九、
「…………」
飾り気のない簡素な方形を描く建物の中。
客室のような場所に案内された俺達は今、リンリン、俺、レグナ、罪の無い一般市民の女性の順に俺達は一人掛けのソファにそれぞれ腰かけていた。
ところでこの一般市民は案内さえしてくれたらそれで帰って良かったのに、何故ここにいる……。
それにしても、よく見れば、かなり身なりのいい市民だ。彼女は泣きながら、小さく呟く。
「うう、私、もうダメなんですね……このまま魔王の人質として生きていくんだわ」
「いや、別にもう帰っていいよ……?」
「そう言って帰ろうとしたら後ろから襲うんですよね!? ひいいいいん」
なんて被害妄想逞しい女性なんだ。
そんなことするくらいなら、案内した後にもう襲ってるという話なのだが、まあ面倒だしこの女性は放っておこう……。
リンリンとレグナはというと、どうも落ち着かないらしく、そわそわしている。
特にリンリンは、あれやこれやと置き物を触っては、驚いたり笑ったりと忙しない。
感性が完全に子どもなので、見てる分には微笑ましいのだが……護衛と言うか、付き人ににするには完全に選択を間違えた気もする。
隣で何度も何度も叱るレグナに、心中ですまないと思いつつため息を吐いた時だった。
俺の真向かいにある扉が、ノックとともに開いた。
現れたのは、身なりのいいスーツをピシッと決めた厳つい顔の紳士だった。短髪と髭がいい具合にアクセントになっている。
熊のように大柄な身体を一度揺らすと、彼は頭を軽く下げた。
「お待たせしてしまい申し訳ありません。知事のゴルドフです」
逞しい外見には似つかわしくないほど優雅な所作でそっと席まで歩き、一度会釈してから席に着く。
「魔王セブンスだ」
一応礼を失さぬ程度に頭を下げておく俺。
かと言って、魔王がサラリーマンのように相手にへこへこするのもおかしいので、必要最低限と言った感じのフリ程度です。
いや、でも立ち上がって頭をへこへこ下げたい気分ではある。元々は俺だって小市民だし。
「どうぞ、頭を上げて下さい。
さて……外の騒ぎは聞いておりましたが、ご用件の方はそれで間違いありませんかな?」
その厳つい顔を凄ませて、バッサリとこちらの話に切りこんでくる様は、まさしく武闘家そのものだった。ギラギラとこちら見つめる目が恐い。
怯みそうになる心を奮い立たせて、俺は『魔王然』と振舞うことに努める。
「だったら、お聞きの通りだ。この都市をいただきに来た」
毅然とそう告げると、相手はこちらの言葉に対して顎に手を当てて思案を始めた。
肝が太いと言うか、まるで怯んだ様子が無い。
相手からすれば、交渉というテーブルについてる時点で、俺はあくまで魔王という肩書をもっているだけの一取引相手と言うわけなのだろうか。
「魔王ほどのお方であれば武力で制圧することも可能だった筈ですが、なぜまたこのような面倒な交渉を?」
「……回答は拒否する。一つ、俺が合図ひとつ出せば魔物を大挙して押し寄せることも可能だとだけ言っておこうか」
リンリンとレグナが「マジで?!」と言わんばかりの驚愕の表情を俺に向けてくる。
バカ、やめろ。ブラフだよ。看破されたらどうすんじゃい。
実際、嘘だ。カリンやリンリン・レグナと接してみて、俺は『魔王という職業に魔物をコントロールする能力は無さそう』と感じ始めている。
魔物達は俺を畏敬してくれるが、それはあくまで畏敬であって服従では無い。仮に、俺がリンリンやレグナに「カリンを害せ」なんていう命令を本気で出しても拒否されるだろう。
「……それは困りますな。私もこのジーニアルには愛着がある。そういう脅しを受けてしまっては仕方ありません。交渉に臨むのもまた、自衛ということで王国も許して下さるでしょう」
話が分かる。建前はくれてやったのだから、交渉開始といこうか。
交渉を始めるための取っ掛かりを掴んだゴルドフは、相変わらず顎に手を当てたままこちらを見据えた。
「まず、魔王殿が何を望むのかお聞きして宜しいでしょうか」
ゴルドフは、その厳つい顔の眉間にしわを寄せた。厳つい顔が更に険しく見えて、それだけで憤怒の形相にも見える。顔で威圧されている感じが半端ではない。
リンリンとレグナが腰を引く中で、俺はため息を吐いて、頼りにならない味方から視線を外した。
「はっきりというが、俺はこの街をある程度『支配』という形で得たい。つまり、要求はこうなる」
こうして語り始めてみても、難しいものだと考える。
今から提案することは恐らく受け入れられない。どれだけ譲歩を引き出し、どれだけこちらに引き入れるか。大勝負だ。
無論、拒否される可能性はついてまわる。『交渉はここまで』と途中で切って捨てられないように食い下がらなければ。
交渉事なんて言うのは苦手だが、四の五の言ってられやしないんだ。そうだ、決めたんだからな。
「まず、『王国と関係を切り』『王国に払っていた税金の献上先を俺達にする』こと。次に、『国営ギルドを潰し、独自のギルドの発足』『通貨センの発行をこちらで管理する』こと。そして、『ゲートを閉鎖する』こと。それさえ守られれば、お前達の独立性は認めるし、税に関しても今まで通り王国に献上してきた額でいい。
つまり一言で言えば、オーナーを王国ではなく俺らに変えろという要求だ。どうだ?」
「レグナレグナ。王国ってなんすっか」
「第一層のグニティクア王国のことよ。どの層の街もこの王国に属してるわ。人間からすれば、全ての始まりの場所とも言えるのかもしれないわね」
レグナの言葉通り、実は中央都市は全て一層にある王国を基点に作られている。
遠征用の都市や、一部の都市には勿論王国の介入が無い自由都市もあるが、基本は全て王国の管轄下だ。
そういう意味では、世界の全ては王国が握っていると言っても過言ではないかもしれない。
いやはや、やってて良かったストーリークエスト。
「……要求はわかりました」
ゴルドフは荒唐無稽な要求に、流石に言葉を無くして、困ったように額に汗を滲ませた。
まあ無論、全てを通して貰うには『譲歩』をするしかないだろう。
そう、『譲歩』をな。
「どうだろうか。まあ俺達に服従しろと言ってるようなものだから、簡単には頷けないだろうが」
「そうですな。我々も人間としての意地がある。人間と敵対する以上、この要求を呑むメリットでもなければ、魔王殿にはお引き取り願うこととなるでしょうな」
俺の言葉に、ゴルドフも流石に簡単には首を縦にすることは出来ないと牽制を入れてくる。
メリットなんていうものは無ければ捻り出せばいいんだよ。それが詐欺師のやり口だとしてもな。
「じゃあメリットをくれてやる」
「! い、いや、結構、交渉は……」
「終わりにはさせんぞ! レグナ!」
「【サイレントミスト】!」
交渉の雲行きから俺の意を判断したレグナが、即座に沈黙効果を持った闇魔法の霧をゴルドフに向けて撃つ。
霧に包み込まれたゴルドフは口を開いたものの、そこから空気を振動させて音を伝える事が出来なくなる。傍目には金魚が口をパクパクさせるようにしか見えないなあ、コレ。
まあ、もう少し黙って聴いていて貰おうか!
本来はここで交渉をなあなあに切るつもりだったんだろうが、強引な手段に出ないと思って油断したな。
俺は立ち上がって、口をパクパクとさせて何とか言葉を紡ごうとするゴルドフに近づいた。
「そうだな。本来攻め入る予定だった俺の軍勢を下げよう。これで都市は救われた。メリット一つ。
次に、お前達や冒険者に魔物を狩る自由をやろう。絶賛対抗してくれていい。それを俺は咎めない。メリット二つ」
肩越しに優しく問いかける。ゴルドフはそのやり口を理解して震えていた。
うーん、この悪役感はこれはこれでたまらないかもしれんな。
震えるゴルドフの横で更に俺は続けた。
「そして、浮遊島による冒険者の支援も行おう。これはもし受け入れてくれれば、内容を改めて調整したいと思う。メリット三つ。
どうだろうか。悪い話じゃないだろ?」
二つは完全に『マッチポンプ』……―――自作自演である。
浮遊島の話も、こちらが最終的に出し渋り気味な内容を相手に呑ませたら相手には何のメリットにもならない。
言っておいてなんだが、完全に脅迫なんだよなあ……。交渉する上で、手札も純粋な交渉術も無い俺には、ハッタリも脅迫も使わなければいけないものである。
「!!!!」
「おっと、レグナ、解いてやれ」
「【ホワイトミスト】」
放たれた光の霧によって状態が中和されたゴルドフが、憎々しげにこちらを睨む。
「魔王殿、やはり交渉する気など……!」
「メリットを提示しろと言われたからしたまでだ。そうだろ?」
「ぐぬ、うむ……」
「まあ、あくまで今上げたメリットはお前達との交渉の上で絶対的に必要となるだろうメリットだ。お前達が更なる利益を望むなら、もっと交渉も受け入れる。それは約束しよう」
「人間を裏切るに値するとお思いか!」
「思っちゃいねえさ。ただまあ、人間を裏切るなんて考えるなよ。そうだなあ……都市の市民の為に国を裏切るって考えるのじゃダメか」
「先のメリット、その一つ目は確かに一考の余地がある。しかし……承服しかねます。未来の冒険者や、王国の繁栄のためにも、私は首を縦に振ることは出来ない。仮に私がここであなたに殺されるとしても、イエスは言えませんな……!」
頑なな男だ。義理堅いと言うか正義漢と言うか……。
この男がどういう経緯で知事なんて面倒な役割を受けているのかは知らないが、何にしろ一本筋は通った男らしい。
一筋縄ではいかんなこりゃ。
「……わかった。もう一つメリットをつけよう。俺は『お前達に攻撃されない限り、お前達を攻撃しない』し『お前達に人間と戦えという命令は絶対にしない』ことを誓う。必要なら強力な魔法を付加した誓約書も書こうじゃないか」
「ちょっと魔王様、それは……」
「大丈夫だ、レグナ。考えがある」
それにどの道、この都市の人間に無理強いをする気はあまり無かった。
元々この侵略は、浮遊島が抱える慢性的な維持費の不足などを補えれば程度のものだ。
それ以外で引き出せるものは、まあ予期せぬプレゼントくらいにしか思っちゃいない。
「……」
「こう言っちゃあなんだが、俺は力づく以外で切れる手札はそれほど無くてな。
お前の方も元から俺をあからさまに追い返すための手札は、『交渉を聞き流して帰らせる』か『無理なら自殺して交渉を破算させる』かの二択だろ、どうせ」
俺の言葉に、ゴルドフはしかめ面をする。
前者はどうあれ、後者は交渉の最中で見えてきた。この男は、所属するコミュニティの為なら、自殺すらも厭わない精神力の持ち主だ。
ここで適当に腹積もりを語ったのは、追い込み過ぎないためでもある。
今ここで都市のまとめ役に死なれるのは、こちらとしても困るのだ。
「そうだよな。魔王が徒歩で交渉に来たんだ。口先で追い返す術なんて無いだろうよ」
「……何も言いますまい」
「まあ、というわけでな。手札は俺もお前もそうあるわけじゃないんだ。この開示した手札分でイエスかノーかを決めようじゃないか」
「……」
ゴルドフには非常に決め辛いだろう。
こちらのブラフ分の自作自演にしても、魔王が言うと相当性質が悪い。
彼が死ねば確かに交渉はご破算と相成るわけだが、俺達の後の行動が読めない以上、更に都市を危険に巻き込む危険がある。そう易々と危険な手段は取らないはずである。
「少しでも譲歩する姿勢があるのは感じられました。が、やはりこの会話だけで信用するには魔王殿は読めないお方だ」
ゴルドフの冷たい視線に、「そりゃどうも」と俺は肩を竦める。
「しかし、提示された内容からしても従わぬと一言に切り捨てられたものでもありません。私の一存では決めかねる……時間を頂きたい」
「いいよ」
「ま、魔王様!?」
俺が軽く返事をすると、レグナが素っ頓狂な声を上げてソファを叩いた。
立ち上がったフクロウ娘をいさめるように、俺は掌を出してその動きを制した。
「いい。ここで回答を聞いたところで、反故にされる可能性は十分ある。それよりは、じっくり考えて結論を出してくれ。一日待つ。期待は裏切らないで欲しい」
「お心遣い感謝します。魔王よ」
ゴルドフの一礼に、俺は頷きを返して発つ準備を始めた。
***
「どうして帰ってしまうのですか!? 時間を与えるなど愚の骨頂。そもそも、あの男、魔王様に対して最初から物怖じ一つしていませんでしたよ!? おかしいのではありませんか!」
都市の路上。帰りの前に、リンリンが行きたいとうるさいポーション屋に寄ろうとする俺達の中。
矢継ぎ早にまくし立ててくるレグナがうるさい。
わかったから静かにしなさいよ。とは、前準備から交渉中までこき使った手前、言い辛い。
「色々思うところはある。が、交渉を完璧に動かすのは無理だし、藪を突ついて竜を出すわけにもいかんだろ……。結局は、あの男に『思案させる』というところまで行っただけでも儲けモノだぜ?」
「ああ、もう。魔王様は楽観視が過ぎますよ。時間を与えればそれだけで王国の精鋭なんかを呼ばれる可能性だって出てくるんですよ!」
まあ、その可能性も考慮してはいる。だが、力づくでと言うなら俺の方に遥かに分があるだろうから、あまりリスクのある選択肢として見ていない節はあるな。我ながら。
がなりたてるレグナに対して、リンリンは俺同様のん気な雰囲気を絶やさずに俺にべったりはり付いてくる。
「大丈夫っすよー。魔王様ってば激ツヨっすから。最悪バトルで解決っすよね!」
「そうね、穏便にってのが無理ならね。嫌だけどね」
「あーもう、勝手にしてください。私は忠告しましたからね」
「すまんすまん。お前の忠告は実際正しいんだがな。 でもまあ、リスクも時には受け入れきゃいけないと俺は思うぜ?」
ユニオンクラスのモンスターが相手でも、全滅を恐れて腰を引いていてはドロップは勝ち取れない。
いつだって何かを勝ち取るのはリスクと向き合ったものだけだと、俺は考えている。
「不要なリスクを背負い込むのとはまた別です!」
「そうだな。今後はじゃあレグナにも色々と手伝って貰ってリスクを軽減するとしよう」
「リップサービスだけいいんですから。知りませんよ、本当にもう」
そう言いつつも平たい耳をぴくぴくと嬉しそうにさせてくれているので、頼りにされて少し機嫌は直ったようだった。
「ところでこのおねーさんはどうするっすか」
「くっ、私ってばやっぱりこのまま魔王の生贄にされて、あんなことやこんなことされちゃうのね」
……しないから、もう帰っていいよ。
***
「ええ、魔王セブンスが本当に復活していました。
ジーニアルを侵略する気のようですが、その手の内が今一つ。わざわざ交渉などに赴いて、どうにも読めませんな……ええ、何をしでかすのかはさっぱり。
……なんですって?」
ゴルドフは様々な魔脊を合わせて作られた複雑な魔導機を通して、連絡を取っていた。
電話のようなその魔導機の先、そこから伝えられた言葉はにわかには信じ難い言葉だった。
「あの魔王を、ですか?」
自分が今置かれている状況が一変しそうな光明に、しかしゴルドフはしかめ面を更に強くした。
どうにも話が巧く出来過ぎているような気がする。
組織の為に血を捧げるのは当然だとする心情がある一方で、自分でもある程度賢しくなったと評価する頭の内は、どうにも胡散臭いものを感じて警鐘を鳴らしている。
「いえ、わかりました。私は従うのみです。イエス、サー」
電話口で伝えられた言葉はこうだった。
――――魔王と対等に戦える勇者を既に召喚してある。
通話先から伝えられたそれが本当だとしたら、この件は何事も無く片付く可能性があるだろう。
しかし、そうも簡単に事が運ぶのだろうかと言う疑念を拭い切れず、ゴルドフはまた一人思案に耽った。
もしも、事が失敗し魔王の怒りを買った時の保険は必要だろう。
元兵士だったゴルドフは今は知事として、それほど出来のよくないと自負している頭を回し続けるのだった。