15 闇の足音
水の精霊が集まる中庭の噴水の脇に、少女と細身の男が立っていた。
少女が胸の前に突き出した小さな手のひらの先。
掴める程度の大きさの水球がふわりと浮かび上がる。
ひとつだった水球は次から次へと数を増やし、出来上がった数十個の水球は少女の周囲を舞うように浮かぶ。
水の表面に日の光が反射して輝く光景は 美しく幻想的だった。
(まさか、3日でここまでとは。)
ふわふわと浮かぶ水球に囲まれ、楽しそうにそれに触れて遊ぶリーナに、彼女の精霊術の教師であるカルアは僅かに目を見張る。
「まぁ、元より才能はあったのでしょうが。」
精霊術を行う上でもっとも難しいとされることは、いかに精霊から力を引き出すかである。
精霊を見ることが出来るかどうかと、彼らを従わせ力を得られるかどうかはまったく別の話だ。
だがリーナに対して精霊達は最初から何の躊躇もなく、いくらでも力を差し出しており、あとはどの程度引き出すのか。 どうやって使うのか。といったコントロールを体で覚えるだけだった。
しかしそれでも、カルアは最低一月は掛かるだろうと見込んでいたのに、リーナはたった3日で成し遂げてしまっていた。
(精霊を統べる神の力、か。常識で考えていたら精神的について行けなくなる。)
「先生、どうですか?」
「十分です。他の属性でも同程度のことが出来ますか?」
「光や、風の玉をつくるということですか?」
光はともかく、目に見えない風の玉を作れるのだろうかとリーナは首を傾げる。
彼女の疑問に気付いたカルアは相変わらずの冷たい無表情さのままで口をひらいた。
「可能です。見ることが出来るのは精霊使いだけになりますが。常人には見えない分、風球は武器として非常に有効です。」
「ぶ、き…?」
「水球も勢いよくぶつければ十分効力あります。しかし見えない風球はどこからやられるか分からないという精神的効力も加えられます。光球は敵の目前に当てれば眩しさで視界を遮ります。」
「カルア先生。」
「何でしょう。」
「ぶきとして使うことがそんなにあるのでしょうか?」
「あー…そうですね。」
カルアは珍しくはっきりしない様子で言葉を濁す。
国は精霊使いが生まれた場合の申請を義務化しており、必要があれば護衛や保護を施していたものの追い付いていない部分も多かった。
精霊使いは貴重な存在。その力を得るために卑劣な手段をとる連中は数え切れないほどいるのだ。
金欲しさで精霊使いの子供を売る親達。
人身売買の道具とするための誘拐。
貴重なものを欲しがる富豪による奴隷化。
そう言う血なまぐさい事実をこの無垢な少女に教えてもよいのか。
冷酷な男と称されるカルアもさすがに戸惑った。
「まぁ、もしもの時のために覚えておいて損は無いですから。」
「……?はい。」
結局、ありきたりな台詞で誤魔化して、カルアは今日の授業を打ち切ることにした。
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「捕縛されていた長兄が脱獄したらしいぞ。」
月宮殿の奥に住まう病弱な母へ2人揃って見舞い、退室した直後。
豪快にあくびをして目の端に涙を溜めながら隣を歩く父王が、ついでの様に告げた言葉にフレディの足がぴたりと止まった。
眉を潜めてブラッドを睨みあげる。
「俺達の行動は筒抜けというわけですか。」
何をどこまで調べたかも。この男は全て把握しているのだろう。
後ろを振り返ったブラッドは息子の様子に鼻を鳴らして優越な笑みを作る。
「ふん。あたり前だ。お前は優秀な間諜を育てるための練習台にもってこいだな。」
「……実の息子に間諜つけるってどうなのですか。」
「文句はやつらの気配を察せられるようになってから言え。」
「う…。」
(気配なんて目に見えないものをどうやって察しろと!)
無理な欲求にフレディは不満そうに眉をしかめる。
しかし父も叔父も、そしてローザさえも、屋根裏やら壁の間やらに潜んでいる奴らを的確に把握できているのだから残念ながらフレディは閉口するしかなかった。
「…それで、どうしてそのような情報を?」
今までなにひとつ教えず高見から見物をしていたのに。
いきなり確信に迫るような情報を放り投げてくるのは何のつもりなのかと問うフレディに、ブラッドは顎髭を撫でながら答えた。
「ファリーナの一番近くにいるのはお前だからな。注意しておけ。」
「注意?」
「さすがに宮殿内で殺傷沙汰になると面倒だ。警備の厳重化はするが防げるとも思えん。」
「まさか…。」
神の血を引く尊き王族を守る為、国内にてもっとも厳重な警備を施された月宮殿。
リーナの兄はここに侵入し、なおかつ危害を加えるだけの力があるという。
フレディは目を瞠り、茫然と呟く。
「精霊使い、ですか。」
それも、おそらく強力な力を持った人間でなければ説明がつかなかった。
(二言三言のヒントで導き出したか。)
まだまだ甘いが多少頭は回るようになったらしい。
目に見える早さで日々確実に成長する子。
ブラッドは満足げに口角を上げると骨ばった手を伸ばし、心底嫌そうな顔で逃げようと足掻く息子を捕えて柔らかな茶色い頭を乱雑に撫でるのだった。




