16 闇の足音2
エスティーナ国 首都ロアの街。
とある酒場の隅で、一人の男が酒を嗜んでいた。
黒い長衣に目深にかぶったフード。
あきらかに顔と身分を隠す装いだったが、ロアのような大きな街には訳あり者が集まるものだ。
裏道に佇む場末の酒場では珍しいことでもない為、特に気に止めて不穏な視線を送る者はいなかった。
そんな彼の頭に、するりと言葉が降ってくる。
<クラウス様。ただいま戻りました。>
常人には見えない精霊が軽やかに主の肩に止まる。
精霊は髪も目も茶色。地の精霊だ。
彼らに性別は無いものの、この精霊はどちらかと言えば少女と言った風貌だった。
クラウスと呼ばれた男は正面を向き、手に持つグラスを傾けたまま柔らかな視線だけを精霊に向ける。
<どうだった?>
<月宮殿の周囲を一回りしてきましたが、警備はかなり厳重ですね。>
<僕の手配が回っているからなぁ。警戒しているのだろうね。>
<あとは水の精霊使いが施した少々やっかいな結果が貼られていましたけれど。 クラウス様の力なら造作もない程度ですわ。>
<そうだろうね。>
クラウスは自分自身の精霊使いとしての素質はリーナの次くらいの高さだと思っている。
もっともリーナは素質はあるが使い方はまだまだだ。
その為、今のところクラウスが国一番と言っても過言では無いだろう。
たとえ国お抱えの精霊使いの術だろうが、壊せないはずはない。
クラウスも精霊も確信していた。
<リーナはどうしていた?>
<姿は見ておりませんが気配は色濃く感じられました。月宮殿内の西側1階に居室があると思われます。>
<西、か。>
リーナに近づいた喜びに、クラウスは思わず小さな笑い声が漏れてしまう。
クラウスの笑みに、傍らの精霊は頬を蒸気させてとろけそうに幸せな気分になった。
彼は20代前半の年齢に対して、童顔で愛らしい容姿をしている。
フードに隠された肩につく程度の長さの髪はリーナの純粋な金色の髪よりややくすんだ色合い。
たいていの人間は彼がにっこり可愛らしく笑えば警戒心など抱きもせず、思うがまま動く人形となってくれるのだ。
<ありがとう。助かったよ。>
<いいえ!クラウス様とリーナ様、お二人の幸せの為なら精霊族はどんなことでも致します。>
意のままの人形となって動いてくれるのは人間だけでなく、精霊も同じだった。
人ならざるものさえも虜にする独特の魅力を放つ男。
「待っていてね。僕のリーナ。」
クラウスは恋人に囁くような甘い声色で、ここには居ない少女の名を呼ぶ。
彼は己が唯一執着する一人の少女に会うためにロアまで来たのだ。
世界に祝福された金色の髪の少女。
生まれた瞬間から、奪われてしまうまでずっと傍に有り続けた妹。
王族にくれてやるつもりなんて更々ありはしない。
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ブラッドと別れたあと、フレディはローザと合流し父から得た情報を伝えた。
「つまりリーナ姫の兄君が宮殿に何かしかけると?」
「父上はそう思っている。外れることは無いだろうな。」
「なるほどなるほど。面白くなってきましたねぇ。」
「どこが。」
心底楽しそうに含み笑いを浮かべるローザに、フレディは呆れてため息をはく。
「リーナ姫、御兄弟との仲は良好そうに見えたんですけどねぇ。」
「…あぁ。」
何らかの罪を犯し捕縛されたラヴェーラ家の長兄。
脱獄してリーナを狙おうとしていることは間違いないのだろう。
彼はリーナを憎んでいるのか。
それとも好いているけれど事情があるのか。
過去に何かがあったのか。
何一つ自分達は知らない。
だが頑なに笑うだけの少女に、直接聞くのは躊躇われた。
無理やりに聞き出すつもりもない。
「出来れば事を荒立てず進めたかったが。」
危害を加える可能性のあるものが、リーナに近づこうとしている。
こっそり調べている時間はもう無さそうだ。
(しかしこうなった以上、リーナを巻き込まずひっそりと事を片づけることも難しいか。)
「…とりあえず、周囲に気をつけろくらいは言っておかないとな。」
「そうですね。兄君だとは言えなくても、警戒はしておいて頂かないと。」
フレディとローザはリーナの元へ向かった。
時間的には精霊術の授業が終わるかどうかという頃だろう。
彼女の私室に向かうため中庭を横切ろうと歩いていると、中央の噴水の傍らに立つカルアとリーナの姿があった。
「あれ、まだ授業中でしょうか?」
2人揃って近づいていくとリーナがフレディとローザの存在に気付いて笑顔で手を振ってくる。
フレディはそれに手を上げて答え、カルアには目礼をした。
「授業の邪魔をしたか?」
「いえ、もう終業しましたので帰らせて頂くところです。」
「そうか。御苦労だった。」
「仕事ですので。」
「………。」
見下すような視線に簡潔すぎる台詞。
愛想笑いのひとつもない無表情さ。
彼の隣でリーナはどうして平気な顔をしていられるのか、フレディもローザも理解出来なかった。
(先日、カルアと精霊がどうこうとか言っていたがその影響か?)
疑問は残るものの、見えない少年達にはどうしようもない。
本人も触れられたくないようだ。 放っておいていいだろう。
「では次回は4日後にお伺いします。失礼します。」
「先生、ありがとうございました!」
カルアを見送ったあと、中庭でそのままお茶をすることにした。
白いテーブルとイスに腰かけ侍女に紅茶とお菓子を持ってくるように頼む。
リーナはクッションによる底上げ効果によりフレディと同じ高さの目線になっていた。
「リーナ、話がある。」
「おはなし?」
快晴の日の空のような澄んだ青い瞳を真っ直ぐに見据え、フレディは口を開いた。




