープの力ですね! 業務用などでは決して得られない、この力強くも優しい風味! まろやかな酢の酸味と、香ばしいゴマ油の香りが
「残念だが、それは業務用スープだ」
八朔のセリフを無情にブッた斬って、隼一は首を横に振った。
「え……、ちょ……! そこは『さすが俺の認めた後継者、赤羽!』とか言ってくれる場面じゃないんですかぁぁ~!?」
「俺は事実を言ったまでだ。そもそもおまえ、いままでの人生で何皿の冷やし中華を食べてきたんだ?」
「ええと……1シーズンに5回ぐらい食べるから……50~60皿ぐらいです」
「それでは、冷やし中華に対する経験値がまったく足りないな」
「ううう……先輩のおっしゃるとおりです……」
がくりとうなだれる八朔。猫耳カチューシャまでペタンとなっている。
その肩に、隼一の手が置かれた。
「なぁに、落ち込むことはない。この夏は冷やし中華の猛特訓だ!」
「はい! これからも精進します! 大森先輩の後継者として恥ずかしくないように!」
そのスポ根めいた二人の姿に、周囲から拍手と声援、口笛が飛んだ。
なにしろ隼一は学園屈指の有名人。もはや伝説と化した中華街での暴れっぷりも人々の記憶に新しいところだが、学生食堂を現在のような一流店レベルにまで改善したのは他ならぬ隼一なのだ。とくに彼が入学する前の学食を知っている3年生からの支持は厚く、校長の名を知らぬ者はいても隼一の名を知らぬ者はいないほど。
そんなギャラリーたちに、サングラスのイタリア野郎は軽く手をあげて笑みを返す。
あけびの高校の学食において、彼は不動のカリスマなのだ。
「しかし先輩。僕にはひとつ疑問があります」
八朔の瞳は真剣だった。
隼一は無言で視線を返し、『言ってみろ』とばかりに続きを促す。
「ええと……こんなことは先輩にとって愚問かもしれません……けれど、なぜ……なぜ、夏にしか冷やし中華は食べられないんでしょうか! 僕にはわかりません! 売ればいいじゃありませんか、真冬にだって!」
そのストレートな問いかけに、周囲からは『おお……』というどよめきがわいた。
たしかに、冷やし中華を冬場に売ってはいけない理由はない。
が、隼一は一瞬の迷いもなく答える。
「みずから愚問と言ったとおりの質問だな、赤羽。冷やし中華は夏に食べるもの……それが様式美というものだからだ」
「様式美……! はじめて聞きました、そんな言葉」
「そうか、では教えてやろう。様式美というのはな……たとえば、力士が塩をまいたり四股を踏んだりすることだ。何度も仕切りなおして時間いっぱいまで引っ張るのも様式美」
「えっ、そうなんですか!? 僕は集中力を高めるためにやってるんだと思ってました」
「よく考えてみろ。たとえば陸上競技や水泳の選手が、何度も何度もコースに出たり入ったりして塩をまくか?」
「そ、そんなことをしたら、プールの水が海水みたいに……!」
そう言ったきり、言葉を失う八朔。
どうやら水泳選手がプールに塩をまかない理由がわかったようだ。
でも力士が土俵に塩をまく理由は多分わかってない。作者の知らないことを知ってるわけがないしな!
「そういうことだ。ほかにも、茶道、華道、弓道、剣道、合気道……すべて様式美の集大成だ。光速ギターにツーバスでハイトーンヴォーカルを乗せるヘヴィメタルも様式美だし、カウント2.9でフォールを返すプロレスも様式美だし、あれこれ蘊蓄を語りながら土手を作って焼いたもんじゃ焼きが最終的にグダグダのゲロ状態になるのも様式美だ」
「な、なるほど……わかります、よくわかります……」
まるきり心酔したかのような表情で、隼一を見つめる八朔。
そして、ハッと気付いたように言う。
「そうか……つまりは茶道であり、華道であり、剣道であり、プロレスであって、もんじゃ焼きでもあるんですね、冷やし中華は!」
「そのとおりだ。よく気付いたな。冷やし中華ともんじゃ焼きは、同じ属性を持った仲間と言える。前者は『夏にしか提供してはいけない』という縛りがあり、後者には『蘊蓄を語りながら焼かなくてはいけない』という縛りがある」
「しかも、語っておいて焼くのを失敗するんですね?」
「そう、そこまでが一連の様式美だ」
「ああ、目からウロコです……。まさか冷やし中華ともんじゃ焼きが同じだったなんて……」
「もちろん見た目も味も違うがな。本質の部分は同じだということだ」
「さすが先輩! 目からウロコが落ちまくりです!」
そんな会話をする二人の後ろで、いきなり大声が響いた。
「ちょっと! この冷やし中華を作ったのは誰!?」
その答えはもちろん、食堂のおばちゃんだ。
が、レシピを作ったのは隼一である。
彼はゆっくり立ち上がり、「それを作ったのは俺だが……?」と言いながら、声の方向を振り向いた。
するとそこにいたのは、先日のカツカレーラーメン少女・川崎千果子。
よし、前回の予告は守られた! 公約を守る男・牛男爵! 素敵! 自画自賛!
「なんだ、おまえ。ここの生徒だったのか」
「あっ、このまえのイタリア人のオジサン!」
「またか! 俺はイタリア人でもオッサンでもない! 純粋な日本人の、高校生だ! 学校にいる時点でわかるだろ!」
「教師なんでしょ?」
「れっきとした生徒だ! ……いや、もういい。おまえ、ここの生徒のくせに俺のことを知らなかったのか?」
「あたし、3日前に転校してきたばっかりだからねー」
「ああ……なるほどな。それで、その傍若無人ぶりというわけか。納得がいった」
傍若無人ということで言えば隼一も相当なものなのだが、だれしも自分のことには気付きにくいものである。
なんにせよ、これでもう隼一は川崎千果子という少女から逃げることはできなくなった。
ボーイ・ミーツ・ガール! ここから新たな物語が始まるのだ!
だが、まずは冷やし中華の話をかたづけよう。『色気より食い気』という言葉もある。『花より団子』という金言もあるし、おなじタイトルの少女漫画もある。あんなにカッコイイ登場人物は出てこないけどな! 現実は漫画と違うんだよ!
「……で? 俺の冷やし中華レシピに、なにか文句でもあるのか?」
「うん。どうして具が三種類しかないの? 錦糸玉子と、キュウリと、ハムと……もうひとつ必要じゃない?」
「ほぉ……なにが必要だって言うんだ? トマトか? シイタケか? モヤシか? それとも飛び道具のカニカマあたりか? まさかスイカやチェリーなどとは言い出さないだろうな?」
「どれも違う。あたしがほしいのは……」
「ほしいのは? なんだ?」
「わからないの? ウズラの玉子に決まってるでしょ!」
「ウズラか……。たしかに世の中には、そういうタイプの冷やし中華も存在するな。だが俺の理想とする冷やし中華には無用だ」
「なんで? おいしいじゃん、ウズラの玉子。入れようよ」
「却下だ。そもそも俺はウズラの玉子という存在自体を認めん」
「どうして!? 中華丼に入ってるウズ玉とか、メチャクチャおいしいのに!」
「味の問題じゃないんだよ」
「なんの問題なの?」
「……いや、この話はやめよう。ウズラの玉子について、俺は何も語りたくない」
いつになくシリアスな顔で、隼一は話を打ち切った。どこか沈痛な空気さえ漂っている。
そのとき、千果子はハッと気付いて周囲を見回した。
見れば、食堂全体がシンと静まりかえっているではないか。つい先刻までの冷やし中華フィーバーは完全に沈黙している。まるで葬儀場だ。
これには、さすがの千果子もうろたえた。
「ど、どうしたの、みんな! ウズ玉ってそんなにマズかった!?」
その言葉に、だれもが深くうなずいた。
ただ隼一だけは、テーブルを見つめて俯いている。
「あのぉ……こちらは先輩の知りあいの方ですか……?」
おそるおそるといった感じで、八朔が隼一の横から顔を出してきた。
「ああ、知りあいってほどでもないが……」
「じゃあ何なんです?」
「このまえ中華街でちょっと色々あってな……」
「そうなんですか、へぇー」
八朔は首をかたむけながらニッコリ笑うと、千果子に手を差し出した。
「はじめまして、僕は赤羽八朔。大森先輩とは親しくさせてもらってます」
「川崎千果子だよ、よろしくね♪」
かるく握手する二人。
だが、両者の間には妙な緊張感が漂っている。
「ええとですね、川崎さん。転校生では知らなくても仕方ないことですけれど……ウズラの玉子という言葉は禁句なんですよ、この学食においては」
八朔が説明すると、周囲の生徒たちは再びうなずいた。
まるで何かの掟を遵守する秘密結社員、あるいはしきたりを守る村人のようなふるまいだ。
「なんで? なにかあったの? だれかがウズラを鼻に詰まらせて死んだとか?」
「それを言うなら喉でしょう」
「鼻に詰まらせることだってあるかもしれないでしょ! いいえ、あるの!」
えらい剣幕で反論する千果子。
そんなことで張りあうだけ時間の無駄なので、「まぁそうですね」と八朔は引き下がった。
「それで、どうしてウズ玉の話をしたらダメなの? だれかが鼻に詰まらせて窒息死したの?」
「どうしてもこだわるんですね、鼻に。……まぁ僕の口からは説明しません。ですが、おいおい知ることになるでしょう。この学園に転校してきたのですから」
「なにそれ。気になるなあ……おしえてよ」
「そのうちイヤでも知ることになりますよ、この学食を利用していれば」
「すっごく気になるんだけど!?」
「まぁまぁ……それより冷やし中華を食べませんか? のびてしまいますよ?」
『超鋭敏感覚』によって、精密機械のように冷やし中華を口へ運ぶ八朔。
「あ、そうだね。ウズ玉のことは気になるけど、まず目の前のごはんだよね」
八朔とは対照的な乱雑さで、ずぞぞぞぞォォッと麺をすする千果子。
そのさまは、洗練された文明人と未開の地の蛮族かのようだ。ただでさえ美しい八朔の動作が、よけい鮮やかに見える。美女の横にブスを置いたときと同じ効果だ。
「ところでさ。ウズラはもういいけど、これにカレーかけたらもっとおいしくなると思うんだ」
「は……!? カレー!?」
唐突な提案に、八朔の動作が乱れた。
周囲の生徒たちも、おなじように狼狽している。
それはあまりに予想外の提案。冷やし中華の具にカレーとは! 斬新すぎる!
いや、それはもはや『具』ではなくてメインではないのか。『カレー冷やし中華』と呼ぶべき代物ではないのか。
だが、これまた実在するメニューなのだ! やめてくれ!
「え……? どうしたのみんな。そんなに驚くことなの? こっちに引っ越してくるまえ、家の近くにあった中華料理屋で出してたよ。一年中」
「しかも一年中だと……!?」
周囲一同の気持ちを代弁するかのように、隼一は怒鳴った。
が、千果子はしれっとした顔で答える。
「だって、おいしかったし。一年中やってくれるほうがいいよね?」
「おま……っ、様式美ってものを……! それじゃあ『冷やし中華はじめました』って貼り紙が出せないだろうが! おまえにはわからないのか、あの貼り紙の醸し出す風情が! あれを見てはじめて、夏の訪れを実感できるんだろうが!」
「『冷やし中華終わりません』っていう貼り紙ならあったよ」
「「「見たことないわ!」」」
あまりのことに、食堂の誰もがツッコんだ。
「しかし……冷やし中華を一年中やっているというのも驚愕ですが、カレーをかけるというのも異常極まりますよね?」
周囲の反応をうかがうようにしながら、八朔が問いかけた。
「でも近所じゃ評判だったよ。一年中冷やし中華が食べられるお店って」
「いや……僕ごときが言うのも何ですけど……相容れない存在ですよね、その両者は」
「そう? でもおいしかったよ?」
「おいしければ何をやってもいいわけではありません」
「そうかなぁ……。おいしければ、なにやってもいいんじゃない? カレー冷やし中華もカレーラーメンもダメって言うけど、じゃあカレーうどんは?」
「カレーうどんはカレーうどんですよ! なにを言ってるんですか!?」
「だったらカレー冷やし中華もカレー冷やし中華だし、カレーラーメンもカレーラーメンじゃない?」
「そういうのを屁理屈と言うんです!」
ぴしゃりと言い切る八朔。
だが、屁理屈はおたがいさまというか……八朔の言ってることは理屈にすらなってなかった。まぁ『カレーはカレー! ラーメンはラーメン!』で押し切る男の後輩なので、こうなるのも無理はない。
「カレーラーメンもカレー冷やし中華も、おいしいんだけどなぁ……。っていうか、カレーをかけたら何でもおいしくなるよね?」
「なりません! カレーをかけてもいいのは、ごはんとうどんだけです!」
「おそばは?」
「そばは……まぁかけてもいいでしょう」
「じゃあ、そうめんは?」
「それは……ナシ! ナシです! だいたい麺がちぎれますから! あなたの想像する以上に重いんですよ、カレーのルーというものは! そうめんには荷が重すぎる相手です!」
「じゃあスパゲティは?」
「だんじて認めません!」
「じゃあタコ焼きは?」
「な……なぜそこでタコ焼きに飛ぶんですか!? いまは麺類の話をしていたところですよね!?」
「え、そうだったの? じゃあお好み焼きは?」
「……人の話、聞いてます?」
この調子だと「おでんは?」「焼きそばは?」「コロッケは?」「餃子は?」「かき氷は?」という具合にエンドレスなので、自重してもらおう。
だが──ここで八朔は、ひとつの可能性に思い至った。
もっとも、それはあまりに遅すぎる気付きだったと言えよう。するどい読者ならば、千果子が登場した瞬間から匂いで判断できていたはずだ。たったひとつの、あまりに明白な事実に……!
「川崎さんといいましたね……? あなたもしかして、カレー教の信者ですか?」
慎重な口ぶりで、八朔が問いかけた。
千果子は当然のようにうなずいて、「そうだよ。よくわかったね」と応じる。
その衝撃的な告白に、おもわず顔を見合わせる八朔と隼一。
「それはまぁ、ここまで話せばいくらなんでもわかりますよ……。でもこれで理解できました。宗教では仕方ありません。タコ焼きでも、お好み焼きでも、どら焼きでも、好きなようにカレーをかけると良いでしょう」
すべてを打ち切るような態度で、八朔が告げた。
「え! 待って! いくらなんでも、どら焼きにカレーはかけないよ! どこかの猫型ロボットにケンカ売ってるの!?」
「かける/かけないの区分がわかりませんが……聞いても仕方ないので、これ以上はやめましょう。不毛です」
「不毛とか言わないで! カレーはおいしいよ?」
「それは否定しませんよ。ただ、なんにでも無分別にカレーをかけるのが許せないだけです。カレーはカレーらしく、ライスの上にかかってればいいんですよ。あまりでしゃばるものではありません」
そう言って八朔は、するりと冷やし中華を口に入れた。
「なんで……なんで、そんなふうに言うの!? まるでカレーが悪い子みたい! おねがいだからカレーを食べて! そうすれば心が落ち着いて、ケンカなんかしなくなるから!」
「僕だって月に一度ぐらいは食べてますよ、カレー」
「摂取量が全然たりない! 最低でも1日1回は食べないと! ビタミンやカルシウムが不足して、いまのあなたみたいにキレやすい人間になっちゃうんだよ!」
「キレてるのは川崎さんのほうだと思います。それこそカレーの食べすぎで、ホルモン異常にでもなってるのでは? それとも更年期障害ですか?」
「なに、更年期障害って! カレーを馬鹿にしないで! カレーこそ人類の生み出した究極の完全栄養食なんだから! カレーだけ食べてれば人類みんな健康で平和に過ごせるの! 世界から戦争がなくならないのは、みんながカレーを食べないからだよ!」
「まったく根拠のない出鱈目ですね。毎日カレーを食べてるインド人だって、核兵器を保有しているではありませんか。どこが平和なんです?」
「うぐ……っ」
「語るに落ちましたね。カレーにそんな力はないんですよ。人類を平和に導くなんて力はね。目をさましたらどうですか? この国では信仰の自由が認められてますけれど……ときどき目にあまりますよ、カレー教団の横暴ぶりは」
「こ……ここまで言われたら、もう黙ってられない! カレーの尊厳を守るために、あたしは戦う! いまこそ聖戦のとき!」
あらゆる方向からツッコミ可能なセリフとともに、千果子は爛々とおでこを光らせて立ち上がった。
「ふたりとも、ちょっと落ち着け。俺にもしゃべらせろ。主人公を空気にするつもりか?」
隼一が二人の間に割って入った。
「あ、すみませんでした先輩。つい熱くなってしまって……けっしてエアらせるつもりでは……」
「まぁ赤羽の気持ちはわかる。カレーで世界が平和になるなら、ガンジーだって暗殺されることはなかったさ」
気の利いたセリフで後輩を落ち着かせようとする隼一。
だが、千果子は黙ってなかった。
「そのガン爺とかいう人は知らないけど、カレー教の教えは絶対だから! 『かけてよし! くるんでよし! 塗ってよし! 握ってよし! 飲んでよし!』の万能選手だから! 栄養も満点だし! その人が暗殺されちゃったのも、カレー摂取量が足りなかったせい! ちゃんと毎日カレーを食べてれば、撃たれようが毒を盛られようが首を斬り落とされようが、ピンピンしてたはず!」
「『ガン爺』って、指輪物語の登場人物みたいな呼びかただな……。まぁそれはいいとして。じゃあ今からおまえをナイフで刺しても大丈夫だよな?」
「え……っ!? やだよ! 死んじゃうでしょ!」
「毎日カレーを食べてれば、銃で撃たれても平気なんだろ? ナイフぐらい余裕じゃないか」
「いや、ほら、あれ。今日は生理二日目で……じゃなくて、女の子の日で体調悪いから」
「やたら怒りっぽいのは、そのせいか。そんなもの、カレーを食べればおさまるんじゃないか?」
「カレーにだって、できることとできないことがあるの! 年頃の女の子を閉経させるなんて無理! あと、あたしは怒りっぽくなんかないし! 超温厚だし!」
「おまえさっき、カレーは万能だって言ったよな?」
「く……っ、なんてセコい揚げ足取り! とてもイタリア人と思えない!」
「思ってくれなくていいよ、それは」
ちなみに彼らの会話は、周囲の生徒全員に聞こえていた。
とくに千果子の声はでかく、食堂の端から端まで届くほど。
しかも口論の相手が隼一ときては、注目度200%だ。
「威勢のいいオデコちゃんだな! 俺もカレー教徒だから応援するぜ!」
野次馬──というか単に食堂でランチを食べてた男が、声をかけた。
すると食堂のあちこちから、「俺もだ」「私も」「拙者も」「それがしも」「朕も」などと、カレー教徒のカミングアウトが続々と。隠れキリシタンみたいな連中である。踏み絵ならぬ踏みカレーが必要だ。
「ありがとう! ありがとう、みんな! カレーは世界を救うよね!」
千果子は涙ぐみながら、手を振って声援に応えた。
そして、ふと思いついたようにパンッと手を叩く。
「そうだ! カレー教の仲間のために……あたしはイタリア人のおじさんと戦うよ!」
「ほお……どうやって戦うつもりだ?」と、隼一。
「ふふ……『学食選挙』で勝負!」
千果子がその言葉を口にしたとたん、周囲から「おお……っ!」という声が湧き上がり、場の空気が一変した。
学食選挙とは文字どおり学生食堂のメニューを決める唯一無二のシステムであり、転校3日目の学生が安易に実行できるものではない。生徒数6000を誇るあけびの高校だが、その9割以上の生徒は一度も出馬することなく一介の有権者として卒業するのだ。人脈も何もない転校生が学食選挙に打って出るなど、馬鹿げているにもほどがある。
「学食選挙とは大きく出たな。ルール上、俺に拒否権はない。受けて立つが、なにをどうするんだ?」
「もともとは冷やし中華にカレーがかかってなかったのが発端だよね? だからあたしは、この冷やし中華に挑戦するよ! あたしのカレー冷やし中華がコレよりおいしいってことを、全校生徒に教えてあげる!」
千果子の宣戦布告に、周囲はどよめいた。
学食のカリスマたる隼一に勝負を挑むのもさることながら、カレー冷やし中華という危険球を堂々と投げつけるのが凄い。
「この超正統派の冷やし中華に対して、異端の極みとも言えるカレー冷やし中華をぶつけるなんて……無謀すぎる!」
八朔が声をあげた。怒りのためか猫耳が微かに震えている。
「あたしには勝算があるの。カレーの力があたしを勝利に導いてくれる!」
「馬鹿な……! 勝てると思うんですか? それ以前に、必要最低限の支持者が集められるんですか?」
「そんなの、やってみなければわからないよね?」
「く……っ。なんて強気な……」
ここでざっと説明しておこう。『学食選挙』とは何かを。
一言で言えば、学生食堂を改善もしくは改悪するためのシステムだ。あけびの在校生には全員ひとしく学食選挙を発動する権利があり、また選挙に対して1人1票の投票権が与えられている。
発動議案は自由だ。千果子のように既存のメニューに対して新しいメニューをもって戦いを挑むこともできるし、『カレーライスの辛さをもっと辛くしませんか?』とか、『カレーライスに入ってるグリーンピースをレーズンに替えませんか?』みたいな議案で戦うのも構わない。
ただし選挙を成立させるには、申請の際に1割(600人)以上の在校生の署名が必要だ。並大抵の者では隼一に戦いを挑むことはおろか、舞台に立つことさえできない。
だが、それを! あえてやってみせようというのだ! この川崎千果子という少女は!
あと今さりげなく言ったけど、この学食のカレーライスにはグリーンピースが入ってるぞ! これは本作品の根幹を成す設定なので、よーく覚えておくように! ものすごくどうでもいいことだけど、ものすごく重要なことなので! テストに出るよ!
「ふ……。よほど自信があるようだな、そのカレー冷やし中華とやらに」
あきれたように、隼一が嘲笑った。
「うん。だっておいしかったもん」
「それは大いに結構だが、選挙に持ちこむなら料理の現物とレシピが必要だぞ? おまえにそんなことができるのか?」
「やってみなければわからないよ?」
「そうか……俺のレシピに戦いを挑んできたヤツは半年ぶりだよ。しかも冷やし中華に挑んできたのは、おまえが初めてだ。……いいだろう、お手並み拝見といこうか」
その堂々たる態度は、まさに学食の王者。
今回防衛側となる隼一には、この選挙で特にできることはない。ただ現時点での冷やし中華のクオリティを信じて、正面から迎え撃つのみだ。
しかし彼は確かに感じていた。この無謀なチャレンジャーの熱意を。
あるいはここから、究極VS至高みたいな料理バトルめいた何かが始まるのかもしれない──!
次回! 闇黒のカレー教団・川崎千果子が、必殺のC級グルメ・カレー冷やし中華で隼一に挑む! 勝敗やいかに!?
まぁおおかたの読者の予想どおりな結果だけどな!
主人公が負けるわけないだろ!(フラグ)