7 騒動のその後
図書館の蔵書全てが空を舞うと言う史上初の珍事件。
しばし空中を漂ったそれらは、事件発生から1分とたたずに全てがあるべき場所へと自動的に戻って行った。
・・・あまりの突拍子もない事態に、誰もが口をぽかんと開けたまま停止している。
物音ひとつ立たない静寂の中。
いち早く気を取り直したのはフレディだった。
低く押し殺した声で、一言つげる。
「・・・・・・逃げるぞ。」
彼の声にローザとアイラスは、はっと我に返って振り返る。
真剣な面もちでお互いの視線を合わせて頷きあう。
次に、一番近い場所に居たアイラスがリーナの首根っこをひっ掴んで抱えあげたのを確認すると。
一目散にその場から逃亡したのだった。
「えぇぇぇ?!」
入り口前で待機させていた護衛さえも、わき目も振らずに振り切り、彼らは月宮殿へ逃げ込むことになった。
「王子!私、今日は入殿の許可なんて取ってないのですが!」
「俺の権限で速攻許可を出す!」
月宮殿は王族の住居。
そのために、王族と王族に許可を得た一部のものだけが入殿を許されている。
国でもっとも警備の厳しいとされているそこは、人目を避けて逃げ込むには絶好の場所だった。
全速力で宮殿へ逃げ込むと、事態に付いていけず呆然としたままのリーナ以外の3人は、息を切らして石造りの廊下にへたりこんだ。
侍女たちが何事だろうかと遠巻きに見ていたものの、緊急性は無いと判断したのかすぐに仕事へ戻っていく。
アイラスの腕から降ろされたリーナは、荒い息で膝をつく彼らを、恐る恐ると言った様子でのぞき込む。
「だいじょうぶ?」
「大丈夫じゃない!絶対っ、今頃父上に報告あがってるんだぞ!あー、呼び出しくらう・・・。」
「意気揚々とねちねち説教されるんでしょうねぇ。」
「まぁ今回のは俺が引き起こしたことだしな。…悪かった、怪我はしてないんだな?」
本を崩し、事態を引き起こすきっかけになった自覚があるだけに言い訳のしようもない。
甘んじて説教を受ける以外の道はなさそうだ。
「うん。どこも痛くないよ。」
「そうか、良かったな。」
ほっと息を吐くフレディは彼女の頭を撫でようと手を伸ばした…が、爛々と輝かせた目をしたアイラスによって阻止される。
赤いマニキュアの塗られた綺麗な手でリーナの手を取り、身を乗り出して至近距離から捲し立てた。
そのあまりの勢いに彼女は驚いて目を丸くして瞬きを繰り返す。
「ところでファリーナ様!さきほどの現象についてお話を聞かせて頂いても?!」
「げ、げんしょう?」
「精霊です!私の見解ですと風精の力によるものだと思われます。しかしあれほど広範囲に、的確に本だけを標的に浮遊させるのは相当高度な精霊術のはず。」
「せいれい?じゅつ?」
言われた意味が分からず、不思議そうに首を傾げ相手を見つめ返した。
「あー…アイラス先生?」
「残念ながら、そいつは何も分かってないらしい。」
精霊を目に映し、意思疎通を行える精霊使い。
その中でも最高位の術を今しがた行っておきながら、しかしそれらに対する知識を彼女は何一つ持ってはいなかった。
「む…ではファリーナ様。簡潔にお伺いします。先ほど本を浮かせたのは何をどうやったのですか?」
「さっきの?私は何もしていないよ?緑の子が助けてくれたの。」
リーナの答えに、彼らは三人三様に眉を眉間によせて首をかしげた。
「「「…緑の子?」」」
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-----------同時刻。 太陽宮廷、王の間。
大慌てで報告に上がった騎士を前に、玉座に深々と腰掛ける不敵な笑みを浮かべるのはエスティーナ国国王ブラッド・ラビ・エスティーナ。
息子と同じ薄い茶の髪---しかし柔らかくウェーブの効いた髪質のフレディとは違い、彼の場合は硬く直毛で短く刈りあげられていた。
筋肉質な輪郭を覆う濃い顎髭に、大柄な体格で堂々とした佇まい。
一般的な剣の3倍の重さはある『剛剣』の使い手として知られる、荒地で獲物を狙う獅子のごとく容貌の人物だった。
そのごつごつと節ばった手で自らの顎髭を撫で上げ、底が見えない紅い瞳で騎士を見つめる。
騎士は跪き王を仰ぎ見たまま、瞳に囚われたように固まってしまった。
体育会系派の見目とは逆に、彼は政では的確かつ冷酷な判断力を発揮する油断のならない人物として各国では知られていた。
息子いわく、『ゴツくて強面で何を考えてるのか分からない変なおっさん』らしい。
「御苦労だった。下がれ。」
「はっ!失礼します!」
(うっかり現場に居合わてしまったばかりに報告役にされちゃって。可哀そうに。)
緊張のあまり足をもつれさせながらも大慌てで退室する若い騎士を、玉座の後ろに控えていた王弟ナスラは同情的な視線で見送った。
「どうするべきだろう?」
「うん?フレディ王子とうちの息子に対するお仕置きの相談ですか?」
「それは後でいい。分かってるだろうが…。」
「はいはい、ファリーナ姫の力ですよね。」
王より濃い色の茶髪をさらりと揺らし、柔和な笑みで受け答えた。
息子ローザに宮廷内での振る舞い方として『面倒な人間は笑って受け流しておけ』と言う方法を教え込んだのはこの父親である。
「…制御が、まったく出来ていないようですね。彼女が使役したと言うよりも、彼女の危機を察して精霊が自分の意思で動いたと言う方が正しいようです。」
「ラヴェーラからの報告通りだな。」
「力の暴走…ですか。ラヴェーラで起こった様な事態は避けたいですね。」
「あぁ、何人か優秀な精霊使いを見つくろってくれ。力の使い方を教えてやれるような奴を。」
「かしこまりました。」
優美な仕草で礼を取った後、手配の為にナスラは退室する。
その弟の背を目に映しながらブラッドは嘆息し玉座に体重をかけた。
自らの顎髭を弄りつつ、宮殿に引き取ったその日に一度挨拶をしたのみの少女の風貌を思い出す。
青い空を映す瞳に太陽の光そのもののような金の髪。
透き通る瞳を目にした瞬間の、血が湧き上がるような激しい衝動。
王族が月の神スザナの血を引く証拠は、紅い瞳くらいだと思っていた。
特別な力など一切ない。ただの人間だと。
だからこそ、神の名におごらず、人として努力と精神力を駆使し王座に立ってきたのだ。
それなのに、彼女に会ったとたん神の血が騒いだ。
民の幸福よりも、国の繁栄よりも。
-----彼女の幸せを
-----彼女の傍にあることを
-----彼女の為に、自らの全てを捧ることを
「っ……。」
気を抜けば、すぐにでも血の中のスザナの意識に引っ張られそうだった。
同じ宮殿内で生活しながらも、ブラッドがリーナへの面会を最初の一度以降行っていないのは、己の意思を保つ為でもあった。
建国神話ではスザナが恋をしたのは人間の娘であったはずだ。
生きる場所の違う神と人間の娘の非恋は年頃の女性達に絶大な支持を得ていた。
しかし血に刻まれた感情は、どう考えても太陽神ラビナオーレへの恋情で溢れかえっている。
(何百年と紡がれてきた物語が実は間違ってましたなんて…何がなんでも公表するわけにはいかないな。)
「はぁ…それにしてもうちの息子は、ずいぶんアレの事が気に入ってるようだが。」
月神の意識に引っ張られているのではなく、はたして本当に彼自身の意志で傍にいるのだろうか。