最終章 問い
いよいよ、最終章です。お頼みしください。
最終章 問い
夜の研究棟は、
昼間とは別の顔をしていた。
白い廊下は静まり返り、
どこかで機械が低く唸る音だけが響いている。
米倉孔明は、その静寂の中を歩いていた。
(……今日で、決着をつける)
そう思いながらも、
胸の奥には重い鉛のような感覚が沈んでいた。
自動ドアが開く。
淡い光を放つ液体。
静かに横たわる患者たち。
その中に──
健司がいた。
米倉は、水槽に近づいた。
健司の顔は穏やかだった。
だが、その目尻には、
乾ききらない涙の跡があった。
(……健司……)
米倉は、
水槽の透明な壁にそっと手を置いた。
その瞬間、
健司の指先が、
ほんのわずかに震えた。
(……まだ……ここにいる……)
声にならない声が、
確かにそこにあった。
米倉の胸が締めつけられる。
(……助けたい……
でも……どうすれば……)
治療を止めれば、健司は死ぬ。
治療を続ければ、健司は苦しむ。
どちらを選んでも、
救いにはならない。
「米倉君。
まだここにいたのかね」
背後から声がした。
佐々木功教授。
いつもと変わらぬ穏やかな笑み。
「教授……
あなたは、本当に……
これを“治療”だと言うんですか」
佐々木は、
まるで当然のことを語るように頷いた。
「もちろんだ。
患者は延命されている。
肉体は完全に治癒している。
そして、本人の同意もある」
「……意識があるかもしれないんです」
「“かもしれない”では判断できないよ、米倉君。
医学は、感情では動かない」
教授は、水槽の横の健司を見つめた。
「それに──
もし治療を止めれば、
患者さんは元の病状に戻る。
余命は……もう、ほとんど残っていない」
米倉は息を呑んだ。
(……つまり……
治療を止めれば、健司は死ぬ……)
佐々木は、
優しい声で続けた。
「私は、患者を救っている。
そして、医学の未来を救っている。
それが、私の使命だ」
その声は、
優しさにも聞こえたし、
絶望にも聞こえた。
数日後。
倫理委員会の調査結果が公表された。
「賢者の石を用いた治療は、
患者本人の同意に基づくものであり、
現時点では重大な倫理違反は認められない」
世間は揺れた。
「延命治療の一種だ」
「医学の発展のために必要だ」
「人間の尊厳を踏みにじっている」
「同意があれば何をしてもいいのか」
議論は尽きなかった。
だが──
そのどれもが、
健司の“声”には届かなかった。
夜の研究棟。
米倉は、ひとり立ち尽くしていた。
(……本当に……
これで良かったのか……?)
答えは出ない。
ただ、
健司の涙だけが、
胸の奥に重く残っていた。
(……健司……
君は、何を望んでいたんだ……)
水槽の中で、
健司の指先が、
かすかに震えた気がした。
(……まだ……ここにいる……)
その声は、
誰にも届かない。
物語は、
ここで静かに幕を閉じる。
だが、
問いは残る。
──延命とは、誰のためのものなのか。
──同意とは、どこまで有効なのか。
──治療とは、どこからが暴力なのか。
──意識とは、何をもって“存在”と言えるのか。
──そして、あなたならどうする?
物語を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
本作は、
「治療とは何か」
「延命とは誰のためのものか」
「同意はどこまで有効なのか」
「意識はどこに宿るのか」
という、答えのない問いを扱っています。
医学は人を救うためにある。
しかし、救いとは何か。
その定義は、時代とともに揺れ続けています。
本作に登場する人物たちは、
誰も悪ではありません。
誰も正義でもありません。
ただ、それぞれが、
それぞれの立場で、
「正しい」と信じた道を歩いただけです。
読者のあなたが、
もしこの物語を通して、
“生きるとは何か”
“人間の尊厳とは何か”
そんな問いに少しでも触れてくれたなら、
それが作者としての何よりの喜びです。
物語は終わりましたが、
問いは、あなたの中で続いていきます。
どうか、あなた自身の答えを、
静かに見つけてください。




