17 闇の足音3
「月宮殿を狙う賊の情報が入った。」
「ぞく?」
聞いたことの無い単語に大きな目を瞬きさせて呆けるリーナに、フレディとローザは苦笑を浮かべた。
リーナは精霊使いとしては優秀な逸材なのだろう。
だが、彼女が普通の子供と違う所など精霊使いとしての力くらいだった。
疑うことも、怨むことも知らない、周囲に愛されて育った無垢な子供。
王城という醜い諍いが絶えない場所で育てられた少年2人は、リーナがいつまでも『そのまま』で居てくれることを願うのだった。
たとえ難しい願いだと分かってはいても。
「悪い人が入って来るかもしれないと言うことですよ、リーナ姫。」
「わるい人…。それで、どうすればいいの?」
「宮殿内でも一人になるな。護衛をつけろ。あとはこっちでどうにかする。」
「…はい。」
賊の目的も告げないような、的を得ない説明。
それでもリーナは眉を下げながらも大人しく頷いた。
我儘と言うものを一切言わない彼女らしい反応だ。
「護衛さえ付ければ王城内なら行動は制限しない。図書館だろうが、庭園だろうがアイラスの研究室だろうが遊びに行けばいい。」
対処できないような、目の届かない所へ行かれるのが心配なだけだ。
閉じ込めるつもりはなかった。
「アイラス先生の、けんきゅうしつ?」
「リーナ姫は行ったことありませんでしたね。訳の分からないものが沢山あって結構面白いですよ。」
「俺達が積極的に行くことはまずないけどな…。」
少年2人にとっては幼少時代の苦い思い出の詰まった場所の為、あまり近づきたくない場所なのだ。
嫌な話は打ち切ることにして、フレディはちょうど侍女のマリーがワゴンを押してくるのを目の端にとらえると、話題を変える為に彼女に話かけた。
「今日の菓子はなんだ?」
「はい。サンドイッチと、林檎のパイをご用意いたしました。」
「りんごのパイ!」
「おや?リーナ姫は林檎がお好きなのですか?」
嬉しそうに何度も頷くリーナに、3人は頬を緩める。
「前にね、兄様といっしょに作ったの。」
屈託無く笑いながら相づちを打つマリー。
正反対に、フレディとローザは少女の台詞にピシッっと乾いた音を立てて固まった。
(いきなり核心に迫る発言をかますとは…。)
冷や汗ものの少年2人を余所に、侍女のマリーとリーナは楽しそうに林檎のパイについての話題で盛り上がっている。
紅茶とパイがそれぞれの目の前に、大皿に乗ったサンドイッチはテーブルの中央に置かれた。
フレディはミルクを紅茶の入ったティーカップに流し入れながら何気なく聞く。
「あー…リーナは兄弟と仲が良いのか。」
「うんっ。アベル兄様はお菓子づくりが好きなの。弟のエリクはヴァイオリンがとっても上手なのよ。」
「へぇ。素敵なご家族ですねぇ。」
「…………。」
屈託なく楽しそうに話しながらも、結局リーナの口から長兄の名がでることは無かった。
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------------------満月の光が淡く差し込む深夜。
クラウスは黒の長衣を羽織り、肩にかかるくすんだ金髪を風になびかせながら宮殿の裏門に立っていた。
顔を隠すフードはもう被ってはいない。
彼の背後には、応援を呼ぶ間も無く意識を落とされた騎士が何人か転がっている。
「やっと、リーナに会えるね。」
年の離れた妹を想い、目尻を下げ甘く囁くクラウス。
<クラウス様、この先は結界が。>
<わかっているよ。>
すらりと長い指先で、宮殿の門にそっと触れる。
----------------------ズゥゥゥゥン。
「へぇ、精霊使いに反応する精霊石を門に埋め込んでいるのか。」
空気を揺るがす低い音と共に、行く手を阻む壁が現れた。
月宮殿を囲むように続く背の高い氷の壁。
クラウスはそれを面白そうに見上げる。
「力をもつ者が侵入しようとすると氷の障壁が現れるようになっている。巨大な宮殿を丸ごと囲めるとは、そうとう優秀な水の精霊使いみたいだね。」
目の前の氷の壁を、指先でゆっくりとなぞる。
「でも…僕には敵わない。」
呟きとともに、クラウスの周囲の砂が舞い上がった。
「ごほっ!ごほっ…!」
クラウスの足元に転がっていた騎士が、舞い上がった砂埃を吸って激しく咳き込んだ。
そんな騎士をクラウスは目を細めて不遜げに睨むと、一時のためらいも無く脇腹に強く蹴りを入れる。
「邪魔しないでよ。」
「がっ…!」
突然の衝撃に目を張ったかと思えば直ぐに意識を手放した騎士。
クラウスはその様子を一瞥した後、もう興味を無くしたかのように正面の壁に視線を向けた。
胸の前に手を突き出す。
手の先には舞い上がった砂が集まり、先のとがった棒状の塊となろうとしていた。
<地精よ…。>
精霊へ頭で命じると同時に、勢いよく砂の槍が氷の壁に突き刺ささる。
人の力ではびくともしないであろう厚い氷の壁は簡単に崩壊し、氷の粒が月の光に照らされてキラキラと光りながら周囲を舞った。
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「陛下。」
太陽宮廷、応接の間。
20人ほどの人数が腰掛けられる縦長い応接用の机上で、王と王弟と対面していたカルアが自身の作った精霊石の発動に反応して、厳しい目で国王に声をかける。
彼らは近いうちに現れるだろうクラウスに備えて宮廷に待機していたのだ。
「来たか。」
「行きますか?」
厳しい顔で椅子から腰を上げるカルアだったが、顎髭を撫でながら楽しそうに口角を上げた王が片手で制止をかける。
「いや、息子達にまかせる。」
「危険です。」
「まぁな。」
「……何を考えてらっしゃるのですか。」
国民の信仰を一心に集める太陽神ラビナオーレの魂をもつ少女が狙われているのだ。
本来ならば直ぐにでも騎士を総集結させ、クラウスを捕えるために動くべきであるにも関わらず、ブラッドはのんびりと構えているばかりで動くことはしなかった。
カルアにはブラッドの考えがわからず、ブラッドとその隣の王弟ナスラに問いただす。
(別に彼女に情があるわけではないが…。)
小さな子供が犯罪者に狙われようとしている。
真面目かつ潔癖な性格のカルアは、たとえ個人的に好ましくない感情をもつ少女が相手であったとしても、手を差し伸べるべき場面だと思っていた。
「心配するな。本当に危険そうならすぐに騎士をだす。あの子たちがどこまでやれるのか、見てみたいだけだ。」
「っ……。」
窓から差し込む月光に反射して、ブラッドの紅い瞳が輝き鋭さを増す。
紅い瞳に捕えられたカルアは言葉を無くし、その後眉を寄せてため息を吐くと大人しく椅子に腰かけた。
傍らの水精に状況を逐一報告するように命じると、窓の外に視線を流す。
「長い夜になりそうですね。」
「酒でも出しましょうか?」
「お、良いこと言うじゃないかナスラ。つまみも用意させよう。」
「ふふっ。いいワインを手に入れたもので、早く飲みたくてうずうずしてたんですよ。」
「そりゃあ楽しみだ!」
のんきな様子で酒盛りを始めようとする王と王弟に、カルアは眼鏡の奥の黒い瞳で睨みながらも、もう何も言わなかった。
いや、言っても無駄だと判断した。




